太田市曹源寺(栄螺堂)の文化的価値 ー落書きで新たな観光信仰ー

金井 正行(大学行脚)

はじめに

群馬県太田市に、日本三大栄螺堂の一つ曹源寺がある(図1)。筆者を含め太田市で育った子供たちは、太田かるたの絵札で曹源寺に親しんだ。曹源寺の文化資産を評価し、報告する。

1.基本データと歴史的背景

曹源寺は(図1)。文治三年(1189)に、新田義重が養姫祥寿姫の菩提を弔うために旧本堂が開基された。栄螺堂は1798年に建てられた。曹源寺の構造は、外観は二層だが内部は三層で構成された二重螺旋構である。栄螺の様な構造で栄螺堂といわれ、元々は観音堂であった。1階には本尊の他に、右回りに秩父34観音、2階には板東33観音、3階には西国33観音を模した観音を配置している。全て巡ることで、百札所を巡った功徳を得られるとされている。1852年に本堂の全焼により観音堂が本堂となった。
江戸時代には、関東を中心にこのような栄螺堂が建てられた[1]。2重螺旋構造と百札所巡りが出来る手軽さから、当時の庶民に人気であった。初の栄螺堂は、江戸の五百羅漢さざゐ堂で、葛飾北斎、歌川広重が賑やかな様子を浮世絵に描いている[2][3]。
曹源寺は昭和5年以降は大改修はなかったが、傾きが大きくなって2017年に改修工事を実施した。翌年に国の重要指定文化財に登録された。2階の坂東、3階の西国の観音像は、建立当時の観音像である。文化財保存工事計画協会(2018)によれば、1階の秩父観音像は、廃仏毀釈運動で破棄されて1階は小学校が借用した。1階の秩父34カ所の観音像は寺へ返還後に寄進されている[4]。
なお栄螺堂は仏の周りを三回まわる行為「右繞三匝」から、三匝堂(サンソウドウ)ともいわれ[5]、曹源寺も三匝堂を標榜する。

2.積極的に評価する点

栄螺堂の評価点を3つ挙げる。

①栄螺堂の希少な数

現在は全国に6箇所である。埼玉県本庄市(図2)、福島県会津若松市(図3)、群馬県太田市(曹源寺)、東京都足立区(図4)、茨城県取手市(図5)、青森県弘前市[6]である。なお埼玉・福島・群馬の3つは、日本三堂栄螺堂と呼ばれ、通年で自由に拝観できる。これ以外の栄螺堂は、事前連絡が必要(青森)、年1回の公開(茨城県)、非公開(東京都)である。埼玉・福島・群馬の3つは,観光信仰の機会を通年で与える。

②百カ所巡りと右繞三匝の仏教的価値

西国三十三ヶ所巡礼は院政期の唱導僧が住んだ寺を巡る信仰行為で、15世紀に民間のツーリズムとなった。巡礼は岐阜から兵庫までに及ぶ。速見侑(1996)は、板東札所巡り(33カ所)は13世紀に、15世紀に秩父札所巡り(33カ所)が出来た。後に秩父が1カ所増え、合計で百カ所巡りとなることで三つの霊場巡りを一体化したという[7]。百札所巡りは徳を積む行為で、栄螺堂は一棟で手軽に出来る。また当時3階建ては少ないため、良い景色が眺められた。観光の価値も高かったと考えられる。五百羅漢寺さざゐ堂の浮世絵は最たる例だ。
仏教では仏の周りを三度回る「右繞三匝」が重要な礼法である。浄土宗によれば、右繞三匝は死者や仏に礼を尽くす行為で僧侶は右回りに周りを三度回る。それは比丘達が釈迦の入滅後、棺を三匝した行為に由来するという[8]。また三業・三徳・三尊を供養して煩悩を消す意味づけがある[9]。栄螺堂では拝観が右繞三匝となり、徳を積む仏教的価値を与えるのだ。

③娯楽性

曹源寺は一度も同じ通路を通ることなく拝観しながら上って降りられる(図6~12,図14)。曹源寺では多くの人々が訪れた証拠の落書きが残されている(図15,図19~図22)。それは2017年に改修工事で、ベニヤに覆われた壁をはがしたことで明らかにされた。改修時に組織された「さざえ堂」修理検討委員会は、落書きに民俗的価値があるとして、再び覆わなかった[10]。現代にかけて壁の落書きは千社札を張る行為に変化をし、全国の社寺にもそれがみられる。曹源寺では江戸時代の人々が多く訪れ、楽しんでいた様子が落書きから伺える。江戸時代当時に、栄螺堂に娯楽性があった証拠なのだ。

3.曹源寺の特筆すべき点

①建物の歴史と保存状態

曹源寺は江戸時代より代々住職らが維持に努めてきた。ここで表1に比較を挙げる。星野住職によれば、大きな改修は昭和5年と平成29年の2回あったが多くは維持されている。また再建はなく、建物のサイズは栄螺堂最大級である[11]。
本庄市の成身院百体観音堂は、幕末に全焼失し明治期に再建された。百観音も再寄進されたが度々盗難に遭い、百観音は材質・サイズに統一感がなく普段は無人である。受付窓口の本庄市農業センターによれば、拝観者数は太田と同等の一日8人ほどだ。
福島県の三匝堂は、スロープでの二重らせん構造の六角堂だ。白虎隊の地、飯盛山にあり観光の目玉である。平成8年に国の重要指定文化財の指定を受けた。江戸時代には西国33観音が安置されて拝観が出来た[12]。今は私有物で、廃仏毀釈により観音はなく、絵が飾られている。現代の来場者数は、山主の飯盛さんによれば一日およそ200人超の来場者がある。
このほか茨城県取手市の三世堂は年1回の公開である。奥行・間口がおよそ11.5mで小さい。百体観音が納められ、百札所巡りができる[13]。青森県の六角堂は小さい。管理者に事前連絡し、鍵を借りて見学ができる[6]。西新井大師三世堂は明治の再建であり、西国・坂東・秩父の百札所巡りではない。また老朽化で、梯子が外されて非公開である。
よって総合的に考えれば、百札所巡礼や右繞三匝ができ、多くが維持されて通年で拝観できる。そしてその大きさは最古級・最大級である。この3点が、曹源寺は他に比べ特筆できる。

②観光信仰の証

2017年の改修時に露にされた落書きは、栄螺堂内のあらゆる壁に現れた(図14)。それは江戸期の来訪者が筆書きしたのだ。例えば図20では「石川(何某) 文化八年」等と書かれている。またこのほか図19,22では妖怪や侍のイラストの落書きも残されている。またさざえ堂を詠った俳句(図21)もあった。
五百羅漢さざゐ堂の浮世絵では、景色を楽しむ様子が描かれた。このような観光信仰の証拠が、曹源寺では落書きだったのだ。これら落書きは、ベニヤで覆われた過去があり、一時期は隠したいものだった。露出させた今は、ただの落書きではなく貴重な観光信仰の証拠である。本庄市や会津若松市の栄螺堂では、千社札があるものの、落書きを見ることは出来ない。

4.今後の展望

栄螺堂では現在、市内寺院と連携した七福神スタンプラリー(図16)や御朱印(図18)、SNSやインターネットで内観日を情報発信している。また新・太田かるたの札に採用され、地域の子供の郷土学習になっている[14][15]。星野住職によると一日に5~6人程の参拝者だという。しかし、観光勧進は手広くやる予定はないともいう。地域の寺として仏事や檀家を大事にし、余力で出来る範囲でやりたいと述べた。
とはいえ檀家や信者の減少と寺の運営に不安に感じていた。太田市の人口も暫時減少している[16]。筆者は飯盛山の三匝堂のような多くの観光者を招く事は難しいが、改修工事で現れた多くの落書きを資源に観光勧進するべきと考える。事例に滋賀・長浜にある妙立寺では、壁の落書きを観光資源として観光の目玉としてガイドツアーを組んでいる[17]。妙立寺のガイドは当時の人々の暮らしに触れる機会を与えている。
曹源寺では落書きについて特に情報発信して来なかったという。2017年以前に曹源寺に訪れた参拝者の多くはこの落書きを知らないだろう。訪れた人々が見なかった新たな「落書き」という価値ある存在を、SNSなどインターネットで発信するべきと考える。それは10代~50代の6割以上が情報収集をインターネットで行っているからだ[18]。その現代流の観光勧進が人を呼び、寺の維持・継承の助けとなるだろう。

5.まとめ

曹源寺(太田市栄螺堂)は国の指定文化財になった(図13)。拝観した際に維持されている空間だと感じられるのは、寺に住職がいて維持に努められてきたからだ。地域の寺院の共通課題である地域の人口減少による檀家の減少や、観光勧進とのバランスの問題、寺の継承などを星野住職は不安を口にしていた。筆者はこれまで通りに地域・市が郷土愛を高める郷土学習を子供たち行うこと。そして二重らせん構造・右繞三匝・百札所巡り(歴史的・仏教的価値)の従来の魅力に加えて、恥であった落書きを新たな価値としてPRをする。それが観光勧進、維持継承につながると考える。

  • 81191_011_32383036_1_1_図1 筆者撮影 図1曹源寺(撮影日2025-1-25)
  • 81191_011_32383036_1_2_図2〜5_page-0001 筆者撮影 図2成身院百体観音堂(撮影日2022-11-19)、図3旧正宗寺三匝堂(撮影日2023-9-18)、図4西新井大師三世堂(撮影日2024-8-1)、図5長禅寺三世堂(撮影日2024-6-30)
  • 81191_011_32383036_1_3_図6-13_page-0001 筆者撮影 図6-13.曹源寺内各所(撮影日2022.10.28)
  • 81191_011_32383036_1_4_図14.新・曹源寺見取り図_page-0001 図14.曹源寺見取り図 芸術教養演習2にて作成した見取り図に情報を加えた。
    金井正行(2024)《太田市さざえ堂見取り図》
    芸術教養演習2にて制作した見取り図に落書きの個所を書き足し、特徴を書き加えた。
  • 81191_011_32383036_1_5_図15-22_page-0001 筆者撮影 図15~図18堂内外の様子(撮影日2024-8-2)、図19~22各所落書き(撮影日2024-10-28)
  • ‚P_page-0001 筆者が取りまとめた表であり、現地での調査を行ったほか、資料から引用をおこなった。(引用先は表右下に記載)

参考文献

参考文献

[1]文化財保存工事計画協会(2018)『群馬県指定重要文化財曹源寺ささえ堂保存修理報告書』
pp2-7 現存しない梅園院地蔵堂を含めて7か所、江戸期に栄螺堂は建てられた。
[4]同上 p48,[10]p15

[7]速見侑 著(1996)『観音・地蔵・不動』講談社,pp187-189

今井青史 編(2010)『平等山宝金剛寺成身院史』真言宗豊山派成美院
菅井晴雄 著(2006)『広重三都めぐり 京・大坂・江戸・近江』人文社 pp4-5,pp96-97
鈴木重三 著(1986)『葛飾北斎 富嶽百景』岩崎美術社 p249
関根正雄 著(1973)『曹源寺・栄螺堂と三匝堂』太田市文化財保護調査会pp1-13
群馬県高等学校教育研究会支部会(2005)『群馬県の歴史散歩』p137
祥寿山 曹源寺『日本三堂 さざえ堂 パンフレット』

[2]文化遺産オンライン『冨嶽三十六景《五百らかん寺さゞゐどう》』
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/199361 (参照日2024-9-1)

[3]『五百羅漢さざゐ堂』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第21回
https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004021/  (参照日2024-2-21)

[5]足立区『總持寺三匝堂(そうじじさんそうどう)一棟』
https://www.city.adachi.tokyo.jp/bunka/chiikibunka/bunkazai_sojijisansodo.html(参照日2024-10-17)

[6]弘前市『栄螺堂』https://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/shi/shi2.html
(参照日2024-9-1)蘭庭院が管理をしており、事前連絡の上、蘭庭院から鍵を預かって拝観する。普段は閉鎖している。

[8][9]浄土宗『新編纂浄土宗大辞典 さんぞう/三匝』
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E5%8C%9D(参照日2024-2-21)

[11]太田市『曹源寺栄螺堂』 https://www.city.ota.gunma.jp/page/4201.html (参照日2024-9-1)

[12]会津若松観光ナビ『さざえ堂(国指定重要文化財』
https://www.aizukanko.com/spot/138(参照日2024-9-1)

[13]取手市教育委員会『茨城県指定有形文化財 長禅寺三世堂 』
https://www.city.toride.ibaraki.jp/maibun/bunkakatsudo/rekishi/shitebunkazai/documents/20110510-145526.pdf(参照日2024-9-1)4/18日のみ中が公開され、拝観することができる。

[14]太田市『太田かるた』https://www.city.ota.gunma.jp/page/2710.html(参照日2024-9-8)
新カルタは、「アジサイと百観音のさざえ堂」の札となった。旧カルタでは「まわって上るさざえ堂」である。

[15]太田市立城西小学校『学校日記』
https://ota.schoolweb.ne.jp/1010049/weblog/5356571?tm=20201218074130(参照日2024-9-8)
市内小学校の太田かるた導入事例。この市内小学校では社会教育、郷土学習に役立てられている。

[16]太田市『太田市の人口』
https://www.city.ota.gunma.jp/uploaded/attachment/1856.pdf(参照日2024-10-28)

[17]産経新聞(2018-8-10)『ぼやき、イラスト…江戸~明治の「信者の落書き」を観光資源に 滋賀・長浜の「らくがき寺」妙立寺』
https://www.sankei.com/article/20180810-2VHGZA5IAFO2XNAWA27LYXCBAY/(参照日2024-10-27)

[18]総務省(2020)『メディアとしてのインターネットの位置づけ』
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r02/html/nd252550.html(参照日2024-10-26)
趣味・娯楽に関する情報を10代~50代の6割はインターネットから収集している。

インタビュー
・曹源寺住職 星野さん 男性(2023-8-9~2024-10-28)計13回
訪問でヒヤリングを協力していただいた他、XでのDMをやり取りした。

・飯盛本店社長 飯盛さん 男性  電話でのインタビュー(2024-10-27) 
廃藩置県の際に、払下げとなった正宗寺の領地・飯盛山を買った飯盛家の末裔の方。飯盛山で商店を構え、会津若松市の旧正宗寺三匝堂の所有者。

・本庄市農業センター 受付の男性 電話でのインタビュー(2024-10-27) 
農業センターは本庄児玉のさざえ堂のふもとにある施設で、地域の工芸品や農産品の販売、拝観受付を兼ねる。


画像・写真 

図1.太田市曹源寺(太田市栄螺堂) 群馬県太田市東今泉町165(撮影日2025-1-25)
図2.本庄市成身院百体観音堂(宝金剛寺)本庄市児玉町小平653(撮影日2022-11-19)
図3. 会津若松市の旧正宗寺三匝堂 福島県会津若松市一箕町大字八幡弁天下1404(撮影日2023-9-18)
図4.西新井大師三匝堂(總持寺三匝堂)東京都足立区西新井1丁目15(撮影日2024ー8-1)
図5.取手市長禅寺三世堂 茨城県取手市取手2丁目9−1(撮影日2024ー6-30)
図6~13.太田市曹源寺内 (撮影日2022-10-28他)
図14.太田市源寺見取り図(作成日2024-5-18および2024-10-28)
図15.太田市曹源寺 壁の落書き (撮影日2024ー8-2)
図16.太田市曹源寺 太田市七福神スタンプラリースタンプ (撮影日2024ー8-2)
図17.太田市曹源寺 曹源寺館内シールラリー台紙および景品(撮影日2024ー8-2)
図18.太田市曹源寺 御朱印受付(撮影日2024ー8-2)
図19.太田市曹源寺 妖怪濡れ女の様な落書き 2階 (撮影日2024-10-28)
図20.太田市曹源寺 石川何某の落書き(中央)2階から3階へ向かう階段の壁(撮影日2024-10-28)
図21.太田市曹源寺 さざえ堂を詠った俳句の落書き 3階(撮影日2024-10-28)
図22.太田市曹源寺 侍の落書き 3階(撮影日2024-10-28)

表1(栄螺堂の比較)
・観光信仰の跡について
筆者 現地観察 (太田市、本庄市、会津若松市、取手市、西新井大師)
・その他情報
関根正雄(1973)『曹源寺・栄螺堂と三匝堂』太田市文化財保存調査会
取手市教育委員会 『長禅寺三世堂』(長禅寺パンフレット)
https://www.city.toride.ibaraki.jp/maibun/bunkakatsudo/rekishi/shitebunkazai/documents/20110510-145526.pdf(参照日2024-9-1)
本庄市観光協会ホームページ『成身院百体観音堂(さざえ堂)』
https://www.honjo-kanko.jp/sightseeing/hyakutaikannon-do.html(参照日2025-1-26)
弘前市ホームページ『栄螺堂』
https://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/shi/shi2.html(参照日2025-1-26)
会津若松観光ナビホームページ『さざえ堂(国指定重要文化財)』
https://www.aizukanko.com/spot/138(参照日2025-1-26)
文化財保存工事計画協会(2018)『群馬県指定重要文化財曹源寺ささえ堂保存修理報告書』

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