伝統をつなぐ新たな特産品〜里見梨、梨栽培150年の歴史と文化の継承に向けて〜

悴田 怜子

はじめに
群馬県高崎市下里見町は恵まれた風土を生かし果樹栽培が盛んな地域だ【資料1】。昨今は気候変動による温暖化により自然環境が変わりつつあり、従来通りの手法では農産物が生育しない状況も多く見られている【資料2】。本稿では下里見町の果樹栽培の中でも梨栽培に着目し、2022年からはじまった梨の酒販売が地域の伝統として位置付けられるかを確認し、新たな農業文化として未来に継承されるかを考察する。

1.歴史的背景及び基本データ

1-1 里見梨の歴史的背景
群馬県は多くの石器や遺跡が発掘され、遥か昔から人々が生活していたことがわかる地域だ。これは人々の暮らしを支える豊かな自然環境による恵みがあったためと考えられる。また、群馬県の土壌は水はけがよいと言われている。水はけの良い土壌の理由は榛名山や浅間山の噴火による火山灰土と呼ばれる火山灰が積もったことによるものだ。この水はけの良い土地の特性を生かし現在も県の特産品として生産されているのが梨などの果実類だ。
高崎市での梨栽培の歴史は明治元年にさかのぼる【資料3】。当時は米や麦、綿などを栽培し副業として養蚕を行う農家が多かったが、暮らしは厳しく農作物として利益のあがる作物が必要だった[1]。そこで梨栽培に可能性を見出したのが富澤小平次(1851~1917)だ。小平次と6人の栽培者によって現在の高崎市下里見地区で最初の梨栽培がはじまった。梨は高崎の風土に適し味も優れていたことから年々需要を増していき、明治末頃には梨の産地として知られるようになった。現在は県内を代表する梨の生産地となっている。

1-2 基本情報 −生産者共同による梨の酒作り–
里見梨を使った新たな特産品の開発を目指す4戸の梨生産者によって、里見梨シードル研究会が結成された【資料4】。各戸で生産した梨を原料としてシードルに加工し、6次産業の加工品としての販売を目指すものだ。酒への醸造は群馬県昭和村の奥利根ワイナリーに委託した。また、高崎市は地元の生産者による新規取り組みを支援しており、研究会は高崎市から「高崎市6次産業化等推進事業補助金」の支援も受けた[2]。
初めての販売は2022年8月、2021年に収穫した梨を利用した酒を「和梨のシードル」として研究会メンバーの直売所で販売した[3]。販売に向け各直売所が一般酒類小売業免許を取得し直接販売を行う。2024年現在も販売は研究会メンバーの直売所のみで実施するが、今後は卸業者などへと販路を広げていく予定だ。

2. 評価
2-1 自然環境変化への対応
昨今の気候変動による温暖化は農作物の生育に大きな影響をもたらしており里見梨も例外ではない。一般の消費者に届けられる果実は損傷がないものとなっているが、生産現場では生育不良、落雹による損傷や高温による果肉障害などが起きてしまった果実も多く見られるのが現状だ【資料1】。こういった果実は大部分が規格外となり破棄することになるが、酒の原材料としては利用することが可能だ。加工品としての付加価値をつけて販売することができれば、生産者にとっては損失を減らすことができる点が評価できる。限られた資源の有効活用が可能だ。

2-2 現代の消費者ニーズへの対応
昨今、生活習慣病予防や健康志向の高まりから果物を食べることが推奨されている[4]。また、果物といえば生食として食べることが一般的であったが、生活スタイルの変化や食の多様化が進んだことで、果物の加工品や果実を使った酒のニーズは増えている[5][6]。梨の酒造りはこうした現代の消費者ニーズと合致している取り組みであることが評価できる。このような新たな取り組みは、150年の梨栽培の歴史が現代人の意識、感覚によって再評価・再体験されていることになり、里見地区の梨栽培の伝統を継承していくひとつの形と見ることができる[7]。生の果物としての提供に加え現代のニーズにあった商品を提供することは、産地が続いていくことへの期待が持てる。

2-3 協働による活動
栽培者数名からスタートした里見地区での梨栽培が今では群馬県の特産品となるまでに広まったのは、従事した先人たちの研究活動の成果でもある。彼らが梨組合を立ち上げ研究に取り組み、気候風土にあい食味が良い品種を見出し、病気や害虫への対応、剪定方法や防除作業の改良など、梨栽培のあらゆることを試行錯誤しながら取り組んできた結果が今につながっている[8]。
里見梨シードル研究会が「研究会」と名称をつけているのは、酒造りにおいても同様に研究を積み重ねながら地域の特産品とすることを示唆している。酒造りに限って見れば一戸の生産者が製造を委託し実現することも可能だ。しかし、地元の生産者たちが協働で産地の新たな名産づくりを目指すことが地域の伝統となるには重要だ。伝統や文化は個人でなく関わった人々の活動によって築かれるものだ[9]。同研究会の取り組みはそれを実践している点が評価できる。

3.特筆点
果実を使ったお酒は最近普及しており、梨を原料とした酒そのものは珍しいものではない。梨の産地として有名な千葉県、鳥取県では梨のワインやシードルを製造している事例はある[10]。これらはいずれも酒造会社やワイン卸会社が主導して実施しているものだ。酒造会社やワイン卸会社が地元の特産品の規格外商品を買い取り酒に加工して販売するという事業モデルだ。生産者は原材料を提供するのみで販売には関わっていない。
研究会の取り組みは生産者自身も一般酒類小売業免許を取得し、直接顧客に酒を販売することができる。そのため、生産者が自ら生産したものに付加価値をつけて販売することで、手取りを増やすことができるようになっている仕組みが特筆すべき点だ。他県の事例の場合、破棄する予定の果実を買い取りしてもらえるメリットはあるが、生産者は生産者としての役割にとどまっている。一方、研究会の取り組みは生産者が主体となり、生産、新たな商品を企画から販売まで一気通貫することで自らも利益を確保しようとするものだ。生産者自らが農業を時代にあった形へとアップデートし継続維持を目指す事業モデルになっていると言えるだろう。

4.今後の課題と展望
4-1 今後の課題
2024年、和梨シードルの販売は3年目を迎える。初年度は製造量が少ないながら地元メディアでも初の試みとして取り上げられたことで販売開始後すぐに完売となったが、製造量を増やした2年目は売れ残り在庫を抱える不安も生じた。結果的には完売となったが、年間営業を行なっていない直売所では販売期間が限られるため売れ残る確率が高まる。直接販売によるメリットはあるが、生産者が加工された酒を買い取るため在庫となった場合は損失となる点も忘れてはならない。今後、販売方法や販路の拡大をどのように実施するかは課題となるだろう。

4-2. 展望
研究会の発足当時、生産者は4名であったが昨年新たな生産者メンバーが加わり5名となった。研究会は行政が主導する取り組みではなくあくまでも自由参加の共同体だ。梨の酒が里見梨の新たな特産品として地域に根付いていくためには、この事業モデルに賛同し参加する生産者が増えることが重要だ。新たな特産品が地域に根付いていくことへの期待は高まる。

5.まとめ
歴史ある梨栽培の地での梨の酒造りははじまったばかりだ。伝統とは単に古くからあるものを続けるだけではなく、時代にあった形で更新されていく必要がある。里見梨での酒造りと販売はこの伝統の継承方法を実践しているものだ。足元では賛同者の獲得や販売方法の確立など検討しなければならない課題もあるが、こうした課題を地域の中で解決しながら進んでいくことこそ文化であり、伝統の継承につながると考える。今後、研究会をはじめ地域の生産者同士が協働していくことで、里見梨の歴史と伝統が継承されていくことを期待する。

以 上

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  • 81191_011_32186119_1_1_(卒論)資料1:群馬県高崎市下里見町について_page-0002 資料1:群馬県高崎市下里見町について
  • 81191_011_32186119_1_2_(卒論)資料2:自然災害について_page-0001 資料2:自然災害について
  • 81191_011_32186119_1_3_(卒論)資料3:里見梨の歴史_page-0001 資料3:里見梨の歴史について
  • 81191_011_32186119_1_4_(卒論)資料4:里見梨シールド研究会_page-0001
  • 81191_011_32186119_1_4_(卒論)資料4:里見梨シールド研究会_page-0002 資料4:里見梨シードル研究会について

参考文献

【資料1】群馬県高崎市下里見町について
【資料2】近年の自然災害について(2022年、2023年の天候不順による被害の様子)
  資料2-1 2022年の落雹による被害
  資料2-2 2023年の猛暑の影響による被害
【資料3】梨栽培の歴史について
【資料4】里見梨シールド研究会について
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【註】
[1]
・書籍:『榛名の果樹』編集委員 委員長 細谷『榛名の果樹』、榛名町役場 農政課 1986年発行
 P20 2)榛名町果樹栽培の起源と沿革 (1)榛名町の梨の沿革 ①里見梨の沿革
・書籍:宮﨑俊弥『群馬県農業史 上』みやま文庫、2007年発行
 P53 「全国農産表」に見る群馬県農業、養蚕を中心とした米・麦との複合経営

[2]
高崎市6次産業化等推進事業補助金について:
農業従事者の所得の拡大、雇用の拡大による地域活性化を図るために農業者または農業者及び商工業者
の連携による6次産業化への取り組みに対して補助金により経費を補助するもの。
・高崎市ホームページ「高崎市6次産業化等推進事業補助金交付要綱」
 https://www.city.takasaki.gunma.jp/uploaded/attachment/6042.pdf(2024/07/23閲覧)
・補助金ポータル 群馬県の補助金・助成金・支援金 
【群馬県高崎市:「高崎市6次産業化等推進事業補助金」】
 https://hojyokin-portal.jp/subsidies/18153(2024/07/23閲覧)

[3]
2022年和梨のシードル販売開始に関する記事を参照:
・生産農家と醸造所がタッグ 特産「里見梨」スパークリングワイン 8月から限定販売、
産経新聞オンライン、2022/7/20掲載
https://www.sankei.com/article/20220720-M7D7BSJVZRJTNAIGJPZBJVR3NE/ (2024/07/19閲覧)

[4]
厚生労働省が推進する健康日本21の取り組みにおいて、2023年5月、生活習慣の改善に関する目標値の
ひとつとして果物の摂取量の改善を図ることが発表された。具体的な指標として令和元年度(2019年)
の平均値99gから令和14年度(2032年)に200gに引き上げるとなっている。
・厚生労働省会議資料:厚生労働省 健康局健康栄養指導室『健康日本21(第三次)について
〜栄養・食生活関連を中心に〜』令和5年度都道府県等 栄養施策担当者会議 資料2、令和5年7月19日 https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/001122156.pdf(2024/7/27閲覧)
P11「栄養・食生活に関連する目標」生活習慣の改善(栄養・食生活)参照

[5]
果物の加工品ニーズの増加が以下の調査レポートから見て取れる。
2014年(平成26年)に農林水産省が小売店事業者に行なった意識調査レポートより、カットフルーツの
販売量が増えている。P4「カットフルーツの販売量の変化(最近2〜3年前との比較)
−8割が2〜3年前と比較してカットフルーツの販売量が増えたと思うと回答−」参照

・意識調査レポート:農林水産省 大臣官房統計部 農林水産統計
『平成26年度 農林水産情報交流ネットワーク事業 全国調査 カットフルーツの取り扱いに関する
意識・意向調査結果』平成26年7月31日公表
https://www.maff.go.jp/j/finding/mind/pdf/cut_fruits.pdf(2024/07/23閲覧)

・調査レポート:「加工・業務用果実の現状と今後の施策」農林水産省、平成21年4月
「近年の生活スタイルの変化(女性の社会進出、単身世帯の増加等)により食の簡便化・多様化が進展しており、
果実についても加工品の需要は増加傾向にある。」
https://www.maff.go.jp/j/seisan/kakou/yasai_kazitu/pdf/kazitu_meguzi4.pdf (2024/07/23閲覧)

[6]
果実を利用したお酒の需要は増加している。2023年に発売された缶入りスパークリングワインのヒットが
市場をけん引している。円安や原材料高を受けて輸入ワインなど果実酒が高騰し、比較的安価な缶入り甘味果実酒
に需要が流れている。
・調査レポート:「2024年上半期市場規模拡大・縮小ランキング」株式会社マクロミル、2024年6月24日発表
「2024年上半期のトピックス:食品部門の第1位は「甘味果実酒」で、前年比144.9%
 23年9月に新発売の缶入りスパークリングワインがけん引。背景に、23年10月の取材変更に伴うボトルワインなど
「果実酒」からの買い替えや、男性購入者の増加
https://www.macromill.com/press/release/20240624.html(2024/7/23閲覧)

・記事:「甘味果実酒が食品市場拡大1位 24年上半期 民間調査」日本経済新聞オンライン、2023年6月24日
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC243E90U4A620C2000000/(2024/7/23閲覧)

[7]
書籍:野村朋弘『茶道教室教養講座① 伝統文化』株式会社淡交社 2018年3月16日
P23〜26「 伝統とは何か」参照。「伝統」に関する定義のひとつ、(4)伝統は伝達され保存されるためには、
新鮮な現代人の意識によって再体験・再評価されるものである。

[8]
書籍:『榛名の果樹』編集委員 代表/委員長 細谷『榛名の果樹』、榛名町役場 農政課 1986年発行。
P20~24 、2) 榛名町果樹栽培の起源と沿革 (1)榛名町の梨の沿革 ①里見梨の沿革 参照

[9]
書籍:野村朋弘『茶道教室教養講座① 伝統文化』株式会社淡交社 2018年3月16日
P28~29「文化史を考察する方法」参照。「文化とは何も美術や工芸といった芸術に関わることだけではない。
人間が関わる営み、つまり生活や活動、思想といった全て包容するものだ。」

[10]
【事例①】鳥取県/醸造所:梅津酒造/商品名:「鳥取梨ワインpears’1(ペアーズ)」/仕入方法:J A鳥取中央の
協力を得て醸造所にて仕入れ/販売先:地元の酒店、鳥取県内の道の駅
・朝日新聞デジタル「特産梨の魅力凝縮、本格ワイン完成 光る酒造りの技 鳥取・梅津酒造」2023年11月16日
https://www.asahi.com/articles/ASRCH76JMRC8PUUB001.html (2024/07/27閲覧)

【事例②】千葉県/開発:ワイン卸業アデカ/商品名:「すてない 梨シードル」/仕入方法:アデカが県内
(船橋市・柏市)の梨を仕入れ製造/販売先:道の駅しょうなん、アデカオンラインサイト

・未来は変わる 千葉のS D G s 破棄なしへ「すてない 梨シードル」誕生 柏のワイン卸「アデカ」
開発 東京新聞 TOKYO web、2022年12月5日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/217959(2024/7/27閲覧)

・【破棄梨を使用した「船橋産 梨シードル2022」を2023年1月1日より正式販売開始〜S D G推進活動として
食品ロス削減に貢献〜】2022.12.12
https://www.adeca.co.jp/news/2022/廃棄梨を使用した「船橋産-梨シードル2022」(2024/07/27閲覧)

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◾️参考文献
・野村朋弘『茶道教室教養講座① 伝統文化』株式会社淡交、2018年
・野村朋弘編『人と文化をつなぐものーコミュニティ・旅・学びの歴史』芸術学舎、2014年
・『榛名の果樹』編集委員 代表 細谷『榛名の果樹』、榛名町役場 農政課 1986年発行
・里見村誌編纂委員会 委員長 星野『里見村誌』里見村誌編纂委員会発行、1960年発行
・宮﨑俊弥 『群馬県農業史(上)』みやま文庫、2007年
・上毛新聞社制作 『まんが 榛名の歴史』榛名町発行、1995年
・上毛新聞社制作 1編集 高崎市総務部市史編さん室『まんが 高崎の歴史 TAKASAKI DREAMING』
 高崎市発行、1997年
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◾️参考URL
・厚生労働省『国民の健康の増進の総合的な推進を図るための基本的な方針の全部を改正する件』
厚生労働省告示第207号、令和5年5月31日
https://www.mhlw.go.jp/content/001102474.pdf (2024/07/27閲覧)

・イノセントジャパン合同会社発表、プレスリリース『【フルーツ習慣調査】健康意識の高い人
ほどフルーツを摂取している傾向に。ただし、20~40代の半数以上がフルーツの摂取頻度
「週に1回以下」。約8割が1日のフルーツ摂取目安200gを知らず、摂れていない。』、
2020年3月31日、PR TIMES
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000008.000045601.html (2024/07/27閲覧)
イノセントジャパン合同会社|innocent Japan GK https://www.innocentdrinks.co.uk
 (2024/07/27閲覧)

・ぐんまのうまいもん 果物 
http://gunma-insyoku.or.jp/umaimon/fruit/  (2024/07/27閲覧)

・岩宿遺跡:日本で初めて発掘された旧石器時代の遺跡。日本考古学史上の大発見と言われている。
岩宿博物館ホームページ
https://www.city.midori.gunma.jp/iwajuku/ (2024/07/29 閲覧)

・黒井峯遺跡:群馬県のほぼ中央部に位置する、榛名山二ツ岳の噴火によって埋没した古墳時代後期
(6世紀初頭)の集落あと。文化遺産オンライン 黒井峯遺跡 
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/216059 (2024/07/29閲覧)


<梨シードルに関する記事>
・高崎前橋経済新聞【高崎「梨のシードル」発売 里見「幸水・王秋」スパークリングワイン】
2022/08/24 https://takasaki.keizai.biz/headline/4304/ (2024/07/27閲覧)

・和・シードルに加工すれば破棄ナシ!、NIPPON FOOD SH I FT
https://nippon-food-shift.maff.go.jp/foodshift/case46/ (2024/07/27閲覧)

・朝日新聞デジタル 高崎市産5品種のシードルを販売 ワインも 2023年8月19日掲載
https://www.asahi.com/articles/ASR8L7K4KR7WUHNB009.html(2024/07/27閲覧)

・上毛新聞 ひょう被害のナシ活用 シードルとワイン販売 2023年7月28日掲載
https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/320647 (2024/07/27閲覧)


以上

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