福島県下郷町大内宿の展望 ー大内先人への恩返しー
はじめに
大内宿がある福島県会津地方には数多い伝統名所や伝統工芸品、会津地域独自の伝統食文化など、「年間16392千人(福島県商工労働部平成29年調べ)」(註1)が観光に訪れている歴史的にみても非常に重要なものばかりである。そんな会津の歴史のなかの一つが南会津にある大内宿なのである。その大内宿について今日の活動と今後の展望についての考察を報告する。
1、基本データ
1)所在地、福島県南会津郡下郷町大字大内(※1)
2)面積、約11,3ヘクタール(※2)
3)人口、大内区全体で145人(※3)
4)「町の木、白樺。 町の花、フジ。町の鳥、ウグイス。(町の花・木・鳥は1979(昭和54)年10月16日制定)」(註2)。
5)気候、下郷町の気候は、日本海側の影響を強く受け、夏は高温多湿で朝晩は涼しく、冬は降雪量が多い積雪寒冷地帯である。
6)大内宿は江戸時代の形態を色濃く残す町並みとして、1981(昭和56)年4月18日に重要伝統的建造物群保存地区として国の選定を受けている。
7)特徴、南会津の山中にあり、全長約450m程度の人などが行き来するための主要な道の両側に、妻側を向けた寄棟造である民家が建ち並び、江戸時代には会津西街道の「半農半宿」であったが、今日にいたってもその感じを残している。また、民宿、土産物屋や蕎麦屋などが建ち並んでいて(写真1)特に高遠そばの名で知られる蕎麦は、箸の代わりに長ネギを使って食べる風習があり、ネギを薬味としても食べる。そして何といっても江戸時代から受け継いでいる建物は茅葺屋根の日本家屋で、茅葺屋根は断熱効果が高く、夏は涼しく冬は暖かい、遮音効果も高く、防水性がよいことから凍結や雪、雨などに強いことも特徴である。
1-2)歴史的背景
江戸時代に大内は、下野街道の一つの宿場として栄え、明治以降には交通路の変化があったものの開発を逃れ、昔の面影を今日に残している。下野街道は鎌倉時代から会津と関東をつなぐ街道として使われていたが、戦国時代に全国統一の一環として整備され、さらに徳川幕府がこれを引き継ぎ、幕府の支配体制の確立とつながりがあり、すでにこの頃、五街道を初め脇街道の整備にも力を入れていた。五街道の幹線やその付属の諸街道に対して支線であり、下野街道は一つの脇街道で幹線と比較すると小さなものであった。また、大内宿が形成されたのは、下野街道にある川島宿が1654(承応3)年にできたことから考えると、ほど近い頃に形成されたと考えられ、それが住民の団結で継承問題などの様々な困難を乗り越えて今日の大内宿が息づいているのである。
2、大内宿の取組みと茅葺屋根の保存活動、伝統や文化、コミュニティ、技術の次世代への継承
1)大内宿の取組み
1981(昭和56)年4月18日に重要伝統的建造物群保存地区に選定された後は、国と県の教え導きのもと、町と地域住民でいろいろな保存活動を行ってきた。これまで茅葺屋根葺替などの主屋の修理や街道沿いにあった電柱の移動、アスファルト舗装の除去、現代的な家を大内宿の景観に合うようにリフォームするなどの大内の歴史を敬い、景観を保つといった地域の取組みは大内の人々の強い思いを感じる。
2)茅葺屋根の保存活動
茅葺屋根を保存していくために大内の村民は自ら茅葺屋根葺替の技能習得のために繰り返し習い、若い人たちにその技術や知識を受け継がせ、後世に伝えていくといった活動をしている。(写真2~5)また、茅刈りした茅は、村の保存場に保存し材料もしっかりと保っている。
そして、この地域には、「結」といわれるお互いに助け合い支え合うという精神が残っていて、建造物の保存や伝統、文化、コミュニティ、技術といったことも若者へと継承されている。このような取組みや活動は、保存地区ならではのものであり、独特な生活環境であることがいえる。このような取組みや活動、そして大内住民の大内に対する強い思いを積極的に評価したい。
3、南木曽町妻籠宿(長野県)と下郷町大内宿(福島県)の比較と特筆すべきこと
まず、南木曽町妻籠宿の概要は、所在地、「長野県木曽郡南木曽町吾妻2196-1、種別、宿場町、面積、1.245.4ヘクタール、選定年月日、1976(昭和51)年9月4日」(註3)。
その特徴として、中山道木曽11宿の宿場として繁栄した地区であり、保存地区の家屋は出梁造りや卯建を用いていて、宿場景観を柱として、街道景観や在郷景観、自然景観と区別されているのであるが、伝統的建造物群と広大な範囲が一つにまとまった歴史風致を保存している。また、宿場地区は幕末から明治期の景観を今日まで色濃く残しているのである。
妻籠宿の面積は1.245.4ヘクタール、大内宿の面積は約11.3ヘクタールと比較にならないほど妻籠宿は広大な面積で、重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのが、妻籠宿は1976(昭和51)年9月4日で、大内宿は1981(昭和56)年4月18日で妻籠宿の方が5年ほど早い、また、住民の取組みでは、妻籠宿では(公財)「妻籠を愛する会」を柱として、いろいろな取組みが行われているが、日本で初めて町並みの保存に取組んでいて、1971(昭和46)年7月25日「妻籠宿を守る住民憲章」が制定・宣言され、とくに家や土地を「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を貫くことを先ず宣言している。また大内宿も、景観や文化財の保護を目的とした「大内宿保存会」があり、住民らの取組み・活動が行われている。そして1981(昭和56)年9月には住民憲章「大内宿を守る住民憲章」が制定され、家や土地を「売らない、貸さない、壊さない」の三原則がつくられている。屋根も妻籠宿は板葺き石置き屋根と板葺き屋根(一部茅葺屋根もある)が残っている。大内宿は茅葺屋根で、どちらの住民もこの町並みと自然環境、文化、共同体意識に魅力を感じている。
そして特筆されるのは、同じ宿場町で、大内宿も妻籠宿も同様である地域を愛する力に他ならない。大内住民が大内を好きな理由として上げられるのは、茅葺屋根の町並みと自然の豊かさ、独自の文化が継承されている。大内の住民同士の強いつながりなどが上げられる。それは、これまで約400年この大内の町並みや景観などを維持継続してきた大内先人から今日まで受け継いできた住民の大内に対する熱い気持ちの力である。これまで大内では継承危機を乗り越えて、今日の若者継承に至り、大内の歴史を途絶えさせることなく未来へと存続させることを強く望んでいて、そのことは、今日を生きる大内住民から大内先人への恩返しとも取れるのではないであろうか。
4、大内宿の今後の展望について
1)大内宿の景観維持は「結の会」を柱として、村の各組織によって維持されている。
2)大内宿の共同体では、住民の年齢や性別に応じた組織にはっきりとした役割分担があり、年中行事を通した住民同士の関わり合いがあるため維持されている。
3)「結」の共同体意識が村を栄えさせる理由だと考えられる。
また、大内が栄えているからこそ、一度大内を出ていった若者も再び大内に戻りたいという人もいて、大内宿は観光を上手く地域に活かし、観光客と地域住民の両方が利益を得られる「持続可能な観光」を今後も実現していくと考えられる。そして、「結」という共同体意識を他地域においても実践していくことが、持続可能かつすべての人が利益を得られる観光のあり方である。
5、おわりに
文化庁・福島県・下郷町の要請に応じて1981(昭和56)年に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けて、残されていた茅葺屋根の民家を景観整備し、自然環境も茅葺屋根の町並みにつりあうようにした。また、共同体意識に支えられた大内住民の情感は、大内宿の持ち味となっていて、保存事業に伴う従うべき決まりは、町並み維持に役立つように尽力し、今日もさらなる観光客をよび込む経済効果をもたらしているのである。
参考文献
参考文献
著者 大塚 実『歴春ブックレット 奥会津大内宿』発行者、阿部隆一 発行所、歴史春秋出版株式会社、2005年7月11日3版発行。
発行人 菅家博昭『別冊 会津学』、奥会津書房、2018年。
発行人 黒田茂夫『ことりっぷ 会津・磐梯・喜多方・大内宿』、発行所、昭文社、2011年1月 1版7刷発行。
著者 小寺武久『妻籠宿』発行者、安田健一 発行所、中央公論美術出版、1989年4月10日印刷、1989年4月25日初版。
※1 2022(令和4)年6月21日(火曜日)午前8時27分、下郷町役場に電話取材。
※2 2022(令和4)年6月21日(火曜日)午前8時27分、下郷町役場に電話取材。
※3 2022(令和4)年6月24日(金曜日)午後13時05分、下郷町教育委員会事務局、主任主査兼文化財係長 渡部勇進氏とのメール取材。
註
(註1) https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/285551.pdf 福島県商工労働部 観光交流局観光交流課
アクセス日2022(令和4)年6月18日。
(註2) https://www.town.shimogo.fukushima.jp/organization/soumu/4/3/207.html 会津下郷町 下郷町役場 総務課総務係
アクセス日2022(令和4)年6月21日。
(註3) https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/hozonchiku/pdf/r1392257-03... 南木曽町妻籠宿(長野県)2020(令和2)年6月16日 南木曽町作成
アクセス日2022(令和4)年7月5日。
写真提供
2022(令和4)年6月24日(金曜日)午後13時05分、下郷町教育委員会事務局、主任主査兼文化財係長 渡部勇進氏とのメール取材にてHPにある画像の利用許可済み。
(写真1)フォトギャラリー/いで湯と渓谷の里 会津下郷町 https://www.town.shimogo.fukushima.jp/organization/sougouseisaku/1/2/260.html
(写真2~5)フォトギャラリー/いで湯と渓谷の里 会津下郷町(保存活動)https://www.town.shimogo.fukushima..jp/organization/kyouiku/4/150.html