伊那の伝統「昆虫食」が秘める、現代に必要な可能性

林 敬子

長野県南部の伊那谷(いなだに)と呼ばれる、天竜川に沿って南北に伸びる盆地一帯では、昆虫食が今も根付いている。その中から「イナゴ(コバネイナゴ)」「蜂の子(クロスズメバチの幼虫)」「蚕の蛹」の3つ例に、昆虫食が現代にもたらす恩恵と課題を考える。

1 基本データ
1-1コバネイナゴ
学名:Oxya yezoensis
分類:節足動物門 昆虫網 バッタ目 バッタ上科 バッタ科 イナゴ属
体長:オス28~34mm メス40mm
活動時期:7~12月
分布:北海道、本州、四国、九州
成虫の生息環境:水田、休耕田、草原などと、その周辺。
成虫の食性:イネ科の植物
代表的な調理法:佃煮
捕獲方法:水田へ入って手作業で集め、手ぬぐいなどで作った袋に入れていく。高度な技術や道具が必要ないため、子供が遊びを兼ねて捕獲することも多い。

1-2 クロスズメバチ
学名:Vespula flaviceps
分類:節足動物門 昆虫網 有翅昆虫亜目 ハチ目(膜翅目)スズメバチ科
体長(成虫):女王バチ 15~16mm 働きバチ10~12mm
活動時期:5~11月
分布:北海道、本州、四国、九州、奄美大島
成虫の生息環境:土中や人家壁間に営巣
食性:花の蜜、昆虫、クモ類、哺乳類の死体など
代表的な調理法:甘露煮(幼虫を使用)
捕獲方法:蜂に紙や糸をつけて追いかけて巣を探し(蜂追い)、煙で蜂を弱らせてから巣を取り出す。巣ごと自宅へ持ち帰り、中の蜂の子を大きく育ててから食べることもある。

1-3 蚕
学名:Bombyx mori
分類:節足動物門 昆虫網 鱗翅目 カイコガ科 カイコ属
繭の大きさ:短径約20mm 長径約30~35mm(蛹も同程度と推測)
活動時期:温度を25~30℃に保てば一年中飼育が可能
分布:野性はいない
食性(幼虫):桑の葉
代表的な調理法:素揚げ、佃煮(蛹を使用)
捕獲方法:繭ごと煮た後、生糸を採取。最後に残る蛹を集めて調理する。

2 昆虫食の歴史的背景
平安時代の書物『本草和名』(著 深根輔仁、生没年不詳)にはイナゴが薬として用いられていた記述があり、江戸末期に喜田川守貞(1810年-没年不詳)が著した全34巻からなる百科事典「守貞謾稿」には、夏の風物詩としてイナゴを串にさした蒲焼きが登場する。他にも蛾やカミキリムシの幼虫、蜂の子、蚕の蛹、タガメ、ゲンゴロウなど多種多様な昆虫を食していたこと、調理法も煮る、揚げる、焼く、漬けるなど多岐に渡ることが記されている。
大正8年、昆虫学者の三宅恒方(1880-1921)がまとめた『食用及薬用昆虫に関する調査』によると、当時全国的に、食用では51種類、薬用では123種類もの昆虫が用いられていたそうだ。昆虫食は山間部の食糧が限られた地域で行われていた、という印象があるかもしれない。しかしこのような文献から、全国的に行われていた時代が長いことがわかる。
昆虫食が衰退していった原因は、明治以降コレラなど虫が媒介となる感染症が知られるようになったことや、輸入の安い肉類が手に入りやすくなったことなどと考えられている。
伊那地方では、大正時代初期に食用昆虫を売る商人が現れたことで、産業として発展・定着した。農業や山中での作業を円滑に進めるために排除したり、産業廃棄物になってしまう昆虫に価値を見出し、加工・販売を行い新たな地域産業を起こす。あるものは徹底的に活用するという、先人たちの知恵と工夫だ。現在も、昆虫の佃煮を扱う惣菜店、食料品店や老舗珍味店が多数営業しており、地域との結びつきが見て取れる。

3 食糧危機と地球温暖化の打開策としての期待
世界的な人口増加や都会化などにより、必要な食糧が増加している。特に、動物性たんぱく質の需要が増加することに伴い、牛や豚などの飼料となる大豆や穀物も不足することが予想される。
しかし、これ以上畜産業を拡大させることは、地球環境を破壊すると危惧されている。そのためFAO(国際連合食糧農業機関)は2013年「食品及び飼料における昆虫類の役割に注目した報告書」の中で、昆虫を活用する提案をした。
家畜の排泄物や牛のゲップから発生するメタンや一酸化二窒素は「温室効果ガス」と呼ばれ、大気中の濃度が高くなると地球温暖化を引き起こす。現在、温暖化の影響により、北極や南極の氷が溶けたり、各地で異常気象が起きているのは周知の事実だ。二酸化炭素(CO2)も温室効果ガスの一種だが、メタンはCO2の25倍、一酸化二窒素はCO2の298倍という高い地球温暖化効果を持つ。畜産業や「食」に関する行為から発生する温室効果ガスは、全体の3分の1という研究もあり、それを削減しながらも我々の食糧を確保するため、昆虫が役立つと注目されている。
畜産業と昆虫の環境に与える負荷の違いを、牛肉と昆虫の数値で比較する。動物性たんぱく質を1㎏生産するときに排出される、温室効果ガスの量をCO2に換算すると、牛は約3㎏、昆虫は約1g。飼育に必要な飼料と、実際に得られる可食部の変換効率は、牛1㎏に対しエサ約8~10㎏、昆虫1㎏に対しエサ約2㎏。昆虫は牛肉の生産に比べて温室効果ガスの排出量が大幅に少なく、飼料から可食部への変換効率も高い、つまり、牛よりも環境に負荷をかけずに可食部を多く得られることが分かる。
また、昆虫はたんぱく質や脂質の他、亜鉛、カルシウム、鉄分、マグネシウム、ビタミン、不飽和脂肪酸など栄養素が豊富であることも評価できる。100gあたりのたんぱく質含有量は、イナゴと豚肉、蚕の蛹と鶏肉がほぼ同等である。またエネルギーで比較すると、イナゴは牛肉・鶏肉の約2倍、豚肉の約3倍 蜂の子は豚肉の約1.5倍を含んでいる。一方脂質に関しては、蚕の蛹が鶏肉と同等で、イナゴ、蜂の子はどの肉類よりも少ない。また、蜂の子は炭水化物の含有量が多く、肉類にはない特性である(資料1)。生活習慣や目的によって食べる昆虫を選択できるようになれば、より健康的、効率的に栄養を摂取することができるかもしれない。

4 今後の課題
安心して食事をするためには、食中毒やアレルギーなどの危険性も知る必要がある。今回調べていく中で、昆虫もアレルギーの危険性が潜んでいることがわかった。
昆虫はエビ・カニなどの甲殻類ととても近い種類である。甲殻類アレルギーの原因は「トロポミオシン」という、筋肉の収縮調整に関係するたんぱく質である。そのトロポミオシンが昆虫にも含まれているため、甲殻類アレルギーの人が昆虫を食べた場合、アレルギー症状が発現する可能性がある。
鶏卵など、熱処理をすることでアレルギーの原因となるたんぱく質が破壊され、摂取しても症状が出ない場合もある。しかしアレルゲン全体から見ると、熱で壊れるたんぱく質はごくわずかで、トロポミオシンがこれに該当するかは明らかになっていない。
また、蜂の子は花粉アレルギーの人も注意が必要だ。トロポミオシンに加え、エサとして取り込んだ花粉も含まれているからである。科学的根拠は明らかではないが、蜂毒のショック症状を引き起こすリスクを懸念する声も見受けられる。

5 展望とまとめ
食肉、特に牛肉を昆虫食に切り替えることで、温室効果ガスの排出削減と動物性たんぱく質の確保が両立できる。また、これまで飼料に割り当てていた穀物を人類の食用に転換できれば、さらに食糧を補えるかもしれない。
先に紹介したFAOの報告でも、昆虫を食品や飼料として扱うには、さらに調査や検討を重ねる必要があることも指摘している。ここではアレルギーについて言及したが、他にも、昆虫独自の感染症の有無と人間への影響、養殖している昆虫が脱走した場合の生態系への影響、見た目をはじめとする、広く人々に受け入れられる加工品の開発、など、さまざまな課題がある。
単純に食糧と地球の総人口を割り算して出す数値ではなく、全ての人にとって食べられる物があり、それが健康を保つ糧となる。それが本当の意味での「食糧危機の回避」ではないだろうか。その実現のためには、伊那谷で受け継がれてきた昆虫食が、ひとつの手がかりになると考える。

  • 81191_011_32183071_1_1_%e8%b3%87%e6%96%991 牛肉は乳用肥育牛肉赤肉(肩ロース)、豚肉は中型種肉赤肉(肩ロース)、鶏肉は成鶏肉(むね肉皮付き)からデータを採取。牛肉、豚肉、鶏肉、蜂の子は生鮮重ベース その他昆虫は乾燥ベースのため単純比較はできず、参考の数値。
    (昆虫食のセミたま「昆虫食の成分と栄養価の特徴に迫る。商品別栄養ランキング!」https://semitama.jp/column/3167/ 2023年1月23日 閲覧 をもとに筆者作成)

参考文献

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生き物図鑑「コバネイナゴ」 Hondaキャンプ アウトドア図鑑 本田技研工業株式会社
https://www.honda.co.jp/outdoor/ (2023年1月29日 閲覧)

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http://www.ha.shotoku.ac.jp/~kawa/KYO/SEIBUTSU/DOUBUTSU/08hachi/suzumebachika/kuro3/index.html (2023年1月26日 閲覧)

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昆虫食のセミたま「蚕を食べる。どのように食べられてきたのか、食べ方は?」
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一般社団法人長野伊那谷観光局「世界が注目の「昆虫食」を知るなら伊那谷へ」
https://www.inadanikankou.jp/special/page/id=1107 (2023年1月23日 閲覧)

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HATCH編集部「畜産は自然環境に優しくない? 家畜由来の環境問題と国内外の取り組みを考察しよう」
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昆虫食のセミたま「昆虫食のための養殖のメリットとデメリット」
https://semitama.jp/column/2431/ (2023年1月23日 閲覧)

吉澤恵理「注目高まる「昆虫食」、アレルギー発症リスクも…“食糧危機の救世主”に意外な危険性」 Business Journal
https://biz-journal.jp/2021/06/post_230922.html#amp_tf=%251%24s%20%E3%82%88%E3%82%8A&aoh=16728053473840&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&share=https%3A%2F%2Fbiz-journal.jp%2F2021%2F06%2Fpost_230922.html (2023年1月23日 閲覧)

酒井哲夫監修「みつばちの不思議なくらし」 山田養蜂場
http://honey.3838.com/lifestyle/meal.html (2023年1月23日 閲覧)

ハチ110番by生活110番「スズメバチの餌は成虫と幼虫で異なる!生態から効果的な予防策を解説」
https://www.sharing-tech.co.jp/hachi/news/20201103-3.php#third (2023年1月23日 閲覧)

グー薬局「蜂の子とは」
https://www.alexandrianews.org/component/c12.php (2023年1月23日 閲覧)

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https://www.ajinomoto.co.jp/products/anzen/know/f_allergy_01.html#01 (2023年1月23日 閲覧)

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