
現代における剣舞の存在意義
1.はじめに
剣舞は、日本の伝統芸能の一つでありながら、能や歌舞伎と比べるとその認知度は決して高くない。これは、剣舞の歴史的背景や表現の特性、さらには現代社会における位置づけが影響している。しかし、認知度が低いことは必ずしも不利な要素ではなく、むしろ剣舞独自の価値を見出し、新たな発展の可能性を模索する契機ともなり得る。本稿では、剣舞の存在意義を他の伝統芸能と比較しながら考察する。剣舞に関する先行研究は極めて少なく、特に他の伝統芸能との比較を論じたものはほとんど見当たらないため(※1)、本考察は独自の視点に基づくものである。
なお、筆者は日本刀への興味をきっかけに、2016年頃から剣舞の世界に足を踏み入れ、継続的に稽古を積んできた。その経験を通じて、剣舞の存在意義を改めて整理し、考察したいと考えたことが、本テーマを選んだ理由である。
2.剣舞の歴史的背景
「剣舞(けんぶ)」は、武士の文化を背景に持つ日本の伝統芸能であり、刀や扇を用い、漢詩などの詩吟に合わせて舞う舞台芸術である。刀を使わず扇のみを用いるものは「詩舞(しぶ)」、詩吟の要素をより強調したものは「吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)」と呼ばれる。類似した芸能として、神楽の一種である「剣舞(けんまい)」や、岩手県北上市周辺に伝わる「剣舞(けんばい)」があるが、これらは「剣舞(けんぶ)」とは異なる歴史を持つ(※2)。
現代の剣舞の原型は、明治維新後に榊原健吉(1830-1894)が主宰した「撃剣会社」にあるとされる。榊原は、生活に困窮する旧武士を救済するため、相撲興行を参考に「撃剣興行(剣術の試合を見世物とする興行)」を考案した(※3)。その後、日比野雷風(1864-1926)が剣舞を「神刀流」として体系化し(※4)、現在では100以上の流派が存在するとされる。
3.剣舞の認知度が低い理由(能や歌舞伎との比較)
■大衆文化としての発展がなかった
能や歌舞伎は、専門の職業集団(能楽師、歌舞伎役者)によって継承され、大衆文化として発展してきた。一方、剣舞は、撃剣興行から始まったとはいえ、武士の教養や精神修養の一環として行われていたため、娯楽的な要素が少なく、一般層への広がりが弱かった。さらに、明治維新以降に成立したため、能や歌舞伎と比べて歴史が浅い。
■視覚的な派手さやドラマ性の不足
剣舞は、詩吟の内容に沿った象徴的な動きが主体であり、能や歌舞伎のような華やかな衣装や舞台装置、大掛かりな演出がない。そのため、視覚的なインパクトが弱く、観客の関心を引きにくい。
■支援体制の不足
能や歌舞伎は国家から伝統芸能として支援を受け、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている。しかし、剣舞は制度的な保護が不十分で、公的支援が少ないため、認知度向上の基盤が弱い。
■詩吟との結びつきによる敷居の高さ
剣舞は詩吟と深く結びついており、その理解なしに楽しむことが難しい。詩吟自体の認知度も低く、特に若年層の関心を引きにくいという課題がある。
4.剣舞と他の芸術との違い
剣舞の認知度が低い理由をより明確にするため、他の芸術と比較を行う(資料1参照)。
一般的に、芸術は文芸(言語芸術)、美術(造形芸術)、音楽(音響芸術)、演劇・映画(総合芸術)などに分類される。剣舞は、漢詩(言語芸術)、日本刀や衣装(造形芸術)、詩吟(音響芸術)、身体の動き(舞踊要素)を含む総合芸術であり、特に舞台芸術に属する。
日本の舞台芸術の歴史を振り返ると、中国大陸から伝わった「散楽」を起源とする能、念仏踊りや寸劇を基に発展した歌舞伎、歌舞伎から派生した日本舞踊や殺陣など、各芸術が互いに影響を受けながら進化してきたことがわかる。しかし、剣舞はこれらとは異なり、武士を起源とする舞台芸術である点が大きく異なり、日本刀を扱うことから武士道精神と深く結びついている点が最大の特徴である(※5)。
また、目的においても他の芸術と異なる。剣舞は自己修養や教養としての側面が強く、主に「自己」に向いている。一方、能や歌舞伎、日本舞踊、殺陣などは、主に「観客」に向けた演劇性や娯楽性を持つ。言い換えれば、剣舞が「芸術」(自己表現)に重点を置くのに対し、他の舞台芸術は「芸能」(観客を楽しませること)を重視しているといえる。もちろん、能や歌舞伎も芸術性を持ち、剣舞にも娯楽性はあるため、この違いは絶対的なものではない。しかし、剣舞が観客よりも自己修養を優先する傾向にあることは、認知度の低さとも関係していると考えられる。
さらに、西洋の舞台芸術と比較すると、日本の舞台芸術は精神性や象徴性を重視し、歴史的な題材を扱うことが多い(剣舞、能、歌舞伎、殺陣など)。一方、西洋の舞台芸術は個人の感情や成長がテーマとなることが多く、恋愛や人間ドラマ(オペラ・演劇など)、さらには社会問題を扱う現代劇やミュージカルなどが発展している。
5.剣舞が持つ独自の存在意義
これまでの考察から、剣舞は他の舞台芸術と比べ、以下のような独自の価値を持つと整理できる。剣舞は武士道精神の継承と精神修養を目的とした、日本刀を扱う日本独自の舞台芸術である。そして、他の伝統芸能が大衆向けに発展したのに対し、剣舞は武士の自己鍛錬の一環として生まれたため、観客を楽しませることよりも精神性や象徴性を重視している点が特徴である。このように、剣舞は単なる娯楽ではなく、武士の精神と文化を現代に伝える重要な芸術としての意義を持つ。認知度の低さは課題ではあるが、剣舞独自の価値を活かした新たな発展の可能性が模索されるべきである。
6.剣舞の未来と課題(今後の展望)
近年、剣舞を現代的な舞台芸術やパフォーマンスと融合させる試みが増えており、現代芸術として再評価される可能性を秘めている。認知度を向上させ、現代社会における存在意義を強めるためには、以下のような取り組みが必要である。
■視覚的な魅力の向上
ミュージカルや現代演劇の要素を取り入れたり、照明や映像を活用するなど、視覚的な演出の工夫することで、より幅広い観客層に訴求できる。特に、日本刀にスポットを当てて、SNSや動画配信を活用するなど、若年層にも親しみやすい形で剣舞の魅力を伝えることが重要である(※6)。
■教育や武道との融合
学校教育の中で日本文化の一環として剣舞を学ぶ機会を提供したり、武道の精神修養として剣舞を取り入れることで、その存在意義を再確認することができるだろう。また、剣舞の持つ精神的な側面を強調し、瞑想や身体訓練の要素と組み合わせたプログラムを開発することも有効である。
■スポーツとしての普及
剣舞の持つ身体的な側面を強調することも可能である。スポーツ化することで、身体能力の向上(健康増進)、競技性の導入といった多くの利点が得られる。課題としては、伝統文化とのバランスやルール統一、指導者の育成などが挙げられるが、適切な対応を行うことで、剣舞は新たな形で発展する可能性を秘めている。
■国際的な発信の強化
日本文化に関心を持つ海外の観客に向けて、観光イベントやフェスティバルでの発表を増やすことで、剣舞の魅力を広めることができる。特に、オリンピックや万博などの国際的な舞台で剣舞を披露することにより、日本文化の多様性を世界に示すことができるだろう(※7)。
■他の芸術とのコラボレーション
剣舞と演劇、映像アート、音楽などを融合させた新しい表現を模索することも、剣舞の可能性を広げる手段となる。さらに、ゲームやアニメと連携し、剣舞の美学や動きを取り入れたコンテンツを展開することで、若い世代にもその魅力を伝えることができる(※8)。
7.まとめ
剣舞は、伝統的な芸術でありながら、現代に適応し、新たな価値を生み出す可能性を持つ。そのためには、視覚的な演出の向上、教育や武道との融合、国際的な発信、他の芸術とのコラボレーションが必要である。これらの取り組みにより、剣舞は伝統を守りながらも進化し、未来へと受け継がれていくだろう。
参考文献
【註】
※1 剣舞について体系的にまとめたものとして、大野正一著『剣舞の歴史』1976年、鈎 逢賀著『剣舞入門』2020年などが存在するが、他の芸術との比較考察はほとんどなされていない。
※2 鈎 逢賀『剣舞入門』p.24
※3 大野正一『剣舞の歴史』p.6-p.21
※4 神刀流においては、明治21年、皇太子御附武官 杉山直弥大佐より「武士道精神の高揚に努めよ」とのお言葉を賜り、「剣術」「居合術」「柔術」「空手」「日本舞踊」の「舞の要素」を取り入れ「剣舞」の型にして系統的にまとめ上げ、明治23年、世に発表したのが「神刀流剣舞術」である。後年、神刀流では「剣武術」と称している。
https://www.shintoryu.jp/history.html
※5 日比野正明(二代目宗家)著『日比野雷風』によれば、「一剣の敵に対する一剣を学ばん為になさるべきか。否、神刀流の修練の目的は実に心剣の錬磨にあるのである。」
※6 たとえば「名古屋刀剣博物館」では、日本刀の知識と合わせる形で、剣舞について動画なども用いてわかりやすく紹介している。
https://www.meihaku.jp/sword-basic/kenbu-touken/
※7 たとえば「サムライ剣舞シアター(京都)」は、「サムライ」文化を学べるスポットとして、外国人に大人気である。簡単なレッスンを受けて実際に剣舞のデモンストレーションを体験できる。
https://www.samurai-kenbu.jp/ja/
※8 たとえば「吟剣詩舞スーパーチーム」は、従来の枠組みを超えて、現代ミュージックやアーティストとのコラボレーションにも積極的に取り組んでいる。
https://www.ginken.or.jp/index.php/kenshibu_super_team/
【参考文献】
・田邊 元「剣武術の誕生:武術興行からみる武道の中心と周縁」、『体育学研究』第66巻、2021年
・大野 正一『剣舞の歴史』1976年
・高野 澄 編訳『山岡鉄舟 剣禅話』タチバナ教養文庫、2003年
・渡辺 誠『禅と武士道』ベスト新書、2004年
・大塚 英志『「伝統」とは何か』ちくま新書、2004年
・小山 将生『日本刀で学ぶサムライの心技体』体育とスポーツ出版社、2008年
・酒井 利信『刀剣の歴史と思想』日本武道館、2011年
・野村 朋弘 編『日本文化の源流を探る』藝術学舎、2014年
・土屋 恵一郎『能、ドラマが立ち現れるとき』角川選書、2014年
・鈎 逢賀『剣舞入門』青幻舎、2020年
・寒河江 光徳・村上 政彦『表現文化論入門』第三文明社、2021年
・公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会 広報誌『吟と舞』
【参考webサイト】
・能楽協会「能の歴史」
https://www.nohgaku.or.jp/(2024年1月10日閲覧)
・日本舞踊協会「日本舞踊とは何か」
http://www.nihonbuyou.or.jp/pages/about_nihonbuyo(2024年1月10日閲覧)
・公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
https://www.ginken.or.jp/index.php/about-kenshibu/(2024年12月10日閲覧)
・和文化教室 ぎんぶ
https://www.ginbu.co.jp/about/composition/(2024年1月10日閲覧)
・演劇ユニット金の蜥蜴第19回公演「一角仙人」
https://www.tokage.jp/(2024年1月28日閲覧)
・刀剣ワールド
https://www.touken-world.jp/tips/21608/(2024年1月10日閲覧)