地域資源を活かし作られた芸術祭「アルテリッカしんゆり」
地域資源を活かし作られた芸術祭「アルテリッカしんゆり」
1.はじめに
川崎・しんゆり芸術祭 通称「アルテリッカしんゆり」は、毎年ゴールデンウィーク期にプロの音楽家や劇団による多彩なプログラムを川崎市麻生区内外にある施設を利用して一斉に上演する音楽・芸能のイベントである。
麻生区在住の著者も「2014年 アルテリッカしんゆり」のプログラム「和太鼓 梵天コンサート」を実際に鑑賞した。会場の昭和音楽大学では受付役の運営スタッフの方が溌剌とした笑顔で迎えてくれ、オペラ型大ホール「テアトロ・ジーリオ・ショウワ」は超満員、フィナーレでは轟くような拍手が湧いた。普段は閑静な住宅地で知られる地元麻生区でこの様なイベントが開催されていることに驚きを感じ、この「アルテリッカしんゆり」がどのように作られているのか調査・評価することとした。評価は、「アルテリッカしんゆり」事務局である川崎市アートセンターの副館長 昼間氏への取材※1 や市の広報誌、刊行物などを元に行った。
2.第7回「2015年 アルテリッカしんゆり」概要
●会期: 4月25日(土)~5月10日(日)
●演目:クラシック、ジャズ、オペラ、演劇、演芸など27演目、40公演
●開催地:主に「新百合ヶ丘」駅周辺のホールや施設※2
●来場者数:延べ約2万6千人
●鑑賞対象:麻生区住民や近隣市民、および小田急線沿線住民
●運営:川崎・しんゆり芸術祭2015実行委員会※3 事務局は川崎市アートセンター
3.どのように「アルテリッカしんゆり」は生まれ、毎年開催されているのか
開催地「麻生区」は1982年に誕生した川崎市で最も新しい区で、東京のベッドタウンとして発展した住宅街である。区中心に位置する小田急線「新百合ヶ丘」駅周辺には、区誕生当初から昭和音楽大学(以下、昭和音大)サテライトキャンパスや日本映画学校、大ホールを有する麻生市民館があり音楽活動を行う好立地で、1986年に区民手作りの「麻生音楽祭」が始まる。1994年に市が麻生区地域を対象に「芸術のまち」構想を発表し、「芸術」をキーワードにまちづくりが進められ「KAWASAKIしんゆり映画祭」、「あさお芸術のまちコンサート」が開始。2007年には昭和音大本校舎が駅前に移転、同年に川崎市の芸術振興拠点として川崎市アートセンター※4 が開設される。このように新百合ヶ丘駅徒歩5分圏内に9つのホールや劇場が集積され※図1 音楽・演劇関係者が集まり芸術環境が整備された。また、区内には市民音楽団体が多数存在し、音楽文化が住民に定着している。
「アルテリッカしんゆり」の始まりは、音楽・演劇関係者がこの好条件に着目し「施設を有効活用するイベント」を発案※5 したことである。この案は市が推進する「芸術のまち」構想にも合致し、2008年に「川崎市民芸術際2009実行委員会」が結成。既に区にあった市民音楽団体のアマチュア音楽祭「麻生音楽祭」と一線を画し、さらに市民の音楽・芸能の文化レベルを底上げするため、プロによるプログラムを有料提供する鑑賞型芸術祭にした。プログラムは「一つでも興味の持てるプログラムを」という配慮から、市民の幅広い年齢層に合わせてクラシックから伝統芸能・演劇など27演目を取り揃え、翌年2009年5 月に第一回「アルテリッカしんゆり」開催に至った。
こうして立ち上がった「アルテリッカしんゆり」は、毎回、開催に向けて1年をかけて準備がされ、会期終了後すぐに実行委員会で総括がなされて翌年に引き継がれる。また、開催準備に並行して、グループに組織化された市民ボランティアの研修や「アート講座」の開講、学生による「クラシック音楽鑑賞教室」、「アルテリッカしんゆり美術展」などの補助企画やアウトリーチ活動がなされる。※図2
「アート講座」とは、専門家から音楽や演芸をより良く学び、翌年のプログラムをさらに楽しむための市民を対象にした事前講習会である。※図3 アウトリーチ活動では、昭和音大学生が区内の小学校に出向きクラシック音楽鑑賞教室を開いて音楽を身近に感じる機会を作り出している。※6
4.「アルテリッカしんゆり」の優れた点は何か(「枚方宿ジャズストリート」と比較して)
ここで大阪府枚方市の「枚方宿ジャズストリート」を取り上げて「アルテリッカしんゆり」と比較する。
枚方宿ジャズストリートは6月と11月の年に2回、枚方市※7 内の枚方宿地区で開催されるジャスファスティバルである。地域の活性化と人々の交流を目的に2002年から開催されており、2015年は来場者延べ約4万人であった。プロのミュージシャンと地域内外のアマチュアミュージシャンが一堂に会して行われ※8、運営は、地元企業・事業所、一般市民・市民グループ、地元の市町村、NPOの協力を仰ぎ開催されている。
まず、イベントの流れを比較する。枚方宿ジャズストリートはプレイベントを開催し本番に誘う仕掛けがあるが、盛り上がりは年に2回、開催当日前後のみの一極的集中型である。対して「アルテリッカしんゆり」は、「アート講座」や昭和音大生による「クラシック音楽鑑賞教室」などにより「アルテリッカしんゆり」に繋がる仕掛けがあり、一連イベントに関わることで会期以外でも年間を通して芸術文化に触れる機会を創出している。
次に地域資源の活用度を比較する。枚方宿ジャズストリートは、歴史街道枚方宿地区内の施設や飲食店を会場として利用している。これらの活用はジャズ特有の大衆音楽性とも合致し環境資源が有効に活用されている。一方、来場数に比べ、2011年時点で実行委員会の人数6人、ボランティアスタッフ数約20人と運営面でのマンパワーが不足しており※9、人的資源の活用度が低い。
翻って「アルテリッカしんゆり」の環境資源は駅周辺の施設群や、麻生区がこれまで培ってきた音楽や芸能を積極的に受け入れる土壌である。また、区に集まった音楽・演劇関係者や学生、地域住民は貴重な人的資源である。音楽・演劇関係者が持つパイプにより、多方面のプロ※10 をアサインすることが比較的容易にでき、学生が地域と音楽・芸能、「アルテリッカしんゆり」の繋ぎの役割を果たしている。地域住民によるボランティアも運営に欠かせない存在となっている。登録ボランティアは現在約130人おり、男・女ともに50代~60代が多い。第一回開催時の運営スタッフは企業の有料スタッフを雇いボランティアは補助的役割であったが、数年前より有料スタッフは廃止し全てボランティアで賄っている。近年は追加募集を「アート講座」聴講生に対して行い、よりイベント趣旨を深く理解するスタッフが集まるようになった。
ボランティアスタッフについて昼間氏は「非常に熱心で協力的である。」と言う。取り纏め役は事務局だが、ボランティア自らが提案し、ボランティア用Tシャツのデザインやボランティア専用のSNS※11 の立ち上げなどを実現しており、イベントを支えるだけでなく作り上げることが「やりがい」に繋がっているようである。2014年に著者を迎えてくれた受付役スタッフの方の笑顔も、そうした「やりがい」から来るものであろう。
このように「アルテリッカしんゆり」は官・民・学が絶妙なバランスで連携し、地域資源を有効活用して作られていることがわかる。昼間氏が「これだけの施設が揃い、これだけ多彩で上質なプログラムを一斉に上演できる地域はそうない」という通り、東京の大ホールや劇場で鑑賞するようなプログラムを地元で短期間に楽しめる芸術際は稀である。また、恵まれた資源を活かしつつも背伸びし過ぎず、常に市民に目を配ることで、「アルテリッカしんゆり」は地域に寄り添う芸術祭を実現している。
5.今後の展望
今後はこうした優れた点を保ちながら継続開催できるかが課題となる。区住民数約22万5千人※12 に対し、来場数は1/10で参加率は高いとは言えず、著者の地元同級生数人にヒアリングしても「聞いたことはあるが、よく知らない」という回答である。シニア世代にはボランティア活動も含めて認知されつつあるが、さらに幅広い世代の市民を鑑賞側・運営側に引き込む必要がある。例えば、夫婦向けプログラムにシニアボランティアの託児サービスを組合せた企画をしたり、子供ボランティアや親子ボランティアを募集するなど7回を経て蓄積したノウハウを元に、より人的資源を活用することで、地域の誰かの芸術祭ではく、地域全体が支え、参加する芸術祭となる。
地域に愛される芸術祭は継続開催へと繋がり、良質な芸術文化環境を継続することで住民の麻生区に対する郷土愛も醸成することとなるであろう。
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アルテリッカしんゆりイメージ画像1:2016年度と2015年度アルテリッカしんゆりのリーフレット
- アルテリッカしんゆりイメージ画像2(非公開):アルテリッカしんゆりプログラム 出典:2015年アルテリッカしんゆり公式ホームページ、アルテリッカしんゆりについて 〔http://www.artericca-shinyuri.com/about/index.php〕(最終閲覧日2016/1/16)
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アルテリッカしんゆりイメージ画像3(非公開):ボランティアスタッフの活動 出典:アルテリッカサポートサイト、【活動報告】、コンシェルジュ拠点設置 投稿日:2015年4月21日 〔http://artericca-support.com/?p=1945〕(最終閲覧日2016/1/29)
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図1:新百合ヶ丘駅周辺の施設
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図2:アルテリッカしんゆりの開催までの1年の流れ
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図3:アート講座vol.7聴講生募集リーフレット(非公開)
出典:アルテリッカサポートサイト、アート講座vol.7受講生募集中
(全10回)投稿日:2015年8月31日
〔http://artericca-support.com/?p=2211〕(最終閲覧日2016/1/16)
参考文献
<注釈>
※1 川崎市アートセンター副館長 昼間豊氏、2015年11月25日 アートセンターにて対面取材
※2 2015年アルテリッカしんゆり公式ホームページ、会場案内〔http://www.artericca-shinyuri.com/information/index.php〕(最終閲覧日2016/1/16)
※3 2015年アルテリッカしんゆり公式ホームページ、アルテリッカしんゆりについて〔http://www.artericca-shinyuri.com/about/index.php〕(最終閲覧日2016/1/16)
※4 川崎市の芸術文化振興の拠点として開設さた川崎市アートセンターは、「芸術を創る」、「芸術を育てる」、「芸術を楽しむ」機能として劇場と映画館、工房を併設している。
川崎市アートセンター 施設案内リーフレット(発行:川崎市アートセンター)
※5 最初の発起人は麻生区在住の演出・脚本家ふじたあさや氏である。(代表作に福田善之と共作した「富士山麓」や社会問題をテーマにした「日本の教育1960」など)その後、昭和音楽大学関係者、日本映画大学関係者、川崎市アートセンターの母体である川崎市文化財団などに話が広がりイベント構想案がまとまった。
※6 アルテリッカサポートサイト、11月26日(木)しんゆり芸術祭のアウトリーチ活動として岡上小学校を訪問(2015年12月11日更新)〔http://artericca-support.com/?p=2300〕(最終閲覧日2016/1/16)
※7 枚方市は大阪府北河内地域、京都府・奈良県との府県境に位置する403,423人の市である。
枚方市ホームページ、枚方市の概要〔http://www.city.hirakata.osaka.jp/soshiki/kouhou/hirakata-about.html〕(最終閲覧日2016/1/16)、枚方市ホームページ、人の動き〔http://www.city.hirakata.osaka.jp/soshiki/kouhou/population.html〕(最終閲覧日2016/1/16)
※8 枚方宿ジャズストリート ホームページ〔http://hirakatajazz.com/preevent/〕(最終閲覧日2016/1/16)
※9 『市民主体の地域活性化(音楽イベントを通じたまちおこし)に関する調査研究業務報告書』(調査・発行:財団法人 堺都市政策研究所、2011年1 月)
※10 2014年度は小林研一郎氏指揮による東京交響楽団コンサート、2015年度は劇団民藝、人間国宝・柳家小三治、三遊亭圓楽、桂歌丸など各ジャンルで活躍するプロをアサイン。近年では子どもの音楽教育にも力を入れており、子ども向けプログラムも増えている。
2015年アルテリッカしんゆり公式ホームページ、ジャンル別プログラム〔http://www.artericca-shinyuri.com/program/index.php〕(最終閲覧日2016/1/16)、
あさおの観光 川崎・しんゆり芸術祭(アルテリッカしんゆり)2014…チケット発売中(掲載日:2014年3月22日)〔http://asao-kankou.jp/?p=4483〕(最終閲覧日2016/1/16)
※11 アルテリッカサポートサイト〔http://artericca-support.com/〕(最終閲覧日2016/1/16)
※12 川崎市ホームページ、長期時系列データ 年齢3区分別人口の推移(麻生区)〔http://www.city.kawasaki.jp/200/page/0000010875.html〕(最終閲覧日2016/1/16)
<全体参考文献・資料>
『アルテリッカしんゆり3年のあゆみ』(発行:川崎市アートセンター、2012年1月)
「芸術のまちづくりを標榜する「しんゆり」に"第2のまちびらき"をもたらした昭和音楽大学 : 神奈川県川崎市 昭和音楽大学×しんゆり・芸術のまち」(文: 田中健夫、「地域創造」第35号 特集 大学と地域連携、P.4~P.10、発行:一般財団法人地域創造、2014年4月 )
『麻生区文化協会創立30周年記念誌 ―あたらしい風と創造―』(麻生区文化協会会報「からむし」 57特別号 発行:麻生区文化協会、2014年11月1日)
「まちづくりのブランド戦略-地域の再生と持続可能な社会の構築を目指して-」(著者 美野輪和子、『地方再生 : 分権と自律による個性豊かな社会の創造 : 総合調査報告書』P.160~P.178、著者:国立国会図書館調査及び立法考査局、出版者 国立国会図書館、刊行年 2006年2月)
『地域における文化・芸術活動の行政効果 文化・芸術を活用した地域活性化に関する調査研究 報告書』(調査・発行:財団法人地域創造、2012年3月)
「2015年アルテリッカしんゆり公式ホームページ」〔http://www.artericca-shinyuri.com/〕
「しんゆり・芸術のまち」 ホームページ〔http://shinyuri-art.com/〕
「川崎市アートセンター」 ホームページ〔http://kawasaki-ac.jp/〕
「川崎市公式ウェブサイト」 〔http://www.city.kawasaki.jp/〕
「麻生区」ホームページ 〔http://www.city.kawasaki.jp/asao/〕
『かわさき2015』(第3版 発行:川崎市教育委員会 2015年3月31日)
『市政だより かわさき』(発行:川崎市 編集:市民・こどもシティセールス 2009年1/1号~2014年12/21号)
『市政だより かわさき 区版あさお』(発行:麻生区役所 編集:麻生区役所企画課