世界最大のイスラム教徒数を有するインドネシアで今も息づくバリ・ヒンドゥー
Ⅰ:はじめに
インドネシアとは東南アジア南部に位置する共和制国家で首都はジャカルタ。人口は約2.6億人で1万以上の島々で構成されており、その中に今回取り上げたバリ・ヒンドゥー教が色濃く残るバリ島がある。人口の約9割がムスリムなのでイスラム教国家だと誤解されやすいが、憲法上5大宗教全てに平等な権利と宗教の自由が保障されている。
Ⅱ:バリ島の基本データ
ジャワ島のすぐ東側に位置する都市で緯度は赤道よりも少し南、面積は約5600平米で東西140キロしかない小さな島だ。州都はデンパサール。インドネシア全体で見ると殆どがムスリムだが、約400万人が住むバリ島ではバリ・ヒンドゥー教徒が島人口の9割を占める。島民は原住民であるバリ人、そしてジャワ人やブギス人など近隣の島から移住してきた人々、更には中華系やアラブ系、そして古くより繋がりのあるインド系などが住んでいる。島内には幾つかのコニーデ型と呼ばれる円錐状の活火山があり、島の中央には標高3150メートルのアグン山がある。熱帯湿潤気候で気温は年間を通して23~30度前後と暖かい。島内にある空港はデンパサール空港と呼ばれているがデンパサール州には存在せずクタ州にあり正式名称はングラ・ライ国際空港という。空港にはバリ・ヒンドゥー教を感じさせる様々なオブジェがあり旅行客を迎えている。[資料1]
Ⅲ:バリ・ヒンドゥーの歴史的背景
大小様々な島からなるインドネシア諸島では、人々が必要な物を手に入れる為に海を渡る必要があった。その必要性が海上交通路を整備することとなり近隣の島への移動だけでなく、インドネシア領海外にまで航海範囲を広げる事となる。古くから交流があった国にインドがある。インドの商人がインドネシア本島へ運んだものは多々ありヒンドゥー教もその一つだ。4~5世紀頃にはジャワ島とバリ島間で盛んなやりとりがあり、その頃にジャワ島経由でヒンドゥー教がバリ島へ伝来した。8世紀初頭に神のお告げを受けたヒンドゥー教の高僧が従者を引き連れアグン山詣の為にジャワ島からバリ島へ渡る。その際に何人かの弟子達がバリ島へ残り、作り上げたのがウブドという村だ。このウブドは現在でも芸術村として有名で画廊や美術館[資料2]がありガムラン音楽[資料3]やバリ舞踏なども盛んな場所。また、当時の主要な輸出品だった米を作る上でバリの風土が稲作に適していた事もジャワ人がバリへ進出した理由の1つだ。10世紀頃には東ジャワのクディリ王朝との繋がりが強いワルマデワ王朝がバリ島を支配した事でバリ島にジャワ文化が更に浸透。その東ジャワのクディリ王朝を滅ぼしたのがシンガサリ王国で新たなバリ島の征服者となった。しかし、戦乱は止まらない。シンガサリ王国はバリを征服した8年後に起きた反乱により滅亡。再びマルデワ王朝が支配する事となる。1342年にはマルデワ王朝に代わりマジャパヒト王国がゲルゲル王朝を設立、バリ島をジャワ島から間接的に支配した。その後イスラム勢力が強くなり、それを避けるようにジャワ島のマジャパヒト王国の貴族や僧侶などが逃げるようにバリへ渡る。これら歴史の全てがジャワ文化やジャワヒンドゥーの影響を強く受けた現在のバリ・ヒンドゥーのベースとなっている。
Ⅳ:多くのイスラム教徒の中でどうしてバリ・ヒンドゥー教が存続できたのか
世界中で最も多くのイスラム教徒を有するインドネシア。現在でも国民の90%を占めるのはイスラム教徒でありバリ・ヒンドゥー教徒は国民の2%ほどしかいない。その中で如何にしてバリ・ヒンドゥーが残ったのか。そこにはジャワ島と陸続きでは無かった事、そして国が憲法上全ての宗教に平等な権利を与えた事が大きく影響した。
Ⅴ:バリ・ヒンドゥー教の特筆すべき特徴
バリ・ヒンドゥー教の特徴は「教義ではなく慣習を重んじる」事だ。お寺へ参拝する際は沐浴をすませてから正装、神に祈る際には必ずお供え物を用意する。唯一神を信仰するイスラム教徒への配慮もあり唯一神サン・ヒャン・ウィディの様々な現われだとされているが、バリ・ヒンドゥーには沢山の神が存在する。信仰の対象は神像だったり店先の道路だったりと数多く存在し、毎日欠かさずお供えする。[資料4] 他にも特徴的な所として「バンジャール」という組織が挙げられる。これは住む場所ごとに構成されており、冠婚葬祭などの際は同じバンジャールのメンバーが総出で手伝うという地域コミュニティーだ。このバンジャールの繋がりはとても深く、万が一追放されると生きていけなくなるとも言われている。
Ⅵ:バリ・ヒンドゥーの現状と問題点
もともとは農業が主産業だったバリ島がスハルト政権の国家開発政策のもとで国内随一の観光地として設定され全島規模で開発がスタート。観光地化した場所は徐々に特色や特徴が薄れる事が多いがバリは違った。ホテルや歓楽街など観光客を受け入れる場所を既存島民の生活圏から外れた所に設けたのだ。この施策はバリ島のように伝統文化を売り物にする観光地には有効な手法であり、今でも昔ながらのバリ・ヒンドゥー教を色濃く残す事に成功している。観光地化が進み、空港から近いクタ地区やサヌール地区の地主は土地を売ったりホテルを建てて財を成した。こうした成功者達がバリ島内での富裕層となった。また土地などを持たない層であっても観光業の好景気により安定した職と収入を手に入れるようになった。そこへ近代化の流れが押し寄せてきた事で、多くの人が電化製品やオートバイ等を持ち生活水準が上がった。この流れは中心街だけでなくバリの最奥地にまで広まった。観光業によって得る利益が彼らの生活をがらりと変えてしまったのだ。そんな彼らが今、大きな問題と向き合っている。2017年11月アグン山噴火、自然災害だ。ングラ・ライ空港は3日間閉鎖され多くの観光客がバリ訪問をキャンセル。その後、噴火は落ち着き観光客を少しでも取り戻そうと政府が安全宣言をしたものの、2018年1月11日再噴火。現在でも旅行を中止する人が後を絶たず、その被害額は9兆ルピア(日本円で約900億円)とも言われている。観光業に依存した彼らの収入はバンジャールへの寄付金額と比例するので、不景気による収入減が伝統的な冠婚葬礼時に影響を及ぼすのは間違いない。現在のバリ・ヒンドゥー様式を次世代に残していく為にも、一日も早く観光業を立ち直す事が急務となっている。
Ⅶ:今後の課題
地上の最後の楽園と謳われることもあったバリ島は観光業で順調に発展、それに伴い人口も増加した。リゾートホテルやショッピングセンターが乱立した事で労働力が必要となり、最も近いジャワ島からの移住者、つまりイスラム教徒の増加によるトラブルを危惧している。憲法上平等な権利が保障されていても、異なる宗教が近い距離で生活するとなれば摩擦が生じる事は想像に難くない。例えばバリ・ヒンドゥーは多神教なので一年を通して沢山の祭礼が存在する。鉄の神様の祭礼では家事に使用する調理器具や自家用車などの金属製品を祀り、バリ・ヒンドゥーの大晦日にあたるオゴオゴ[資料5]では街中を通行禁止にした宴となる。当然これら祭礼ではガムランを奏で陽気に酒を振る舞うのだが、そんな時に唯一神を崇め飲酒を禁じられているイスラム教徒達はどんな心情だろうか。ここまでは大きな事件に発展していないので今後も平和である事を祈るばかりだ。他にも旅行客の増加によって発生した処理しきれない程の廃棄物と交通渋滞も問題になっている。自然環境へダメージを与えているこれらの問題は、沐浴に使用する水の汚染や整備が間に合っていない廃棄場近くで育てられる畜産牛などを生み出しており、最も重要なバリに住む人達の健康被害が心配されている。
参考文献
イ・ワヤン・バドリカ著『インドネシアの歴史』明石書店、2008年
吉田禎吾著『バリ島民』弘文堂、1994年