青梅駅前商店街を演出する「猫」と「レトロ」
はじめに
東京都青梅市の青梅駅前商店街では、「ネコ」と「レトロ看板」に関する芸術・デザインが展開されている。猫を町おこしのテーマに取り上げた地域は世界に数多くあるのだが、それに加えて「レトロ看板」ともなると、かなりオリジナリティがある。単体では割と見かけるコンテンツを組み合わせて魅力的に持っていった点が特筆できる。そんな青梅駅前商店街の活動について実地調査をレポートしたい。
1. 基本データと歴史的背景
まず、この青梅市という都市について記すと、同市は1951年市制。東京都西部の西多摩地域最大の市で、立川市、八王子市、多摩市と共に東京多摩地域の一つである。関東山地と武蔵野台地にまたがり、中部を多摩川が東流する。中心市街地は多摩川の谷口集落で、青梅街道の宿場町として発達。その後、鉄道の青梅線が通じた。
同地域は古くから商業に秀でた土地で、江戸時代中期、青梅では絹と綿を織り交ぜた綿織物「青梅縞(画1)」は、青梅縞、青梅綿として知られ、江戸では「男児は青梅縞に限る」と言われるほど大流行し、第二次世界大戦前まで夜具地を多産していた。
一方、同市の山間部では広大な山林を活用した林業も盛んで、さらに市域東部においては昭和40年代に三ッ原工業団地が造成された。さらにインバウンドの面でも、1967年に始まり、毎年2月に開催される青梅マラソンは、海外からも含めて約15,000人が参加する大会となっている。これらを見ると、青梅市が農林・工業・商業・観光と全てに秀でた都市なのがわかる。
新宿や渋谷と同じ東京にありながら景観が全く異なり、青梅・奥多摩と言えば、ハイキング、バイクのツーリング先、マラソン、奥多摩渓谷駅伝の会場として長年人気の地域である。同市の、山間部と市街地の比率は、概ね「3:1」で構成されている(画2 参1)。
2. レポートテーマに関する調査報告
それでは、本題となる駅前商店街の「猫」と「レトロ」について記したい。まず青梅の駅前商店街が、この猫推しを実際に始めたのが2019年。その前は1994年から邦画洋画を交えた往年の名作映画の「レトロ看板」を街じゅうの至る所に掲げるという「映画看板」が同駅前商店街の名物で、マニアの間では有名観光スポットとなっていたが、一般には「知る人ぞ知る」ひっそりとした存在だった(画3)。
しかし2018年2月に看板絵師が死去して、新作看板が制作できなくなってしまう。この時に開かれた会議で、映画看板を推してきた際に対策をおざなりにした「台風など強風がきた時、看板が宙を飛んだことがある」と言った諸問題も同時に挙げられたことから、「映画看板」路線はこのタイミングをもって打ち切られることとなった。そして同年秋に映画看板の撤去が始まり、「猫を活かした町おこし」に路線転換となった(参2 参3)。
3. 他の同様の事例と今テーマとの比較
そうなれば「ネコ推し」は、まず「生きたネコ」を推しているのが普通である。世界各国にあまたある「ネコ推し」の地域は、大抵が「猫がたくさんいる港」や「島民よりも猫の数の方が多い小さな島」などであり、見たところ青梅は、それには該当しない。そのため「なぜ青梅で猫なのか」という疑問が湧いたが、市観光協会水村和朗事務局長の水村和朗氏によれば、「青梅には綿織物の時代から、猫を大切にする文化があった」のだそうだ。きっかけは、織物「青梅縞」の特徴である「絹と綿を織り交ぜた織物」に用いた絹で、「猫は、養蚕の繭を食べるネズミを駆除する。転じて、商売繁盛の象徴だった(前述の水村氏)」と伝えられてきた。そのため、猫を町おこしに掲げるに至ったとのことである(画4)。
こうしてネコ推しに転じた際に採用されたのは、詩人・萩原朔太郎(1886〜1942年)の小説「猫町(1935年)」の世界観。空間やキャラクター等のデザインは、小説「猫町」のカバーイラストを手掛けたイラストレーター・絵本作家である山口マオが担当した(画5)。制作にあたって、青梅駅前商店街の印象をガラリと変えてしまうことは、商店街も地域の住民も望んでいなかったことから、レトロ推し、映画看板のテイストは引き継ぐなどの擦り合わせを経て、現在のアイディアに行き着いたようだ。なお、商店街では冒頭に記した綿織物「青梅縞」も扱われている。
では、そんな猫推しが、どのように青梅駅前商店街の景観を彩っているかという説明に入る。裏通りに通じる路地には、お手盛り風の彩り看板が施されているほか、通りの店舗、通りのバス停、猫神社などが、一定の間隔で飾られている。また、もう一つのテーマであるレトロも、青梅駅南側の市街地には、昭和レトロ商品博物館と、別館の昭和幻燈館があり、レトロ商品博物館では、串間努の収集品などを展示、昭和幻燈館では『Q工房』の制作品が多数並べられている。そのほか、駅前のお土産屋さんの外壁にも、懐かしの商品看板をパロディ化したブリキ看板が多数設置されている。さらには、この「ネコ推し」「レトロ」を併せた「ねこブリキ看板」というものも存在する(画6)。(参2 参4)
4. 積極的に評価したい点
これら事例に関して、私が評価したいと思う点は、新しい試みを用いる際に、それまでの歴史を活かすという姿勢だ。都内の中でも青梅市は「この地で生まれて、ここで一生を過ごす」という気持ちの人々がかなり多い街だ。今回取り上げた町おこしにあたっても、この「ずっと住むところ」を念頭にしているのが伺える。長く愛され、かつ老若男女に愛される「猫」を採用し、先人の作ってきた財産を否定せぬようにしながら、町の至る所にインパクトのある看板や置物を大胆に施している。若者が心躍る「今から始まる」という期待感と、急な様変わりを望まないであろう高齢者世代、どちらにも配慮が行き届いている。
それでは、今回取り上げた催しのうまくいっている点と、十分でない点について、検証をしていきたい。うまくいっている点は、街に馴染んでいるところ。実際に街を歩いた際に、元ある景観が損なわれることなく、存在感を示せていると感じたのは、うまくいってることの表れだといえる。取材に対応していただいた商工会、役所、住民、どの立場の人もこの町おこし事業に肯定的かつ協力的だったし、反対勢力が見当たらないというのは、街を歩いて実際に景観を見た際にも素直に安心ができた(画7)。
5. 現状の問題と思われる点
では、うまくいってない点はというと、「進みの悪い駅前と駅前の路地」、「進みの早い駅からちょっと離れた商店街通り」。つまり横一列の進行ができていない点が挙げられる。現時点でシフトの済んでいる、駅からちょっと離れた駅前商店街に対し、肝心の駅を出たすぐの辺りは、まだ着工前の建物や店舗の方が圧倒的に多く、廃屋も目立つ。気持ちの上では足並み揃っていても、こうまで完成のタイミングがチグハグでは勿体無い。まして一番遅れているのが駅前のビルとなると、観光客が来た際に、駅前を抜けて商店街にたどり着く前に「来てみたら元気がなかった」という結論に至ってしまうしれない。青梅駅の駅前には大きなビルが二つあるのだが、そのどちらもが現在、完全建て直しに向けて解体中(一つは解体前)なので、ビル内のテナントはもちろんほぼ「空き」で、その裏の通りも同様に、ほぼ全てがシャッター状態だ(画8)。ただ幸か不幸か、ビル開発の遅れとコロナ禍が重なったため、逆に来訪客をガッカリさせずに済んだのかもしれないという見方もできるので、プラス思考で頑張ってほしいと、一ファンとして願うばかりである。
6. 今後の展望についてと、まとめ
最後に、今後の展望を交えながらまとめに入りたい。今後、青梅駅前商店街は2025年の「ビル完成予定」を機に、一気に「ネコ推しの街」として華やぐと思える。そうなった暁には、駅前通りもビル内も、駅近辺の商店街も、レトロと猫を大々的に取り上げた異世界空間のようなスペースとなり、「聖地」と呼ばれる観光地になるのではないかと予想している。そうなった際には、私も「聖地巡礼」に行きたいと思う。
- 綿織物「青梅縞」は今も青梅市の名産品。(2022年7月10日、筆者撮影)
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青梅の山間部と市街地の比率は概ね3:1。
青梅市観光協会制作ガイドよりマップを引用し、ワードにて筆者が加工作成(作成日2023年2月26日) - 駅なか通路にある映画館版。他にもバス停や、商店街の中のいくつかの店舗では映画看板が飾られているところもある。(2022年7月10日、筆者撮影)
- 町おこしの象徴である、商店街通りの恵比寿猫。(2022年7月10日、筆者撮影)
- Q工房制作の猫ジオラマ。商店街通りの昭和幻燈館にて見ることができる。(2022年10月20日、筆者撮影)
- 猫ブリキ看板が、通りの至る所に飾られている。(2022年10月20日、筆者撮影)
- 昭和の名作映画を猫パロディ化した猫看板も町のあらゆるところで見ることができる。(2022年7月10日、筆者撮影)
- 駅前ビルが一番遅れての着工となってしまい、少し寂しい景観である。(2022年10月20日、筆者撮影)
参考文献
参考文献
参考1
青梅市公式HP
https://www.city.ome.tokyo.jp
(最終閲覧日2022年11月20日)
参考2
青梅市役所観光課に置いてあったガイドブック等の資料約10点
参考3
取材先
青梅市役所観光課
青梅市役所(市役所・区役所・役場)電話番号0428-22-1111、東京都青梅市東青梅1丁目11−1
参考4
青梅駅前商店街「ぎゃらりーカフェ はこ哉」電話番号0428-22-0429、住之江町7