さいたま市民の森グリーンセンター「リスの家」におけるバイオアートとアニマルウェルフェアの考察
1.基本データとバイオアートについて
埼玉県にあるさいたま市民の森「リスの家」は、大きなケージ内にリスが放し飼いされている無料の施設である。来園者は、自然に近い状態で自由に走り回るチョウセンシマリス、チュウゴクシマリスを間近に観察することができる。この施設にはバイオアートの要素、アニマルウェルフェアの好例として特筆すべき点がみられる。バイオアートとは、合成生物学、生態学、生殖医療といった分野の要素を取り入れた芸術的実践を包括的に示す用語で、芸術創作プロセスと自然界における「リビングライブラリー」を結びつけるものが多い。また、
自然破壊、絶滅生物、異常気象などの「危機意識」がその核にあると考えられている。
2.歴史的背景
日本では昭和5年以降、ペットとして飼育されていたリスの個体や動物園で飼われていたリスの個体が逃げ出したり、放たれたりして野生化したといわれている。その一つ、台湾産のクリハラリス、別名タイワンリスとも呼ばれ、伊豆大島で大繁殖した。また、韓国や中国から輸入され、ペットとして飼育されていたチョウセンシマリスやチュウゴクシマリスが逃げ、あるいは遺棄されて、1989年の調査では25都道府県の各地で野生化が報告されている。北海道では在来種のエゾシマリスが生息しているが、雑交による遺伝子の攪乱が危惧されている。また、本来では本州で分布していないキタリスが埼玉県狭山市で確認されている。キタリスとニホンリスは遺伝的に近縁であるため、遺伝子の攪乱が起こりうる。こうした事例が各地で起これば、日本固有種であるニホンリスの存続が危ぶまれる。
日本に外来種のリスが持ち込まれたのは、毛皮利用や食用ではなく、愛玩目的であった。1940年ころから、チョウセンシマリスやクリハラリスがペットショップに出回り、1990年代のエキゾチックアニマルブームでは日本に導入された外国産リスは40種といった報告もある。
ところで、人はなぜ動物が好きなのか。その理由には「カワイイ」という感情があるという。動物学者のコンラート・ローレンツ博士は、子ども時代の動物の身体的特徴を「ベビースキーマ」と定義している。それは、身体に対し頭が大きい、おでこが出ている、鼻が短い、大きな目が顔の下の方についている、顎が小さい、手足が短い、ぎこちない動作に、養育行動を起こさせるものである。ペットショップで一目惚れし、衝動的にペットを飼う原因の一つであろう。いざ飼い始めて、面倒だ、嚙みつかれる、汚い、いたずらをするなど、飼いきれなくなった飼い主が放逐する問題が多発している。猫や犬の飼育と異なり、特にリスの飼育は一般的ではなく、飼育のノウハウを調べてみても専門書は少ない。また、エキゾチックアニマル専門の獣医も少なく、病気にかかってしまうと治療も難しいのが現状である。人間に懐く個体もまれで、しばしば鋭い歯で噛みつかれる。リスはもともと森に生息することに特殊化した哺乳類であり、その環境から無理やり引き離して別の環境で飼育することに疑問を感じている。人間が勝手にリスを愛玩動物とみなしているが、リスが地球上に出現したのは新生代の初期である。特に樹上性のリスは保守的な形態を残す「生きた化石」と考えられている。人間よりはるか以前より存在する「先輩」であり、ペットとして飼い慣らすことは正しいとは思えない。
近年、欧米から「アニマルウェルフェア」の理念が入ってきた。直訳すると、「動物福祉」であるが、国際獣疫事務局は「動物が生活している環境にうまく対応している様態」と定義している。適用されるのは、家畜や動物園や水族館などの展示動物、研究のための実験動物、一般家庭の愛玩動物、野生動物であり、不衛生で苦痛を与える環境では飼育できない。また、野生動物にも生き物としての尊厳が与えられており、放逐外来種のペット起源の動物に生息地が脅かされることも、この理念からすると十分な配慮が必要といえる。アニマルウェルフェアの他に、「ノンヒューマンパーソンズ」といった「格」を認める運動がある。これは動物が人間並みの権利を主張できるとされる。単に「カワイイ」や動物愛護でもなく、人と動物が同じ環境で共存できる豊な社会を予見させる。
3.他のリス飼育との比較
一つ目は東京都町田市にある「町田リス園」についてである。敷地内のリス園にたくさんのクリハラリスが飼育され、来園者は手袋をはめ、餌やり体験ができる有料施設である。クリハラリスのような樹上性の種は広域な行動圏をもつが、大型のケージとはいえ限られた範囲に高密度で飼育されていた。また、少数のシマリスが同じケージで飼育されていたのが少々心配であった。
二つ目は、東京都井の頭自然文化圏についてである。1970年ごろ東京都奥多摩などから持ち込まれたニホンリスが起源であり、繁殖に成功し累代飼育されている。しかし、昨年12月にリス個体への寄生虫駆除の薬品滴下、また、巣箱等の殺虫剤散布の為、31匹のニホンリスが死亡する事件が発生している。専用の繁殖棟で行われた処置によるものであるが、野外の個体では起こりえない事故である。ニホンリスもクリハラリス同様樹上性であり広域な行動圏をもつため、狭い繫殖棟での飼育の在り方が問われる事例といえる。
三つ目は、リスが身近な存在でいられるような森を地域で残す努力をする取り組みである。「軽井沢ニホンリスの森プロジェクト」である。ただし、観光地として機能するためには、アクセスするための道路が必要である。広い行動圏を持つニホンリスが限られた森から出て、轢死する可能性も考えられる。
4.比較の上で特筆すべき点
さいたま市民の森グリーンセンター「リスの家」の飼育の状況から特筆すべき点を考察する。シマリスは地リスの一種であり、樹上性のニホンリスのような広い行動圏を必要としないため、大きなケージでの飼育も可能と思われる。園内は常に清掃が行きとどき清潔な状態が維持され、殺虫剤散布もないとのである。また、「餌やり」などは禁止されているため、人間との直接的な接触はなく、リスのストレスは少ないと思われる。有料施設であれば何かしらの「触れ合い」で、入園者の満足度を満たす必要性が発生するかもしれないが、無料施設であるため、そういったサービスを提供する必要がない。
5.今後の展望
近年、新型コロナウィルスをはじめ、様々な感染症が発生している。感染症は野生動物起源のものが多く、飼育された動物やペットも大きな感染源となる。これまで人に感染しないと考えられていた病原体が、人と動物の接触が増えることで突然変異がおこり、感染するようになることも否定できない。このような疫病は人獣共通感染症と呼ばれるが、世界保健機関によれば、既に約150種が確認されている。今後、動物と人間は「リスの家」のような「触れ合わない」関係へと見直す時がきているのではないか。
6.まとめ
「リスの家」では、果樹や野草が植えられた地面にいくつかの巣穴の入り口があり、出入りする様子も楽しく癒しの景観を見せていた。枝や地面を可愛らしい動き回るリスたちとその自然に近い景観は、一種のバイオアートと言える。施設の外に逃走すれば、外来種として駆除の対象となる可能性のある種が、この施設内では丁寧に飼育されていることも、生命の在り方についての問いを感じさせる。アリストテレスの時代、芸術と科学と哲学が一体のものであった。一つの貴重な生命をペットして飼い慣らし、触れ合いを強要するのではなく、可愛らしい姿そのものを「芸術」として尊重することの大切さを我々に投げかけているのではないか。また、リスにとって自然に近い環境と専門的な知識をもつ職員の飼育は、狭い家庭内飼育と比較し、より良いアニマルウェルフェアを実現する好例であるといえる。
参考文献
田中淳夫『害獣列島ー増えすぎた日本の野生動物たち』、イースト新書、2020年
田村典子『リスの生態学』、東京大学出版会、2011年
中丸一沙『ニホンリスのメロウ』、株式会社求龍堂、2014年
ウィリアム・マイヤーズ『バイオアート バイオテクノロジーは未来を救うのか』、株式会社ビー・エヌ・エヌ新社、2016年