北海道の木彫りの熊

白樫 佳苗

はじめに

かつて多くの家庭の床の間やブラウン管テレビの上に鎮座していた、木彫りの熊。長らく「北海道土産」の代名詞であったが、近年は住宅事情の変化から姿を消しつつある一方、その存在を再評価する動きもみられる。本稿は、その歴史的背景を辿りつつ、単なる土産品を超え北海道のアイコン的存在となった「木彫りの熊」の文化的価値について考察するものである。

1.木彫りの熊の歴史

木彫りの熊はアイヌ伝統工芸品と捉えられがちだが、実際には大正後期以降に作られ始めた。発祥には2説あり、ひとつは北海道南部の八雲町、もうひとつは旭川市近文のアイヌを起源とするものである。

1-1. 八雲系
八雲で農場を経営した尾張徳川家当主・徳川義親は、1921年の欧州旅行で見た豊かな農民生活に学ぶべく、農閑期の副業として木彫制作を奨励した。スイス土産の木彫り熊を手本にした最初の作品は、第1回農村美術工芸品評会(1924年)に伊藤政雄作品として出品[図1]、1928年には八雲農民美術研究会が結成され、農場内で熊を飼育し技術を磨くなど、木彫りの熊は八雲を代表するペザントアート[1] とされた。その背景には義親と先住アイヌとの友好的関係があり、熊狩りや熊送り[2]を共にした経験から、熊をアイヌと開拓者双方を結ぶ象徴的存在と考えたのであろう[3]。制作された作品を尾張徳川家が実費購入し、宮家献上品や贈答品とするなど、義親自ら木彫りの熊の普及に努めた[4]。

1-2. 旭川系
旭川市近文のアイヌによる木彫りの熊は、1926年にアイヌ熊漁師の松井梅太郎が、熊との格闘経験を契機に彫ったという逸話が知られる。これを契機に若者たちが熊彫りを始め、第七師団の置かれた旭川のアイヌ細工店・佐々木豊栄堂を通じて軍人への土産として流通した[5]。古来よりアイヌには生物を具象化した偶像制作への忌避意識が強く、熊意匠も祭具に限られたため、古老たちは熊を彫る若者を訝しんだというが、大正〜昭和初期の民族解放運動からも旧習に捉われない新世代の存在が窺える。また、旧土人保護法に基づく行政機関によるアイヌ細工の買上げといった授産制度や、市が招いた東京美術学校講師による技術指導等の行政的支援も制作を後押しした[6]。

1-3. 戦前・戦後の北海道観光ブーム
和人・アイヌ双方により技術が培われる中[7]、昭和初期・戦後の2回にわたり北海道観光ブームが訪れた。戦前は国立公園制定を背景に観光地として注目され、アイヌ地返還運動も伴いアイヌ土産品への関心が高まり、旭川アイヌによる観光地での熊彫り実演は「木彫り熊は、アイヌ」というイメージを定着させた[8]。戦後は交通網発達により国内旅行が大衆化、木彫りの熊は人気土産品となった。この流通を支えたのが「チッキ」と呼ばれる国鉄の荷物輸送制度である。乗車券提示により荷物輸送を依頼できるこのサービスは、重くかさばる熊の大量輸送を可能とし、普及を後押しした[9]。一方、需要増大による機械化やアルバイトを使った大量生産は低質化やデザインの画一化を招いた。この頃から定番化したのが「鮭くわえ熊」である。昭和末期には観光の性質変化から、菓子や食品に土産品の座を奪われ急速に衰退した。

2.木彫りの熊とは[図2]

2-1. 素材と彫法
材料となる木は、軽く柔らかいシナノキのほか、セン、クルミ等を用いる。八雲ではノミや彫刻刀、旭川ではマキリ(小刀)等を使って木塊から熊を彫り出した[10]。彫法は大きく「毛彫り」と「面彫り」に分けられ、前者は熊の毛並みを1本1本表現した繊細さと美しさに特徴があり、研究会を指導した日本画家・十倉金之の写実表現の影響が考えられる。後者は文字通りカットした「面」による抽象表現で、八雲の木彫作家・柴崎重行が確立した。

2-2. 種類
形式は、這熊、吠熊、親子熊、壁掛け用の頭部レリーフなど実に多様で、大きく「八雲系」と「旭川系」に分かれる。八雲系は、飼われた熊を参考にしたことから、丸みを帯びた身体に穏やかな表情、擬人化といった愛らしさがみられる一方、面彫りのような抽象的作品も存在する。一方の旭川系は、アイヌが抱く熊への畏敬の念もあり、より荒々しく野生的な傾向にある。定番となった「鮭くわえ熊」の発祥は定かではないが、主に旭川系にみられることから、熊を身近に捉えたアイヌの観察眼による写実性が、北海道の野生を表す「型」としての定着を促したと考えられる。

3.伝統木工芸品との比較

木彫りの熊と同様、農閑期の副業として成立し土産品化した木工芸に、アイヌの木彫技法にルーツをもつ[11]笹野一刀彫による木彫玩具「お鷹ぽっぽ」がある[図3]。9世紀頃から山形県米沢市笹野地区に伝わる笹野彫は、笹野観音信仰との関わりが深く「笹野花」といったモチーフに始まった。コシアブラ等の木をサルキリという独特の刀で彫り、削りかけを施し彩色して仕上げるもので、お鷹ぽっぽは江戸時代に米沢藩主・上杉鷹山による産業奨励を背景に信仰玩具(魔除け)として作られ継承されてきた。
木彫りの熊も同じく領主の奨励政策によるペザントアートに始まるが、欧州由来の写実的彫刻を起点としつつもアイヌと和人の関係、開拓史、観光ブーム等の背景によりその意味やデザインが変容してきた。北海道の野生を象徴する「型」として「鮭くわえ熊」が定着したことはその好例と言える。こうした歴史的文脈による再解釈という点に木彫りの熊の特異性が見出される。

4.木彫りの熊の評価

4-1. 北海道のアイコン
さまざまな土産品の中で、「木彫りの熊」は突出して人々の記憶に残る存在のようである。その理由として、大きく重厚な存在感に加え、海外旅行が一般的でない時代に「北海道旅行」がステイタスを感じる体験であったことが推測される。中でも、かつて蝦夷地と呼ばれた未知の大地と、農耕文化とは異なる狩猟採集文化のアイヌというエキゾチシズムとぴったり合致したのが鮭をくわえた熊であった[12]。こうした野生豊かな北海道のアイコンとして、今でも土産コーナーには「鮭くわえ熊」を模した多くのグッズ[図4]が並び、人気を博している。

4-2. 再評価の流れ
1990年代以降、道内博物館の企画展や八雲町木彫り熊資料館の開館を通して木彫りの熊を歴史資料として捉える試み[13]や、アート作品として注目する動き[14]SNSを中心に若年層にも広がっている。ここでは画一的デザインではなく、作家性や個体差に価値が見出されている。

5.木彫りの熊のこれから

5-1. 土産品として
北海道のアイコンとしての抜群の知名度は、商品展開上大きな利点と言える。一方で、キャラクター化だけでなく、本来の木彫りの姿を残すことは課題であろう。

5-2. 芸術作品として
需要増大期には熊彫り新規参入者やアルバイト等により作られ作家性が薄い傾向にあり、当時の職人で「流行りものに飛びついて恥ずかしいことをした」と誇りを持てず辞めた人もいるという[15]。八雲系は八雲ブランドを示す焼印が押されたが、旭川系は彫り人知らずとなっている熊も多い。
近年は作家性にも注目されており、八雲の熊彫作家・小熊秀雄による輪島蒔絵とのコラボレーション[図5]など、新たな担い手や試みが広がっていくことが期待される。

5-3.文化財として
八雲町においては、木彫り熊講座や民間イベント開催など街おこしへと繋がっている点が評価される。しかし、発祥地での街おこしや民間の自然発生的なブームにとどまらず、2024年に生誕100周年を迎えたいま、木彫りの熊を北海道独自の歴史的文脈が生んだ「北海道の文化財」と捉える博物館や行政による視点が望まれる。

おわりに

木彫りの熊は、昭和期に多くの家庭に浸透し平成期に「いやげもの[16]」と揶揄された過去も含め、「北海道のアイコン」として身近に親しまれてきた。令和に入りSNS等を通じて再注目される背景には、木彫りのあたたかみや熊という動物の魅力もあるだろう。本稿でみてきたように木彫りの熊は、単に過去の人気土産品ではなく、歴史的文脈による再解釈を経て現在に至っている。近年は熊による被害が世間を騒がせているが、そうした野生との共存を考える契機になり得るかもしれない。こうした視点からも北海道文化を象徴する存在として、木彫りの熊はこれからも注目すべき文化資産であると考える。

  • 81191_011_32183493_1_1_木彫り熊 木彫りの熊(2025年5月21日 筆者撮影、八雲町木彫り熊資料館にて)
  • 470031_1 図1(筆者作成)
  • 470031_2 図2(筆者作成)
  • 470031_3 図3(筆者作成)
  • 81191_011_32183493_1_5_図4 図4(筆者作成)
  • 81191_011_32183493_1_6_図5 図5(筆者作成)

参考文献

註1:ヨーロッパの農民が自分たちのために作った日用品を起源とする工芸品。農民美術。
註2:アイヌの世界観で最高位の神様とされる熊の魂を天界へと送る儀式。イオマンテとも呼ばれる。
註3:大谷茂之「八雲における木彫り熊の歴史」、『熊彫 義親さんと木彫りの熊』上原敏 編、凹プレス、2017年、15ページ。
註4:香山里絵「徳川義親と木彫りの熊」、『熊彫 義親さんと木彫りの熊』上原敏 編、凹プレス、11ページ。
註5:金倉義慧『旭川・アイヌ民族の近現代史』、高文研、2006年、407-408ページ。
註6:「木彫り熊」研究会 編『北海道の木工芸の起源と現状と未来 木彫り熊のルーツを追って』、「木彫り熊」研究会、2005年、 p51-53ページ。
註7:1927年には八雲の柴崎重行が自らの熊彫の評価を求め旭川近文を訪れた際、近文アイヌ側の強い希望により柴崎の作品数点が渡ったという。(『開講!木彫り熊概論 歴史と文化を旅する』、北海道大学大学院文学院文化多様性論講座博物館学研究室 編、文学通信、2024年、50ページ)また、1928年頃の旭川では八雲の木彫り熊ばかりが売られていたが、1931年頃からアイヌの木彫り熊が店先に並び始めたという聞き取り調査の記録がある(大谷茂之「八雲における木彫り熊の歴史」、前掲書、19ページ)ことからも、旭川アイヌの間で木彫り熊制作が盛んになっていったことが推測される。
註8:梅棹忠夫『異文化の探究 民俗学の旅・続々』、講談社、1986年、280ページ。
註9:北海道大学大学院文学院文化多様性論講座博物館学研究室 編、『開講!木彫り熊概論 歴史と文化を旅する』、文学通信、60-61ページ。
註10:山中稔『北海道 木彫り熊の考察』、かりん舎、2014年、195ページ。
註11:イナウと呼ばれるアイヌの祭具(柳などの小枝を削りかけにしたもの)を作る技法が用いられている。ちなみに「ぽっぽ」はアイヌ語で「玩具」の意。
註12:浅川泰(元北海道立近代美術館学芸部長)は、木彫り熊が売れた理由について「北海道の野性の象徴としての木彫り熊があって、熊を獲ってきたぞ、つまり北の自然を地元に持ち帰ってきたんだぞというイメージがあったのではないか」と言う。(北海道大学大学院文学院文化多様性論講座博物館学研究室 編、前掲書、173ページ。)
註13:1999年、旭川と八雲での「木彫り熊・源流展」開催を皮切りに道内博物館を中心に木彫りの熊を芸術作品や歴史資料として展示する試みが始まり、2014年には八雲町木彫り熊資料館が開館したほか、白老の飛生芸術祭や札幌国際芸術祭で取り上げられるなどの動きもみられた。木彫りの熊は、まだ多くの人が自分の生活とともに思い出す存在であり、観覧者が北海道の歴史に当事者意識を持つ契機になるのだという。(北海道大学大学院文学院文化多様性論講座博物館学研究室 編、前掲書、174ページ。)
註14:2019年には「東京903会」による木彫りの熊の歴史をまとめた『熊彫図鑑』が刊行、東京のホテルCLASKAで展示&販売会が行われるなど。(「CASA BRUTUS」No.261、マガジンハウス、2022年、47ページ。)
註15:北海道大学大学院文学院文化多様性論講座博物館学研究室 編、前掲書、143ページ。
註16:貰っても嬉しくない土産物のこと。悪趣味な置物やキーホルダーなど。みうらじゅんによる造語。(実用日本語表現辞典より)

<参考文献>
・石島忍『旭川の木彫り熊の話し』、北海道木彫工芸協会、1981年。
・前正七生「「近代」アイヌ史における文化創出と教育に関する考察—北海道八雲町の農村美術運動における“ペザントアート”を中心に」、『教育研究 : 青山学院大学教育学会紀要』通号42、1998年、1-12ページ。
・山崎幸治『もっと知りたい アイヌの美術』、東京美術、2022年。
・鈴木勇一郎『おみやげと鉄道 「名物」が語る日本近代史』、講談社、2025年。
・八雲町郷土資料館ブログ https://www.town.yakumo.lg.jp/soshiki/kyoudo/(2025/08/18閲覧)
・YouTube「八雲木彫り熊チャンネル」 https://www.youtube.com/@YakumoTownMuseum(2025/08/10閲覧)
・東京903会ホームページ http://precog-studio.com/東京903会/(2025/08/24閲覧)
・北方民族博物館だより第38号(2000年7月12日発行)、北海道立北方民族博物館 https://www.hoppohm.org/book/dayori/dayori37-48/dayori_038.pdf(2026/01/20閲覧)
・山形県ふるさと工芸館ホームページ|木工品 笹野彫 https://yamagata-furusato-kougei.jp/detail/05-07.html(2026/01/22閲覧)
・米沢観光Navi|おみやげ・伝統工芸 https://travelyonezawa.com/about/souvenirs/(2026/01/29閲覧)
・関根由子・佐々木千雅子・ 指田京子『47都道府県伝統工芸百科』、丸善出版、2021年。
・日本人形玩具学会編『日本人形玩具大辞典』、東京堂出版、2019年。
・西沢笛畝『日本郷土玩具事典』、岩崎美術社、1983年。

年月と地域
タグ: