とやまの土人形——つなげる——

大森 國督

はじめに
とやまの土人形は、江戸時代に富山藩の千歳御殿で作られる陶磁器づくりから派生したといわれる。明治以降になると文化の西洋化や生活様式の変化、そしてブリキ材などの新たな素材の普及により需要は減少した。近年になると、とやまの土人形の作家の高齢化もあって、生業としている作家は1人となった。そのとき富山市は土人形づくりの受講生を募り、生まれたのが「とやま土人形伝承会」である。その「伝承会」は、残った1名の作家から製法を継承しながらも新しいデザインの土人形を作りつつ、後継者の育成をはかっている。本稿では「伝承会」の活動をもとに、とやまの土人形の継承の活動について考察する。

1.基本データと歴史的背景
(1)土人形の歴史
土人形の源流を確認するために人形の歴史をたどる。縄文時代では人をかたちどった土偶、そして埴輪も作られた(註1)。時代が下ると、木・わら・紙などで人の形に模したヒトガタを作って自らのけがれを移して、海や川に流すことで厄払いする風習となる。そして、愛玩的な要素を取り入れながら人形というものが18世紀中頃に確立した(註2)。一方、平安王朝のころ、貴族社会での幼い女の子のあいだで「ひいなあそび」が行われていた(註3)。平穏な江戸時代になると、人形と「ひいなあそび」が融合して雛人形作られ、雛遊びが始まったといわれる(註4)。江戸時代になると富裕層である武家や公家の雛祭りは派手になっていった(註5)。江戸中期になると農民や庶民の生活は安定し、雛人形を手にするが高価な衣裳の雛人形ではなく安価なものであった。また、当時の物流機構は整っておらず他の地域から入手しずらいため、それぞれの地域で自給自足的に作られた。近くで入手できる粘土、紙やおがくずを利用した。その中で粘土で作られたのが土人形である(註6)。土人形の盛況は幕末まで続いた。しかし、幕府の崩壊とともに衰退し、明治期以降になるとブリキ材などの新しい素材の利用、人形に対する趣向も変化し、土人形は衰退した(註6)。

(2)とやまの土人形の歴史
富山での土人形の歴史は、江戸末期の嘉永年間(1848〜54年)に富山十代藩主の前田利保が尾張の陶器職人である廣瀬秀信を呼び寄せて千歳御殿に窯を築いた。秀信の子の安次郎が陶器作りの傍ら天神臥牛を作り、藩主に献上したのが「とやまの土人形」の始まりといわれる。江戸末期以降は民間信仰、縁起物、あるいは子供の玩具として数多く作られた。代表的なものとしては、学問の神様である「天神様」、桃の節句に飾られる「抱き雛」がある(註7)。また、安次郎は、明治維新で扶持を離れた軽輩の士族に土人形の製法を教え、当時は約10人の者がこれを習い生業としていた(註8)。しかし、全国と同様に土人形の需要は減少し、その中で、廣瀬家より技法を学んだ渡辺家(1870年創業)だけが家業として伝統を守り続けた。そうした中で、渡辺家の3代目信秀の後継者がいないため、富山市ではこの伝統工芸を後世に伝えるために、昭和58年(1983年)より信秀を講師として土人形づくりの受講生を募り「とやま土人形伝承会」を作った(註7)。そして、平成5年(1993年)に、市は江戸時代から伝わる富山市の民芸品であるとやま土人形を守り、その技術を後世に伝えていくため「とやま土人形工房」(資料1)を市の民俗民芸村に完成させた。この工房では、1階に展示・販売、2階には絵付け教室があり、工房では市が募集した「伝承会」の会員が技術の向上を図りながら製作活動が行われた(註9)。平成9年(1997年)になると信秀が高齢のため土人形づくりを廃業するのを機に、代々受け継がれてきた型・技法の全てを「伝承会」にゆだねた。そして「伝承会」は伝統技法による土人形の製作・販売、そして現代的なデザインの土人形の製作(資料2)、そして伝統をつなげる絵付け教室などの活動を行っている(註7)。さらには、富山県は平成25年(2013年)に県の伝統的工芸品に指定し、「伝承会」を支援している。(註10)。

2.事例のどんな点について積極的に評価しているのか
市は、とやまの土人形の継承をはかるために昭和58年(1983年)より受講生を募ったが、当時の伝承方法は「過去からの土人形作りを講師が体現するもので、詳細な説明はなく、いわば見て学ぶものでした。」と会員は述べている。現在のように伝統的な土人形が作れるのは会員の製作・継承への意欲の高さによるものといえよう。また、平成25年(2013年)に県がとやまの土人形を「ものづくりに新たな息吹を吹き込み、世界を視野に深化をつづける作り手たち」として、県の伝統的工芸品に指定している(註10)。これは、とやまの土人形を伝統工芸として評価し、それを繋げようとする取り組みである。また、県は「伝統工芸の匠」という認定制度を設けて、その中に「伝承会」の会員(24~25名)から3名が認定を受けている(註11)。認定を受けた会員は、ほかの会員に対して技術伝承を行っている。そして、「伝承会」は会員数が減少すれば公募して補充するという、つなげる仕組みができており、市・県の支援や「伝承会」の努力を評価する。
昭和58年当時の伝承者は1名であったが、現在では「伝統工芸の匠」という伝承者が3名輩出している。また、会員は当時の15名から24~25名へと増加している。こういった、減衰しかけたとやまの土人形は市・県の支援を受けながらも「伝承会」の製作意欲や伝統工芸をつなげる意識により復活していることは高く評価する。

3.国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
「伝承会」が発足した当時は、「昔からの土人形は売れず新作が売れた。」と会員は述べている。そういう経緯により、製作している作品は現代風のデザインが多い。また、日常的な生活用品もありマグネット・アクセサリー・のし袋など(資料3)も製作している。「干支は毎年製作するが、デザインは毎年変えている」と会長は述べている。そして、「伝承館」の斜め向いに市の考古資料館があるが、展示物の中には人面墨書土器 (富山市豊田大塚・中吉原遺跡出土 平安時代)、土偶(長岡八町遺跡出 縄文時代)、土偶(鏡坂Ⅰ遺跡出土 縄文時代)の3点が含まれている。この3点へのニックネームを公募したところ「バン爺」、「ハッチー」、「カガミィ」という名前が付けられた(註12)。これをきっかけに「伝承会」が「バン爺」などを土人形化している(資料4)。人形は縄文時代に土偶として作ったが、当時の土偶をモチーフに現代の土人形として復活させている。これは、土と人とのつながりを再認識させるユニークな活動といえるであろう。さらには、年賀用の切手に、とやまの土人形が採用されている(註13)。 また、イタリア・ミラノトリエンナーレなど海外の美術展に参加している(註14)。これらのように、とやまの土人形は富山以外にも知名度を有するようになっている。また、生活用品というジャンルにも拡大していることは、現代的な活動と特筆できる。

4.今後の展望について
土人形は今では伝統工芸品の位置付けが高いが、もともとは民間信仰、縁起物、あるいは玩具といった市民の生活に密着したものである。しかし、時代が変われば姿形は変化するものである。たとえば、同じ天神様というモチーフで作った作品の今と昔を見比べると、大正8年(1919年)の型から作ったものと現在の型から作ったもの(資料5②③)とでは、デザインや絵付けが現代風になっている。いわば、土人形は時代性を表す側面性があるといえる。こういう比較ができるのは、とやまの土人形が継承しているからである。「伝承会」の会長に今後の展望を伺ったところ「つなげることが重要で、新しい人につなげたい」と述べている。とやまの土人形は市民の生活・文化に寄り添ったものであり、それをつなげることで市民の伝統文化をつなげることができる。今後も市民に寄り添った作品作りが続くことを期待する。

5.まとめ
土を使って人を表す歴史は縄文時代から続いている。とやまの土人形は江戸末期の盛期と異なり、生活様式などが変化し、個人で製造・販売をすることは困難な時代といえる。しかし、とやまの土人形の歴史は100年以上経過し、伝統工芸品という付加価値が高くなっていることから市・県からの支援がある。土人形は市民の民間信仰・縁起物・玩具という目的で作られてきたが、時代性を表現している側面がある。そうしたことから、とやまの土人形は市民の歴史をつなげる文化資産といえよう。

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参考文献

(註1) 俵有作『日本の土人形』文化出版局 1978年 106~107頁
(註2) 是澤博昭『ものと人間の文化史 人形』法政大学出版局 2026年 46頁
(註3) 斎藤良輔『ひな人形』法政大学出版局 1975年 55頁
(註4) 同上 70~71頁
(註5) 是澤博昭『日本の雛人形』淡交社 95頁
(註6) 足立孔『全国郷土人形図鑑』光芸出版 1982年 21~24頁
(註7) 富山市民俗民芸村H.P.
https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/minzokumingei/tuti/tuti.html (2026年5月19日閲覧)
(註8) 定塚武敏『越中の焼きもの』富山文庫 1978年 180頁
(註9) 富山市『富山市史 編年史 上巻』富山市 2015年 729頁
(註10) 富山県H.P.富山県商工労働部
https://www.pref.toyama.jp/130002/miryokukankou/bunka/geijutsu/kj00018425.html
「とやまの伝統工芸 11の誇り」2024年 3頁 (2026年6月20日閲覧)
 指定要件の5項目が記されている。
  (1)用途が主として日常生活の用に供されるもの。
  (2)製造工程は主要部分が手工業的であること。
  (3)技術・技法は伝統的な(概ね100年以上の歴史を有する)技術技法により製造されるもの。
  (4)原材料は伝統的に使用されてきた原材料で製造されるもの。
  (5)製造規模は一定の地域において一定の数(原則5人以上)の者がその製造を行い、地域の特色を活かした伝統的な技術技法の継承が見込まれること
(註11) 富山県H.P.
https://www.pref.toyama.jp/documents/43018/gaiyou.pdf (2026年7月13日閲覧)
   「伝統工芸「匠の技術」承継支援事業の概要」
(註12) 富山市民俗民芸村H.P.
https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/minzokumingei/kouko_banji.html(2026年7月12日閲覧)
(註13) 日本郵便H.P. 平成19年用の年賀はがき及び年賀切手の発行
https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/hagaki/nenga_hakko/2007/hakko.html(2026年7月12日閲覧)
日本郵便H.P. 平成30年用年賀郵便切手
https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2017/h291101_t.html(2026年7月12日閲覧)
(註14) 富山県H.P.「県広報とやま」2019年1月号 NO.484
https://www.pref.toyama.jp/1021/kensei/kouhou/kouhoushi/kj00016456/2019/kj00016456-012-01/index.html(2026年7月13日閲覧)

取材について
日時:2026年7月8日 10:00~11:30
場所:富山土人形工房(富山県富山市安養坊1118-1)
対応:とやま土人形伝承会 会長 針山裕子および会員
  土人形の製作・販売のご多忙の中、対応していただき感謝申し上げます。 

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