遠き地で継承される地方巡礼 ―東葛印旛大師巡拝にみる信仰と非日常性―

宮本 実枝

はじめに

千葉県北部では四国八十八ヶ所巡礼を模した、地方巡礼・新四国巡礼と称される東葛印旛大師巡拝が毎年5月に四つの市(柏・白井・鎌ケ谷・松戸)にまたがり行われており、80kmの行程を集団で白装束の人々が歩く姿は200年続く初夏の風物となっている。信仰だけではない人々の思いをのせ、長きに行われてきた先達らの工夫と熱意による行事を考察していくことにする。

1 基本データーと歴史的背景

(1)四国巡礼と新四国巡礼

四国巡礼は室町時代に始まり、弘法大師信仰による修行僧の修行の場となるが、江戸時代には、信仰・懺悔・病気平癒・供養・代参などの動機を得て庶民も赴くようになる。他方で地方巡礼とも呼ばれる新四国巡礼は移し霊場を集団で巡拝するところに特徴がみられ、江戸中期の旅の発達に伴い、経済的・地理的など様々な事情で旅に行けぬ人々の要望ともに日本全国に広まっていく。

(2)千葉に移植された集団巡礼

房総半島(千葉県)では大師一千回忌(1834年)前にして1804年より始まる。盛んになった理由として史資料では「日蓮宗・真言宗の盛んな地域であり近世末期の不安な心情や治安悪化、何かにすがりたい意識を人々にもたらした。」とある。註(1) 同行二人で巡ることで心の平定を切望し、信仰を深めていったのではないだろうか。しだいに四国の聖地巡礼とは異なり、ムラを基盤とした共同体を維持する巡礼になった。
平成元年時には、40ほど確認されていた霊場巡りが衰退・廃絶されているなかで、残された集団巡礼を東葛印旛大師巡拝という。(正式名称、以下 東葛印旛大師講と略す)別名、大師を背負って巡礼することから「送り大師」とも言われるが、農閑期の5月1日~5日の5日間、泊り・昼食(ちゅうじき)の接待を受けながら八十八ヶ所の寺・神社・お堂を巡るのである。1807年に始まった広域の巡礼は札所変更、明治の神仏分離令での改編が行われながら現在に至っている。註(2) 集団的・期間限定・身分制・ムラを基盤とした縛りを有しながらも、苦行ではなく年1回の熱狂性のある祭りの要素を含んでいたのである。

2 仕掛けられた非日常的デザインの評価

江戸期の禁令・明治の神仏分離・太平洋戦争を経てもなお、長きにわたり続けられた行
事には魅力的な非日常的イベントが用意されていた。タテマエとしては弘法大師への信仰心と亡き人への弔いが含まれていたことは否定できないが、小嶋博己は論文で「近世中期の関東農村の荒廃もあり村を超える村連合を必要とし巡礼という形で実現していった。」と述べる。註(3) 共同体を強固にするために信仰を利用したのである。しかしながら、その一途な信仰心だけで200年続いたとは考えにくい。筆者の芸術教養演習2のレポートで先述したように 、註(4) その理由として①鎌ケ谷市には「おしゃらく踊り」という無形文化財指定の伝統芸能が継承されているが、派手な着物を着た女性が巡礼の昼食時に踊ったとされる。その祭り的な面は苦行でないことを表しており、現在は保存会が披露している。註(5) ②他地域の親睦をかねており、集団お見合いとしての企画が組み込まれていた。註(6) ➂農民の農耕情報交換の場でもあった。註(7) 小嶋博巳は「大師まわりの行楽的要素は否定できない。社会不安に呼応して出現したハレの場であった。」とも述べている。註(8)
さらに、信仰と娯楽以外にも、巡礼を維持していた地理的な要因がある。四つの市では、江戸と水戸・銚子を貫く木下(きおろし)街道と鮮(なま)街道により宿場が栄えており、物資・文化・情報が行きかう中で小旅行を後押しする素地があった。叶わぬ旅の代替えとして、非日常の巡礼が切望されたと考えられる。ホンネでは街道をバックボーンに情報を交換し、年一度の人生をかけた仕掛けを有することで村と巡礼の両者を存続させてきたのである。註(9)

3 他事例との比較で特筆される点

現在、日本各地にあった新四国・地方巡礼は衰退の一途をたどっている。その中で、熊本市の托麻新四国八十八ヶ所(以下、宅麻新四国と略す)は市合併などにより一度断絶しているが、平成二十四年に有志により復活した。 他では見られない特徴として札所開設以来、各個人所有物として子孫が維持しており、高齢化と土地開発による転居も巡礼存続を難しくさせた。現在は、新たな実行委員会が中心となり、ハイキング的史跡巡り、ウォーキング・ランニング巡礼、小学校授業での巡礼イベントが開催されている。子供から大人まで参加でき、自由な服装で信仰から楽しむ巡礼へと形をかえた事例である。註(10)
一方で、同じ信仰を元にする地方巡礼でありながら、東葛印旛講は中断することなく異なる宗派が広域で維持している点に相違が見られる。特筆すべきは、広域4市45地区が一つの集団であり、且つ地区の互助関係が創設時より維持されているところである。(当番地区は20年毎に一巡する輪番制) 5月の巡礼が終わると月末には、次の担当寺で「お籠り(おこもり)」と言われる集会が、月1回翌年4月まで行われる。行事の構成員は、お寺・日本仏教界・大師組合・地区の世話役・講員らで複層をなしている。托麻新四国と同様に構成員の高齢化は進んでいるが、組合では、ボランティア・巡礼参加者を公式ホームページで随時募集し、巡礼当日の詳細な寺発着時間やバス巡礼(希望者)の手配についても掲載する。世話役・講員はポスターを寺・お堂・歴史資料館他に掲示し、結願の稚児募集は担当寺が行うことで、各々が役割を分担し一年かけて巡礼が準備される。托麻新四国とは対照的にかつてのような娯楽的な催しはなくなり、白装束に身を包み互助を保ちながら、四国遍路信仰の本来の姿へ移りかわっている。

4 問題点と今後の展望

2025年に行われた東葛印旛大師講が、前年と大きく異なった点は、当番寺の福満寺住職の強い意向によりコロナ禍前同様に原則徒歩での巡礼が復活した。しかしながら高齢化による車での巡礼者が目立っていた。現在の問題点として、筆者の芸術教養演習2レポートでも述べたように、註(11) 檀家も他地域に転居しており講員だけでの維持継承は時代にそぐわなくなっていると考えられる。巡礼者を外部から募る対策として巡礼動画・写真を配信しているが かつての農閑期は現在ではゴールデンウィークと重なり、結願の稚児参加はあるものの、家族のレジャーとしての参加とまではいかないのが現状である。しかし、祭り的な要素は薄らいでいるにもかかわらず、連日100名前後の人々が歩き続ける姿は、寺とムラを基盤とした地域のつながりと信仰が、長い時間をかけながら強固になっていることの証でもある。子供の巡礼者がいない宗教行事の継承と高齢化は喫緊の課題である。小川直之は寄稿で、外部継承の取り組み方として「新後継者育成・ボランティア・企業団体による継承」をあげている。註(12) 先達らのように人々を行事へと呼び込むには、ムラと宗派を超えた子供から大人まで参加・継承育成できる、托麻新四国のようなイベントが渇望される。かつて広域連帯性を維持するために娯楽的要素を受けいれたように、外部の人々を受け入れる度量と魅力的な遊戯を提案することが、次世代へと紡ぐために必要だと考える。

5 まとめ

遊興的であった東葛印旛大師講はすでに聖跡巡礼へと回帰している。福満寺住職の結願のスピーチでは、「伝統行事をこの先も継承しなければならない。」と力強く発信していた。註(13) 200年の行事を継承する講員の誇りと信仰への敬意には揺るぎがないことが伝わってくる。講を率いる人たちに寄り添い、先達らが集団で織りなしてきた互助の仕掛けを引き継ぐと共に、老若男女が気軽に参加できる巡礼の在り方が求められている。外部の人材を積極的に受け入れ、広く人々の関心を惹きつけることが、この先の継承には必要である。時間をかけて連帯性を強くしてきたように、ムラの垣根を越えゆっくり外部へと門戸を広げることで、巡礼の新たな形態の可能性を生み出し、さらに活力と熱気を帯びることにより、遠き地に残された巡礼の衰微を緩やかに回避できるのではないだろうか。

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  • 出典
    企画展「東葛印旛大師講」1989年10月7日~29日
    鎌ヶ谷郷土資料館発行パンフレット 昭和33年度版順路手引き
    (非掲載)
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参考文献

註(1)(2)企画展「東葛印旛大師講」1989年10月7日∼29日 
鎌ケ谷郷土資料館発行パンフレット
創設時巡礼地域は現在の八千代・船橋・市川・松戸・柏・沼南

註(3)小嶋博巳「利根川下流域の新四国巡礼-いわゆる地方巡礼の理解に向けて-」
p.150-p.151
    『成城文芸』成城大学、p128-p164、1985年。
    http://www.seijo.ac.jp (閲覧日2025年4月15日)

註(4)筆者 芸術教養演習2レポート「東葛印旛大師巡拝にみる信仰とイベントデザイン」 
2025年春期   

註 (5)鎌ケ谷郷土資料館 館内パンフレット「おしゃらく踊り」
    昭和57年おしゃらく踊り保存会発足、昭和61年市指定無形民俗文化財制定
    写真別添

註(6)小嶋博巳「利根川下流域の新四国巡礼-いわゆる地方巡礼の理解に向けて-」p.147
   『成城文芸』成城大学、p128-p164、1985年。
    http://www.seijo.ac.jp (閲覧日2025年4月15日)

註(7)小嶋博巳「常総地方の大師まわり-成田組十善講事例報告-」p.31
    『常民文化(2)』成城大学、p.25-p.42、1978年。
    http://seijo.nii.ac.jp (閲覧日2025年4月18日)
 
註(8)小嶋博巳「利根川下流域の新四国巡礼-いわゆる地方巡礼の理解に向けて-」p.151
   『成城文芸』成城大学、p128-p164、1985年。
    http://www.seijo.ac.jp (閲覧日2025年4月15日)

註(9)「木下街道展」パンフレット 平成11年3月13日~5月9日 於 三橋記念館

註(10)熊本県熊本市公式ホームページ https://www.city.kumamoto.jp>kiji00321624
    宅麻三山周辺を巡る宅麻新四国八十八ヶ所は大正15年に有志により開設

註(11)(12) 東葛印旛大師組合 鈴木清之氏
(男性、電話による聞き取り実施2025年4月1日) 内容別添

註 (13)筆者 芸術教養演習2レポート「東葛印旛大師巡拝にみる信仰とイベントデザイン」 
2025年春期 

註(14)小川直之「民俗芸能を継承する各地の取り組み」
    文化世界の世界 http://www.isan-no-sekai・jp>report (閲覧日2025年2月9日)

註(15)結願見学 (於 福満寺 2025年5月5月) 写真別添



頼富本広『四国遍路とは何か』角川学芸出版、平成21年。
野村朋弘『伝統文化』淡交社、平成30年。
神崎宣武『江戸の旅文化』岩波書店、2004年。
鎌ヶ谷市教育委員会 編『鎌ケ谷市史 資料編V(民族)』鎌ケ谷市、平成5年。
鎌ヶ谷市郷土資料館 編『鎌ヶ谷市史研究 第21号』鎌ケ谷市教育委員会、平成20年。
鎌ヶ谷市教育委員会 編『鎌ケ谷市史 別巻』鎌ケ谷市、平成15年。
東葛印旛大師巡拝公式ホームページ http://sites.google.com>site>takatsinbadaishi  
                           (閲覧日2025年2月16日)

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