
浦賀レンガドックの価値と展望について
1)基本データと歴史的背景
浦賀レンガドックは、神奈川県横須賀市の浦賀にある、明治32年(1899年)に作られた、国内外でも貴重なレンガ作りの造船ドックの遺構である。(写真1)大きさは、長さ180m、幅約20m、深さ11mの船舶の修理用のレンガ作りのドックで、レンガは約215万個使用され、積み方はフランドル積み(通称フランス積み)である。(写真2)2025年現在、残念ながら国や県・市の文化遺産には登録されていない。浦賀ドックの歴史は18世紀後半、異国船の来航が日本各地で見られ、幕府も国防を重視する観点から、1853年のペリー黒船来航時には、浦賀に幕府の造船所が作られたことに始まる。明治維新後は、水兵練習場(後の浦賀屯営)(写真3)が作られ、その屯営が廃止されると、その跡地に、民間の会社である浦賀船渠(株)が設立された。当時の造船所は、三井、三菱などの財閥や横須賀造船所のように海軍の管轄のものが多かったが、浦賀船渠は民間が主体となって設立された。幕臣であった浦賀奉行与力中嶋三郎助が箱館戦争で没してから23回忌を弔う式典が明治25年(1892年)に西浦賀の愛宕山で行われた際に、箱館戦争での戦友である荒井郁之助(生没不詳)が中島の意志を継ぐためにも浦賀に造船所を作ろうと提案し、その場にいた榎本武揚(1836〜1908年)や浦賀の豪商大黒屋臼井儀兵衛(生没不詳)などが賛同。当時は日清戦争(1894〜1895年)で船舶不足であったので、明治政府は、明治29年(1896年)に造船奨励法を制定し、日本各地に造船所が作られ始めた。渋沢栄一(1840〜1931年)も造船所の建造を進め、西浦賀の川間に、日本最初のレンガドックを完成させている(後に浦賀船渠に合併)。浦賀船渠の設立にあたり当時榎本は明治政府の重要ポストにおり、影響力を発揮し、明治29年(1896年)浦賀船渠株式会社が資本金百万円でスタートした。明治32年(1899年)、背後の山を崩し海側を掘り下げ、レンガ積みのドライドックが完成。当時、ドライドックは、石積み、コンクリート、レンガ積みの3種類の工法があり、日本最初のドライドックである、横須賀造船所は、石積みであり、現在でも米国海軍が使用している。浦賀ドックの設計は、当初オランダ人技師が行い、その後ドイツ人技師となり、最後は幕臣であった日本人技師杉浦栄次郎(生没不詳)などにより完成した。浦賀ドックにレンガ積みが採用されたのは、明確な理由は不明であるが、おそらく民間で資金不足もあり、その当時安価で加工しやすいレンガ積みが採用されたものと思われる。レンガは耐水性がある愛知県岡崎の焼過レンガが使用された。レンガドックはその後の関東大震災の際も、大きな損傷もなく残っているのは、当時の技術の高さを物語っている。レンガドックは、2003年に、造船所が閉鎖されるまで約1000隻の船の修理を行なった。(写真4)閉鎖されるまでの造船所の歴史を浦賀ドックに勤めていた、住友重機械工業(株)の担当者に、工場内の展示施設を見せていただき、貴重なお話も伺った。。2021年にレンガドックエリアは浦賀船渠を引き継いだ住友重機械工業(株)より横須賀市に移管され、浦賀レンガドック活用センター(写真5)が作られ、横須賀市のレンガドック活用イベント実行委員会とボランティア団体「ドックと浦賀の歴史を愛する会」によって管理運営され、横須賀シティガイド協会による毎月2回程度の定期的なガイドツアーの実施(写真6)、各種イベントの実施、市内の学校への教育活動などを行い、歴史的遺構の啓蒙活動を行なっている。
2)浦賀レンガドックの特徴
①世界中で現存する数少ないレンガ作りのドック。(日本とオランダのみ)
②操業はしていないので、底部まで降りることが出来、造船や船の修理のイメージが湧きやすい。
③ペリー来航の地で、近代日本の発展のきっかけとなった町に残り、海洋国家として日本の造船の黎明期を伝える貴重な遺構
④現在浦賀町の中心的なエリアにある為、新たなコミュニケーションスペースとしての価値がある。
浦賀レンガドックの歴史的価値について、郷土史家で横須賀開国史研究会会長の山本詔一氏は、「創建当時の構造物が残っており、現役でも使える」点を上げていたが、懸念として「しばらく水を入れていないので、水圧による構造体の耐久性に若干の不安は残る」と述べていた。
3)国内外の歴史的造船施設との比較検討
日本の開国や造船の歴史を伝える施設として、最も規模が大きく充実しているのは、横浜にある「帆船日本丸・横浜みなと 博物館」である。ドックには日本丸が係留され、隣接するドッグヤードガーデンは、石作りのドックを改装して、ショッピングエリアと繋がっている。近隣の氷川丸やハンマーヘッドパークなどを含めた横浜臨港エリアは、横浜の発展と日本の近代化を、港湾の変遷から立体的に捉えることができる観光施設である。(註1)
長崎県には世界遺産である明治日本の産業革命遺産として造船関係の施設が3つあり、ドックはレンガ作りではなく現在もクレーンとともに稼働中で非公開。(註2)「ららぽーと豊洲」は造船所の跡地に造られたショッピングセンターで、ドックを海上交通の発着所として活用し、クレーンも残してあり、空きスペースを「ドッグラン」として利用している商業施設。(註3)
海外では、オランダに、レンガ作りのドックを活用した2つの海軍、造船資料館(ヘルフースルイスの造船施設野外展示場・デン・ヘルダーの野外展示施設)あり、どちらも船が係留されている。(註4)
ドックとしては、他の施設でも有効な活用方法が見られるが、浦賀レンガドックは、日本の近代化のきっかけとなったペリー来航の地にあり、民間の力でレンガでドックを作った日本では浦賀にのみ残る貴重な遺構で、今後の活用の可能性がある。
4)今後の展望
2021年に修理部門であるレンガドックエリアが横須賀市に無償提供され、レンガドック活用センターができ、ドックの歴史を後世に伝える活動を行えるようになった。また、2024年には、横須賀市と住友重機械工業(株)(浦賀ドックを継承した会社)が協定を結び浦賀駅前を含む、残りの造船所エリアと付属施設を一体として活用できる方向性が示された。そこで横須賀市は、調査を行った上で、浦賀駅前周辺地区活性化事業として浦賀造船所跡地に開発を推進するパートナー企業の募集を開始、2027年以降の着工を目指すこととなった。長年浦賀ドックの前にあった、浦賀警察署も移転解体が終了し、駅前一体で開発できる環境が整いつつある。昨年から、比較的若い経営者が、クラフトビールの店がオープンしたり、特徴的なパン屋が繁盛したり、旧来からの店とも共同で、神社の境内でイベントを行ったりする新しい動きも起こりつつある。開発は、横須賀市と住友重機械工業(株)と選定業者で進められていくが、集客重視の施策だけではなく、海上交通の起点としての再確認と、歴史と文化遺産が残る活気ある新たな浦賀を作り上げる施策の実現を期待したい。
5)まとめ
浦賀は江戸時代までは、港を挟んで、西浦賀と東浦賀と別れて発展してきた。明治維新後、港の奥に造船所ができた為、以前町ではない場所が造船所となった。(説明図1)町の近代化は巨大な造船所が出現したことで、地元住民の参加に伴って行われたとは言い難い状況である。造船所の発展と共に、住民は、近隣の丘を切り開いた住宅地に住むようになり、職住が一体となった企業城下町が形成され、造船所が閉鎖になると、町の中心に大きな空間が残った。浦賀レンガドックの価値は、設立時には、日本の近代化・造船業の発展に寄与し操業時には地域の経済成長に貢献してきた。そして本来の役割を終えた浦賀レンガドックは、地域のシンボルとなり、歴史的文化遺産として認定されることで、持続的で地域住民が参加する活動の中心となることを望む。
参考文献
大豆生田稔著『港町浦賀の幕末・近代 解剖と国内貿易の要衝』清文堂、2019年
歴史的造船施設シンポジウム2009実行委員会編『日本とオランダ・ドイツの歴史的乾ドックとその周辺」シンポジウム論文集、2009年
レンガドック活用イベント実行委員会編『浦賀ドックと浦賀の町の関わり』2016年
レンガドック活用イベント実行委員会編『浦賀ドックの記憶〜住重OBが語る船舶修理』2017年
レンガドック活用イベント実行委員会事務局編『第38回レンガドック活用イベント記録』横須賀 レンガドック活用イベント実行委員会、2014年
浦賀コミュニティーセンター分館(郷土資料館)パネル展示
浦賀レンガドック活用センター パネル展示
住友重機械工業株式会社浦賀工場展示室 パネル展示
住友重機械工業株式会社横須賀造船所編『浦賀・追浜百年の航跡』住友重機械工業株式会社横須賀造船所、1997年
浦賀船渠株式会社編『浦賀船渠六十年史』浦賀船渠、1957年
横須賀市編集『新横須賀市史 通史編 近現代』横須賀市発行、2014年
横須賀市編集『新横須賀市史 通史編 近世』横須賀市発行、2011年
横須賀市編集『新横須賀市史 別編 文化遺産』横須賀市発行、2009年
世界遺産検定事務局『世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト4版第5刷』NPO法人世界遺産アカデミー、2022年
(註1)「帆船日本丸・横浜みなと博物館」 https://www.nippon-maru.or.jp (2025年1月15日閲覧)
(註2)長崎の造船関係の世界遺産 https://www.at-nagasaki.jp/theme/theme4 (2025年1月15日閲覧)
旧木型場〈三菱重工業(株)長崎造船所「史料館」〉
ジャイアント・カンチレバークレーン【非公開施設】
第三船渠【非公開施設】
(註3)ららぽーと豊洲 https://mitsui-shopping-park.com/lalaport/toyosu/floor/ (2025年1月25日閲覧)
(註4)オランダの造船博物館
ヘルフースルイスの造船施設野外展示場関係
https://debuffel.nl/fortresse-vestingeiland-holland/ (2024年8月10日閲覧)
デン・ヘルダーの野外展示施設
https://willemsoordbv.nl/te-zien-en-te-doen-op-willemsoord/museumhaven/ (2024年8月10日閲覧)
参考webサイト
浦賀レンガドック公式サイト
https://www.wakuwaku-yokosuka.jp/uragarengadock.php (2024年12月10日閲覧)
横須賀市観光情報サイト 浦賀ドック
https://www.cocoyoko.net/spot/uragadock.html (2024年12月10日閲覧)
横須賀市公式サイト 浦賀レンガドック
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/0810/uraga-dock.html (2024年12月15日閲覧)
横須賀市公式サイト 浦賀レンガドック活用イベント実施委員会
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/4821/uraga_saiseibi/jikkouiinkai.html (2024年12月15日閲覧)
横須賀市公式サイト 浦賀レンガドック活用調査について
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/0810/20210302uragadock_proposal.html (2024年12月閲覧)
横須賀市公式サイト 浦賀駅前周辺地区活性化事業におけるパートナー事業者の公募について
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/0810/project/uragaproposal.html (2025年1月10日閲覧)
横須賀シティガイド協会 ガイドツーアー
https://yokosuka.kankoh-guide.com/uraga-dokku-hp/uraga-dokku-guide.html (2024年12月18日閲覧)