宮水 ― 酒造用地下水の発見と縮小、そして保全の歩み ― 地下水文化資産としての評価 ―

大家 義晴

1.基本データと歴史的背景

日本酒の品質は、米・麹・酵母・水という四要素によって構成されるが、その中でも水は発酵の進行や酒質の方向性をの方向性を決める重要な要素である。
兵庫県西宮市南東部、久保町・石在町・建石町周辺に分布する酒造用地下水「宮水(みやみず)」(1)は、日本酒史において特異な位置を占め、江戸後期以降の灘酒の発展を支えてきた地下水である(2)。
宮水が酒造用水として認識される契機となったのは、江戸時代後期の酒造家・山邑太左衛門による実証的な検証であった。山邑は西宮と魚崎の両地に酒蔵を所有しており、同一の酒米・杜氏・製法を用いても、西宮の蔵で仕込んだ酒の方が明らかに品質が高く美味であることに疑問を抱き、この差異の要因を水質に求めた。莫大な資金を投じて西宮の水を牛車で魚崎の蔵へ運搬して仕込みを行った結果、魚崎においても西宮と同質の美味しい酒が得られた。時に天保11年(1840)のことである(3)。この試みにより、宮水が酒質を決定づける要因であると明白になったことは、日本酒史上きわめて重要な意味を持つ。
宮水の効用が確認されると「水屋」(4)によって井戸を持たない酒造家に宮水が売られるようになった。また宮水を使ってつくられた灘五郷(5)の酒は樽廻船(6)で江戸に運ばれ、「下り酒」(7)として珍重された。

2.評価対象としての宮水―積極的に評価すべき点

宮水は地下2〜5mという浅い帯水層から得られる地下水であり、六甲山系南麓の地質条件と複数の伏流水の重なりによって形成されている。【資料1】
宮水の最大の特性は、東から法安寺伏流・札場筋伏流・戎伏流の3つの伏流水が一点で重なり合う点にある。かつて海であった地域を流れる「法安寺伏流」「札場筋伏流」は酒の発酵を助けるカリウム、リンなどを多く含む。一方夙川を起源とする「戎伏流」は酸素を多く含み、水中の鉄分を酸化鉄として沈澱させて除去する。
これらの伏流水が合流することで、ミネラルが豊富で鉄分が少ない、酒造りに適した「宮水」となる。これらの水質条件が自然の状態で均衡を保っている点に、宮水の独自性がある。単一の良質な水脈ではなく、複数の異なる性質を持つ伏流水の重なりによって成立している点が、他地域の酒造用水とは大きく異なる(8)。自然環境の恵みに支えられ、一般に「奇跡の水」と称されてきた宮水は、酒造文化を直接的に支える無形かつ機能的な文化資産として評価できる。

3.宮水地帯縮小の歴史的過程と他地域との比較

宮水地帯は不変の存在ではなく、地下2〜5mという浅い帯水層のため、建築物等による影響も受けやすく、近代以降の社会変化と自然災害によって段階的に縮小してしまった歴史がある。
第一次宮水地帯は、江戸末期から明治期にかけて形成された最も広範な範囲であり、西宮港周辺までを含んでいた。しかし明治末期から大正期にかけて行われた西宮港の築港・埋立工事により、地下水流路の改変や海水侵入が生じ、水質を維持できない区域が発生した(9)。
第二次宮水地帯の縮小は、昭和9年(1934)の室戸台風による高潮被害が直接的な契機となった。塩水の浸入により塩化物濃度が上昇し、使用不能となる井戸が相次いだ(10)。戦後、高度経済成長期に入ると工業化、宅地開発、交通インフラ整備が進行し、宮水地帯はさらに圧迫され、その結果、現在の第三次宮水地帯は約500m四方という限定的な範囲へと収束している(11)。【資料2】

宮水地帯と他地域との比較として西条の水が挙げられる。広島県西条の酒造用水は軟水であり、自然条件としては酒造に不利とされてきた。しかし三浦仙三郎による軟水醸造法の確立により、低温長期発酵を基軸とする酒造技術が発展した(12)。西条が技術によって水の制約を克服した酒造文化であるのに対し、宮水は自然条件そのものが酒質形成を主導してきた点に独自性がある。本比較は、酒造文化を「自然条件主導型」と「技術主導型」という二つの成立様式から捉える視点を提供する。
一方宮水も人工宮水に挑戦したことがある。宮水保護対策と並行して宮水と変わらない新たな水源を確保するために、京都大学松原教授の指導の下、宮水帯水層よりもさらに深い第二帯水層の水を汲み上げ、改善する方法で約3年の歳月が費やされたが、これにより醸造された日本酒は、宮水を使用した酒と同等の品質を得るには至らず、改めて宮水の酒造用水としての価値が再認識される結果となった(13)。

4.宮水保全の取り組みと今後の展望

貴重な宮水が採取できる宮水地帯の縮小を受け、昭和後期以降、都市開発と地下水保全の両立が重要な課題となった。昭和37年(1962年)には、西宮臨海部に計画された石油コンビナート構想が、地下水汚染や水位低下の懸念から最終的に白紙撤回されている(14)。これは宮水が地域にとって守るべき資源として既に認識されていたことを示す象徴的事例である。
1970年代の山陽新幹線建設では、六甲トンネル掘削が地下水流動に影響を与える可能性が指摘され、施工段階で国鉄(当時)と灘五郷酒造組合(15)が合同で「山陽新幹線六甲ずい道地下水調査委員会」を組織し、地下水への影響調査と管理が行われた。
阪神高速道路建設においては、伏流水の遮断を避けるため、橋脚間隔を当初計画の約45mから最大約87mへと拡大する構造が採用された(16)。これは土木構造そのものを変更して地下水流動を守った点で特筆すべき対応である。
2005年開館の兵庫県立芸術文化センター建設に際しては、建物が最深でGL−7.5mに達する設計であったが、宮水保存調査会が計画段階から調査に加わり、地下水位・水質の継続的モニタリングが行われた。
西松建設によって2012年に行われたマンション建設でも、宮水保存調査会とも密に連携を取り、当初GL−9.4mという計画を構造変更によりGL−8.4mと1m掘削深さを浅くして適切な山留め計画を行い、透水管を設置することにより宮水の水みちを確保し宮水を保護することができた(17)。
また、安井小学校の改築工事においても、宮水保存調査会の掘削深度の制限と事前・事後調査が実施されている。
これらの蓄積を制度的に支えているのが、2018年施行の宮水保全条例である。同条例は、宮水流域における開発行為に対し、事前協議と影響評価を義務付け、地下水を公共的資源として扱う枠組みを明文化した(18)。宮水保全の歴史は、単なる環境保護ではなく、地域文化を支える基盤をいかに次世代へ継承するかという実践の積み重ねである。酒造メーカーも地下水に影響を与えるような開発に対して厳しい対応をとるとともに、酒造りの工程の中で最低限必要な分のみの使用にとどめ、宮水保全の努力が行われている。そのような努力の結果、今後も都市開発と宮水保全の両立が保たれることが望ましい。

5.まとめ

水は国民共有の貴重な財産であり、公共性の高いものであることに鑑み、適正な利用が行われるとともに、全ての国民がその恵沢を享受できることが確保されなければならないという主旨が、水循環基本法第3条の2(19)にも謳われている。
灘五郷酒造組合を中心とした宮水の保全努力は国民の共有財産である地下水の保全に貢献していると言えよう。また灘五郷酒造組合に所属する酒造メーカーは文化面・教育面の両面で地域を支えてきた功績も大きい。特に教育面では全国屈指の進学校の設立に伴う資金を負担しており、多くの人材を輩出した点はもはや地域だけでなく国に対しても大きな貢献と言えるだろう(20)。
しかし、現状のように自治体が直接的に、宮水の水位や水質の監視や管理等を行わず、酒造メーカーと民間の研究機関に地下水管理を依存している状態で、将来にわたって恒久的に宮水の品質が守られるのか、管理体制としてふさわしいのかという疑問を投げかける声もある(21)(22)。
また「宮水」という素晴らしい地下水の価値を地域住民や地域企業をはじめ、国民に知らしめ、関心の持続や喚起を促すことも大切である。
10月の初めに毎年行われる「宮水まつり」(23)は「宮水」への感謝と新酒造りの安全・良質を祈願する神事で、宮水発祥の地で汲み上げられた宮水が西宮神社に奉納される。また同日に西宮神社で行われる「西宮酒ぐらルネサンスと食フェア」(24)も地域住民が宮水を知るきっかけとなることが期待される。
今後も文化的知見・科学的知見・制度的枠組みのバランスをとり、「宮水」が生きた文化資産として維持されることが求められる。

  • 81191_011_32081110_1_1_宮水発祥の地pdf_page-0001 宮水発祥の地の碑(兵庫県西宮市久保町三丁目)。 阪神電車「西宮駅」から南へ徒歩約10分の地点に位置する。 本地は、「櫻正宗」六代目当主・山邑太左衛門が酒造用水としての宮水の特性を見出す契機となった「梅の木井戸」が存在した場所であり、灘五郷の酒造文化を支えた地下水発見の原点とされている。
    (2025年8月21日 筆者撮影)
  • 資料1_page-0001 資料1[宮水の3伏流の図]
    西宮市役所編『西宮市史』第1巻、西宮市役所、1959年「第25図 津門の入り海の 推定復原図」90頁の図
    西宮市ホームページ内「宮水保全のための調査対象区域について」2頁 の図
    https://www.nishi.or.jp/bunka/kanko/jyourei/chousa.files/chirashi_chosa202408.pdf(最終閲覧2026年1月29日)
    両図を参考に筆者作成。
  • 資料2_page-0001 資料2[宮水地帯の変換]
    出典、西宮市ホームページ内「宮水保全のための調査対象区域について」2〜3頁
    https://www.nishi.or.jp/bunka/kanko/jyourei/chousa.files/chirashi_chosa202408.pdf(最終閲覧2026年1月29日)
    GoogleMaps 、坂口謹一郎、楠本憲吉、奈良本辰也、他『灘の酒博物館』講談社、1983年、82〜83 頁、図は同上83 頁の表を参考に筆者作成
  • 81191_011_32081110_1_4_宮水まつりpdf_page-0001 宮水まつり・醸造祈願祭の様子(2025年10月4日筆者撮影)
  • 81191_011_32081110_1_5_酒ぐらルネサンス_page-0001 西宮酒ぐらルネサンスと食フェアの様子(2025年10月4日筆者撮影)
  • 81191_011_32081110_1_6_新酒番船pdf_page-0001 西宮酒ぐらルネサンスと食フェアにおける新酒番船の様子(2025年10月5日筆者撮影)

参考文献

注釈・出典
(1)(註)当初は「西宮の水」と呼ばれていたが、のちに略されて「宮水」と呼ばれるようになった。宮水は、鉄分が少なくミネラル豊富な硬水であり、強い発酵でコシの強いキレのある辛口の酒を生み出す。宮水を仕込み水として使用することで酒質が向上し、灘の酒造りは飛躍的な発展を遂げた。
(出典)環境省
https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=57
(2026年1月28日最終閲覧)

(2)(註)水にはさまざまなミネラルが含まれており、そのうちカルシウムとマグネシウムの含有量を表したものが「硬度」である。通常、日本の水道水の硬度は50 mg/L程度、店頭で販売されているミネラルウォーターの硬度は30~40 mg/Lのものが多い。それに対して宮水の硬度は100mg/Lを越え、硬水の中でも「中硬水」に分類されている。硬度の高い宮水を仕込み水に使用することで、日本酒の「キレ」を生み出すことができ、「男酒」とも呼ばれる灘の日本酒の大きな特徴の一因となっている。(出典)『宮水物語』読売新聞阪神支局編,1966年,318頁〜322 頁

(3)(出典)坂口謹一郎、楠本憲吉、奈良本辰也、他『灘の酒博物館』講談社、1983年、24 頁

(4)(註)牛車に宮水を詰めた水樽を積んで西宮から二里(8km)余りも離れた魚崎や御影などの酒蔵に運ぶと莫大な費用がかかるため、牛車よりも大量に水が運べ、運賃の安い船を利用して宮水を運ぶ「水屋」が江戸後期から昭和初めまであった。尽きることのない宮水を汲み上げて売る良い商売なため、文字通りの「水商売」であった。その後は酒造家が「水屋」の土地を買い取り、「水屋」は井戸の管理料を取るようになって「水屋」は消滅していった。(出典)(3)と同じ、25 頁

(5)(註)灘五郷とは、兵庫県の灘一帯にある5つの酒造地の総称である。東から今津郷、西宮郷、魚崎郷、御影郷、西郷の五郷がある。

(6)(註)上方(現在の京阪神を中心とする地域)で造られた酒は江戸時代初期には菱垣廻船に酒以外の荷物と共に江戸に運ばれていたが、日数がかかることや、海損時の補償が荷主である酒造家に求められるなど不利な問題が生じた。そこで享保15年(1730)に酒荷を運ぶ専用の船として登場したのが樽廻船である。酒は腐敗しやすい商品のためできるだけ輸送日数が短いことが望まれる。菱垣廻船の場合、食料品から日用品まで様々な荷物を一緒に積み込んでいたため集荷から出帆まで多くの時間が費やされていたのに対し、樽廻船の場合は同一規格の酒樽を専用に運ぶため輸送日数が短いという利点があった。樽廻船登場当初は上方から江戸間まで平均1ヶ月かかっていたが、幕末期には10日から2週間ほどに短縮された。
(出典)第40回西宮市立郷土資料館特別展示図録「酒都西宮ものがたりー下り酒・酒造家とまちのあゆみー」13 頁〜14 頁、編集・発行西宮市立郷土資料館、令和7年(2025)9月13日

(7)(註)江戸時代、上方から江戸へ運ばれる品々は「下りもの」と呼ばれて珍重され、酒もその一つだった。特に伊丹酒は近世の早い時期から江戸で大人気となり、「丹醸」とも呼ばれていた。伊丹の清酒醸造技術は池田や西宮といった周辺都市へと伝播され上方における銘醸地が次々と生まれ、江戸後期には灘の酒が主流となっていく。樽廻船で上方から江戸へ運ばれる酒は「下り酒」と呼ばれ上方の日本酒は江戸で大変な人気を博した。(出典)(6)と同じ、5 頁

(8)(出典)(3)と同じ、83 頁

(9)(註)大正のはじめ、酒屋、水屋が「どうもおかしい」と騒ぎ出した。宮水の塩分が急に増えたのである。買い水をしている他郷からも「もっと良い水をよこせ」とクレームがついた。明治末から続けられてきた西宮港の修理工事が直接の原因だった。石垣の修理と同時に港を深く掘り下げたため海水の圧力が高くなり、宮水地帯の浸透が始まった。これを予言したのが白鷹(西宮郷の白鹿から分家した酒蔵)の初代・辰馬悦蔵であった。既に隠居の身であった悦蔵は宮水が塩辛くなることを危惧して工事のやり方を変えるように進言したが止めることはできなかった。工事の設計を見直す運動をすべきだったと後から悔やまれたが後の祭りの結果となってしまった。
(出典)春木一夫・ほか『白鷹ものがたりー人生酔語録』株式会社電通神戸支局、1983年、37 頁〜38 頁

(10)出典(3)と同じ、82 頁

(11)出典(3)と同じ、83 頁

(12)(註)三浦仙三郎の酒造業の開始は明治9年(1876)からのことであるが、当時の広島で醸造した酒は特産地として知られる灘の酒と比べて明らかに劣っていた。三浦は研究を重ねて水質に原因があることを突きとめた。広島の水は軟水であるため酵母の勢いがなく、甘く日持ちが悪い酒となりやすかった。軟水質を克服するための実験を重ねた結果、遂に軟水醸造法を見い出すことに成功した。軟水醸造法は麹を育てることに特徴がある。硬水だと酵母が活発に働くために若い麹を使用するが、それに対して軟水は米の内部に充分麹が行き渡るようにし、しっかりとした麹を作ったのである。こうして軟水醸造法によって造られた酒は広島を中心に販路の拡大を見ることとなった。
(出典)落合攻『広島の酒と三浦仙三郎』広島修道大学学術リポジトリ10 頁 〜11 頁

(13)出典(3)と同じ、26 頁

(14)(註)西宮市は昭和35年に香櫨園浜沖を埋め立てて、石油コンビナート誘致を発表するが、市民、酒造業者による誘致反対運動が起こった。反対の理由として住宅のしての良好な環境維持と共に宮水保全も掲げられていた。「石油化学工場誘致反対に関する事由緒」は酒造会社職員がまとめたとされている。また反対運動の経費は、寄付金の他、酒造会社各社から原料米数量に応じて拠出された。昭和37年に誘致は白紙撤回されその後の市長戦では酒造家出身の誘致反対候補者である辰馬龍雄氏が当選し、「文教住宅都市宣言」が議会で提出された。
(出典)酒井彰・日本水循環文化研究協会『宮水(地下水と文化)』3 頁 Wordファイル ダウンロード URL: https://npo-jade.com/wp-content/uploads/2022/12/宮水(地下水と文化).docx
(2026年1月28日最終閲覧)

(15)(註)灘五郷酒造組合では、宮水を守るために、西宮地区では「宮水保存調査会」神戸地区では「水資源委員会」を組織活動している。対象範囲内における建設解体等土木工事については事前の協議を義務づけている。
(出典)酒造用地下水(宮水)の保全に関する対応の件
灘五郷酒造組合
https://www.nadagogo.ne.jp › about › miyamizu
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西宮市宮水保全のための調査対象区域図についてhttps://www.nishi.or.jp › kanko › jyourei › chousa
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(16)(出典)神戸新聞「阪神高速道路と宮水保全」
https://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/202410/0018183568.shtml
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(17)(出典)西松建設技報 VOL.36「灘五郷の酒造に使用する名水『宮水』流域での地下掘削工事の施工報告」
https://www.nishimatsu.co.jp/solution/report/pdf/vol36/g036_08.pdf
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(18)(出典)西宮市宮水保全条例について
https://www.nishi.or.jp/bunka/kanko/jyourei/miyamizuhozen.html
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(19)(註)水循環基本法第3条の2には
「水が国民共有の貴重な財産であり、公共性の高いものであることに鑑み、水については、その適正な利用が行われるとともに、全ての国民がその恵沢を将来にわたって享受できることが確保されなければならない。」と謳われている。(出典)水循環基本法第3条の2
https://laws.e-gov.go.jp/law/426AC0100000016#E
(2026年1月28日最終閲覧)

(20)(註)灘五郷において西宮市が拠点の日本酒「白鹿」の酒造オーナーである辰馬家は、中高一貫の名門校である甲陽学院中学・高校を設立し、神戸市が拠点の日本酒「菊正宗」の酒造オーナーである嘉納家は、灘中学・高校を設立し、教育に力を入れた。また辰馬家は5代目と7代目の市長が辰馬家出身であり、西宮市庁舎と市立図書館を建設するために私財を投じた。
(出典)「白鹿」「菊正宗」名家の知られざる系譜と課題
兵庫・灘五郷に集う有力酒蔵が放つ存在感
https://toyokeizai.net/articles/-/194133?display=b
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(21)(出典)(14)と同じ、5頁
Wordファイル ダウンロード URL: https://npo-jade.com/wp-content/uploads/2022/12/宮水(地下水と文化).docx
(2026年1月28日最終閲覧)

(22)(註)田中まさたけ議員は安井小学校改築時に宮水安全条例の運用についての透明性の向上を訴えた。西宮市長が会長を務める宮水保存調査会において、市長に対して事業主また民間事業主に対しても大きな負担を求める中、本当に宮水が保全できているのか全く不透明な状況になっていることを指摘し、改善を求めている。
(出典)宮水保全条例の運用ー費用対効果の追求を田中まさたけ
https://masatake.jp › ...
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(23)(註)宮水まつり・醸造祈願祭
10月第一土曜日に西宮市久保町にある宮水発祥の地記念碑前に於いて行われる。宮水まつりは酒づくりに最も適した水である「宮水」への感謝と銘酒の産地である灘・西宮の酒への認知を拡大するために西宮市内の酒造メーカーと共同で平成元年(1989)から始まった祭りである。
(出典)西宮神社10月(神無月)の祭典・行事案内 - えびす宮総本社 西宮神社 ...
nishinomiya-ebisu.com
https://nishinomiya-ebisu.com › 年中行事
(2026年1月28日最終閲覧)

(24)(註)西宮酒ぐらルネサンスと食フェアは、1995年の阪神・淡路大震災からの復興を契機として生まれたイベントであり、地域への感謝、酒文化の継承、市街地活性化など複数の目的を併せ持ちながら成長してきた。会場は西宮神社を中心に、蔵元ブースや飲食ブース、ステージ企画、大学生による体験型コンテンツなど多層的に構成される。
(出典)10/4(土)5(日)西宮酒ぐらルネサンスと食フェア2025年秋開催しますイベント情報http://nishinomiya-kanko.jp
(2026年1月28日最終閲覧)

参考文献

坂口謹一郎、楠本憲吉、奈良本辰也、他『灘の酒博物館』講談社、1983年
白井操『兵庫の酒がつなぐ30の物語』NHK出版、2019年
吉田元『近代日本の酒づくり』岩波書店、2013年
木下光、東野友信、前谷吉伸『銘酒と名建築を味わう旅』エクスナレッジ、2024年
柚木学『酒造りの歴史』雄山閣、2005年
勝谷誠彦『獺祭 この国を動かした酒』扶桑社、2017年
春木一夫・編者『白鷹ものがたり』創文社、1983年
高橋理人『酒ビジネス』クロスメディア・パブリッシング、2024年
兵庫酒米研究グループ・遍著『山田錦物語』のじぎく文庫、2010年
西村隆治『灘の蔵元三百年』径書房、2014年
酒文化研究所編『酒と水の話』紀伊國屋書店、2003年
都留康『お酒はこれからどうなるか』平凡社、2022年

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