
八王子車人形における伝統継承と人材育成の新展開ー西川古柳座・定期公演を事例として
1、基本的な全体概要
東京都八王子市下恩方町を拠点とする「八王子車人形 西川古柳座」は江戸時代から伝わる独自の伝統芸能を保持している。車人形は「ろくろ車」と呼ばれる箱型の車に乗り一人で一体の人形を操る極めて稀少な人形芝居であり、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。現代の古典芸能は生活様式の変遷や人口減少、資金難といった多角的な要因により存続の危機に瀬している。このような状況下の中で西川古柳座は次世代への継承活動を積極的に展開している。その象徴的な取り組みとして、若手座員による稽古場を活用した「定期講演」がある。稽古場を活用した定期公演は、研鑽を積んだ若手座員の本番さながらの実践的公演が行われ現代の新たな観客層や次世代層を開拓する構造的な革新事例となっている。伝統芸能の従事者を育成し確保するためには、単なる人形操法技術の継承に留まらず、その歴史的背景や地域文化・社会構造との関わりを体系的に理解することが不可欠として注目できる。八王子車人形の文化的な伝統芸能の歴史的価値を再評価した上で定期講演の取り組みを事例とし無形文化資産を生きた歴史として次世代へ紡ぐための人材育成システムとその有効性について文化資産評価報告書とすることを目的とする。
2、人材育成の積極的評価
八王子車人形の人材育成において長期に渡る厳しい稽古の難しさを克服し芸術性と精神性を高め、単なる兼業に留まらず車人形だけで生計を立てるための体制を確立している点は、芸能の自立制と持続可能性の観点から極めて重要な成果である。稽古場での明確に分業化された動きには無駄がなく自分のポジションを粋にこなす女性たちの活躍が顕著にあり性別関係なく各人の能力を発揮できるシステムの構築は現代において優れた人財育成の事例と言える。五代目西川古柳家元(瀬沼亨氏)が長年に渡り積み重ねてきた多大な業績と革新は国内は元より世界50箇所以上に車人形を広めている。今日では六代目西川柳時(瀬沼創氏)の考案した稽古場を活用した若手「定期講演」や、SNSを利用し映像を広く観衆に発信している。行政との長年に渡る連携により幼稚園、小学校、中学校、高校、大学までの教育機関への実地体験活動を行い、有力層との繋がりも多く、高尾山薬王院の貫首が後援会の会長を務め、地域の経済界や有力層との繋がりを強め組織化に従事した活躍がある。五代目家元の柔軟な発想により門戸を開放し男性の世界であった伝統芸能に女性を積極的に受け入れ昭和56年(1981)「新車人形」という新しい操法を考案した*1。この改良により若い女性や新人が早い段階で舞台に立つ経験を積めるようになった。伝統を守りながら次世代に向けた新たな展開や人材育成の手腕が今後の発展の鍵として注目されている。
3、車人形の歴史的背景
車人形の背景にある人形の起源は自然への畏敬の念と神仏習合に根ざす土着的な呪術性にある。日本は農耕社会を基盤として発展したため風土の厳しさに順応する過程で独自の信仰体系を構築し、その精神構造は人形を単なる構造物ではなく神仏と人間を媒介する依代としての役割を必然的に担う思想は高い美意識と人形文化が独自に形成されたものなのだ。車人形の誕生は嘉永から安政年間(1848ー1860)とされ、説経節の語りで幕末から明治年間まで最も多くの人々が車人形を受け入れた時期だった。江戸時代享保の末期(1730ー1745年頃)西川古柳(本名 山岸柳吉)文政8年(1825ー1897)は名人四代目西川伊三郎に学び*2。説経節は二代目薩摩津賀太夫に習っている*3。天保14年(1843)柳吉が19歳の頃大神村(現 昭島市大神町)武蔵国多摩郡態川村の名主・石川家(屋号:和泉屋)後の石川家が営む造り酒屋の奉公人として雇われた。柳吉は山岸圧兵衛の四男として生まれたため七代目石川八郎右衛門の附籍となったとあるが定かでは無い。安政の頃(1854ー1860年)ここで車人形を考案し、柳吉は二代目薩摩津賀太夫(野島彦左衛門)や薩摩津宝太夫・うつし絵の玉川文蝶らと共に興行組織として人形一座を形成し、明治10年頃(1877)から本格的に始め、明治15年6月遊芸人(人形遣)として戸長に届けている*4。江戸の繁盛は徳川幕府の失落と共に常小屋を失うなど苦しい状態になり、寄席、お座敷、旅回りをするようになり座員の維持が困難となった天保の頃(1830ー1844年)初代西川古柳が文楽系の三人遣いを「ろくろ車」による一人遣いに改めた。この「人形芝居改革」は画期的な許可を得て江戸で華やかに上演された*5。弟子の二代目西川古柳(瀬沼時太郎)は生粋の人形好きで初代柳吉氏の技を受け継ぎ西川連中という名称で興行一座を始めている。それも次第に衰微の一途を辿り八王子を中心とした多摩川沿いに残り僅かに三代目西川古柳(瀬沼周助)は八王子車人形を戦後の動乱期から守り強固な基盤を築き昭和31年(1956)「瀬沼周助座」として八王子市指定無形文化財の指定を受けている。それを受継ぎ四代目西川古柳(瀬沼時雄)は昭和37年(1962)東京都指定無形文化財・昭和58年(1983)東京都指定無形文化財(芸能)へと格上げされ平成8年(1996)国選択無形民俗文化財(団体指定)に選ばれた*6。「東京日日新聞」によると江戸時代末期に車人形の考案者は初代西川古柳であるが、その伝統を中央の世界に文化支援した人物は平音次郎・三田村鳶魚・坪内逍遙・小田内通久であった*7。車人形と説経節が融合し小浜太夫がこの地に多くの門弟を育てたことや初代薩摩津賀太夫の孫の小泉信久(神主)が八王子市大横町に拠点を置き住んでいた事なども八王子車人形の伝統が生き付いた要因なのであ*8。
4、国内外の他の事例に比べて特筆すべき点
八王子車人形の特筆点は、一人遣いによる高度な身体的連動性とそこから生み出される独自の表現力にある。人形遣いが「ろくろ車」に乗り、両手・両足・頭部を人形と直結させて操る事で演者と人形が一体化したリアルな表現を可能にしている。国内外の伝統的人形芝居との比較においてその特異性は顕著である。三人遣いによる分業を基本とする文楽や上部から吊るす方式が主流であるヨーロッパの操り人形に対し車人形は舞台を歩いたり踏み鳴らすなど人間と同じ動作ができる為、多様な感情表現や躍動感のある舞を表現できる。また、省人数で空間的制約が少なく、個人宅から大舞台、更には公園に簡易舞台を設置し「多摩伝統文化フェスティバル」での公演は薩摩派説経節との共同で人形を強調する黒子の演出であった。様々な環境で上演可能な機動性を備える表現美において、近年は古典芸能の枠に留まらず現代アーティストとの共演や海外の人形芝居フラメンコやコンテンポラリーダンスなど国内外の多様な芸術分野とのコラボレーションを展開し、現代舞台芸術としても多角的な人材戦を続けているのである。
5、人材育成と今後の展望
定期公演は2023年から始めており予約不要で公演料金も千円と設定され敷居は低いため足を運びやすく後援会会員を増やす切っ掛けとなっている。定期公演は連日ほぼ満席であることから本取り組みが地域社会に浸透し新たな観客を開拓しつつある成果を示すものである。昭和56年(1981)五代目家元が乙女文楽をヒントにして考案した新しい操法により高速度な演出に対応できるようになった。今までは左手で持つ場合後見が必要な場面もあったが、新たな操法は頭部が紐で連動され人形遣いは左手で直接持つことができるため両手が完全に自由になった。この技術により「新車人形」として洋舞などのアップテンポな音楽や多様な芸術分野との共演が可能となり車人形の表現の幅は世界へと一気に広がった。この技術と操法は担い手を常に確保する為の革新的なアプローチであり更なる工夫が次世代に引き継がれ若い座員たちはこれを基盤として芸術性の挑戦へと進化していくのである。
参考文献
【参考文献】
八玉子市教育委員会編『八玉子車人形調査報告書記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財』、
八王子教育委員会、令和二(二0二0)年
脇田修、脇田晴子著『物語京都の歴史花の京都の二千年』、中央公論新社、2013年
はちおうじ車人形研究会編『東京に残る江戸・人形芝居の世界八王子車人形』、のんぶる舎、1996年
川村邦光著『民俗文化論』、京都芸術大学、2000年
坪内記念演劇博物館編『国劇要覧』、あずさ書房、昭和7年(1932年)、(193頁~198頁)
柳田薗男著『日本の民俗学』、中央公論新社、2019年
八玉子市公式ホームページ『八玉子車人形調査報告書「八玉子車人形のあゆみ」』、2020年3月
https://www.city.tokyo.jp/kankobunka/003/00 l /p027 l 54.html(閲覧日2026年3月27日22時30分)
八玉子市教育委員会発行『八王子車人形調査報告書』2020年3月、https://www.City. hachioj i. tokyo.j p
「八王子市大横町の平音次郎宅での車人形試洟会開催を報告する記事」、東京日日新聞、昭和3年(1928)7月17日
「三越呉服店で開催された「武蔵野今昔の会」で車人形が披露されたことを伝える記事、東京日日新聞、
昭和4年(1929)1月22日
「車人形を観る会」新宿クラブで開催された記事、東京日日新聞、昭和7年(1932) 4月29日、
閲覧日(2026年3月27日22時48分)
『八王子車人形調査報告書』、
付録DVD https://youtube.com/playlist?list=PLAEpVZNV9B8lqUUXt4z6n- l 838s3(外部リンク)(2026年3月閲覧)
三井秀樹著『形の美とは何か』、NHK出版、2000年
九鬼周造著『「いき」の構造他二篇』、1991年
野村明弘著『伝統文化茶道教養講座①』、淡交社、平成30年(2018年)
鈴木佑著『科学的な適職』、株式会社クロスメディア・パブリッシング、2019年
菊池浩平著『人形と人間のあいだ』、NHK出版、2022年
西川古柳著『八王子車人形挿絵で綴る演目解説』、ふこく出版、平成23年(2011年)
アットホームホールディングス株式会社制作著作: 「明日への扉byアットホーム#143 八王子
車人形人形遣い西川柳玉」、2021年10月放送、(制作協力:日企http//www.athome-inc.jp)
h ttps ://a thome-to bira.j p/ story/ 143-nishika wa-rygyoku.html(2026年6月21日21: 15分閲覧)
【聞き取り調査】
実施日:2026年4月14日
実地場所:八王子市下恩方西川古柳座 稽古場
話し手:六代目西川柳時氏・西川柳大氏
聞き手:筆者
「内容」
歴史的概観と「ろくろ車」の仕組みや車人形の操法・定期公演を始めたばかりのときはお客さんが一人の時もあったらしいが、現在では殆ど満席である。
実施日:2026年5月6日
実地場所:八王子市下恩方西川古柳座 稽古場
話し手:五代目家元西川古柳氏
聞き手:筆者
「内容」
日本国内の複数の地域で指導を行い、北海道には33年以上三人遣いの人形浄瑠璃を教えに通っている。また、海外での豊富な公演実績があり、あらゆる分野のアーティストとコラボレーションしている。アメリカのロックグループとの交流やパペット・リトアニアの劇団との共演、フランク・ザッパの音楽を背景にした公演など前衛表現からアメリカの現代音楽と共演した時のポスターなどが沢山貼ってあり、世界50箇所以上の公演実績は現在でも続けながら精力的に活躍している。伝統芸能や古典に留まらず現代のポップカルチャーと融合することは若者の心を掴む教育的効果があり、敷居が高い固定観念を覆すものであった。伝統芸能の文化は現代に通じる生きた歴史への関心を喚起するものであった。
実施日:2026年5月30日
実施場所:横山町公園「伝承のたまてばこ」(屋外)
「内容」
八王子車人形が薩摩派説経節に合わせて『東海道中膝栗毛 赤坂並木~卵塔場の段』を公演したのを観劇。老若男女で全席埋まり立ち見の人もいた。黒子姿であった為、人形が強調されていた。筆者は二列目に座ったが舞台から汗と熱気が伝わって来た。しっかりした板張りの舞台であり演目は誰にでも好まれるため笑いがあちらこちらから聞こえてきた。
実施日:2026年6月27日
実施場所:八王子市下恩方西川古柳 稽古場
「内容」
創作新内『初山』
江戸時代から続く伝統的な三味線と喜多川保延(きたがわやすのぶ)氏の艶のある美声と車人形とが美しく絡み合った演目。喜多川氏から「二人で何か作ろうか?」ということに関して六代目西川柳時氏がぽろりと「花魁に口説きがないね」ということから喜多川氏による創作浄瑠璃の長編と車人形との公演が実現された。
【本文2・3内の「*註」(*1~*8)までの解説】
(2ー*1)
「新車人形」新しい人形操法の技法で、「乙女文楽」の技法をヒントに作られた。この技術の応用は、「肩金」という器具を取り付け、そこから人形の腕などと連携させることで両手を自由に動かすことができるようになった。この技法によりフラメンコや洋舞など現代的である海外の多様な演目とのコラボレーションが可能になった。
(3ー*2)
「四代目西川伊三郎」人形浄瑠璃の達人で江戸時代末期、最高峰の本場大阪に劣らない技術を持ち、江戸にいながら大阪の本場から招かれるほど卓越した三人遣いの技術を持っていた。初代西川古柳(山岸柳吉)が師事し入門している。
(3ー*3)
「二代目薩摩津賀太夫」薩摩派説経節(説経浄瑠璃)の名人。江戸時代後期(文化・天保年間頃)人形芝居や写し絵(江戸の影絵)の語り手で、初代津賀太夫と共に歌舞伎作品の脚本や音楽の基礎を取り入れた新作を上演していた。車人形や説経節の重要な礎を築いている。
(3ー*4)
「興行組織」当時の興行組織は固定的な座とは違い興行(公演)ごとに一座を臨機応変に組み移動興行の形態をとっていた。
(3ー*5)
「人形芝居改革」初代西川古柳が考案した文楽(人形浄瑠璃)の三人遣いから「ろくろ車」という車輪のついた箱車を発明し、一人遣いで人形を操法できるようにした。この改革により大がかりな舞台装置や多人数も不要になった。
(3ー*6)
「四代目西川古柳」(本名 瀬沼時雄)平成8年(1996)国選択無形民俗文化財(団体指定)に選ばれたことで、国内の知名度向上と保護体制が確立した。後継者の育成や世界30箇所以上で海外公演へと繋がり後の国指定重要無形民俗文化財指定へと繋がっていった。
(3ー*7)
「東京日日新聞」(記事より抜粋)
「日本一の折り紙つきで世に出る郷土芸術『車人形』廃り行く人形遣いと説経節」「埋もれかけけた「わしが操さ」の名物車人形が世に出る話」
郷土芸術研究の権威者が組織する東京『民俗藝術の会』昭和2年(1972)組合の小田内通久氏がはからずも多摩川沿い村から車人形を発見した。三田村鳶魚氏などが世に出そうと相談し十五日午後一時から八王子市大横町の平音次郎邸で試演会が開催された。東京から早稲田大学教授日高只一氏など同行者が多数参加している。車人形は説経節の語りで演ずる人形芝居で徳川時代末期から明治二十年頃まで盛んに人気を集めていた。特色はろくろ車を用いた西川古柳という有名な人形師が創案したもので、人形の運動性を敏活にするのが主眼でこれを薩摩津賀太夫と言う説教師が広めた。大道四角の小屋掛けでも人家の恩座敷、床の間でも演じられるので村祭りや縁日などで盛んに行われた。今では人形遣いも説経師も散らばって危うく跡を絶ちそうだった。僅かに八王子を中心に四箇所ばかり人形・衣装・正本の纏まったのがあるとの事、八王子市小門町の雀屋妻三郎(74歳)は三味線も引けば人形も遣える名人なのでこの人物を中心に天下無双のお国自慢車人形の復活を計ると言う計画で民俗藝術の會をはじめ主催者の平音次郎などが力を入れている。
『八王子車人形調査報告書』付録資料、昭和3年(1928)7月17日、東京日日新聞(city hachioji.tokyo.jp)
筆者:抜粋のうえ構成
(3ー*8)
「小泉信久」明治から大正にかけて八王子の伝統芸能や文化の発展を支えた歴史的人物。江戸時代は八王子宿横町にある「出世稲荷神社」の宮司となり大横町に居を構えた。神主の職の傍ら、地域の伝統的神事芸能である「里神楽」の責任者であった。大横町地縁を通じ三田村鳶魚らと協力して八王子車人形を坪内逍遙らに紹介し、新聞に掲載され東京公演へと繋がったのである。
『八王子車人形調査報告書』付録資料、昭和3年(1928)7月17日、東京日日新聞(city hachioji.tokyo.jp)
本レポートにあたり、五代目家元西川古柳氏、六代目西川柳時氏、西川柳大氏や西川古柳座の皆様には、大変なご多用中にもかかわらず貴重なお話を伺い、取材をさせて頂きましたことをこの場を借りて厚く感謝申し上げます。

