伊勢型紙~伝統技術への思いと継承のためのアプローチ~
1 基本データ
<伊勢型紙とは>
着物の柄や文様を染めるのに用いる型紙のことで千年余りの歴史を持つ伝統工芸用具である。楮(高知・栃木産)から作られた和紙(美濃産)を鈴鹿へと運び、そして柿渋で縦、横と張り合わせ加工した型地紙(渋紙)に彫刻刀で着物の文様や図柄を丹念に彫りぬいていく。伝承の彫刻技法は「突彫り」「縞彫り」「錐彫り」「道具彫り」の4種類あり、職人は専門の技法で彫り、兼ねる事は稀である。職人はまず繰り返しパターンの原型として「小本」を作り、それを渋紙の上に墨で柄を写していき型紙を彫っていく。柄によって使用される型紙の枚数は違う。また縞柄や彫り残しの少ない型紙には「糸入れ」や「紗張り」などの補強も行う。職人は熟練の高度な技術と根気・忍耐を必要とされる。
完成した型紙は各地の染め物業者に送られ反物に染められて着物に仕立てあげられる。
<所在地および関連施設>
三重県鈴鹿市白子町および鈴鹿市寺家周辺
鈴鹿市伝統産業会館 {伊勢型紙協同組合}
伊勢型紙資料館(寺尾家) {伊勢型紙技術保存会}
<あゆみ>
昭和27年 文化庁より無形文化財に指定
昭和30年 職人6名(南部芳松・六谷紀久男・児玉博・中島秀吉・中村勇二郎・城ノ口みゑ)が人間国宝に認定
昭和58年 通産省の伝統的工芸用具に指定
<現在の職人の数>
組合員が14人 平均年齢は70歳 (昭和30年 彫刻業者350人)
生産量は全国の99%を占め、京都、東京をはじめ全国へ出荷されている。
2 時代背景
伊勢型紙の起源について確実な文献はないが、奈良時代に創建された鈴鹿市寺家町にある「子安観音寺」の不断桜の虫食い葉をみておもしろく思った「九大夫」がその葉を紙にあてて彫ったという説と観音寺の僧侶がその絵模様を「富貴絵」として障子や行燈の装飾用に売り出したという説がある。また応仁の乱で戦火の京都から鈴鹿へ型染め職人たちが移り住み発展したという説もある。しかしこの時代の衣服は主に織物であり、型染めも蠟纈や摺絵など木型であったことから実証は困難であるが、狩野義信が職人尽絵の中で型紙を使用して糊置きする職人を描いた事から室町末期に型紙が存在したことが確実となった。
江戸時代には白子・寺家の両村は徳川御三家の紀州藩に編入され、型売りの「株仲間」も形成された。紀州藩の保護のもと、独占的で全国的な規模の型紙販売の組織となった。これにより型彫と型売行商が発展した。また業者数の固定や価格の均一化を行なったことで値崩れ、乱売、技術の低下、流出を防ぎ、特異な行商体系を発展させた。
明治4年の廃藩置県とその後の統合により「株仲間」は解体されたが強い専売体制は引き続き行われた。型彫の技術は全国に広がったが渋紙の生産は現在においてもすべて白子・寺家地区のみである。
3 継承するための様々な取組みの評価
昨今、着物離れによる需要の減少は職人の減少と高齢化に繋がり、技術の伝承に大きな影響を及ぼす。改善策として人の手や伝統の素材に代わる物や方法、広報活動など様々な取り組みについて調査する。
<人材育成>
「テラコヤ伊勢型紙」
2017年に「修行型ゲストハウステラコヤ伊勢型紙」を開業するにあたり「伊勢型紙を救いたい!プロジェクト」説明会が開催された。代表の鈴木淳史氏は内容説明とクラウドファウンディングの説明及び返礼品の手ぬぐいについて考えるワークショップを開催した。
現在では予め用意したデザインをもとに型紙を彫る「一日体感コース」自分でデザインした浴衣や手ぬぐい、生地を彫り、染工場に送り手元に届くまでを行う「オリジナル制作コース(1泊2日)」伊勢型紙職人が彫りの技術や小刀の研ぎ方などを教え、仕事の依頼をすることもある「弟子入りコース(4泊5日か週末6日間)」を開催し職人の発掘を目指している。
「伊勢型紙保存会」
鈴鹿市において昭和38年より伊勢型紙伝承者養成事業を始め、職人の指導のもと高度な技術の習得に務めた。そして平成5年に保存会を組織し、平成5年に国の重要無形文化財の保持団体に指定された。現在彫刻の4技法及び糸入れにおいて技術の練磨と伝承者の育成に努めている。また原材料の確保や関係資料の調査も行い、復刻作品の製作や研修会などからも技術の保持、後継者の育成に力を注いでいる。
<素材の変化>
「現代の紙」
現在、渋紙などの型地紙を使用するのはごく一部の専門職の人に限られている。一般的にはポリエステル系の樹脂を和紙に含浸させて作ったクロスパターンビニールなどが型紙や小本に使用されている。
<手法の変化>
「手彫りから印刷へ」
シルクスクリーンは孔版印刷の一種でメッシュ状の版に孔を作り、孔の部分にだけインクを落として印刷する方法である。インクや素材を変えるだけで色々なものに印刷できる。
職人の減少からこの技法が考案されたが、細かくきちっとしたものには向くが平面的であるのが欠点である。手彫りはきちっとさはないがふわっとして見た目がよく、手仕事の温かみがある。
「伝統的染色型紙の復刻保存・レーザー加工技術」
染色工場の廃業等により古い型紙が日本各地に散逸されている。現在型紙の調査、収集、整理、保存がなされているが、劣化の進む型紙はデジタル化し、機械彫刻で保存する方向にある。そんな中、レーザー加工に適した型地紙素材とレーザー加工制作方法による文様の再現精度、染め上がりの研究を拓殖大学の研究チームが進めている。研究の結果、非接触で加工する手法と加工素材の合成型紙を採用するほうが格段に細かい模様を表現できることが実証された。(註1)
<広報活動>
「伊勢型紙フェスタ」
伊勢型紙協同組合は毎年11月の2日間、伊勢型紙の職人宅や、資料館など10か所を訪れるウォークラリーを開催している。完歩賞には伊勢型紙の手ぬぐいをプレゼントするなどして親しんでもらう。唯一、職人宅で作業現場を見学できる貴重な経験である。
「江戸伊勢型紙美術館」
紀州藩跡地である東京紀尾井町にあり、「江戸から昭和の伊勢型紙」を展示し、生で閲覧できる世界唯一の美術館。江戸から昭和初期に5000枚もの型紙が日本橋の老舗で見つかった。裃・極小小紋・江戸小紋・友禅などの伊勢型紙を復刻し、これらのグッズを展示販売している。
幕末にシーボルトが浮世絵とともに持ち帰った型紙は「ジャポニズム」として西洋美術に多大な影響を与えた。ちなみに英国ヴィクトリア・アルバート博物館には明治24年に600枚程購入した型紙が収められている。
この世界に誇る芸術は東京紀尾井町からも発信されている。
「染色用型紙から鑑賞用美術品へ」
着物以外の美術品は型紙を用いた襖や障子、型紙LED証明、和紙あかりなどの鑑賞用からバッグなどの実用品まで多数作られている。また「さとふる」の返礼品として手彫りの小紋型(紗織)の扇子が利用されている。
4 京型紙との関係
江戸中期、模様型紙が自給され絹染が専業であった京では伊勢型紙は販売地盤を築けなかった。いっぽう京は伊勢型紙の技術を取り込んだが、伊勢型のように一度に多数枚彫り、量産できる彫の技術や文様が発達しなかった。高級品を多く扱う京型染めは地白紙を主流とし、型地紙から切り離した文様を絹絓糸で繋いだ糸掛け型が多く、また上質な美濃紙や反故紙に極上の玉渋を塗った型地紙を使用して彫った。幅広の地白紙や送りや割り付けの見られない図の型がその原因であった。しかし明治以降は京都も量産を目指して伊勢で技術を習得したり、伊勢の職人が京都に移り小紋型の仕事をこなした。京型紙は「京都で作られた型紙」と「白子・寺家地区で作られた型紙」のふたつあるが、区別はつきにくく、記録もほぼ残されていない。
京友禅の型彫師・西村武志氏によると、現代の日本のブランド「京都の着物」は全て伊勢型紙で作られるとの事だった。その意味は日本を代表する技術に他ならない。
5 今後の展望
商品は多くの問屋を介し消費者に届くが、問屋や染屋が潰れると職人の仕事がなくなる。分業制の結果である。昔は仕事が多く生活ができたが、現在は年金世代の職人が何とか生活できる状況であるが弟子の引き受け手はいない。また兼業の職人は技術の向上が困難である。技術の継承は手取り足取りで教えるものではなく、目で見て感性で覚えていくものである。自身で試行錯誤しながら探っていく事が大切である。機械化などで継承していく方法はあるが、手作業に勝る技術はない。職人達が安心して技術を継承していける環境作りや、着物から現代のニーズに合った物作りへの展開など、各方面からのアプローチが鍵となる。
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伊勢型紙資料館(史跡 寺尾家住宅)
平成30年11月1日筆者撮影
寺尾家住宅・・・宝暦3年(1753)、白子・寺家には138軒の型屋があり、その中で寺尾斎兵衛家は生産から販売まで行い、行商も東北から関東一円まで及ぶ白子屈指の型屋問屋であった。江戸末期に立てられた建物は平成6年に鈴鹿市史跡に指定、その後鈴鹿市に寄贈され、平成9年に伊勢型紙資料館として公開された。 -
江戸時代 裃 小紋柄 (鈴鹿市伝統産業会館蔵)
平成30年11月1日筆者撮影
小紋柄・・・細かい模様が全体に入っている柄の総称で上下に関係なく模様が入っている。
代表的な技法が「江戸小紋」「京小紋」「加賀小紋」であり、江戸時代には武士の裃の柄として用いられた。 -
江戸時代 縞彫り型紙(鈴鹿市伝統産業会館蔵)
平成30年11月1日筆者撮影
縞彫り(引き彫り)・・・定規と彫刻刀で縞柄を彫る。1本の線を3回なぞったり1cm幅に最高11本の線を入れたりと高度な技術と集中力が必要とされる。「糸いれ」と言われる細い絹糸を入れ、柿渋で接着し補強する工程が必要である。 -
江戸時代 突彫り型紙と彫刻刀・小刷毛・穴版・細工箱(鈴鹿市伝統産業会館蔵)
平成30年11月1日筆者撮影
突彫り・・・刃先が1~2mmの小刀で垂直に突くようにして彫り進める。補強に「紗張り(糸入れに替わる技法・大正10年に考案)」を行うこともある。小刀を上下に刻むように彫ることで、線が微妙に揺れ柔らかい味が出る。 -
江戸時代 錐彫り型紙と道具箱・荒砥・中砥・とじ張り・丸刷毛(鈴鹿市伝統産業会館蔵)
平成30年11月1日筆者撮影
錐彫り・・・小さな丸の連続によって、図柄が構成される伊勢型紙の代表的な技法。刃先が半円形に研がれ彫刻刀を垂直に立て、錐を挟むように回転させながら穴を穿って彫る。穴が大きくならない様に巧妙な手さばきが要求される。 -
現代 道具彫り型紙(鈴鹿市伝統産業会館蔵)
平成30年11月1日筆者撮影
道具彫り・・・刃物自体が桜・菊などの形に作られ、均整のとれた絵柄を彫ることができる。代表的な文様は御召十・七宝・菊麦・桜・梨割などで、職人は「道具突き」と呼ばれる刃物の図柄に合った道具作りから始める。 -
渋紙 室枯し<一度室・二度室>(鈴鹿市伝統産業会館蔵)
平成30年11月1日筆者撮影
形地紙である渋紙作りは、まず美濃和紙などの原紙を数百枚、紙断ち包丁で裁断する「法造り」を行う。次に強靭で伸縮しない紙にするために和紙の繊維の目を縦・横・縦とベニヤ状にし、柿渋で張り合わせる「紙つけ」をする。天日干しした後は燻煙室で杉のおがくずを燃やし、1週間ほどいぶす「室枯らし」行う。これにより渋の効力を増加させ伸縮しにくい型地紙となる。
参考文献
伊勢型紙技術保存会 編集・発行 『図録 伊勢型紙』、平成27年
伊勢型紙技術保存会 編集・発行 『美・技・心 伊勢型紙』
鈴鹿市産業振興部産業政策課 編集・発行 『伊勢型紙』
青人社 濱田信義 編集・株式会社 美術出版社 大下健太郎 発行 『伊勢型紙』
2008年2月15日
伊勢型紙の歴史・資料・関連団体・伊勢型紙専門店おおすぎ株式会社(isekatagami-osugi.com/company/index.htm)
平成30年9月27日検索
紀尾井町アートギャラリー 江戸伊勢型紙美術館(www.kioi.jp/ja/exhibition/museum/)
平成30年9月26日検索
京小紋の特徴や歴史ーKPGEIJAPAN(kogeijapan.com )
平成30年10月22日検索
文化施設伊勢型紙資料館・鈴鹿市ホームページ検索(www.city.suzuka.lg.jp/)
平成30年10月31日検索
(註1)日本感性工学会論文誌Vol11No2
染色型紙制作におけるレーザー加工手法の応用可能性
沖田実嘉子・竹末俊昭 拓殖大学大学院研究科
(www.jstage.jst.go.jp/article/jjske/11/2/11_2.../_pdf)
平成30年10月25日検索
伊勢型紙資料館 中村女史 現地ヒアリング
平成30年11月1日
鈴鹿市伝統産業会館 職員 現地ヒアリング
平成30年11月1日