「打出だんじり」つながりのデザイン ―地域文化継承のかたち
はじめに
2023年夏、打出天神社の夏祭りで打出だんじり[資1]を目の当たりにした筆者は、感銘を受けた。各地で地域文化が消滅していく時代に(1)、なぜ打出だんじりは伝統の持続が可能になったのか。また、地域のつながりに注目しながら文化資産としての価値を考察する。
1.基本データ
打出だんじりが行われる芦屋市は、兵庫県南東部、大阪と神戸のほぼ中間に位置し、人口約9万人(2)の住宅都市である(3)。打出は東北部15町が集まった地区である[資2-2]。打出は、古くから交通の要所で、平安時代には山陽道のうまやが置かれていた(4)。江戸時代には西国街道が通り、旅人が京都を出発し初めて海岸に打ち出ることから打出の地名がつけられたと考えられている(5)。1905年に阪神電鉄打出駅が開業し、住宅地として発展してきた(6)。
打出だんじりは、打出駅北側の打出天神社[資3]の祭礼日に行われる打出地区の伝統行事である。
2.歴史的背景
打出だんじりの歴史は古く、江戸時代後期1750年頃から打出天神社の祭礼日である10月17日の前の土・日に、神様に感謝の念を持ちつつ地車を曳く年中行事として行われてきた。打出天神社の宮付き地車として存在し、五穀豊穣の意味も含まれているが、打出だんじりは氏子のものであり、祭りを楽しむことにより、神様も喜んでくださるという考えである。大正初期に地車を売却し中断したが、1934年に地車を新調した。1973年まで戦争や交通事情により断続的に行われてきたが、地域住民により1974年から毎年開催となる(7)[資4]。
1978年以降10月に「芦屋まつり」が行われ、市内の地車を合同で曳く(8)。打出だんじりは打出天神社を出発して、海側と山側を2日間巡行する(9)。
1979年に「打出だんじり愛好会」「打出総代会地車保存会」が発足した(10)。秋巡行の他、7月24.25日の打出天神社の夏祭りに地車と囃子を披露している。
3.評価点
3-1 祭りが「人」を繋ぐ 打出の当たり前
打出だんじり総括責任者である細谷昌巳(11)と打出を歩くと、すれ違う人たちが細谷と挨拶を交わす。地域社会の崩壊、無縁社会と言われる現代だが(12)、打出は自治組織が機能しており、住民同士顔見知りで、主体的な活動が多く非常に上手く回っている(13)。従来、まちのことは行政任せでなく、参加という意識もなく、自分たちのまちを自分たちでマネジメントすることは「当たり前」のことだった(14)。打出は、この当たり前が継続している。地域の核となっているのは、打出だんじりである。
「打出だんじりにとって大事なのは『人』である」という打出だんじり基本理念(15)に基づき、地域の人を大切にしてきた。細谷は、「祖父も父もやってきた事を自分もやっているだけで当たり前です。」と話す。祭りを継続していくには、自発的な自治が必要であり(16)、地域社会が伝統文化を大切なものと認識し、どうしても残したいという熱意を持ち続ける人の存在が重要となる(17)。打出は、地域のコミュニケーションの場である自治会をしっかり運営し、祭りがあって人の繋がりが保たれている事を認識し、先代からの地域文化を誇りに思っている。各地が抱えている後継者や資金繰り(18)に困らず打出だんじりが継承されているのは、自治・地域の理解・熱意が揃っているからである。
そして、打出だんじりを核とした打出の当たり前の繋がりは、1995年阪神淡路大震災において、住民の消息確認の際、非常に重要な役割を果たしたのである(19)。
3-2 地域のDNAを繋ぐ 打出の継承のかたち
打出だんじりの継承活動は、次代を担う子どもへ向けたものが多く、教育機関と一体となり取り組んでいる。園児に地車披露をし[資5-1]、高校で打出だんじりの授業を行なってきた(20)。2024年3月には、芦屋市教育委員会主催の打出公園イベントにて囃子を披露した[資5-4]。
この打出に欠かせない囃子(21)の担い手を継続的に育成していこうと、打出総代会地車保存会が中心となり22年程前から、鳴り物教室を実施している。打出独自のリズムを幼い頃から体で覚えることで、だんじりを愛する地域のDNAを受け継いでもらうのだ(22)。大学生の太鼓に合わせて小学生が二丁鉦を鳴らす。先輩から体得しようと多くの子どもたちが周りを囲み、年長者はそれを見守る(23)[資5-5.6]。近年、地域の祭りに対する騒音苦情や(24)、子どもの夜間活動に否定的な意見(25)が各地でみられるが、打出は土曜日18時から21時まで練習は続き、広域に音色が響き渡る。鳴り物を騒音と捉えず好意に思うのは、地域の祭りに対する理解の深さである。
細谷は「鳴り物教室に受験生は来なくなる。それでいい。来たくなったらまた来ればいい。昔のように祭りが中心ではなく、今は生活があって祭りがある。無理のない緩やかな繋がりが丁度良いと思います。」と話す。教室では、帰国し5年ぶりの復帰という男性も太鼓を叩き始める。幼少期から体得したリズムは忘れない。それは彼らの誇りとなり郷土愛を育てる。細谷の言う「打出のDNA」はしっかりと継承されている。
打出は、住民が主体的に関わる仕組みがあり、好循環を生み出している(26)。役割を得意な人に任せることで、自分ができる事で感謝され、する良い循環ができている。そして、継承されてきた当たり前をひとりひとりが実践し、祭りを核とした繋がりは災害時にも役立ち、地域文化継承や地域貢献活動に繋がっている。この「当たり前のつながり」が打出だんじりの最も評価できる点である。
4. 特筆点
芦屋市と隣接する神戸市東灘区の御影だんじりと比較する[資6]。東灘にだんじりが伝わったのは1730年頃といわれている(27)。1996年から11地区が参加する御影だんじりパレードが始まった(28)。御影は女性も地車に乗り、提灯振りをして(29)、昔からこうやってきたと過去に根拠を求めるのではなく(30)、現代のニーズを取り入れ、誰もが参加しやすい祭りをつくり盛り上げている。
祭を進化させ、担い手と見物客を確保した御影に対し、打出は見物客を呼ぼうと思ってはいない。イベントや地域振興が中核ではなく、打出だんじりは打出天神社の宮付であり、神事である。そして「地域」の祭りなのだ。「先代から長年かけて作り上げてきただんじり組織がうまく回っている今、それを絶やさないよう繋いでいきたい。」と細谷は言う。規模を大きくすることより、今在るものをより深く地域に根ざしたものにしていきたいのだ。地域にとって大切なものを見据え、文化を揺るがないものへと成長させ次代へ繋ぐ。この郷土愛が特筆点である。
5.今後の展望
打出地車は、昭和9年に地域住民の寄付で新調した。彫師、大工、縫師ともに一流の匠によるもので、阪神間でも5本の指に入る芸術作と言われている(31)[資7-1.2.3]。
昭和期2度の災厄(32)と阪神淡路大震災(33)をくぐり抜けてきた「地域の顔」的存在(34)を90年大切に繋いできた。コマは水中保管し[資7-4.5]、定期的に地車の修理・点検をする(35)[資7-6]。現在、地車知識に長ける若手は少ないという。打出地車100周年を目指し、この地域の顔を次代に繋ぐ若き担い手の誕生を期待する。
まとめ
打出だんじりの継承のかたちは、縦(熱意・誇り)・横(地域の理解)・斜め(多様な自発的行動)へとつながりを多方面に広げ、住民に役割があり、現金を介さない関係を多様に持ち、感謝の相互作用で人もまちも豊かになっている。打出の当たり前が、ソーシャルキャピタルを高め、打出だんじりを核とし、根を張り、枝葉を伸ばす大木のようなつながりのデザイン[資8]。このつながりは「人」がいてデザインされる。祭りも地域も大切なのは人である。打出だんじりのつながりのデザインは、次代へ伝承していくべき文化資産と考える。
参考文献
参考文献
【註】
(1)久保田裕道著『日本の祭り解剖図鑑』エクスナレッジ、2018年、P157
(2)芦屋市HP、人口資料(2024年6月1日現在)
https://www.city.ashiya.lg.jp/bunsho/toukei/index.html (2024年7月9日最終閲覧)
(3)芦屋HP、芦屋市の概要
https://www.city.ashiya.lg.jp/toshikeikaku/gaiyou.html (2024年7月9日最終閲覧)
(4)田辺眞人著『芦屋の生活文化史―民俗と史跡をたずねてー』兵庫県芦屋市教育委員会、1979年、P131
(5)木村清弘著『打出のだんじりと歴史がわかる本』打出総代会、1999年、P31
(6)芦屋市HP、『精道村のあゆみ-郊外住宅地・芦屋の幕開け-』P6
https://www.city.ashiya.lg.jp/gakushuu/documents/seidoumura_p6-9.pdf (2024年7月1日最終閲覧)
(7)木村清弘著『打出のだんじりと歴史がわかる本』打出総代会、1999年、P15.20.47
(8)「芦屋まつり」(秋の市民祭り)
1976年、芦屋まつり連絡協議会ができ「芦屋まつり」が行われ、芦屋市内の地車を合同で曳き始める。1978年以降毎年開催している。2014年、濱之町だんじりが加わり芦屋市内6地区6基の地車が参加している(2024年7月時点)
1973年、山之町だんじり巡行。
1974年、打出だんじり巡行。山之町と打出の2基が市役所前で合流。
1982年、西之町だんじり巡行。
1987年、中之町(旧精道)だんじり巡行。
1990年、三条だんじり巡行。合わせて5基が「芦屋まつり」を盛り上げるようになった。
2014年、濱之町だんじり巡行。
・芦屋市HP、第5章まちのすがた すまいと暮らし 2.村の伝統とモダニズムの再発見(昭和50年代)P368.369抜粋
https://www.city.ashiya.lg.jp/gakushuu/shishi/documents/shishi22-05.pdf (2024年2月9日最終閲覧)
(9)「打出地車巡行コース」
打出だんじり巡行
2022年10月8日(土曜日)
打出天神社(8:00)→春日町北部(8:15)→春日町南部(8:30)→打出町東部(9:20)→打出町西部(9:30)→打出小槌町南部(9:50)→打出小槌町北部(10:20)→若宮町(11:10)→西蔵町北部(11:45) →呉川町北部(12:20)→呉川公園(12:50)→西蔵町南部(14:15)→打出浜公園(15:00)→稲荷山線北上(15:25)→大東町北部(15:40)→芦屋浜センター(16:00)→南宮町浜公園(17:00)→精道中学校西側(17:35)→浜町中部(18:00分) →南宮町北部(19:15)→宮川小学校東側(19:45)→43号線打出交差点(20:30)→打出商店街(20:40)→打出天神社(21:00)
2022年10月9日(日曜日)
打出天神社(8:30)→阪神打出駅北側(9:15)→宮塚公園南(9:30)→芦屋まつり会場(10:00)→会場出発(11:00)→宮川町(11:25)→宮塚公園(12:10) →宮塚町西部(13:10)→宮塚町東都(13:30)→2号線上宮川交差点(13:50)→親王塚町北部(14:30)→翠ヶ丘集会所(15:00)→親王塚町南部(16:00) →2号線上宮川交差点(17:00)→楠町西部(17:20)→楠町東部(17:50)→打出天神社(18:30)
・細谷昌巳氏保管2022年巡行資料より抜粋。近年コースの大きな変更無し。
(10)木村清弘著『打出のだんじりと歴史がわかる本』打出総代会、1999年、P14
(11)「細谷昌巳氏」
1947年生まれ。代々打出地区に住み、生まれた時から打出だんじりが生活の中にあった。現在、打出だんじり総括責任者である。打出地区の若宮町内会長や、打出総代会地車保存会の会員、打出だんじり愛好会会長6代目も務めた。芦屋市打出・芦屋財産区共有財産管理委員会委員長も務め、市や教育機関と共に地域文化の継承活動をしている。打出だんじりや打出の歴史に関して精通する人物である。
(12)福田アジオ編『知って役立つ民俗学―現代社会への40の扉ー』ミネルヴァ書房、2015年、P46
(13)「打出の組織」
打出地区(自治会)と打出だんじり組織が良い関係を築いている。自治会内には、老人クラブなど同年齢層の交流がある。そして、打出だんじりは3世代で関わる家族が多くいるので、世代を超えた交流も存在する。だんじりに関する費用は地域の祝儀から賄う。住民が祭りを誇りに思い祝儀を出すことによって、自分たちの祭りは自分たちで支えるという気持ちを持っている。
打出だんじりの組織は、総代会、打出総代会地車保存会、打出だんじり愛好会の3つの組織から成っており、打出だんじり愛好会は、地車を曳くメンバーで、祭当日は愛好会会長が全ての指示を出し、運行に関しての全責任を取る。打出総代会地車保存会は、地車を保存するのが役目で、打出総代会で地車の維持・補修に関する費用を出している。総代は打出だんじりに関しての最終的な責任を取る。総代会は現在も変わらず20人前後のメンバーが在籍し、元旦と夏・秋の祭りに関して年5回集会がある。愛好会は夏・秋の祭りに関して年4回集会がある。鳴り物教室や祭りの後にメンバーで飲みに行くこともあるが決して強制ではない。集会は最低限にして、メンバーが無理ない範囲でできる人ができる事をして祭りを継承している。
このように打出は地域の理解により資金繰りに困らず、現代のニーズに合わせ緩やかな繋がりにすることで後継者不足にも悩まず、地域と地域文化が良い関係にある。
・2024年2月18日、打出天神社社務所にて細谷氏、塩田良治氏より筆者聴取。
(14)山崎亮著『コミュニティデザインの時代 自分たちで「まち」をつくる』中央公論新社、2012年、P6
(15)「打出だんじり基本理念」
打出だんじり愛好会の基本理念は、地域の伝統を守り、コミュニティの場を提供すること。人間性の回復及び郷土意識の高揚を図ること。そして、打出だんじりにとって大事なのは「人」。若者、年寄り、中堅層、女性・子ども、地域住民たちが祭りを支えている。全員に役割がありこの地域の人たち皆が祭りにとって大事。どの人が欠けても祭りは成立しない。
・木村清弘著『打出のだんじりと歴史がわかる本』打出総代会、1999年、P49抜粋
(16)渡部里美編『季刊 日本の祭り 平成27年夏号』ゆめディア、2015年、P10
(17)・(18)板橋春夫著『守る・伝える・育てるー群馬の伝統文化継承事業の試みー』日本民俗学会 第835回談話会発表要旨、2008年
https://www.fsjnet.jp/regular_meeting/abstract/838.html (2024年3月27日最終閲覧)
(19)木村清弘著『打出のだんじりと歴史がわかる本』打出総代会、1999年、P52
(20)「特別授業」
細谷氏は、2002年から2017年まで兵庫県立国際高等学校にて特別講師を務めた。授業内容は「日本文化」特別講義 地元の歴史・文化を知ろう『打出地区のだんじりと歴史』。
(21)「打出だんじりのお囃子」
打出だんじりは鳴り物に凝っており、太鼓も市内で1番大きく重い。欅を使用した深みのある音の太鼓である。バチは打出モデルを作り、叩く人によって材質を変え何種類も用いている。二丁鉦(にちょうがね)は現代2代目で、胴体からツノのような柱を生やす事により、より響き遠くまで音が届くよう工夫された打出特注品モデルである。それに加えて軽快な半鐘をベースとし、打出の鳴り物は成り立っている。
打出のオリジナル囃子は、宮入・進め・曲がれ・走れなど幾つもリズムがあり、鳴り物係のリズムを合図に曳行する。
・打出だんじりSNS(2021年10月3日掲載)より抜粋
https://www.instagram.com/uchidedanjiri/?hl=ja (2024年3月16日最終閲覧)
・CD、木村清弘企画『だんじり囃子の決定版!ベストコレクション だんじり囃子vol.2』木村清弘、1999年、2.打出参照
(22)広報誌『県民だより ひょうご 平成26年8月号 阪神南版』兵庫県広報課、2014年、P2.3
(23)「打出だんじり鳴り物教室」
夏祭りの1ヶ月ほど前から秋祭りまで5ヶ月間開催される。
2024年スケジュール
6/22.29.7/6.13.20 18〜21時だんじり囃子教室(打出地車小屋にて)
7/24.25 夏祭り
9/7.14.21.28.10/5 18〜21時だんじり囃子教室(打出地車小屋にて)
10/12.13 秋祭り
・2024年6月22日、打出地車小屋掲示告知より抜粋
(24)畑中章宏著『21世紀の民俗学』KADOKAWA、2017年、P76
(25)阿南透著『高度経済成長期における都市祭礼の衰退と復活』国立歴史民俗博物館研究報告 第207集、2018年、P239.240
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun9/index.html
(2024年2月9日最終閲覧)
(26)村松美賀子著『状況をデザインし、好循環を生みだす』アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる アネモメトリー風の手帖― 第32号、2015年、扉
https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/feature/85/ (2024年1月14日最終閲覧)
(27)酒井清・木村清弘・北濱喜一著『神戸 地車研究=特集 住之江地車由来記=』、酒井清・木村清弘、1999年、P54
(28)神戸新聞 「『回せ回せ』と威勢良く 神戸で御影だんじりパレード 勇壮な練りに沸く」(2024年5月3日掲載)
https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202405/0017612373.shtml#:~:text=パレードは阪神・淡路大震災,1996年に始まった%E3%80%82 (2024年5月20日最終閲覧)
(29)宮本英希著『だんじり考』宮本英希、1997年、P41
(30)鈴木正崇著『伝承を持続させるものとは何か 比婆荒神神楽の場合』国立歴史民俗博物館研究報告 第186集、2014年、P22
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun8/pdf/186001.pdf
(2024年2月9日最終閲覧)
(31)「打出地車」
打出の地車は、上地車、神戸型幕式、外コマである。芦屋市内全6基の中で地車を新調したのは打出地区のみである。昭和9年の当時、一軒家が200円で建つ時代に1万円を掛け新調した。全て地域住民の寄付によって賄われた。彫師は、地車彫刻に生涯をかけた木下舜次郎氏。舜次郎氏は、淡路出身の岸和田で鑿を振るった彫師である。当時、22歳の舜次郎氏の鑿は冴え渡り、打出の地車は「淡路島美木彫家 木下舜次郎」の名を天下に知らしめた代表作のひとつである。木鼻の彫師は、岸和田の彫物の多くを手掛けた佐生武之輔氏・喜一氏。大工は、岸和田の名門大工である植山宗一郎氏である。縫師は、淡路島の地車幕一筋の梶内近一氏である。彫師、大工、縫師と三拍子揃って、腕利きの職人によって作られた地車である。芦屋市内で1番大きく、高さ4.05m、幅2.65m、長さ6.3m、重さ4tである。
・木村清弘著『打出のだんじりと歴史がわかる本』打出総代会、1999年、P7.11.12.17.18.29抜粋
・森田玲、平田雅路、河合申仁著『図説 だんじり彫刻の魅力 岸和田と淡路で育まれた心と技 』だんじり彫刻研究会、2019年、P8抜粋
(32)「昭和期の被害」
昭和期に2度芦屋は市街地の半分が損害を受けるような大きな災厄に見舞われている。昭和13年の阪神大水害と昭和20年の空襲による被害である。
・藤川祐作監修『写真アルバム 芦屋市の昭和』樹林舎、2018年、P262抜粋
(33)「阪神淡路大震災」
1995年阪神淡路大震災で、地車小屋は全壊した。偶然、修理のためにコマを付けていた地車が揺れで前に進み、小屋の観音開きが地車に押されて開き、落ちた屋根を戸が支え、奇跡的に地車はほぼ無傷であった。観音開きの旧地車小屋[資料3-3]。
・2024年2月18日、打出天神社社務所にて細谷氏、塩田氏より筆者聴取。
(34)広報誌『県民だより ひょうご 平成26年8月号 阪神南版』兵庫県広報課、2014年、P2
(35)「地車修理・点検」
阪神淡路大震災後、塵だらけとなった地車を細谷が中心となり解体し、汚れを取り除き、また組み上げた。細谷は、定期的に地車、幕、提灯などの点検・修理を行っている。打出のコマは木製で乾燥に弱いため水中保管している。
・2024年5月23日、打出地車小屋にて地車修理・点検について細谷氏より筆者聴取。
・2024年2月18日、打出地車小屋にてコマ水中保管について細谷氏、塩田氏より筆者聴取。
【参考文献】
・木村清弘『打出のだんじりと歴史がわかる本』打出総代会、1999年
・酒井清、木村清弘、北濱喜一著『神戸 地車研究 =特集 住之江地車由来記=』酒井清・木村清弘、1999年
・木村清弘著『だんじりが百倍楽しめる本』木村清弘、1998年
・宮本英希著『だんじり考』宮本英希、1997年
・森田玲、平田雅路、河合申仁著『図説 だんじり彫刻の魅力 岸和田と淡路で育まれた心と技 』だんじり彫刻研究会、2019年
・兵庫県神道青年会編『神々と共にー現代に生きる兵庫の祭ー』兵庫県神道青年会、1987年
・兵庫地車研究会編『彫 だんじり彫刻の美 上地車彫刻画題考』兵庫地車研究会、2000年
・森田玲著『日本だんじり文化論 摂河泉・瀬戸内の祭で育まれた神賑の民俗誌』創元社、2021年
・田辺眞人著『芦屋の生活文化史ー民俗と史跡をたずねてー』兵庫県芦屋市教育委員会、1979年
・藤川祐作監修『写真アルバム 芦屋市の昭和』樹林舎、2018年
・山崎亮著『コミュニティデザインの時代 自分たちで「まち」をつくる』中央公論新社、2012年
・福田アジオ編『知って役立つ民俗学ー現代社会への40の扉ー』ミネルヴァ書房、2015年
・畑中章宏著『21世紀の民俗学』KADOKAWA、2017年
・島村 恭則著『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』平凡社新書、2020年
・吉村 均著『日本人なら知っておきたい日本の伝統文化』筑摩書房、2023年
・久保田裕道著『日本の祭り解剖図鑑』エクスナレッジ、2018年
・渡部里美編『季刊 日本の祭り 平成26年冬号』ゆめディア、2014年
・渡部里美編『季刊 日本の祭り 平成27年夏号』ゆめディア、2015年
・広報誌(県民だより ひょうご 平成26年8月号 阪神南版)
【取材協力】
・日時:2024年2月14日 11時〜 場所:打出天神社
打出天神社 神主様、巫女さんに打出天神社と打出だんじりについて伺い、打出だんじりの塩田良治氏を紹介頂く。
・日時:2024年2月14日 16時30分〜 場所:電話にて
塩田氏に打出だんじりについて伺う。
塩田氏は、打出だんじり愛好会会長7代目、打出地区の春日町自治会会長、春日町老人クラブ会長、春日町地区集会所運営協議会会長を務める。
・日時:2024年2月18日 10時30分〜 場所:打出天神社社務所・打出地車小屋
塩田氏、細谷昌巳氏に打出だんじりの歴史や組織について伺う。地車見学。
塩田氏と細谷氏は、ともに1947年打出生まれである。塩田氏は自治活動、細谷氏は継承活動に注力し、それぞれ得意分野で活躍する組織の主力である。
・日時:2024年3月31日 14時30分〜 場所:打出公園
打出公園リニューアルイベントにて、塩田氏、細谷氏、打出だんじりメンバーに鳴り物について伺う。
・日時:2024年5月10日 14時30分〜 場所:打出地区
細谷氏に打出地区の旧西国街道や打出消防分団、昔の打出焼きや打出浜について現地を訪ねながら説明して頂く。
・日時:2024年5月23日 10時〜 場所:芦屋市立図書館打出分室・打出地車小屋
細谷氏に打出だんじりに関する資料をお借りし、内容説明をして頂く。
・日時:2024年6月22日 18時30分〜 場所:打出地車小屋
打出だんじり鳴り物教室にて、塩田氏、細谷氏、鳴り物練習生に鳴り物について伺う。
【筆者フィールドワーク】
打出天神社(2024年2月14日)
打出公園リニューアルイベント(2024年3月31日)
御影だんじりパレード(2024年5月3日)
濱之町だんじり10周年巡行(2024年6月2日)
打出だんじり鳴り物教室(2024年6月22日・7月13日)