富嶋神社の秋祭り

三輪 毅

1.はじめに
富嶋神社の秋祭りは生まれる前から親しんでいる事から、秋祭りについて考察し紹介する。富嶋神社は兵庫県たつの市苅屋に有り兵庫県の南西の方に位置し瀬戸内海に面した神社であり、5台の屋台と1台の壇尻が参加して秋祭りが行われている。
秋祭りは、毎年10月の第3土曜日、日曜日の2日間行われる。(2024年は、10月19、20日)
富嶋神社は、1664年8月創設の神社であると言われており、周辺は丸亀藩京極家の領地であり、近くの橋には今でも京極家の家紋が残っていてその名残がある。
実家は兵庫県姫路市網干区浜田にあり富嶋神社の氏子として秋祭りに参加している。
著者は子供の頃から祭りの太鼓の音が好きで、就職しても毎年祭りに参加している事によって祭りの屋台の太鼓の音に魅了されている。
つまり秋祭りの太鼓の「リズム」が体に植え付けられているのである。(資料1,2,3,4)

2.歴史の一部 〜 播磨風土記 〜
出身地である地域には『播磨風土記』が残っていて、付けられている地名の由来が分かりやすく記載されている。さらに播磨風土記に出ている地名が現在も使われていて、その中で『揖保郡編』に出てくる歴史上の地名が現在も使われている。
例として「室津」「岩見」「梅園」「魚吹八幡神社」などがある。
これから解るのは、播磨国風土記が書かれた頃の「浜田」は瀬戸内海の底であり海であった事がわかる。その後、埋め立てられ、現在の地形になったのは江戸期になってからと思われる。その後、富嶋神社が建てられ秋祭りが始まったと推察できる。
宇須伎津(うすきつ)の地名が播磨風土記に出てくるが、現代では、「魚吹八幡神社」(うすきはちまんじんじゃ)として網干の神社になっている。(資料4−1, 播磨風土記の揖保郡編より。)

3.富嶋神社の祭神(神輿2台) 資料2−1
品陀和気命 (ホンダワケノミコト)
玉依姫命  (タマヨリヒエノミコト)

それぞれが、2台の神輿に乗せられお旅所(苅屋八軒屋)まで前日に渡御され、翌日の本宮の日の最後に宮入りし神事が行なわれる。

4.富嶋神社の祭り
富嶋神社は二神を合祀した神社であり、釜屋・黒崎の神様として八幡大神、苅屋浜田の神様として貴布禰大神が祀られる。現在の秋祭りでは、八幡宮の氏子である釜屋・黒崎の2台による屋台練りと、貴布祢大明神の氏子である苅屋・浜田西・浜田南の3台による屋台練りが別々に行われている。 2016年には浜田南の屋台が新調されている。

5.屋台
富嶋神社の屋台は姫路市の南西の端である網干区浜田と現在のたつの市御津町付近に点在している。
屋台(「富嶋神社仕様屋台」) 資料1
浜田南・浜田西・苅屋・東釜屋・黒崎

壇尻(「富嶋神社仕様壇尻」)
西釜屋

これらは富嶋神社での秋祭りに参加している屋台5台と壇尻1台であるが、播磨地方(現在の姫路市・たつの市など)に伝わる多くの神社の伝統的な祭りであり屋台の仕様と言える。
播磨地方の秋祭りでは、大きく分けて3種類の屋台が使われている。1つは松原八幡神社(姫路市白浜町)、恵美酒宮天満神社(姫路市飾磨区)などの秋祭りで代表される屋台で、外側にあるかき棒が短くなっていて、中には「閂」と呼ばれる仕切り様がある。これによって屋台同士がぶつかり合っても良いように丈夫に造られている。もう一つは魚吹八幡神社(姫路市網干区)、富嶋神社(たつの市御津町)などの秋祭りで代表される屋台で、この場合2本のかき棒の内側が外側に比べて若干長くなっており、中の「閂」が無い。またかき棒がしなりやすくなっているのが特徴である。屋台同士がぶつかり合うことは無い。
最後の一つは、屋根が布団の様な作りになっていて分かりやすくなっている。

詳細はハリフェスサイトへ (屋台の詳細ホームページ)[HP運営者より掲載許可有り]
2024.12.01閲覧     (資料5参照)
6.屋台を担ぐ服装
全国的に見ると祭りの服装は、色々あるが、播磨地方の服装は特殊なように見える。下半身は「まわし」を締め、上半身は半被を着ている。また、各村の色が染められた鉢巻を締めている。
(資料1)
男性が屋台を担ぎ、乗り子は男の子が選ばれる。(昔は中学3年生が選ばれていたが、現在では小学6年生〜中学生が選ばれている。)。 東京などの祭りでは神輿に女性も参加しているが播磨地方の屋台には女性は参加していない。  (資料1.2.3,4)

7.網干区浜田の祭の様子
1日目(宵宮)
宵宮では2台の屋台が浜田地区をまわっている。日が暮れると子供の提灯行列がお宮参りをして、続いて青年の提灯行列お宮参りをする。
2日目(本宮)
浜田の2台の屋台が一緒になり中川橋で刈谷屋台と 一緒になって出会いの儀式が行われ
る。その後3台の屋台が一緒になってお旅所まで行く。
神社まで行くと鳥居の前で3回、そして鳥居をくぐると本殿と鳥居の間で7回チョウサが繰り返される。
帰りは本殿と鳥居の間で3回と鳥居の外で3回チョウサが繰り返される。
そして屋台が帰路につく。 ( 資料3、4)

浜田南では、秋祭りに参加するのは生まれ年などでグループを作り参加しており、これらは「連中」(れんじゅう)と呼ばれていて、各連中で役割があり責任を持って祭りを行う。
筆者が所属しているのは、「谷川泰一連中」(資料5)であり、昭和30年生まれと31年生まれで構成されている。  (現在の谷川泰一連中構成メンバー:10名。2名死亡。)

連中の役割
若者頭   (交通整理、若者を集める)
納所    (乗り子の世話係。太鼓のたたき方を教える。)
評議員   (幹事になる前の5連中)
幹事    (全体を統括し世話係を行う。寄付を集める。) 昭和60年10月実施。
取締役   (全体を統括する)平成4年10月実施。
祭礼委員  (祭りの一番偉い人、取締役の中から1名選ぶ)

8.祭りに残したもの
幕の作製会社は京都の西陣にある「京都日本刺繍」というところであり、昭和58年に5年計画で製作を開始したが嬉しいことに3年で完成し昭和60年谷川泰一連中幹事の時にお披露目を行い、新調された幕を取り付け祭りを行なうことが出来た。
当時の価格で約450万円したそうであり、寄付で賄っている。幕の新調は、「福田豊連中」「勢川安彦連中」「谷川泰一連中」の3つの連中が関わっている。幕だけの写真などを掲載したかったが入手出来なかったが実際に屋台に取り付け使われていて様子を見る事が出来る。
資料1(浜田南屋台 2024.10.20筆者撮影)
(「谷川泰一連中」よりの聞き取り調査。2024年10月20日 掲載許可 )
資料5 西陣のホームページ参照

9.特筆される事柄
祭礼は各地で多く行われていてそれぞれの神社によって特色が有り、またそれぞれ違っている。つまり、北は北海道から南は沖縄まで日本全国を見ても播磨地方(姫路市)で行われているのは他に類を見ない祭り(特に屋台の豪華で絢爛なところ)であり、特色があり地域性があると言える。さらに重要な事は、祭りによって村の一体感が出来上がっている事が特筆される事柄と考える。最新の2024年の動画サイトを見ても日本全国の中でも播磨地方の特色が出ている。

10.今後の展望
富嶋神社の秋祭りは10月の第3土曜日と日曜日になっていて参加しやすくなっている。
このように土日曜に祭礼を行っている神社もあり、また日にちで決まっている祭りもある。それらは昔から決まっている日にちを大事にしている。
今年の時点(2024年)では、今まで通りに秋祭りが無事行われている。そしていろいろ議論されているが今のところ現状維持に落ち着いている。しかし今後、たとえば「参加者の減少が起こり屋台の運行が困難になったら」どうするかと言うことも考えておく必要がある。これは、地元を出て他の場所に住む者として、また客観的に祭りを見る事によって考える事である。

11.まとめ
一つ言えば各世代ともに次の世代にバトンを渡し、いつまでも「連中」の伝統を守りながら今のままでいて欲しいと思いながらも、時代に応じて少しずつでも変化していき次の100年も祭りが続いて欲しいと願っている。

  • 81191_011_31981105_1_1_資料1_page-0001 資料参照
  • 81191_011_31981105_1_2_資料2_page-0001 資料参照
  • 81191_011_31981105_1_3_資料3_page-0001 資料参照
  • 81191_011_31981105_1_4_資料4_page-0001 資料参照
  • 81191_011_31981105_1_5_資料5_page-0001 資料参照

参考文献

・姫路観光文化辞典   2007年5月25日 第4刷発行
 姫路観光文化検定テキスト
 発行         姫路商工会議所
 編集         (株)タウン編集室

・古代西播磨 播磨風土記 揖保郡     小宅信吾著 電子版(Kindle版)

・播磨風土記         アーカイブ電子書籍 Kindle版(国立図書館コレクション) 
                国立国会図書館がインターネット上に公開。 

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