隈取

大島 仁

はじめに
歌舞伎の象徴である独自の化粧法「隈取」。この成立と歌舞伎に於ける意味や意義から、「隈取」自身の芸術性を検討する。

1, 基本データ
歌舞伎は、16世紀初めに出雲のお国のカブキ踊りを始まりとするのが一般的であるが、現代に伝わる演劇としての形を成し始めたのは、16世紀後半のこととされる(1)。

その約1世紀後、江戸歌舞伎宗家の初代市川團十郎が、1673年上演の狂言「四天王稚立」で坂田金時の役で初舞台を踏んだ時に、紅と墨で化粧をしたことが隈取の始まりである(2)。このときの型が筋隈であり、顔面の筋肉、血管の活動等を、生理的解剖学的に様式化した(3)。当時の筋隈(図①)は、白粉の顔面の凹部に紅、藍、墨などで強く筋を引く程度の素朴な方法であったが、二代目團十郎が筋のふちに暈しを施し、美しさと深みを加えた技巧を凝らし、現在に至る基本形が完成された(4)。

絵画の陰影技法において「くまどる」と「暈す」は同義語の述語として用いられるが、隈取も同一の意味から出発した(5)。そして、粉黛様式の舞台化粧として仮面的な型が形成され、個々の役者の顔から離れて独立し、「くまどる」技巧は「くまどり」という名刺になったのである(6)。

隈取は、歌舞伎の非写実的な演出に応じて役者の創意工夫が展開され、仮面的独立性を持ちつつ類型面的に多様化した。昭和18年発刊の「歌舞伎隈取図説」には141の隈取があり(図②)、それらを陽性(善意)の立役(荒事)・敵役(半道)・神霊化身の隈と、陰性(悪意)の実悪・怨霊・鬼畜の隈とに大別する類型表(図③)が示されている。陽性の代表が筋隈、陰性の代表が般若の隈である(7)。何れも、様式的舞台化粧として極端な効果を狙った特異な属性を有し、非写真的な表現である。

2, 歴史的背景
日本の伝統演劇のうち演劇的化粧が始まるのは、歌舞伎からである。それ以前の舞楽や能楽は、仮面を用いたため化粧は必要なかった。初期のお国歌舞伎・若衆歌舞伎は舞踊を主としていたが、元禄期になり劇的要素が成長するに従い、役柄と劇的趣向の2方向から化粧法が発達した。まず役柄の中心をなす立役と女方が分化し、女性化の化粧法が発達した。さらに鬘の発明によって、特色ある化粧法が展開した。そして17世紀後半に「和事」と「荒事」が生まれ、和事の白塗りに対して、荒事の「赤っ面(図④)」が誕生した(8)。
この「赤っ面」をベースに初代團十郎は筋隈を創出し、次第に仏教絵画や仏像を観察して隈取のアイデアを得たと考えられている。そして、化身の隈、不動や愛染等の所謂仏隈(図⑤)が初期に生まれ、その型が荒事の隈取として定着した(9)。また、顔の凹部に朱を施した隈取は能面の大べしみ(図⑥)に通じており、能楽の影響を受けたことも推測される(10)。

隈取は、顔面の表情の凸凹を完全に平面化し、絵画的に整えた化粧法である(11)。化粧であるゆえ、能面(図⑦)のようにそれ自身が独立して鑑賞できるものではなく、上演の都度描かれる生身の表現技術である。そのため隈取は、舞台表現の一部として伝承される。

3, 隈取の美術的価値の検討
1)大衆劇を象徴する様式美
人物を特徴づける独特の衣装と、色彩鮮やかな隈取は特異の雰囲気を創り出し、技芸と容姿が一体となって観客を魅了する。この変身は、役者の生身の美しさを、観客の想像の中で無限に膨らませる契機である。そうして歌舞伎は、見た目本位の「様式美の演劇」(12)として発展を遂げた。その中で隈取は、一見すると醜悪と思える奇抜さによって、庶民生活に近しい魅惑の美を演出する。元来、売色の歴史を持ち河原乞食として虐げられた(13)歌舞伎と役者は、その反逆精神の表れとして化粧を施し、紅粉をもって人を欺くという罪の無意識感がある(14)。ここに隈取が、いわば反社会的な思想を特徴づける様式美として大衆化に成功した要因があり、独特の化粧法として存在価値がある。

2)生身の浮世絵的な美術的価値
歌舞伎は、役者中心に発展した演劇であり、役者の技芸と容姿美が根幹にある。それらを観る者にとってより美しく、より楽しいものであるかに脚本と演出の焦点を定めており、かつ役者は扮装(図⑧)と化粧に注力して、自らを魅せることに邁進した(15)。彼らは、江戸時代の風俗服装を基本としながらも枠に捉われず自由闊達に創意工夫を重ね、様々な様式に隈取を展開したのである。当時、民衆の間では浮世絵美術(図⑨)が流行していたが、その素材に歌舞伎役者が好んで選ばれ、衣装と隈取を特徴として明媚な姿形で描かれた(16)。そうして、浮世絵美術を育成した江戸の庶民感覚が歌舞伎にも通じて、歌舞伎と隈取は、浮世絵のような美術技芸として発展し、生きた美術として今に至るのである。

3)神事的魅力
荒事は、古代の呪術や御霊信仰などの習俗が復活したものと捉えられる。初代團十郎は、荒事を示し表すものとして不動・鍾馗・竜神などの生きた神像(図⑩)を演じ、自ら神となる芸を確立することによって、江戸役者総本山としての位置付けを得ることができた(17)。團十郎の芸統は祭事と認識され、彼に睨まれる(図⑪)ことを吉とする信仰が生まれたのである(18)。隈取は、封建社会に対する悪意を秘め、庶民の恐怖を刺激し、そこに美的快感を見出すことに成功し、神事の象徴となった(19)。隈取を写した「押隈(図⑫」が重宝されるのは、贔屓筋への謝恩であるとともにこの神事性に由来する。このことにも美術的神事的価値を認める。

4, 京劇・瞼譜との比較
瞼譜とは、中国の古典劇に使用され、隋唐時代の舞楽に由来する。役者の顔全体をキャンバスであるかのように塗りつぶし、役柄を一から描くことにより、顔の意義を喪失させる化粧法である(図⑬および20)。緑、青、金銀など生身の人間にはあり得ない色を用いて登場人物を特定する技術であり、歴史上の人物等を色・柄・模様によってデフォルメし(図⑭および21)、数百種類あると言われている。瞼譜は民衆劇の一つであり、国内各地の祭事や行事の際に地元民自らが演じるため、各地で衣装と共に瞼譜化粧(図⑮)が言い伝わり根付いている(22)。

一方の隈取は、顔面の血管等を強調したものであり、役の性格を様式的に表現する(23)。隈取は、模様ではなく様式であり、奇麗に描く上に隈が顔にのって初めて成立する。隈をとる技がすでに芸であり、歌舞伎役者の資格である(24)。隈取は表情を表現するものであり、色柄で人物を特定する瞼譜と根本的に相違する。また隈取は、実際に観る場所は舞台以外になく、役者と役柄によって都度変化するため、人間味に溢れた伝統的化粧として人々を魅了し続けているのである(25)。

5, 今後の展望について
隈取は、歌舞伎の一部であり化粧法であることは変わることはない。寧ろ、歌舞伎から離れて美術工芸として独立して存在することに未来性を検討することは適わない。それは、隈取の存在意義によるからである。つまり、前衛芸術として生まれた歌舞伎に於いて隈取は、仮面を廃し、人間の激しい感情や神仏の神秘性を誇大に表現する手段として重要な役割を果たし、その華やかで極端な陰影が、人々の持つ好色性や卑賤美を大いに刺激し受け入れられてきたところによる。

また、歌舞伎の伝承法が隈取の未来を決定する。歌舞伎は「型」として成立し引き継がれるが、「型」とは、舞踊の特殊性、役柄の類型性、個性からなる演劇様式であり、一つの定まり事であり固定化を辿る(26)。そして役者は、「型」を忠実に生きることが「家の芸」を正しく伝えることになり、役者の肉体を通じて生き物として生き続ける。これが「家の芸」の倫理観であり、先祖崇拝の信仰的心情が加わって「芸道」観念が成立する(27)。

この芸道思想に於いて隈取は、これまで見てきたように創意工夫の表象として発展、展開してきた。しかし、「歌舞伎隈取図説」以降も、ヴァリエーションは瞼譜のように多くは存在していない。名跡や役柄ごとに、基本形とその応用が芸道の一部として伝わるのみである(28)。しかるに今後も、その将来性や展開力は限定的にならざるを得ないが、その希少性にこそ、隈取の芸術性が存在し続けると考える。

まとめに代えて
「隈取」論の第一人者は上野忠雅氏であり、彼以上の研究者であり歌舞伎ファンは彼の後世に現れていないと信じる。ゆえに、彼に最大の敬意を表し、自序の一文をまとめに代える。
『われ私かに上梓の下心なきにあらざりしも、生涯をかけて完璧を期し、末期に成敗を問ふの志、茲に友情に甘えて一片炊飯の煙となし畢りぬ。』(29)

  • 81191_011_32186138_1_1_表紙「團十郎朝顔」_page-0001 表紙 「團十郎朝顔」写真
    (筆者近影 令和6年6月29日撮影)
    (参照URL:
    https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%9B%A3%E5%8D%81%E9%83%8E%E6%9C%9D%E9%A1%94_%E6%AD%B4%E5%8F%B2(令和6年7月7日23時)
  • 図① 「歌舞伎隈取図説」 第一図
    図② 「歌舞伎隈取図説」 第一図~第六十三図より抜粋
    (非公開)
  • 図③ 「歌舞伎隈取図説」 157頁
    図④ 「隈取り」 11頁 「むきみの隈 赤面」
    図⑤ 「歌舞伎隈取図説」 第四十四図
    (非公開)
  • 図⑥ 「大べしみ」
    参照URL:文化デジタルライブラリー「舞台芸術教材で学ぶ」「能楽」「大べしみ」より
    https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc9/kouzou/mask_custome/mask/noumen08.html(令和6年7月17日3時)
    図⑦ 「能面」
    参照URL:文化デジタルライブラリー「舞台芸術教材で学ぶ」「能楽」「能面」より
    https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc9/kouzou/mask_custome/mask/noumen06.html(令和6年7月17日3時)
    (非公開)
  • 図⑧ 「歌舞伎・衣装と扮装」 9頁、11頁、13頁、15頁
    図⑨ 「歌舞伎・衣装と扮装」 第三部歌舞伎扮装図譜 第一図、第三図
    図⑩ 「不動」
    参照URL:真言宗総本山 東寺ホームページ
    https://toji.or.jp/ten/(令和6年7月21日午後6時)
    「鍾馗」
    参照URL:東京国立博物館「画像検索」
    https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0030809(令和6年7月21日午後6時)
    「竜神」
    参照URL:名古屋市立美術館
    https://www.museum.city.nagoya.jp/collection/data/data_15/index.html(令和6年7月21日午後6時)
    (非公開)
  • 図⑪ 「睨み」
    参照URL:刀剣ワールド「浮世絵入門」「歌舞伎の見得と睨み」
    https://www.touken-world-ukiyoe.jp/ukiyoe-introduction/mie-nirami(令和6年7月19日午前6時
    図⑫ 「押隈」
    参照URL:もっと知りたい!歌舞伎の世界「E化粧と衣装」「E07押取と押隈」
    https://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/vm/kabuki2015/2015/11/post-61.html(令和6年7月20日午前5時)
    (非公開)
  • 図⑬ 「化粧文化No.8」 19頁、20頁
    (非公開)
  • 図⑭ 「仮面と瞼譜」 72頁、73頁、74頁、75頁
    図⑮ 「仮面と瞼譜」 20~21頁
    (非公開)

参考文献

◆註
1 「歌舞伎の歴史」 22頁 『1694年刊「役者評判記」2巻 「野郎関相撲」中の初代坂田藤十郎のことば』より
2,3 「歌舞伎隈取図説 4~5頁」
4 「歌舞伎隈取図説」3頁
5,6 「歌舞伎隈取図説」 151~152頁
7 「歌舞伎隈取図説」157頁「隈取分類表」
8 「化粧文化 No.8」『歌舞伎の化粧(郡司正勝)』1頁
9 「歌舞伎隈取図説」5頁)
10 「化粧文化 No.8」『歌舞伎の化粧(郡司正勝)3頁』
11 「歌舞伎隈取図説」154頁
12 「歌舞伎隈取図説」154頁
13 「かぶき」246~247頁
14 「隈取―歌舞伎の化粧―」59~60頁
15 「歌舞伎・衣装と扮装」28~29頁
16 「歌舞伎・衣装と扮装」30頁
17 「化粧文化 No.9」『歌舞伎隈取考(小池章太郎)』23頁
18 「化粧文化 No.9」『歌舞伎隈取考(小池章太郎)』20頁
19 「かぶきの美学」292頁
20 「日本大百科全書(ニッポニカ)」
参考URL:
https://kotobank.jp/word/%E8%87%89%E8%AD%9C-152234#goog_rewarded 令和6年6月16日 3時
21 「仮面と瞼譜 訳者あとがき」108頁
22 「仮面と瞼譜」9頁
23 「歌舞伎隈取図説」152頁
24,25 「歌舞伎隈取図説」159頁
26 「かぶきの美学」115頁
27 「かぶきの美学」117頁
28 「歌舞伎・衣装と扮装」30頁
29 「歌舞伎隈取図説」2頁


◆参考文献
上野忠雅著『歌舞伎隈取図説』、彰國社、昭和18年
相馬晧著『歌舞伎・衣装と扮装』、大日本雄弁会講談社、昭和32年
村澤博人編『化粧文化 第八号』、ポーラ文化研究所、昭和58年
村澤博人編『化粧文化 第九号』、ポーラ研究所、昭和58年
伊藤信夫著『隈取り―歌舞伎の化粧―』、岩崎書店、2003年
岩波講座 歌舞伎・文楽第1巻『歌舞伎と文楽の本質』、岩波書店、1997年
岩波講座 歌舞伎・文楽第2巻『歌舞伎の歴史Ⅰ』、岩波書店、1997年
岩波講座 歌舞伎・文楽第3巻『歌舞伎の歴史Ⅱ』、岩波書店、1997年
岩波講座 歌舞伎・文楽第5巻『歌舞伎の身体論』、岩波書店、1998年
今尾哲也著『歌舞伎の歴史』、岩波書店、2000年
郡司正勝著『かぶき 様式と伝承』、ちくま学芸文庫、2005年
郡司正勝著『かぶきの美学』、演劇出版社、昭和38年
小坂井澄著『九代目団十郎と五代目菊五郎』、徳間書店、1993年
服部幸雄、末吉厚、藤波隆之著 体系日本史叢書21『芸能史』、山川出版社、1998年

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