
東山道が育んだ地域文化 ― 上神主・茂原官衙遺跡にみる時間と記憶の継承 ―
1 概要と歴史的背景
地域には、その土地で積み重ねられた歴史や文化、人々の営みが息づいている。それらは建造物や遺物といった「目に見えるもの」にとどまらない。土地に刻まれた時間の重みや人々の記憶もまた、地域を形づくる欠かせない文化資産である。
上神主(かみこうぬし)・茂原官衙遺跡〔1〕は、栃木県宇都宮市茂原町と河内郡上三川町上神主にまたがる古代の官衙遺跡である。古代の幹線道路・東山道〔2〕と深く関わり、地域の行政や交通を支える要衝として機能した(資料1)。現在も周辺には国道新旧4号線や北関東自動車道、JR宇都宮線が交錯し、古代から現代まで交通の拠点であり続けるという土地の記憶が受け継がれている。
平成7年(1995年)からの発掘調査により、本遺跡は7世紀後半から9世紀頃にかけて機能した下野国(しもつけのくに)の行政施設であったことが判明した。当初は多数の刻書瓦の出土から寺院跡と考えられていたが、その後の調査で官衙遺跡であることが実証された。近年には国史跡に指定され、出土した刻書瓦〔3〕も重要文化財に指定されるなど、その学術的価値は高く評価されている(資料3)。一方で、この歴史的価値を地域の人々が身近に感じ、未来へ継承していくための実践(資料2)には、まだ発展の余地が残されている。文化資産の価値は、単に現地に保存されているだけで自然に生まれるものではない。地域の人々がその存在を知り、訪れ、関わり、次世代へ語り継ぐプロセスがあって初めて、真の価値が育まれていく。
そこで本研究では、東山道を単なる過去の交通路ではなく、「時間・場所・人」をつなぐ媒介として捉え直す。そして本遺跡を事例に、地域文化資産としての価値とその継承のあり方について、「時間のデザイン」〔4〕という視点から考察する。
2 周辺地域の文化・形成
2-1 東山道が育んだ地域形成(資料3)
東山道は、古代律令国家の整備に伴う大幹線であり、都と東国・東北を結ぶパイプラインであった。その役割は人や物資の輸送にとどまらず、政治制度や先進文化、情報を地方へ伝達する基盤でもあった。沿線には行政を担う官衙や交通を支える駅家が配置され、それらを中心に地域社会が形成されていった。 東山道は、人々の往来を支えるインフラであったと同時に、地域の「時間」を積み重ねる道でもあった。そこでの暮らしや交流の歴史は、土地固有の文化を育み、現在の地域像をつくる礎となった。
2-2 田川流域に育まれた地域文化(資料3)
下野国は東山道の要衝として古くから重要視されていた。特に豊かな水資源と肥沃な大地に恵まれた田川流域〔5〕では、早くから生活や生産活動が展開した。その中で、水道山瓦窯跡〔6〕をはじめとする生産拠点も築かれた。これらは官衙や寺院の建設を支えただけでなく、東山道を通じた技術や物流の交流拠点として地域社会の発展に寄与した。 このように田川流域では、東山道をベースに行政・生産・人々の暮らしが重なり合いながら独自文化が形成されてきた。その歩みは、現在も本遺跡をはじめとする文化資産の中に生きている。
3 文化資産としての積極的評価
本遺跡を積極的に評価すべき理由は、古代行政施設としての学術的価値にとどまらない。より重要なのは、東山道によって育まれた「土地の時間と人々の記憶」が今なお刻まれ続けている点にある。過去の時間を未来へどう受け渡すかという「時間のデザイン」の視点こそが、本遺跡の新たな価値を炙り出す(資料4)。
文化資産には、建造物や遺物といった「目に見える価値」と、そこで営まれた暮らしや記憶という「目に見えない価値」の両面が存在する。東山道は人・物・情報を結びつけることで地域文化を育む母体となった。その沿線に位置する上神主・茂原官衙遺跡は、古代下野国の成り立ちと人々の営みを今に伝える文化資産である。文化資産の真の価値とは、過去の遺構をそのまま凍結保存することではない。土地に刻まれた時間と記憶を現代の私たちが汲み取り、未来へつないでいく「連続性」の中にこそ存在する。本遺跡は、東山道が育んだ地域文化を伝えるシンボルとして、保存と活用の両面から改めて評価されるべきである。
4 他事例との比較と今後の展望
本遺跡の活用可能性を探る上では他地域との比較が有効である。例えば、古代東北統治の拠点であった多賀城跡〔7〕(宮城県)では、史跡の保存にとどまらず、魅力的な展示や体験学習、地域イベントを展開している。それにより市民が日常的に歴史と触れ合う機会が生まれ、文化資産が「地域の誇り」やアイデンティティ形成に貢献している(資料5)。対照的に、本遺跡は高い評価を受けながらも、その価値を市民が日常で実感できる機会はまだ限られている。しかし周辺には東山道をはじめ、水道山瓦窯跡や下野国分寺跡〔8〕など同時代の文化資産が点在する。これらを「面」として結びつけることで、地域全体をフィールドミュージアム化できる大きなポテンシャルを秘めている。
現在、現地は草に覆われる時期もあり、訪れた人が歴史的価値を即座に感じ取ることは容易ではない。そこで今後の保存・活用の実態を把握するため、上三川町教育委員会事務局生涯学習課文化係の大島孝博係長への聞き取り調査を行った(資料6)。
調査の結果、発掘による官衙特有の施設配置や、全国的にも珍しい大量の人名文字瓦の出土によって「当時生きた人々の存在」を具体的に感じ取れる点が、大きな価値として認識されていると確認できた。特に令和6年の刻書瓦(2,351点)の重要文化財指定は、学術的評価の高さを物語っている。
しかし同時に、切実な課題も浮き彫りとなった。史跡の維持管理は地元の保存会が担ってきたが、会員の高齢化により活動縮小を余儀なくされている。さらに宇都宮市と上三川町の行政境界にまたがるため、広域的な調整や予算確保が難しく、本格的な整備が長期にわたり保留されてきた現状がある。印象的だったのは、担当者が「地域の高校生約30人に尋ねても、この遺跡を知る者はいなかった」と語られた点である。重要文化財指定の裏で、若い世代への認知不足という壁が存在する。これに対し教育委員会では、今後建設予定の「道の駅」整備を契機とした情報発信や、参加型ワークショップの開催などを通して、文化財を単なる「鑑賞対象」から「地域づくりに生かす資産」へ変革していく構想を抱いていた。
文化資産は、単に保護されるだけでは十分な価値を発揮できない。視覚的な「遺構」を守ることに満足せず、土地の持つ時間や記憶を「時間のデザイン」の視点から捉え直し、人々が体感・共有できる「経験される空間」へと育てていくことが求められている。そしてその営みを継続させていくのは、住民、行政、教育機関といった多様な主体の関わりと熱量に他ならない。
5 まとめ
― 地域文化を未来へ手渡すために ―
本研究では、東山道と上神主・茂原官衙遺跡との結びつきを通して、地域文化資産としての価値と、持続可能な継承のあり方について考察を行ってきた。
東山道は単なる移動の手段ではなく、人々の営みを支え、土地に時間と記憶を積み重ねながら地域文化を醸成してきた。その歩みは本遺跡をはじめとする文化資産として今も確かに息づいている。
本研究を通して明らかになったのは、文化資産の価値とは指定文化財という保存だけで完結するものではないということだ。人々が歴史を知り、現地を訪れ、主体的に関わることで、初めて文化資産は地域に根を下ろし未来へ受け継がれる。聞き取り調査で浮き彫りとなった保存主体の高齢化や認知度不足という課題の一方で、道の駅との連携など新たな展開への大きな可能性も示された。
今後は、遺構という「目に見える空間」を保存するだけでなく、土地に刻まれた時間や記憶を「時間のデザイン」として現代に蘇らせ、人々が日常的に歴史と関われる「経験される空間」へとアップデートしていくことが重要である。そのためには、地域住民、行政、教育機関が垣根を越えて手を取り合うエコシステムが不可欠となる。文化資産を未来へ手渡していくのは、いつの時代も「人の手」である。 古代に東山道を開削した人の手、この土地で暮らしを支えた人の手、そして今日まで遺構を守り伝えてきた人の手。そのバトンリレーによって、時間と記憶は現代まで届いた。私自身も、本研究での学びを原点とし、地域文化を未来へつないでいく「一つの手」となれるよう模索を続けたい。そして、その一端を担う実践に関わり続けることを、今後の自身の課題としたい(資料7)。
参考文献
【参考文献】
秋山隆雄 他『東国の中世遺跡ー遺跡と異物の様相ー』有限会社随想舎、2009年
宇都宮市教育委員会『水道山瓦窯跡群』宇都宮市教育委員会、宇都宮市埋蔵文化財調査報告 第7集、1982年
宇都宮市教育委員会 文化課、上三川町教育委員会 生涯学習課編集『発掘された古代の役所 国指定史跡上神主・茂原官衙遺跡』宇都宮市教育委員会 文化課、上三川町教育委員会 生涯学習課、2016年
大川清 他『栃木県南河内町 下野薬師寺跡Ⅴー史跡整備の伴う発掘調査ー』南河内町教育委員会、南河内町埋蔵文化財調査報告第12集、1998年
上三川町教育委員会 文化課編集『上神主・茂原官衙遺跡Ⅲー瓦編ー』上三川町教育委員会・宇都宮市教育委員会、2024年
下野市立しもつけ風土記の丘資料館『新・しもつけ風土記ー展示解説図録ー』有限会社随想舎、2021年
下野市立しもつけ風土記の丘資料館『東の飛鳥ー新・下野風土記ー』有限会社随想舎、2025年第2刷
下野市立しもつけ風土記の丘資料館『続・東の飛鳥ー新・下野風土記ー』有限会社随想舎、2026年
武部健一『完全踏査 古代の道 新装版』吉川弘文館、2023年
早川克美著『デザインへのまなざしー豊かに生きるための思考術』、藝術学舎、2014年
早川克美著『拡張するデザイン思考ー創造的に生きるためにー』、藝術学舎、2025年
兵庫県立歴史博物館ひょうご歴史研究室『「播磨国風土記」の古代史』神戸新聞総合出版センター、2022年初版第2刷
山田安彦 他『東山道の景観と変貌』株式会社古今書院、1991年初版第1刷
和田明美『古代東山道園原と古典文学 万葉人の神坂と王朝人の箒木』愛知大学綜合郷土研究所、2010年第1刷発行
【閲覧ホームページ】
宇都宮市市役所HP(https://www.city.utsunomiya.lg.jp/event/rekishi 1035008/1034636.html 最終閲覧日2026年7月13 日、20:30)
全国文化財総覧HP(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/71481 2026年7月13日、22:30)
文化遺産オンラインHP(https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/163058 最終閲覧日2026年7月13日、21:43)





