地域祭りから市内祭りへと変化する「清和源氏まつり」 ~イベントデザインの観点から~
はじめに
兵庫県川西市は源氏発祥の地として知られており、歴史や文化を広く発信するため懐古行列(1)を中心とした「清和源氏まつり」(以下、当祭り)が行われている。時代背景に合わせ変化し今日も継続している祭りのイベントのデザインについて調査・検証し今後の可能性について評価する。
1.清和源氏まつりとは
兵庫県川西市で清和源氏の祖、源満仲の道徳をしのび市民のふるさと意識をはぐくみ、清和源氏発祥の地川西の歴史・文化・観光をPRするために1953年に開催された祭りのことである(2)。祭りの名物である懐古行列は源氏ゆかりの武将に扮した川西市長をはじめ、自治会や子ども会、一般募集出演者と共に総勢220名が参加する。その他にも複数の会場で様々な催しが行われている。毎年4月第2日曜日に開催され今年で60回目になる(3)。懐古行列の前には出演者のお披露目インタビューを行い、川西市長の「いざ出陣!」の声掛けと共に懐古行列は約1㎞のコースを歩く(4)。
2.歴史的背景と開催経緯
川西市が源氏発祥の地と言われている由来は、第56代清和天皇の曾孫である源満仲(917年~997)が川西市の多田に天禄元年(970年)多田神社を創建・源氏武士団を形成したことで源氏の礎を築いたためである。それはのちに700年にも及ぶ武家政権へと発展した。現在多田神社は満仲をはじめ、頼光・頼信・頼義・義家の五公をお祀りしている。当祭りの前身となる多田神社1千祭年の一環として懐古行列が昭和31年(1953年)に開催された。その後昭和37年(1962年)に多田神社の春季大祭として祭りが毎年開催されるようになった。時代に合わせて多くの変更行い令和4年(2022年)に名称を「清和源氏まつり」とした。その時に広く市内外に発信するため会場を多田神社(5)からアクセスの良い市の中心部(6)へと移した。その結果、令和6年(2024年)は21000人の人が祭りに訪れた。
3.特筆
当祭りは年々観覧者数が減少していたが毎年約30000人が懐古行列を見に祭りに訪れていた。開催場所であった多田神社周辺は道が細く危険であることや神社前にある御社橋(7)の老朽化により会場先の変更が長年検討されていた。平成26年(2014年)の市制60周年記念も兼ね懐古行列が1度だけ市内で開催された時、過去最大の50000人の観覧者数となった。そのデータから源氏ゆかりの武将に扮した懐古行列は華やかですでに多くの人々の観光対象としての魅力を持ち合わせていること、またアクセスの良い市内での祭りの開催が観覧者数の増加へと繋がることがわかった。そのため令和4年(2022年)より当祭り開催場所を多田神社から川西市内へと変更し、祭りを通じて市内外へ「清和源氏発祥の地 川西」のさらなるアピールへと踏み切った。新たな懐古行列コースは市内駅前の広場を出発し商業施設を通りキセラ川西せせらぎ公園をゴールとした。
神奈川県横浜市には港北区内の歴史的資産である小机城の由来・歴史について広く区民に理解してもらうことを目的にしている「小机城址まつり」(8)がある。令和5年(2023年)の武者行列には約150人が参加した。両祭り共に安全に継続的な祭りの開催できるように会場の変更を行っている。小机城址まつりの場合は武者行列の発着地点を変更しコース内容を縮小した(9)。しかし当祭りの場合は、古から伝わる祭りの魅力を再発見し過去の祭りのデータから開催場所を市内へと変更した。それにより祭りに訪れた人が自然に恵まれ商業施設も整っている川西市を体感でき街のアピールにも繋がっている。以上が当祭りの特筆すべき点であると考える。
4.評価する点
4-1.変化するイベントデザイン
当祭りは会場を市内に変更してから市内4つの場所でイベントを催している(10)。スタート地点は阪急電鉄・能勢電鉄の共同使用駅である川西能勢口駅からすぐの広場から懐古行列は出発する。懐古行列ルートは全てのイベント会場を通りメイン会場である公園を目指す。各イベント会場を通るルートのため、そこに訪れていた観覧者を引き連れていくことができる。また駅の近くから開催されることで駅を利用している人々の目にも触れる機会が多く、220人の武者行列は圧巻で多くの人々の目を引くだろう。人々は市内各地の各々の好んだイベントに参加し分散されているが、その場所を懐古行列が通りメイン会場をめざす集結といった空間特徴がある。イベントの時間の中で分散と集結といった変化をもたらすデザインになっているのが特筆されている点である。
4-2.継続されている神事
祭り会場が市内に変更したことにより行われなくなった催しもある。多田神社で開催されていたときは神社の神輿を2基借用し懐古行列に参加していた。しかし会場が市内へと変更したことで警察より公道での神輿許可がおりず神輿は祭りに参加することが出来なくなった。市民からは神輿の再開を望む声も上がっており、祭具の使用許可がおりないのは残念である。しかし、会場を市内に変更したあとも続けられている神事がある。懐古行列に参加する源氏武者達は多田神社で参加者の巡行安全を祈念したお祓いを受け祭りに参加している。それは会場が市内に変更後も朝一で多田神社の赴いて変わらず行われている。会場を市内に移したことで祭りと神社の意味合いが希薄となりやすく、神事を省略すれば祭りはただの観光まつりである。開催場所を変更後も神事をおろそかにせずに多田神社と祭りを繋ぎ合わせている点が特筆されている点である。
日本全国各所で大小さまざまな多くの祭りが年中開催されている。しかし、祭りを継続するのが難しく廃絶や存続危機に陥っているのが現状である(11)。当祭りも例外ではなく時代の変化に合わせ開催場所・名称・主催者と多くの変更を重ね現在の形へと変遷してきた。特に開催場所を変更したことは地域祭りから市内祭りへ変化する大きなきっかけとなった。真野は「(中略)時代を超えてその祭りを維持させようとするとき、当然祭りは歴史の変化に順応しながらみずからも変わっていかなければならないはずである。(中略)」(註1)と言っている。
当祭りは魅力の再発見により会場を変更することで、祭りの歴史を継続し現代の祭りとして変化させることできた。また、市内への移行はアクセスの良さから観覧者数の窓口を広げ新たな観覧者の増加が見込め地域に賑わいを生むきっかけへと繋がっている。しかし、開催場所を変化したことで多田地域の人々からは、清和源氏発祥の地として開催していたため寂しく感じるという声も聞かれている。祭り存続のために我慢を強いられている市民が一定数いることを知っておかなければならない(12)。地域の祭りが神社から切り離されることで祭りは本来の目的を忘れ観光まつりとなる恐れがある。久保田は「(中略)神事の部分だけ切り離し、伝統的ながらイベント的な部分を市民の祭りのような形にしたものもある。これは政教分離の考え方から、行政が絡む場合などに見られる傾向だ。」(註2)と言っている。当祭りは会場が神社から変更後も神事を継続しているが、行政が主催しているため神社と祭りの信仰的な意味合いが乖離されないようますます祭りの本来の目的を理解しておかなければならない。
5.今後の展望について
今回多田地域の住民の方々にインタビュー行い、地域の祭りが市内への開催となったことで多田の地域には何のメリットもない寂しい行事となった(13)という声が聞かれた。実際に多田の住民も開催場所が変更されてからは祭りへの参加が減っている。市内へと変更された後も郷土に親しまれる祭りにするためにはまず多田地域の人に開催場所の変更について理解をしてもらうことが必要不可欠であると考える。祭りでは多くの出店がある。多田地域のことがわかるブースを作成し地域のことをアピールできる体制を整え、多くの人が多田地域に関心をもつ機会となることを期待したい。
おわりに
当祭りは時代の変化に合わせ「清和源氏まつり」をより一層市内外に発信するため会場をアクセスの良い市内へと変更したことで、観覧者数の窓口が広げ目玉である懐古行列は変わらず多くの観覧者を呼び地域に賑わいをもたらしている。また、現代のニーズに合わせながらも神事を継続し行うことで祭りの伝統と歴史を継続することができている。今後さらに祭りを再構成するためには、歴史に対する敬意を払い先人である多田地域の人々の理解を得ることが祭りのさらなる発展となるだろう。
参考文献
【脚註】
(1)清和源氏の祖であり、多田神社の御祭神源満仲公を中心に、大江山の鬼退治で有名な源頼光公や鎌倉幕府初代将軍の源頼朝など源氏ゆかりの武将の他、鬼・少年少女武者・稚児などが行列に参加する。
騎馬源氏武者:源満仲公/川西市長、源頼光公/川西市議会議長、源頼信公/千葉県香取市、源頼義公/川西青年会議所、八幡太郎義家公/一般募集出演者、巴御前/一般募集出演者
源氏武者:源頼朝・源義経・渡辺綱・平井保昌・足利尊氏・酒呑童子/川西青年会議所・(株)池田泉州銀行多田支店・福知山市大江町・一般募集
猿田彦・雑兵・鬼/日本ボーイスカウト兵庫連盟川西連絡会、小姓/多田コミュニティ協議会、少年・少女武者/鼓が丘子ども会・新田自治会・湯山台自治会・多田院自治会・一般募集出演者、稚児行列/一般募集、ペナントフラッグ/日本空港(株)・全日空輸(株)、音楽隊パレード/早稲田摂陵高等学校ウィンドバンド、御所車/多田商業会
(2)参考文献1 P21より
(3)〔表1〕より
(4)〔図1〕より
(5)名称:多田神社
所在地:兵庫県川西市多田院多田所町1-1
交通案内:阪急電鉄宝塚線「川西能勢口駅」にて能勢電鉄乗り換え「多田」駅下車し西へ約1㎞徒歩15分
(6)名所:アステ川西ぴぃぷぅ広場(出発場所)
所在地:兵庫県川西市栄町25-1
交通案内:阪急電鉄宝塚線「川西能勢口駅」徒歩1分、又はJR福知山線「川西池田駅」徒歩3分
(7)多田神社南大門前にある猪名川に架かっている朱塗りの橋
(8)名所:雲松院(出発場所)
所在地:神奈川県横浜市港北区小机町1451
(9)別添資料4より
(10)〔図1〕より
(11)参考文献5 P158
(12)(13)別添資料2より
【引用参考文献】
(註1) 真野俊和『日本の祭りを読み解く』(吉川弘文館、2001年)P4
(註2) 久保田裕道『日本の祭り解剖図巻』(株式会社エクスナレッジ、2023年)P126
【参考文献】
1.第28回川西市源氏まつり 小冊子
2.第31回川西市源氏まつり 小冊子
3.第32回川西市源氏まつり 小冊子
4.森田玲『日本の祭りと神賑』(創元社、2015年)
5. 久保田裕道『日本の祭り解剖図巻』(株式会社エクスナレッジ、2023年)
【参考ウェブサイト】
1.清和源氏まつりHP
https://seiwagenjimatsuri2023.com/ (2023年6/14最終閲覧)
2.多田神社
http://tadajinjya.or.jp/ (2023年6/14最終閲覧)
3. 小机城址まつり
http://yokohama-kouhokukanko.net/matsuri02.html (2023年6/14最終閲覧)
【インタビュー】
1.2023年4月21日 川西市市民環境部 文化・観光・スポーツ課 主事:西村弘行さん、辛嶋杏奈さん
2.2023年5月4日 電話にて実施 多田神社 中本さん
3.2023年5月12日 多田コミュニティ協議会 会長:鈴木光義さん、報道部長:上田志津香さん
4.2023年5月23日 メールにて実施 港北区役所地域振興課 地域活動係 毛呂菜花子さん