長崎精霊流しの概要と継承
長崎精霊流しの概要と継承
【1. はじめに】
17世紀から18世紀の鎖国時代に外国との窓口になっていた長崎の文化には、中国やオランダの文化が大きく影響していると言われている。〈長崎くんち〉やお盆の行事などの伝統行事にも、その影響が多々みられる。このように長崎市には、全国に誇ることが出来る様々な伝統行事が存在しているが、九州の端に存在する地方都市のため少子高齢化が進み、伝統行事の継承に関して多くの問題を抱えている。
本稿では、長崎の年中行事である「精霊流し」を取りあげ、伝統行事の住民への浸透と継承について述べる。
【2. 歴史的背景(長崎のお盆と精霊流しについて)】
2-1. 長崎のお盆(墓参りについて)
長崎のお盆の行事は、全国的に見ても独特のものが多いと感じられる。愛媛から長崎に移り住んだ私には初めて見るような行事も存在しており、特に墓参りには、全国放送のテレビ番組で取り上げられるほど珍しい風習がある。お盆の墓参りは通常の墓参りとは異なり、墓の周囲に櫓を組み、提灯を吊るし、墓に茶や食べ物を供える。そして、墓参りに来た親戚たちを迎え、そこで食事をすることもあるようだ。そして特に珍しいのが、墓で花火をするという風習である。長崎ではお盆の期間に、墓地の至る所から家庭用の打ち上げ花火が上がり、矢火矢(ロケット花火)の音が聞こえ、煙が上がる光景がみられる。(資料1)
2-2. 精霊流しの概要と2015年のデータ
本稿で取りあげる精霊流しは、長崎県で毎年8月15日に行われる年中行事である。初盆を迎える家が手作りの精霊船と呼ばれる山車のような船を曳き、故人を極楽浄土へ送り出すという意味を持っている伝統行事だ。精霊流しという行事自体は九州北部の熊本県や佐賀県でも行われている。その中でも長崎の精霊流しは、歌手さだまさし氏(1952-)が1974年に発売した楽曲『精霊流し』で全国的に知名度が上がったと言われている。しかし、実際に長崎で行われている精霊流しは、歌のしんみりしたイメージとはかけ離れており、他の地域の精霊流しとは一線を画している。
精霊船の由来は諸説あるが、一説では享保の頃に蘆草拙(1675-1729)が精霊物を菰(こも)で包み流していたのを見て、「これでは霊に対して失礼だ」と考え、藁で小舟を作ったのがはじまりだと言われている。また、別の説では中国の彩舟流しに由来しているというものもあり、こちらも中国文化の影響が大きい長崎では有力な説とされている。(註1)現代では、船に様々な工夫が施されているものもあり、故人の趣味や嗜好が反映されているユニークな精霊船も存在する。
精霊流し当日は、夕方になると長崎市内の至る所から精霊船が出発し、長崎県庁前を通るコースに入り、流し場がある大波止へ向けて練り歩く。一般的なお盆の静かなイメージとは異なり、精霊船の周囲では爆竹が鳴らされたり、家庭用の打ち上げ花火が上げられたり、非常に荒々しく、賑やかな光景が広がる。(写真資料1)
長崎新聞によると平成27年に長崎市内で流された精霊船の数は約1300隻で、佐世保市や島原地区を併せた長崎県内全体では約3300隻の船が流されたということである。また西日本新聞によると、予想された人出は約15万5千人であり、長崎県内の重要な観光資源のひとつであることが窺われる。
【3. 評価点と問題点(島原市の精霊流しと比較して)】
3-1. 評価点:伝統行事の若者への浸透
実際に精霊流しを見学して感じたことは、比較的若い年代の参加者が多いということである。長崎の精霊流しでは見物客は勿論の事、船を流している側にも中学生や高校生くらいの年代だと思われる人が参加をしていた。
近年、若者の伝統行事離れが問題となっている。お盆の行事としては、京都の五山の送り火や徳島の阿波踊りなど全国的に有名な行事が多々あるが、中には衰退していった行事も存在する。特に地方都市の伝統行事の衰退は問題となっており、精霊流しにおいても長崎県島原市の精霊流しでは、今年度は若者の担ぎ手不足によりボランティアを募っての開催となった。しかし、島原市の精霊流しのボランティアの募集では、若者の市外流出の影響からなかなか応募が集まらず、最終的なボランティアの人数は6名だったそうだ。(註2)
そのような中で長崎市の精霊流しは、まだまだ若い年代への精霊流しの浸透度が高いのではないかと考えられる。実際に私の周囲の30代40代の方々は、お盆が近づくと精霊流しの話をしており、初盆であれば仕事は休むのが当然という考えの人もいた。実際、筆者の知人である27歳の女性が2015年の精霊流しに家族全員で参加しており、話を伺うことができた。
また、精霊流しというとお盆の行事あることや名称が似た灯篭流しのイメージから、しめやかに執り行われる行事であるという印象を持たれていると思われる。しかし実際の精霊流しは、爆竹や花火が使用される非常に賑やかで一見するとお祭りのような行事である。精霊流しは仏教行事であるものの、その規模の大きさから行政も関わっており、当日に大規模な交通規制が行われる。(資料2)こうした賑やかな精霊流しの雰囲気や交通事情、またお盆という家族単位で行う行事であることなどが、若者の意識が精霊流しへと向く要因の一つではないかと考えられる。
3-2. 問題点1:伝統行事の継承に関して(少子高齢化の影響)
若者の精霊流しへの参加は、精霊流しが若年の世代へ浸透している証として評価できる点であるが、今後少子高齢化の影響が問題とならないわけではない。
長崎市の人口推移をみると、長崎市自体は長崎県の中心部で、近隣の市町村と合併したこともあり大きな人口の変化はない。しかし、年齢別の人口推移では、特に祭礼の中心的存在になるであろう20-40代周辺の世代が減少しており、若者の進学や就職などによる県外への流出が目立つ。また、その子供の世代である0-9歳の人口も減少しており、少子高齢化が進んでいる。(資料3)
実際に精霊流しの現場に行くと、確かに若年者の参加者は多いのだが、その参加者が長崎の在住者であるかどうかは定かでない。祖父母や親の代は長崎在住者であるため精霊流しに参加しているが、その子供の代は県外に出ていて自分達の代では精霊流しをしないということも想定される。前述した27歳の女性も自身は進学を機に県外へ出ており、現在は山口県在住である。お盆休みを利用して帰省をし、祖父の精霊流しに参加していた。
3-3. 問題点2:危険行為の増加
もう一つの問題点として、地元の方から若者による爆竹や花火などを用いた危険行為が増加していると伺った。精霊流しの際に鳴らされる爆竹や花火には、精霊船が通る道を清めるという意味合いがある。(註3)しかし、近年の精霊流しではその意味を知らない若者が精霊船を流す立場ではないにもかかわらず爆竹を鳴らしたり、とにかく派手にしたいという風潮が出ている。実際に2015年の精霊流しでは、段ボール箱ごと爆竹に火を点けたり、観客がいる方向に爆竹を投げたりする行為がみられた。また、精霊船に仕掛けられた花火が燃え、精霊船が一隻全焼してしまう火災も起こった。(写真資料2)
【4. おわりに(精霊流しのこれから)】
伝統行事の継承に際して、伝統行事を後世に伝えるだけではなく、万人に受け入れられ知名度を上げることは非常に重要である。例えば、島原市の精霊流しでは若者の担ぎ手が足りずボランティアの募集も行っていたが、この募集の矛先を県外や九州外に向け、単発ではなく何年も継続して参加してもらえるようするなど、外に対するアピールも必要ではないだろうか。
また、外に対してアピールをし、知名度を上げることと同時に精霊流しの正しい知識を広めることも重要である。精霊流しは、あくまでもお盆の行事でありお祭りではない。爆竹や花火の意味を正しく理解してもらうことが、増加している危険行為の減少に繋がり、正しく伝統行事を継承していくことになると考えられる。
長崎の精霊流しは、若者の伝統行事離れや伝統行事の消滅が問題視されている今日において、地方の行事であるものの、地元の若者に浸透していると言える。今後も途絶えることなく続いていくことを願う。
参考文献
星野 紘(2012) 「過疎地の伝統芸能の再生を願って」 国書刊行会
福田アジオ 菊池健策 山崎祐子 常光徹 福原敏男(2012) 「知っておきたい日本の年中行事」 吉川弘文堂
長崎市役所編(1967) 「長崎市史 風俗編」 清文堂出版(註1)
秋月辰一郎(1988) 「長崎事典 風俗文化編」 長崎文献社
長崎新聞 2015年8月17日
西日本新聞 2015年8月14日
長崎市ホームページ http://www.city.nagasaki.lg.jp/ 2015/12/11閲覧
長崎市WEBマガジン ナガジン http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/aboutsite.html 2015/12/9閲覧
長崎県警ホームページ http://www.police.pref.nagasaki.jp/ 2015/8/14閲覧
毎日新聞地方版長崎県8月15日
http://mainichi.jp/articles/20150803/ddl/k42/040/210000c 2016/1/15閲覧(註2)
長崎しにせ会ホームページ http://www.shinisekai.com/ 2015/12/9閲覧(註3)
さだまさしオフィシャルサイト https://www.sada.co.jp/prof.html 2016/1/25閲覧