
遠い故郷を近所に-和光市「テーラワーダ・パリヤッティ僧院」をめぐる“やさしい居場所”-
はじめに
埼玉県和光市に所在するミャンマー上座部仏教寺院「テーラワーダ・パリヤッティ僧院」は、日本の住宅地に立地しながら、門や仏塔といったミャンマー仏教固有の意匠を明確に備える点で特徴的な宗教施設である。このような在日外国人宗教施設は、地域景観の一部であると同時に、移民コミュニティの生活を支える拠点として機能している。
2021年の軍事クーデター以後、ミャンマーを取り巻く政治・社会状況は大きく変化し、その影響は国外に暮らすミャンマー人にも及んでいる。このような状況下で、日本におけるミャンマー人の生活を支える場として、宗教施設が果たす役割を検討することは重要である。
本報告書は、テーラワーダ・パリヤッティ僧院を、宗教施設にとどまらない文化資産として位置づけ、その成り立ちや空間構成、実践のあり方を分析するし、建築的要素、儀礼、物質文化、日常的な交流がどのように結びつき、在日ミャンマー人の生活と共同体を支えているのかを考える。
1.基本データと歴史的背景
埼玉県和光市新倉の住宅地に位置するミャンマー上座部仏教寺院「テーラワーダ・パリヤッティ僧院」。本僧院は、日本の一般的な寺院とは異なり、在日ミャンマー人コミュニティによって主体的に運営されている。住宅地の中に突如として現れる赤と金を基調とした門(写真2)は、周囲の日本的景観と強い対照をなしており、視覚的にも明確な異文化性を示している。
埼玉新聞によれば、同僧院にはミャンマー式仏塔である「パゴダ」が建立され、その落成式には関東各地から多くの在日ミャンマー人が参集した(1)。パゴダは釈迦の遺骨(仏舎利)を安置する仏塔として知られ、ミャンマーでは信仰の中心的存在である(5)。特筆すべきは、このパゴダが国家や宗教組織ではなく、在日ミャンマー人一人ひとりの寄付や募金によって建立された点である(1)。この点は、本僧院が「上から与えられた宗教施設」ではなく、「生活者自身によって必要とされ、立ち上げられた場所」であることを示している。
宗教文化的背景として、ミャンマーは国民の多数が上座部仏教を信仰する社会であり、仏塔や寺院は宗教的役割にとどまらず、社会秩序や倫理を支える装置として機能してきた(6)。出家、得度、托鉢、布施といった実践は、個人修行であると同時に、共同体を維持するための社会的設計である。
現代史的背景として不可欠なのが、2021年2月の軍事クーデターである。この出来事は、民主化と経済成長への期待が高まっていたミャンマー社会を一変させ、人々の生活と将来像を断ち切った(3)(4)。クーデター以前のミャンマーは「これから良くなる国」として語られることが多かったが(2)、軍事政権の復活により、多くの人々が国外での生活を長期的に考えざるを得なくなった。在日ミャンマー人にとって、本僧院はこのような歴史的断絶を背景に成立した文化的拠点である。
2.事例のどんな点について積極的に評価しているのか
本僧院を文化資産として積極的に評価する理由は、その価値が宗教的正統性だけでなく、「人々の生活を支えるデザイン」として成立している点である。1.境界をつくる、2.共同体を集める、3.身体を整える、4.ケアを循環させるという4つの観点から評価する。
2-1.赤と金を基調とした門(写真2)は、日本の住宅地とミャンマー仏教の世界を分ける境界であると同時に、「ここから先は自分の言葉と作法が通じる」という安心感を与える。文化人類学が示すように、宗教空間は日常と非日常の境界を設け、人々の行為を別の規範へ導く(6)。この門は排他的な壁ではなく、異文化環境に置かれた人々を迎え入れる「やさしい入口」として機能している。
2-2.パゴダの中心性で(写真1)。パゴダは視覚的象徴であると同時に、共同体を組織する核となっている。寄付や募金によって建設されたという事実(1)は、信仰行為であると同時に、在日ミャンマー人が「自分たちの中心」を共同で制作する過程そのものが文化的実践であることを示している。
2-3.儀礼や数珠といった身体的実践(写真6・7)。誕生日の曜日別に用いる数珠は、信仰を抽象的な教義ではなく、身体感覚として日常に落とし込む道具である(同行の通訳者May Zin Thu氏インタビューにて)。儀礼における所作は、不安や怒りといった感情を身体の秩序へ一旦着地させる安全装置として働いている。
2-4.食や会話を通じたケアの循環、僧院では礼拝だけでなく、料理の準備や食事の共有、日常的な相談が行われており、制度が十分に届かない移民生活を底から支えるインフラとして機能している。空間の使われ方も固定的ではない。礼拝の場が、食事の場、語り合いの場、子どもが過ごす場へと緩やかに転換されることで、僧院全体が「用途を限定しない余白」を持つ。
3.国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
日本の一般的な寺院と比較すると、本僧院は檀家制度を基盤とせず、血縁・地縁の不足を補うための開放性を重視している点が特筆される。誕生日の儀礼に、宗教的帰属を持たない訪問者である筆者自身も同席し、料理まで振る舞われた経験は、宗教施設がソーシャル・セーフティネットとして機能していることを示している。
ミャンマー国内のパゴダ文化と比較すると、国内では国家的・歴史的スケールで都市の中心に位置づけられるパゴダが、日本では「故郷の縮尺模型」として機能している点が興味深い(6)。
同行の通訳者May Zin Thu氏が「関東在住のミャンマー人はここに来ることが多い。友人の誕生日にも友人と訪れる。」と語っており、本僧院はディアスポラ・ネットワークの結節点となっている。
さらに、欧米における移民宗教施設と比べても、本僧院は外部者に対する開放性を比較的強く保っている点で特筆される。明確な境界(門)を設けつつ、その内側で柔らかく迎え入れる二重構造(写真2)は、排除と同化のどちらにも偏らない独自の文化的態度を示している。
4.今後の展望について
今後の展望を考える際、もう一つ重要なのは、「この僧院がもし存在しなかった場合、在日ミャンマー人の生活はどのような状態に置かれるのか」という反実仮想である。ミャンマー軍事クーデター以後、祖国の政治状況に関するニュースは断続的に流れ続けており、国外に暮らす人々にとってそれらは「遠い出来事」ではなく、家族や友人の安否に直結する切実な情報である。そのような状況下で、感情を受け止め、語り合い、祈りという形で整理できる場が失われた場合、個々人は不安や怒りを私的領域に閉じ込めざるを得なくなる。
文化人類学の視点から見ると、宗教施設は単に信仰を実践する場ではなく、社会的感情を「共有可能な形式」に変換する装置として機能してきた。和光市のテーラワーダ・パリヤッティ僧院においても、儀礼、布施といった実践は、喪失や悲嘆を個人の内面に押し込めるのではなく、共同体の物語として再配置する役割を果たしている。もしこの装置が存在しなければ、ディアスポラの人々は政治的出来事に対する感情を、より直接的で攻撃的な形で表出させるか、あるいは完全に沈黙させるしかなくなる可能性が高いと考える。
また、今後の日本社会との関係において、本僧院は「多文化共生」を理念ではなく実践として示す場になり得る。多文化共生政策では、しばしば言語支援や就労支援が重視されるが、実際の生活においては、感情的な孤立や文化的断絶が深刻な問題となることが多い。本僧院が提供しているのは、制度では補いきれない「感情の居場所」であり、その価値は今後さらに高まると考えられる。
5.まとめ
ミャンマーは仏教文化が深く、パゴダや祭りが生活に根づいた国として語られてきた。しかしクーデター以後、海外で暮らす人々の心には故郷に戻れないかもしれないという恐れが残る。その裂け目に対して本僧院は、宗教空間・儀礼・食の共有という“制作”を通して、日常を縫い合わせる。私が本僧院を文化資産として評価したい理由は、そこにやさしさが制度化されているからである。誕生日の儀礼に他者を招き、料理を分かち合う寛大さは単なる美談ではなく、暴力と分断が進む時代において、非暴力の倫理と共同体の再建を同時に実現する社会的装置として、この僧院は地域にとっても貴重な文化資産である。
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(写真1)僧院敷地内のパゴダ外観(2025年12月20日、筆者撮影) -
(写真2)僧院入口の門(2025年12月20日、筆者撮影) -
(写真3)鳥の彫像を載せた柱と守護像(2025年12月、筆者撮影) -
(写真4)本堂内の仏壇(2025年12月20日、筆者撮影) -
(写真5)パゴダ内部にある5枚のうちの1枚。白いレリーフ(涅槃図)(2025年12月20日、筆者撮影) -
(写真6)誕生日の曜日別に用いる数珠。ミャンマー人は自身が誕生した曜日を大切にする。氏名も何曜日に生まれたかがなんとなく分かる(May氏の説明に基づく)(2025年12月20日、筆者撮影) -
(写真7)誕生日儀礼の一場面、このあと水をくみ交わす(2025年12月20日、筆者撮影)
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(写真8)僧侶と今回同行してくださった通訳者May氏(写真右)、参列者の記念撮影(2025年12月20日、筆者撮影)
(非掲載)
参考文献
(1)埼玉新聞「関東初!埼玉のミャンマー寺院に『パゴダ』建立」https://www.saitama-np.co.jp/articles/80010(2024年5月12日)
(2)松下秀樹著『新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由』(講談社、2013年)
(3)中西嘉宏著『ミャンマー現代史』(岩波書店、2022年)
(4)西方ちひろ著『ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか』(集英社、2025年)
(5)池上彰著『アジアと仏教』(岩崎書店、2006年)
(6)保坂俊司監修『国際理解を深める世界の宗教』(ポプラ社、2005年)
(7)箕曲在弘・二文字屋修・吉田ゆか子編『東南アジアで学ぶ文化人類学』(昭和堂、2024年)