日本舞踊の音源をデジタルの力で伝承する~百合山真人
序論
研究目的
本研究では、日本舞踊で使用される楽曲のアナログ音源をデジタルで残し、〈日本舞踊の好循環を生み出す〉試みについて調査研究する。
平成29年告示の小学校学習指導要領によれば「我が国や郷土の音楽に関する学習の充実として、小学校5,6年生で行っていた和楽器を3,4年生で学ぶ」との記載がある。裏を返せば、西洋文化偏重の教育が延々となされてきたことを示すものであり、大きな問題である。
神奈川県秦野市在住の舞台音響家、百合山真人(1979~)は、日本舞踊で使用される楽曲をアナログテープからデジタル化するプロジェクトを、クラウドファンディングで行った。百合山が、どのような経緯でプロジェクトの立ち上げに至ったのか、その足跡をたどり、デジタル化することの意義を明らかにすることを目的とする。
第一章 背景~日本舞踊の歴史と現状
第一節 日本舞踊の歴史
日本舞踊をひとことで表せば、歌舞伎から発展独立した芸能である。歌舞伎は、出雲大社の巫女と称する阿国(生没年未詳)が、慶長8年(1603)に京都北野天満宮で踊り、人気を博したのが始まりとされている。
当初、芝居は立役、舞踊は女形とされて女性の役柄の踊りだけが演じられた。その後18世紀後半から、男性役も演じられるようになり、一方で、女形の舞踊にも幅が生まれた。更に幕末になると、能や狂言を元にした松羽目物が生まれ高尚な芸術をも目指した。また、花街ではお座敷文化として重要な役割を果たしてきた。
明治37年(1904)に坪内逍遥が発表した『新楽劇論』の中で、〈舞・踊り・所作事・振り事〉など用例が重複する単語の総称として〈舞踊〉を提唱し、広く一般に使われるようになる。これに端を発し、新舞踊運動が起こり、歌舞伎から独立し、一つの舞台芸術として確立する。
舞踊は、家元を中心とした流派を形成することで現在まで正確に形が伝承されている。
第二節 日本舞踊の現状
昭和に入ると、一般家庭の習い事としても発展する。
舞台公演は、公益社団法人日本舞踊協会が主催する公演を始め、各流派のおさらい会や本会などが実施されている。その中で、録音音源は次のような変遷を経る。
かつて、稽古では先生自ら三味線を演奏していた。高度経済成長期頃になると三味線を演奏できない先生も増えた。また、日本舞踊人口が増え、舞台公演も急増したが、地方さんの数は限られており、どこも人手が足りない状況だった。そのような背景もあり、録音音源の使用が増えた。
演奏の録音、編集、公演におけるオペレートを担う日本で初めての会社として、東芸社が設立され、現在は(有)トーゲー(代表:本山久光)に引き継がれている。当時は年間150本の公演をこなしていた。
その後、1990年代に同朋舎出版が、『日本舞踊曲大全集 第1集 花の巻』CD50枚セットを製作する。CDのトラックを細分化したことで、長い曲を任意に短く再生でき、画期的であった。これ以降、新しい音源は製作されていない。
また、既に廃業した(有)舞踊テープ社には、数千に及ぶオープンリール音源が残されたままになっている。
第二章 プロジェクトの意味(評価)
第一節 百合山真人という人
百合山が〈伝統を次の世代へ。伝統芸能の音をデジタルの力で守りたい。〉というクラウドファンディングを実施したのは、2020年5月から6月にかけてである。作業に必要な機材の購入予算42万円を捻出するためである。
そもそも、百合山真人とはどのような人物であろうか。その経歴には、一貫した思いがあった。
百合山は、航空宇宙に憧れて大学に入学したが、もやもやした1年を過ごす。何かを変えたくて写真サークルに飛び込んだことをきっかけに、自分探しが始まる。
レコード店でアルバイトをしたり、劇団で音響を担当したり、ライブハウスやテレビ局でも働いた。その後、師匠となる舞台音響家の山本能久(1949~)と出会い、舞台音響家としての道を歩む。そして韓国映画『オールド・ボーイ』を観たことがきっかけとなり、文化庁在外研修制度を利用して韓国の劇団へ留学を果たす。海外に行ったことで自分のルーツが知りたくなり、日本の伝統文化を勉強する。
仕事で付き合いのあった舞踊テープ社には、いずれ朽ち果てるアナログ音源が大量にあったことから、音源のデジタルアーカイブ化を決意した。音源編集には三味線の知識も必要で、自身は三味線も習っている。
百合山は、自身の世界を広げ、様々に吸収し、何かと繋がりたいという気持ちがあった。留学を経て、演劇と繋がったと感じた百合山は、次は誰かを何かと繋げたいという気持ちが湧いた。その一つが、このプロジェクトであった。
第二節 音源のデジタル化プロジェクトの評価
評価できる点として、二つ挙げられる。
一点目は、貴重な音源を損失から守ることである。(有)トーゲーの所蔵音源はオープンリールテープである。今や、オープンリールテープを再生できる機材は製造されておらず、メーカーとしての修理も行われていない。しかも、テープは湿気や磁気の劣化が進み、仮に再生機器があっても、いずれ再生できなくなってしまう。
この貴重な音源が聴けなくなることは日本舞踊界にとって多大な損失である。貴重な音源を次の世代に繋げていきたいと願う百合山の考えは、伝統文化の伝承という意味で非常に意味深い。
二点目に循環という点である。舞踊教室で使用している音源は、著作権的にグレーゾーンである。今後は、デジタルアーカイブ化された音源を教室が購入することで、正当な対価が実演家に入る。その資金で、新たな作品を生み出すことにつながる。この循環こそが、プロジェクトの目指すものであり、最も重要な面である。
以上の理由から、このプロジェクトは高く評価できる。
第三章 他ジャンルの事例との比較
西洋の古典舞踊の代表としてバレエと比較する。
プロのバレエ団公演では、生演奏が一般的である。バレエ教室では、日本舞踊同様に、稽古場や発表会では、再生音源を使用している。しかし、日本舞踊と違い、古典のバレエで使用される楽曲は、バレエ音楽として有名なクラシック曲であり、CDで入手可能である。
ただし、バレエの場合は、楽曲のテンポを変えることが一般的であり、公演のたびにテンポを変えるため、音質が著しく劣化する。教室では、代々受け継がれてきた音源を使っている場合が多く、劣化した音源を使用しているという意味では、日本舞踊と共通している。しかし、バレエ音源はCDが潤沢にあるためデジタル化の必要はない。
第四章 考察と今後の展望
百合山のクラウドファンディングは、当初の目標を上回る金額が集まった。これは、このプロジェクトが評価され、期待が高かったことを示す。しかし、膨大な音源を、本業の傍らひとりでやり遂げることは、とても大変である。
アナログ音源をパソコンに取り込むには実時間がかかる。テープが劣化し切れてしまえば、作業を中断し、補修してから続ける。再生機器もメンテナンスが必要であり、いつ壊れるか分からない。今後は賛同者を増やし、分業して行うなど、効率の良い作業が必要である。
また、デジタル化しても活用できる仕組みがなければ意味がない。更には、アーカイブ化したものを恒久的に管理する組織作りも必要であろう。しかし、この点において百合山は、〈好循環の仕組み〉を仲間とともに実行し始めている。
結論
本研究では百合山真人という人物を通して、伝統芸能を次世代へつないでいく事例を調査した。
序論で記した通り、西洋文化偏重の歪みが、貴重な音源喪失の危機を招いている。百合山の自分探しが、巡り巡って自国の伝統芸能にたどり着いた。様々なコトに興味を持ち、吸収し、他の何かと繋げたいという思い、自分のルーツを知りたいという思い、その結果、百合山だからこそできた〈音源の伝承〉にたどり着いた。このプロジェクトは、日本舞踊界にとって素晴らしい財産だといえる。
〈日本舞踊の好循環を生み出す〉試みは、まだスタートしたばかりであるが、賛同する仲間とともに、その成果がますます期待される。今までもそうだったように、百合山は、さらにその先を見つめていることは言うまでもない。百合山のプロジェクトから多くの人が集まり繋がっていくことで、日本舞踊の伝承発展に寄与することは明らかである。
謝辞
本研究のために忙しい仕事の合間を縫って、快くインタビューに応じていただき、資料と写真を提供いただいた百合山真人氏に、また、プロジェクトを共に支えている(有)トーゲーの本山久光氏、(株)生活と舞踊の梅澤暁氏は、写真の許諾をいただき感謝申し上げる。
参考文献
■インタビュー:百合山真人氏 2024年1月20日
■矢内賢二 編『日本の芸術史 文学上演編Ⅱ 近世から開花期の芸能と文学』京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎 2014年
■藤田洋『日本舞踊ハンドブック改訂版』三省堂 2010年
■日本舞踊協会HP https://nihonbuyo.com/ 最終閲覧日2024年1月20日
■伝統を次の世代へ。伝統芸能の音をデジタルの力で守りたい。クラウドファンディング https://readyfor.jp/projects/dentougeinou/accomplish_report 最終閲覧日2024年1月20日
■俺の日本舞踊HP https://oreno-nihonbuyou.com/ 最終閲覧日2024年1月20日
■千代の音HP https://tiyonone.com/ 最終閲覧日2024年1月20日