
大阪日本民芸館から考える民藝とデザインを継なぐもの。
はじめに
現在居住している地域にある重要な文化施設として注目したのは、1970年度に吹田市の千里丘陵で行われた万国博覧会に出店した日本民藝館(大阪日本民芸館)についてである。
柳宗悦たちが見出した民藝というものとその継承のありかたと現代デザインとの関係性について考える。
1. 基本データと歴史的背景
大阪日本民芸館は1970年の万国博覧会の時にパビリオンの一つとして、関西財界有志と東京駒場の「日本民藝館」の支援と協力を得てパビリオン「日本民藝館」は開設された。そして万博終了後に施設は大阪府に寄贈され1972年に「大阪日本民芸館」に名を改めて誕生し現在に至っている。(1)[資料1]
東京駒場の日本民藝館は柳宗悦(1889~1961)により昭和10年5月、倉敷紡績の大原孫三郎(1880~1943)の援助により発足した。東京駒場の二代目館長は陶芸家の濱田庄司であり、三代目館長は柳宗悦の長男の工業デザイナーの柳宗理が就任している。現在の五代目館長はプロダクトデザイナーの深澤直人であり民藝とデザインとの関係の深さを表す人選となっている。
日本民藝館では柳宗悦らによって集められた日本各地域の工芸品を蒐集し陶磁器・染織・木漆器・絵画・金工・石工・編組など約17000点が集められている。大阪日本民芸館ではその一部の収蔵品を引き継ぎ、また国内外の手工芸品や民藝の作家の新作やまた工業デザイナーの柳宗理の製品も蒐集・展示・販売している。(2)[資料2]
2. 事例のどんな点について積極的に評価しているか
民藝という言葉は大正の終わりに思想家で民藝運動の創始者である柳宗悦と陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎により新しく考えられた造語である。
これは当時「下手物」と呼ばれ、注目されなかったものでありそれらは無銘の工人たちが民衆の実生活に用いるために、各地域でつくられた品である。それらの民衆的工芸品に対し、そこに本当の美があるとして民藝と名付けたのである。
当時の民衆は貴族的なもの「上手物」を良しとして、柳宗悦が見出した工芸品は「下手物」としてさげすまれていた。
誰もがそこに美しさがあると見いだせなかったものに対し、はじめて美を見出したことに対して積極的に評価に値するといえるだろう。
実用的に使われるその「用」の中に本当の美しさがあるとして注目したのである。それらの選ばれた全国各地域の手作りの民藝を集め守っていくことが大切であるとして、柳宗悦らによって全国から蒐集した。そしてそれらのすぐれた民藝を多くの人に知ってもらうために、具体的に三っの構想にまとめている。まず(一)には正しい作家を見い出し、(二)には今も正しく作られている地方の伝統的民藝を紹介し守護すること、(三)には新しい創造的な民藝の運動をおこすことである。(3)[資料3]
民藝館は誰も今日迄その美を歴史に刻もうとはしなかったものに対し尽きない情愛を記念するために建てられたものである。(15)
日本民藝館はその願いの元につくられ、その後全国各地に多くの民藝館がつくられた。これらの活動を通して、本当の民藝とはどのようなものかを表す一つの指針になっているといえるだろう。[資料4-1、4-2]
誤った選択をしないために柳宗悦は民藝の中に用の美・無心の美・健全な美・他力の美などを提唱し良い民藝とは何かに努めた。(4)(5)
3. 国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるか。
柳宗悦の民藝館の発足は1935年であるが、それより約半世紀前の1888年に英国ではラスキンとウイリアム・モリスによりアーツ&クラフツの工芸復興運動が興っている。
英国から始まった産業革命以後、多くの工芸品は機械生産により粗悪な品物が作られるようになっていた。それらの危機意識からラスキンやモリスは中世時代の手作りの工芸品や建築に理想の美の世界があるとして、もう一度その中世時代の豊かな生活や文化を再生しようと試みている。
しかしアーツ&クラフツ運動は結局高価な貴族的製品を作ることに帰結しており、裕福な階層にしか使われないものであり、少数者のための芸術であり庶民の手には届かないものになってしまったといえる。(6)
それに対し柳宗悦の提唱した民藝では少人数のかぎられた人のためでなく、多くの民衆のための低廉なものであり、多くの人の需要に応えるものとなっている。
アーツ&クラフツでは伝統が継続的に伝わってきているものを守っているのではなく、中世の一度歴史の中に途絶えたものの再生であり、生きた作品ではないとしている。
民藝運動では各地域の工場で無名の工人たちがその地域の素材や伝統の技法に基づき、現在も継続的に作られているものであり、特筆に値するといえるだろう。
柳宗悦はアーツ&クラフツは再生された美術であり工芸ではなく「正しき工芸的な美を知らなかった」としている。
柳宗悦は最初に作られた元の中世の工芸的ギルドの中で作られた作品に対しては絶賛しているが、それを模倣した複製品に対しては良い評価をしていない。
柳宗悦は最初に作られた中世の中に民藝と同じ伝統的に生きた美を見ていたといえるだろう。
しかしアーツ&クラフツを民藝の眼からでなく現代デザインの眼からみると、ウイリアム・モリスは近代デザイン史の原点としての先駆者とされている。
近代以後のデザインの考え方の中では手仕事だけでなく機械工芸を取り入れた再生のデザインが重要なテーマの一つであり、最初にデザイン的な考え方をした一人といえるだろう。
4. 今後の民藝と機械生産との関係と展望について
しかしこれらの民藝運動は平坦な道のりであったのではなく、無銘の工人によって作られたものと、名が知られるようになった民藝作家のものとの格差の問題で柳宗悦から離れていく人も出てきている。(7)
柳宗悦は民藝で無銘の工人の低廉な製品の中に美があると謳っている一方で、有名になり作品が高価になった陶芸家の濱田庄司や富本憲吉、他にも高い評価をしている。(12)[資料4-1、4-2]
しかしこれは一見矛盾しているように見える判断ではあるが、これらの問題は民藝に限らず、商業主義的なことで物の価値が決まってしまう経済の原理といえるだろう。(8)民藝だけでなく本当によい作品は価格と関係のないところで評価されるべき問題といえるだろう。価格は流通の中で興ることであり、美の価値は工人の作るものにも作家の作るものにも平等にあるといえる。そこに普遍的な美が内在しているかが問われている問題といえるだろう。[資料5]
柳宗悦の手作りの民藝の時代から現代は機械を使った工芸やデザインの考え方を受け入れるようになってきているが、柳宗悦は機械生産による商業主義が機械製品を粗悪にさせた大きな原因であるとして、商業主義に問題があり機械生産そのものを否定はしていなかった。
日本民藝館の三代目館長であった工業デザイナーの柳宗理は「手工芸は手作りの美しさを追求すべきで、プロダクトデザインは機械生産の美しさを追求すべきである」として手作りも、機械生産も同様に肯定している。(9)(13)[資料6][資料7]
またアメリカのアーツ&クラフツ運動の建築家のフランク・ロイド・ライトは「機械に美術と工芸の唯一の未来がある」と主張している。(10)
民藝と機械で作られたデザインの間には共通点が多く、コルビュジェは『今日の装飾芸術』で「不要の器官を絶対的に取り除いた機械は、自然に装飾的な諸要素に対する安全な蔑視に導く」と唱え装飾のないところに真の装飾があるとしている。(11)
これらは現代デザインの「機能美」のことであり民藝の「用の美」と同一であるといえるだろう。
民藝とデザインが共通するのは「用の美」だけでなく無心の美・健全な美・他力の美もデザインの美の中にもあり民芸とデザインを継なぐものであるといえるだろう。
5. まとめ
明治以後、西欧化が進み日本の「下手物」といわれていたものを柳宗悦が民藝の美として捉えていなければ、民藝という民衆の工芸は下手物のまま現代に至っていたかもしれず、柳宗悦の見出したその功績は大きかったといえるだろう。(14)
現代デザインも民藝と同じく「機能」とよばれる「用」がありそこに同じ美を見出している。
機械生産では機械にしかできない精度で作られたものの良さがあり、また手作りには手作りにしかできない暖かみのあるものの良さがある。(16)(17)[資料8]
民藝とデザインは商業主義でなく、本当に役立つものとしての用(機能)美が求められているといえるだろう。(13)
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[資料1]
大阪日本民芸館 外観
近代化を推し進めていたEXPO‘70の会場内に建設されたこともあり、日本民藝館(大阪日本民芸館)も近代的な外観が奨励され、設計は大林組である。
近代的なモダンさのなかに民芸にあった和のデザインで統一されている。
撮影日、2025年9月28日、筆者撮影 -
[資料2]
大阪日本民芸館 中庭
民芸館は第一展示室から第四展示室に至るリング形になっているが、その中央にこの中庭が大きくとられている。和モダンな中に民芸の壺や甕が配置され、民芸とモダンさが融合し調和した安らぎが感じられる。
撮影日、2025年7月1日、筆者撮影 -
[資料3]
大阪日本民芸館 ショップ、展示ホール
展示ホール内では日本の各地域のそれぞれ優れた手仕事の民芸品を展示販売している。
柳宗悦は直感で優れた作品を見極めていたと学芸員のかたも言われていたが、柳宗悦亡き後の工人や作家によりすぐれた作品をいかに継承していくかが問われているといえるだろう。
撮影日、2025年7月1日、筆者撮影 -
[資料4-1]
大分県 小鹿田
日田市にある小鹿田では約300年にわたる歴史がある。「蹴りろくろ」「飛びかんな」「刷毛目」「櫛目」などの独自の技法を継承している。
撮影日、2025年9月28日、筆者撮影
[資料4-2]
島根県 湯町窯
湯町窯は英国のバーナード・リーチにより伝えられた、一つの目玉焼きを直火によりつくることができるエッグベーカーが作られている、また18~19世紀に作られていた英国のスリップウェア柄の皿などは本国より日本で高く評価されている。
撮影日、2025年9月28日、筆者撮影 -
[資料5]
愛媛県 吹工房
吹き硝子は各地域にそれぞれあるが、民芸では一品々手作りで作るため吹き硝子のねじれやゆらぎ、また色合いがみんな違っている。そこに手作りのよさがあるといえるだろう。
撮影日、2025年9月28日、筆者撮影 -
[資料6]
大阪日本民芸館 柳宗理コーナー
駒場の日本民藝館の三代目館長は柳宗悦の長男で工業デザイナーの柳宗理である。大阪日本民芸館の展示ホールにも彼の工業デザインの優れた商品が並んでいる。
機械生産のよさと民芸の手作りのよさを融合した優れた作品となっている。
撮影日、2025年9月28日、筆者撮影 -
[資料7-1] 松本民芸家具 東大阪市にあった喫茶美術館である(現在は柏原に移転している)が、すべて松本民芸家具で作られている。英国のウインザーチェアの流れを継承し各部材を分業制で作られている。鳥取や松本や北海道の民芸家具はこの技法を継承し発展している。 撮影日、2022年2月11日、筆者撮影 [資料7-2] シェーカーモデルの椅子 英国からアメリカに移住したマザー・アン・リーを中心とするシェーカー教徒の家具はウインザーやフォルク家具からより簡素に仕上げている。「美は役立つものに宿るもの、使い勝手のよいものには最高の美しさがある」と述べている。これらは日本の「民藝」にまた近代デザインにつながる思想といえるだろう。写真はシェーカーの椅子をモデルとしてデンマークでリデザインされ高く評価されているものである。(18) 撮影日、2026年2月1日、筆者撮影 -
[資料8] アアルトスツールとバタフライスツール フィンランドの建築家のアルヴァ・アアルトのスツールと柳宗理のバタフライスツールである。 どちらも曲げ合板という新しい技術により生まれた造形である。 現代デザインでは工人は機械であり、創作の原案は作家である。昔は一人で作っていた民藝の時代から現代ではより分業した作品になっているといえるだろう。 技術がどのように変わっても優れた民藝から現代デザインに流れる用の美は普遍であるといえるだろう。 撮影日、2026年2月10日、筆者撮影
参考文献
(1)『民藝』編集委員会編、『民藝4月号 第808号』、EXPO‘70と大阪日本民芸館、日本民藝協会 會田英明発行、令和2年4月1日、(p18)(p26)
(2)柳宗悦著、『手仕事の日本』、岩波文庫発行、1985年5月16日、(p283)
(3)柳宗悦著、『私の念願』、有限会社不二書房発行、昭和17年6月30日、(p23)
(4)、(6)、柳宗悦著、『柳宗悦全集 第八巻 工藝の道』、筑摩書房発行、昭和55年11月5日、(p96)(p203)
(5)、(8)、柳宗悦著、『工芸文化』、岩波文庫発行、1985年7月16日、(p85)、(p66)、
(7)『民藝』編集委員会編、『民藝5月号 第809号』、もうひとつの民藝運動 三宅忠一と日本民芸教団、日本民藝協会 會田英明発行、令和2年5月1日、(p19)
(9)、(11)柳宗理著、『柳宗理エッセイ』、株式会社平凡社発行、2003年6月29日、(p54)(p36)
(10)藤田治彦著、『ウイリアム・モリス 近代デザインの原点』、鹿島出版会発行、1996年10月10日、(p201)
(12)中見真理著、『柳宗悦』―「複合の美」の思想、岩波新書発行、2013年7月19日、(p64)
(13)別冊太陽編、『柳宗理』さあ良い仕事をしよう、株式会社平凡社発行、2013年7月25日、(p16)
(14)別冊太陽編、『柳宗悦の世界』「民藝」の発見とその思想、株式会社平凡社発行、2006年2月11日、(p85)
(15)別冊太陽編、『柳宗悦』民藝美しさをもとめて、株式会社平凡社発行、2021年11月14日、(p2)(p6)
(16)ジェン・ベルンセン著、『HANS J WEGNER ON DESIGN/ハンスJウエグナー オン デザイン』、株式会社リビング・センター発行、1995年2月14日、(p18)(p87)
(17)武藤章著、『アルヴァ・アアルト』、鹿島出版会発行、昭和44年3月5日、(p79)
(18)島崎信著、『椅子の物語』、NHK出版、1995年3月31日、(P79)(P80)
卒業研究 参考URL
日本民藝館:https://mingeikan.or.jp 2025年11月30日
日本民藝協会(民藝運動の父、柳宗悦): https://www.nihon-mingeikyoukai.jp 2025年11月30日
アーツ・アンド・クラフツ運動:ブリタニカ国際大百科事典小項目事典、大項目事典:kotobank.jp 2025年11月30日