初黄・日ノ出町地区のアートによるまちの再生からみる~にぎわいのデザイン~

森 裕美子

はじめに
横浜市中区初黄・日ノ出町地区(通称黄金町、以下黄金町)は、かつては違法売買春の街であった。この地域が短い期間で「違法売買春の街」から「アートのまち」へと変貌を遂げたことに着目し、本稿ではアートによるまちの「にぎわいのデザイン」を評価するとともに、今後の展望を考察する。

1.基本データ
初黄・日ノ出町地区は、神奈川県横浜市中区黄金町1丁目・2丁目、初音町1丁目・2丁目・3丁目、日ノ出町1丁目・2丁目を合わせた地区の総称である。総面積0.13㎢、総人口3960人、総世帯数2664世帯の大岡川沿いの小さなエリアである(資料1図1-2)。周辺には、古き良き横浜を象徴する繁華街伊勢佐木町、600軒近い飲食店がひしめきあう野毛地区、ランドマークタワーをはじめ、赤レンガ倉庫やパシフィコ横浜といった個性ある建物が立ち並ぶ、みなとみらい21地区がある(資料1図1-3 )。

2.歴史的背景
黄金町エリア一帯は、開港後大岡川の水運を利用した問屋街として繁栄していた。その後、関東大震災や第二次世界大戦によってまちは激変し、京浜急行の高架下を中心に風俗店が軒を連ね、麻薬の売買が行われ非常に治安が悪化した。阪神淡路大震災をきっかけに、高架下の補強工事が行われることになり、日ノ出町・黄金町の高架下にあった小規模飲食店約100店舗に対し立ち退きを求めた。その結果、500メートルの道に250軒もの店舗が密集するほど治安が悪化した(資料1図1-4 )。2005年、まちの浄化のため警察による一斉摘発「バイバイ作戦」(1)が行われ、すべての特殊飲食店の閉店および立ち退きに成功した。しかし、その結果、空き店舗が急増したため、街の治安は依然として不安定だった。一方、横浜市では、「文化芸術創造都市―クリエイティブシティ・ヨコハマ」(資料3)構想により、黄金町プロジェクトが立ち上がり、2008年に「黄金町バザール(資料4)」が開催された。その後、空き店舗にアーティストを街に常駐させ(2)、アートによってまちを再生させる挑戦がはじまった。黄金町エリアマネージメントセンターが立ち上がり、黄金町バザールのディレクターだった山野真悟氏(3)が事務局長に就任し、まちづくりが組織化された。まちの歴史と初黄・日ノ出町再生事業については、資料2と資料3表3-1にまとめた。

3.事例の評価点
ここでは、「空間デザイン」と「コミュニティーデザイン」の2つの観点から評価する。なお、「空間デザイン」は川添善行の空間に関する論考(4)を、「コミュニティーデザイン」は、山崎亮のコミュニティーデザインの論考(5)を軸に評価する

1)「空間のデザイン」:3つの軸線と迷宮的領域が生み出す連続性と回遊性
黄金町は、3つのストーリーのある軸線、「老舗店が繋ぐ歴史の軸線」、「高架橋が誘う文化芸術の軸線」、「大岡川の流れの軸線」、そして空き家となった小規模特殊飲食店を再利用して生まれた、「迷宮的領域」で構成されている。視覚的な空間である「軸線」と、体験的な空間である「領域」は、本来は異なる属性のものだが、この2つが相互に絡み合うことで、豊かな全体性を生み出している(資料6図6-1)。訪れた人はまちの中に埋め込まれた軸線によって、積み重ねてきた時間、自然、アートが渾然一体となった「黄金町」というまちへ誘われる。さらに季節ごとに軸線に沿って開催される「黄金町バザール」、「のきさきアートフェア(6)」、「大岡川桜まつり(7)」といった地域の催し物は、軸線によってにぎわいの連続性が生み出されている。
入り組んだ裏路地の迷宮的領域は、雑然とした独特のエネルギーを放ち、突如として現れるアート作品やウォールアート、ガラス扉の向こうにいる個性豊かなアーティストの存在によって、回遊性が演出されている。一度歩いただけでは全体の輪郭がつかみにくい空間体験と、突如現れるアート体験が融合した空間デザインは、黄金町ならではの優れたデザインである。

2)「コミュニティーデザイン」:「対話としての装置」アートが多様な人々をつなぐ
コミュニティーデザインは「人と人をつなげるためのデザイン」であり、最も重要なのは住民の参加である。住民自らが提案をし、その意見を整理して施策へと落とし込んでいくことが重要である。黄金町では、高架下の「黄金町スタジオ」、「日ノ出町スタジオ」の建設にあたり、横浜国立大学、神奈川大学の学生がワークショップという形で地域住民との対話が取り入れられ、現代アートによるまちづくりの理解が広まる機会にもなった。また、「かいだん広場」は、「集いの広場が必要である」という地域住民の声をもとに、構想から施工まで地域住民の参加によって作られた。ここではアートが「対話の装置」としてしっかりと機能している。地域住民との対話だけでなく、若者の魅力や力を引き出す場が創出され、恒常的に若者が集まることで、まちの活性化が図られている。

4.他の事例との比較と特筆
東京都品川区の天王洲アイルは「倉庫の街」から「アートのまち」へと短期間で変貌を遂げている(資料7図7-3)。また、「既存の建物を持続させながらまちの価値の再構築を目指す」という点でも共通している。ここでは天王洲アイルと黄金町のまちづくりを比較し、プロジェクトを推進する「中心的存在」に着目して、黄金町の特筆点を探る。
天王洲アイルは地権者35社からなる「一般社団法人エリアマネジメントTENNOZ」(資料7図7-1)が維持管理を行っている。特に古くから一帯を拠点としてきた寺田倉庫(8)が自身の事業に絡めながら、アートを活用し街づくりを推進している(資料7図7-2)。一方、黄金町は企業ではなく、アートNPO(9)である「黄金町エリアマネージメントセンター」が地域コミュニティーと密接に関わりながら、立場の違う多くの関係者と連携を取りながら事業を推進している。アートNPOが都市のまちづくりのサポートをしているケースはあるが、中心となって推進している事例はほとんどない。経済優先ではない、文化施設や劇場、美術館とは異なる視点でアートと向き合い、アーティストと寄り添い、創造の現場を支援している黄金町のアートNPOの存在は特筆点であるといえる。

5.課題と今後の展望
「アートのまち」として再生したことで、まちのイメージが刷新され(資料4表4-1)、治安の改善とそれに付随する住民の数、世帯数が増加(資料1表1-1、表1-2)したことは、アートをまちに導入したことによる成果だといえる。一方で、かつての暗黒街のイメージは薄れつつある黄金町であるが、家の所有者が複数にわたり複雑化しているため、すべてを借り上げることが難しく、空き家がレンタルルームや貧困ビジネスの温床になっているケースもある(10)。かつてのようなまちに逆戻りさせないためにも、黄金町を「アートのまち」として根付かせ、継続させていく必要がある。
今後の展望として黄金町エリアマネージメントセンターの山野氏は「アートセンター構想」を掲げている(11)。アートセンターは、アーティストを支援し、アートの社会的役割を伝え、普及、産業化すること、交流、研究を行うことなどを目的とした活動及びその施設を指している。山野氏が語るアートの産業化は、黄金町の「アートによるまちづくり」の次の過程であると言える。黄金町は古くから商業の街であり、この街には技術を持つ職人が多い。街の貴重な地域資源を積極的に活用し、アーティストとの創発によって新たな地域資源作りへとつなげていくことを期待する。

6.まとめ
横浜というまちには、歴史的に多様なもの、出来事を受け入れてきた懐の深さ、受容の精神が宿っている。黄金町に古くから立っている建物があるからこそ、確かにここに時間が流れていたことを確認できる。過去の歴史を完全に排除するのではなく、受容しつつ新しい文化を育くもうとする黄金町の「アートによるまちの再生」は、まさに横浜の精神そのものである。2005年に行われた「バイバイ作戦」は、「環境浄化」を目的として行われたが、完全な「清浄」などあり得ない。『光と闇』『清浄と汚濁』の共存こそが 生命の本質であり(12)、それはまさに「アート」の本質でもある(13)。移り行く時代の中で、『光と闇』を知る黄金町だからこそ、都市の持つ包容力、寛容性をまちの空間にどのように埋め込んで行くか、今後が楽しみである。

  • 1 アートによるまちの再生「黄金ミニレジデンス」
    2022年11月13日筆者撮影
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      ・図1-1 「 横浜市中区」 筆者作成
      ・図1-2 「初黄・日ノ出町地区」筆者作成
      ・図1-3  「初黄・日ノ出町地区とその周辺地区」筆者作成
      ・表1-1 「日ノ出町・初音町・黄金町世帯数動態(1999~2022) 」筆者作成
      ・表1-2 「日ノ出町・初音町・黄金町人口動態(1999~2022)」筆者作成
       出典)横浜市ホームページ、情報統計ポータル、人口世帯、町丁の人口 https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/tokei-chosa/portal/jinko/chocho/juki/
      ・図1-4 「2005年頃の初黄・日ノ出町地区の特殊飲食店分布図」筆者作成
       出典)仲原正治著「仲原正治のまちある記―アートでまちづくり編」、『ケンプラッツ」』、2016年
  • 3 【資料2】まちの歴史
      ・表2-1 「まちの歴史年表(1243~1958)」筆者作成
       出典)横浜市立大学編『黄金町読本2014』、横浜市立大学国際総合科学部鈴木伸治ゼミ、2014年
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      ・図3-1 「創造都市横浜」画像引用元:冊子「創造都市横浜」
      ・表3-1 「初黄・日ノ出町再生事業年表(1998~2021)」筆者作成
       出典)・笹島秀晃「アートによる地域再生の今日的様相――横浜市初黄・日ノ出町における安全・安心まちづくりと芸術不動産事業に着目して――」、『ヘスティアとクリオ』第10号、2011年
       ・黄金町エリアマネージメントセンターウェイブサイト まちの歴史 https://koganecho.net/history
  • 5 【資料4】黄金町バザール
      ・図4-1黄金町バザールパンフレット 
        画像引用元:黄金町エリアマネージメントセンター 黄金町バザール
    https://koganecho.net/project/koganecho-bazaar
      ・表4-1 「黄金町バザール来場者アンケート」筆者作成
       出典)黄金町エリアマネージメントセンター、「平成23年度事業報告書」~「令和3年度事業報告書」
    https://koganecho.net/about#pdf
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      ・表5-1 「主な事業」筆者作成 
       出典)黄金町エリアマネージメントセンター 事業一覧
    https://koganecho.net/project(2023年1月24日最終閲覧)
      ・図5-1 「組織体制図」 筆者作成
       出典)山野真悟+鈴木伸治著『アートとコミュニケーション 横浜・黄金町の実践から』、春風社、2021年
      ・図5-2 「管理施設」筆者作成
       すべての写真 2022年11月13日筆者撮影
       出典)黄金町マネージメントセンターリーフレット
  • 7 【資料6】3つの軸線と迷宮的領域による「軸線」と「回遊」
      ・図6-1 「まちの全体図」 筆者作成
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      ・図7-1 「エリアマネジメントTENNOZ」筆者作成
       出典)山村崇 後藤晴彦 田島靖崇「都心外の業務市街地における民間企業主導による小規模継続的整備を通したエリアの価格再構築ー東京都品川区天王洲地区を対象としてー」、『日本建築学会計画系論文集』、第40号、2020年
      ・図7-2 「寺田倉庫のアート事業」筆者作成
       出典)事業構想ウェブサイト https://www.projectdesign.jp/articles/2cbccb80-5c1f-42e4-85f9-7b667a0b19c7
    ・図7-3 「天王洲アイルの街並み」筆者作成 写真①~⑧ 2022年8月5日筆者撮影

参考文献

<註>
(1)神奈川県警伊勢佐木署ホームページhttps://www.police.pref.kanagawa.jp/ps/36ps/36mes/36mes200_301.htm
(2)黄金町エリアマネージメントセンターHPアーティスト・イン・レジデンスhttps://koganecho.net/air
(3)1970年代より福岡を拠点に美術作家として活動。IAF芸術研究室を主宰、研究会・展覧会企画等をおこなう。1990年ミュージアム・シティ・プロジェクト事務局長に就任。街を使った美術展「ミュージアム・シティ・天神」をプロデュース。その後も「まちとアート」をテーマに、プロジェクトの企画、ワークショップ等を多数てがける。2005年「横浜トリエンナーレ2005」ではキュレーターを務めた。2008年「黄金町バザール」ディレクター。現在黄金町エリアマネジメントセンター事務局長。
(4)川添善行『空間にこめられた意思をたどる』、藝術学舎、2014年
(5)山崎亮著『コミュニティーデザインの時代 自分たちで「まち」をつくる』、中公新書、2012年
(6)黄金町エリアマネージメントセンターHPのきさきアートフェアhttps://koganecho.net/project/nokisaki-art-fair
(7)大岡川に沿ってのびる約3.5kmのプロムナード沿いに桜並木が続く。開花期間中は観音橋(弘明寺商店街)から井土ケ谷橋(蒔田中学校)の区間にぼんぼりが灯り、淡いピンク色の桜がライトアップされる。
(8)1950年10月に創業。美術品、映像・音楽媒体メディア、ワインなどのデリケートな品の保存保管を基幹事業としている。寺田倉庫の本拠地となる天王洲アイル地区の活性化に注力しており、新規事業を数多く展開。天王洲の倉庫街からの文化発信に注力し、本社内にイベントホール、音楽スタジオ、茶室などを開設し同品川区の施設にギャラリーを誘致している。
寺田倉庫ホームページhttps://www.terrada.co.jp/ja/
(9)これまでの芸術文化団体や行政が行ってきた展覧会や舞台などの芸術鑑賞型の活動ではなく、地域の市民とアーティストがいっしょに作品をつくるワークショップや 学校や福祉施設にアーティストを派遣する活動などを行う。
(10)神奈川県警はここ数年、空き店舗がダミー会社の所在地として登記されていたり、貧困ビジネスの温床になりつつあったりした事件を摘発。24時間態勢の巡回を中心とする作戦は継続している。
(11)山野真悟+鈴木伸治著『アートとコミュニケーション 横浜・黄金町の実践から』、春風社、2021年、P224-227
(12)宮崎駿著『風の谷のナウシカ全7巻』、徳間書店、2002年
(13)岡本太郎著『日本の伝統』、光文社知恵の森文庫、2005年、P183-184

<参考文献>
・笹島秀晃「アートによる地域再生の今日的様相――横浜市初黄・日ノ出町における安全・安心まちづくりと芸術不動産事業に着目して――」、『ヘスティアとクリオ』第10号、2011年、p.67-84
・菅沼若菜「交差するアートの公共性ー横浜黄金町「アートのまち」のその後に着目して」、『社会学論考 / 首都大学東京・都立大学社会学研究会 編』、第40号、2019年、P69-91
・仲原正治著「仲原正治のまちある記―アートでまちづくり編」、『ケンプラッツ』、2016年、P2-15
・横浜市立大学編『黄金町読本2014』、横浜市立大学国際総合科学部鈴木伸治ゼミ、2014年
・山野真悟+鈴木伸治著『アートとコミュニケーション 横浜・黄金町の実践から』、春風社、2021年
・古賀弥生著『芸術文化と地域づくり』、九州大学出版会、2020年
・山崎亮著『コミュニティーデザインの時代 自分たちで「まち」をつくる』、中公新書、2012年
・川添善行『空間にこめられた意思をたどる』、藝術学舎、2014年
・山村崇 後藤晴彦 田島靖崇「都心外の業務市街地における民間企業主導による小規模継続的整備を通したエリアの価格再構築ー東京都品川区天王洲地区を対象としてー」、『日本建築学会計画系論文集』、第40号、2020年、P1447ー1455
・品川区都市整備部都市計画課発行「品川区景観計画天王洲地区景観まちづくりルールアイデアブック 」
・宮崎駿著『風の谷のナウシカ全7巻』、徳間書店、2002年
・岡本太郎著『日本の伝統』、光文社知恵の森文庫、2005年、P183-184

<参考ウェブサイト>
・横浜市ホームページ、情報統計ポータル、人口世帯、町丁の人口https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/tokei-chosa/portal/jinko/chocho/juki/(2023年1月12日最終閲覧)
・横浜市ホームページ、情報統計ポータル、横浜市統計書 第17章 司法及び治安
https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/tokei-chosa/portal/tokeisho/17.html(2023年1月8日最終閲覧)
・横浜市ポータルサイトweb 横浜市町区域要覧横浜市町区域要覧
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/koseki-zei-hoken/todokede/jukyo/jisshi/machikuikiyouran.html(2023年1月15日最終閲覧)
・黄金町エリアマネージメントセンター、「平成23年度事業報告書」~「令和3年度事業報告書」
https://koganecho.net/about#pdf(2023年1月10日最終閲覧)
・神奈川県警伊勢佐木署ホームページhttps://www.police.pref.kanagawa.jp/ps/36ps/36mes/36mes200_301.htm(2023年1月18日最終閲覧)
・黄金町エリアマネージメントセンター まちの歴史
https://koganecho.net/history(2023年1月22日最終閲覧)
・Kogane-X 初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会webサイトhttp://kogane-x.koganecho.net/history/ (2023年1月18日最終閲覧)
・黄金町エリアマネージメントセンター 黄金町バザール
https://koganecho.net/project/koganecho-bazaar(2023年1月20日最終閲覧)
・黄金町エリアマネージメントセンター 事業一覧
https://koganecho.net/project(2023年1月24日最終閲覧)
・事業構想ウェブサイト https://www.projectdesign.jp/articles/2cbccb80-5c1f-42e4-85f9-7b667a0b19c7(2023年1月25日最終閲覧)

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