シルベスタークロイゼ、伝統文化継承の背景にあるもの
はじめに
スイス、ドイツ、オーストリア、イタリアの山岳地帯では、キリスト教以前から冬の闇夜に潜む精霊や自然の驚異から生まれる悪魔の世界を信じ、民衆的な民俗行事である仮面行事が行われていた。仮面を被っているのは神ではないが、日本の来訪神「なまはげ」に類似した行事である。(註1)後、キリスト教が伝わり、この風習はキリスト教に融合した形で現在まで行われている。(註2)
本稿では、キリスト教の影響を受けず、民間の間で今日まで続いているウルネッシュ(Urnäsch)の仮面行事、シルベスタークロイゼ(Silvesterkläuse)(以下、クラウス、複数をクロイゼ)の継承の背景事情や問題点について考察する。
基本データ
ウルネッシュはスイス西北部に位置するアッペンツェラーランド州の準州アウサーローデンの自治区の中のひとつの村である。人口は約2300人で、約900人が酪農、農業に従事している。ここ20年ほどウルネッシュの人口推移に大きな変化はない。出稼ぎに出る若者が多く、少子高齢化の村である。(註3)
資料①(註4)
資料②(註5)
資料③(註6)
歴史的背景
クロイゼがいつ頃始まったのか定かではないが、1663年の最古の記録には、奇声をあげて道を走る奇妙な風習が、キリストの生誕祭と同じ頃では不適切であるとして教会に一時期禁止されたとあり、この風習は1663年以前に既に行われていたと考えられている。後、年末に行うことで許可されている。(註7)
カトリックのインナーローデンでは1582年改良のグレゴリオ暦を導入し、12月31日に行われるようになったが、プロテスタントのアウサーローデンではグレゴリオ暦の導入が遅く、ユリウス暦の1月13日に行っていた。現在、ウルネッシュを含むヒンターランド地域で12月31日と1月13日の2回、行われている。(註8)
資料④(註9)
インタビュー
2017年11月11日にブルーノ・エグリ氏にクロイゼについて話を伺った。現在、68歳である。チューリッヒでスイス大手銀行の不動産管理に従事した後、故郷に戻り、現在、ウルネッシュのブラウフトムミュージアムでガイドをしている。エグリ氏自身も現役でクラウスに扮している。
資料⑤
クロイゼにはショーネ、ショーブュシュテ、ブュシュテの3種類がある。(註10)
資料⑥
資料⑦
資料⑧(註11)
ショーネの被り物で約8キロ、身体に着けた鈴が約30キロはある。飛んだり跳ねたり、身体を揺すり鈴の音を響かせ、家々を訪問してツォイエリ(Zäuerli、歌詞のないヨーデル)を歌い、新年の訪れを祝い、家主からワインを御馳走になる。最後に握手をして別れを告げ、次の家へ走り去っていく。相当な体力が必要だが、クラウスには誰でもなれる。体力があれば60歳以上でも問題ない。伝統的なシュッペル(グループの意味)の構成は女装をしたクラウスが2人、男性に扮したクラウスが4人か6人だが、最近では10人以上のグループもあるとエグリ氏は言う。
資料⑨
資料⑩
資料⑪
女性には20キロ以上の飾りを身に着けて走るのは至難の業なので、昔から女性はクロイゼに扮していないらしいが、過去に女性のクラウスがいなかったとは言えない。クロイゼが誰なのか秘密とされていたからだ。最近のクロイゼはZZZ村のXXXと名前を告げるとエグリ氏は言う。
子供のクロイゼのグループをキンダーシュッペルと呼ぶ。昔はクロイゼになるのは教会付属の学校の男子で、教会や学校は子供達がクロイゼに扮するのを嫌っていた。エグリ氏の話では、冬休みに入ると、友人と樅ノ木の枝を切って家に持ち帰って衣装作りを始める。大抵、台所で作るので母親は嫌がるが、子供の自主性を尊重して衣装作りを手伝うそうである。エグリ氏が子供の頃、女子と一緒に衣装を作ってクロイゼになった楽しい思い出があるが、最近は女子の参加がないのが残念だと話す。子供は仮面をつけず、大人同様、鈴を鳴らし、ツォイエリを歌う。お礼に林檎ジュースやお菓子が配られる。幼年期から行事に参加し、友人と村の人々との間に密接な絆がある。新年の祝福を共に祝う喜びは生涯忘れないという。出稼ぎで他の土地にいても、懐旧の情が沸き、休暇に若者が帰省し喜んでクロイゼに扮している。
資料⑫
資料⑬
評価する点
ウルネッシュに後継者問題はない。クラウスに扮した父親を見て育ち、クロイゼとは何なのか、クロイゼになる意味を知る。ツォイエリは学校で習わない。父親から子供へ受け継がれる。父親の引退後、息子がクラウスを継ぎ、次世代に繋いでいく。エグリ氏によると、細かい作業を要する木製の仮面には相当の時間を必要とし、酪農の合間に作業場でコツコツと仕上げていく。子供は父親の作業を見て、友人と一緒にクロイゼの衣装を作り始めるそうである。伝統文化を熟知しながら故郷と己との繋がりを自覚するようになっていく。
資料⑭(註12)
男鹿半島では少子高齢化により「なまはげ」の後継者が見つからず、70代の高齢者や県外の若者も「なまはげ」に扮する。行事をしない町内会も増えてきた。(註13)2008年には「なまはげ」のセクハラ事件が起った。(註14)「なまはげ」に扮した若者がこの風習を熟知していれば、酒に酔って女風呂へ侵入事件を起こすことはなかっただろう。事前に「なまはげ」のしきたり、「なまはげ」の必要性、「なまはげ」に扮する際の注意点等を知る必要があった。モラルの欠如、家庭内教育、及び地域教育が不足している。現在、保存会は継承者育成のため小学生を対象に「なまはげ」の実演やケデの作り方を教えている。(註15)
「なまはげ」の今後の継承問題がどう展開していくか注目したいところである。
問題点
2018年1月13日にウルネッシュを訪れた。駐車場はほぼ満車で、大型観光バスも路上に数台見られた。30年前はクロイゼに偶然会えれば幸運だったが、現在は観光局が仮設案内所でパンフレットを準備し、観光客にクロイゼの居場所を案内している。
広場には、シャトルバスがある。近い所で片道3フラン(約330円)。
資料⑮
資料⑯
地元民に観光客の印象を訪ねてみたが、否定的な意見を述べる人はいなかった。むしろ、普段は何もない静かな田舎に遠方から多くの人が訪れて、今日は活気があると喜んでいた。路肩のテーブルには、チーズやビールなどの特産品、ソーセージやパンが並んでいた。
クロイゼは観光客を気にせず、挨拶回りを繰り返していたが、時々、取り囲む観光客でクロイゼの動く範囲が狭くなり、クロイゼはカウベルを振る際、背後の観光客にあたらないか振り返っていた。大胆に走って鈴を鳴らすところを小まわりで走るクラウスもいたことも見逃せない。観光客は確実に邪魔をしている。ウルネッシュの場合、鑑賞に厳しい規制は今のところない。男鹿半島の「なまはげ柴灯祭」だけでなく、日本の伝統行事は、行事の進行に支障がないように事前に鑑賞場所等は計画されている。
当日、ウルネッシュの駐車場は満車だった。タッグブラット紙にウルネッシュ消防団長のマルコ・クルシィ氏は、駐車場は限界に近いが、まだ余裕を感じるし、当日は消防隊だけでなく他の団体の協力で、車の移動が以前より円滑に進められたと述べている。駐車場については州警察に事前報告済みで、当日は警察の交通整理はなかった。(註16)クロイゼに集まる観光客で道が塞がれ渋滞していた。
レストランの数も少ない。クロイゼがツォイエリを披露するレストランは、事前の予約無しで中に入れないし、観光局のパンフレットの案内には、レストランが16しかない。宿泊施設にも限りがある。資金不足で悩まされている「なまはげ」の場合、宿泊施設は稼ぎ時なので早くから準備をしている。シルベスタークロイゼは地元民のための風習なので、特に観光客のために宿泊施設や飲食店が増える可能性は少ない。
資料⑰
最後に
シルベスタークロイゼは地元民の間で厳かに新年を祝う風習だったが、今やスイス国内のみならず隣国からも観光客が訪れるようになった。
今後は、現場で観光客を適切に案内する警備員が必要になるだろう。観光化が進むほど風習の元の意味が失われ、形骸化した見世物伝統文化になり、財政が絡み本来の行事の意味とは違った方向に進んでいく可能性もある。過去を振り返ってみても、善し悪しに関わらず伝統文化は、時代の様々な状況の中で変化してきたケースが多い。
ウルネッシュの人々の心の故郷であるシルベスタークロイゼが、観光化の過剰な波に巻き込まれず、今後も地元民主体で継続されることを願ってやまない。
- 資料①スイスの西北部、アッペンツェラーランド ( Appenzellerland )州 筆者作成
- 資料②インナーローデン準州 (Innerrhoden )の地図 筆者作成
- 資料③アウサーローデン準州 ( Ausserrhoden )の地図 筆者作成
- 資料④ヒンターランド (Hinterland )の地図 筆者作成
- 資料⑤ブルーノ・エグリ 氏 2017 年 11 月 11 日 筆者撮影
- 資料⑥ショーネ ( Schöne ) 2018 年 1 月 13 日 筆者撮影
- 資料⑦ショーブュシュテ ( Schö-Wüeschte ) 2018 年 1 月 13 日 筆者撮影
- 資料⑧ブュシュテ ( Wüeschte ) 2017 年 11 月 11 日 筆者撮影
- 資料⑨輪になってツォイエリを歌うクロイゼ 2018 年 1 月 13 日 筆者撮影
-
資料⑩シュタイゲル家を訪れてワインをストローで御馳走になるクロイゼ
2018 年 1 月 13 日筆者撮影 - 資料⑪シュタイゲル夫妻 と別れに握手をするクロイゼ 2018 年 1 月 13 日 筆者撮影
- 資料⑫5~10 歳のキンダーシュッペル 2018 年 1 月 13 日 筆者撮影)
- 資料⑬キンダーシュッペル 2018 年 1 月 13 日 筆者撮影
- 資料⑭仮面作りの細かい作業 写真非公開のため筆者作成
- 資料⑮観光案内所の当日発行のパンフレット 2018 年 1 月 13 日 筆者撮影
- 資料⑯観光局の仮設案内所 2018 年 1 月 13 日 筆者撮影
- 資料⑰クロイゼを取り囲む観光客 2018 年 1 月 13 日 筆者撮影
参考文献
註 1. 八木透、政岡伸洋(2004)図解雑学「こんなに面白い民俗学」 ナツメ社発刊
註 2. Hohl Kulturstiftung, Ernst Silvesterkläuse Glöckler Klausjäger
Herisau: Schriftenreihe Haus Appenzell. Band 11 2015
註 3. Gemeinde Urnäsch homepage
[ http://www.urnaesch.ch/de/portrait/wohnen/urnaeschinkuerze/ ](参照 2017 年 11 月 10 日)
註 4 註 5. 註 6. 筆者作成
註 7.Bendix, Reginaund und Nef, Theo Silvesterkläuse in Urnäsch
Band 1 der Reihe Appenzeller Brauchtum St.Gallen: Verlagsgemeinschaft. 1984
註 8. Dr. Schwabe, Erich Feste und Traditionen in der Schweiz
Neuenburg: Avanti verlag. 1984
註 9. 筆者作成
註 10. Dolder, Willi und Ursula Rund um den Säntis
Zürich: Silva verlag. 1992
註 11.写真提供
Appenzeller Brauchtumsmuseum Urnäsch Dorfplatz 6 9107 Urnäsch
Switzerland
註 12. 筆者作成
註 13.日本経済新聞 2013/4/18
「なまはげ伝承に黄信号 少子高齢化で担い手不足」
[ https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1800R_Y3A410C1CC0000/ ](参照 2017 年 11 月 10 日)
註 14.J Cast ニュース 配信 2008/1/16 14:41
「男鹿市、なまはげセクハラで謝罪 新たに苦情7件」
[ https://www.j-cast.com/2008/01/16015602.html ](参照 2017 年 11 月 10 日)
註 15.東北大学新聞 2016/10/4
【特別インタビュー】「男鹿の伝統 若い世代へ ~子どもにつなぐなまはげ文化」
[ http://ton-press.blogspot.ch/2016/10/blog-post.html ]( 参 照 2017 年 11 月 10 日 )
註 16.Tagblatt "Für viele Urnäscher ist der Alte Silvester der höchste Feiertag im Jahr" 13.Januar 2018
[ http://www.tagblatt.ch/ostschweiz/appenzellerland/ein-dorf-ruestet-sich-fuer-den-alten-silvester;art 120091,5187968 ](参照 2018 年 1 月 25 日)
関連参考文献:
赤坂 憲雄(2009)「東北学」講談社学術文庫発刊.
土井敏秀(2004)「男鹿のなまはげ」無明舎出版発刊..
芳賀日出夫(2017)「写真民俗学 東西の神々」角川芸術出版発刊.
毎日新聞 配信 2016 年 2 月 18 日 地方版・秋田県
「なまはげ ユネスコ・無形文化遺産、再挑戦へ/秋田」
https://mainichi.jp/articles/20160218/ddl/k05/040/042000c (参照 2017 年 12 月 4 日)
秋田県庁のウェブサイト
「男鹿のなまはげ」
http://www.pref.akita.jp/fpd/bunka/namahage.htm (参照 2017 年 12 月 4 日)