やきもの散歩道の景観について

星野文香

文化資産評価報告書「やきもの散歩道の景観について」

0.はじめに
日本六古窯の一つとされる愛知県常滑市には、窯業が最も栄えた昭和初期の風情が残され、今でも焼き物の文化が息づいている。この窯元が集積する集落一帯を散策するコースが、「やきもの散歩道」である。本稿では、観光地としての概要と歴史を調査した上で、景観の要素を時間の観点から分析し、その独自性を侘び寂びの美学と比較して評価する。

1.概要と歴史
やきもの散歩道は、古くから焼き物の町特有の景観が存在し、写真や俳句、スケッチで楽しむ人々が集まる隠れ家のような場所だったという。昭和49年、常滑市はこの自然発生した地区を観光地として「やきもの散歩道」と認定する。その後、建物の修復や観光整備を進め、昭和57年には登窯が国の重要有形民俗文化財に指定されると、次第に観光客が増加する。平成10年には地域の住民や出店者の有志による「やきもの散歩道の会」が発足し、住民・事業者・観光客との良好な関係づくりを目的に、定期的な勉強会や散歩道フェスティバルが開催されるようになる。
転機となるのは、常滑市の中部国際空港の建設である。平成12年、廃業した工場がそのままの状態にあった散歩道を5年後の開港に合わせて再生・活性化するため、地域内外様々な分野の人々による「タウンキーピングの会」が活動開始する。景観法に基づく「景観計画市民案」を行政に提案し、住民・事業者・観光客に向けた「まちづくり協定」を発表するなど、常滑らしい景観の保存や継承、発展における基盤を作り上げる。現在やきもの散歩道は、歴史的産業遺産や工場を再利用した店舗、さらに焼き物の町の独特な生活空間に老若男女問わず人気が集まり、常滑の重要な観光資源として注目されている。

2.景観の特性
やきもの散歩道の景観は、昭和初期にタイムスリップするような感覚と、やきものの町の営みをのぞき込むような感覚を来訪者に体験させる。このような景観の構成要素を時間の観点から分析すると、前者は歴史をそのまま保存する不変的な景観、後者は生業や営みを継承し活用する可変的な景観と言える。さらに、それらが場所や時代の必然性から自然発生した点を加え、景観の特性について具体的な例を挙げて考察する。

2.1.不変的な景観
やきもの散歩道には、時代と共に使用されなくなったレンガ造りの煙突や窯、工場などが保存されている。昭和四十九年まで使用されていた登窯(写真-1)は、日本に現存する登窯の中でも最大級を誇る。その存在感と、当時の窯業の活気を残したままの雰囲気は、常滑の歴史を伝える貴重な産業遺産であると言える。また、散歩道地区にはレンガ造りの煙突が随所に残されている。丘であるこの土地には坂道が多く、連なる屋根の間をあちこちから高く伸びる煙突の風景を見下ろすことができる場所があり、そこは「煙突のある風景」(写真-2)と名付けられている。さらに、黒い壁や黒い屋根の建築が立ち並ぶ景色(写真-3)は、この町にしかない独特な表情を創り出している。その色は、煙突から吹き出る煤が壁を汚すため、あらかじめコールタールを塗って黒くしていた名残である。低明度・低彩度な色彩は市が定める景観形成基準において規制され、景観の重要な要素とされている。建築物の新築・改築においては他にも厳しく基準が設けられており、こうした景観の保全が町全体の協力の下で成り立っていることがわかる。

2.2.可変的な景観
やきもの散歩道には、町の人々の生業や暮らしが蓄積する風景があり、やきものの町に息づく時間を感じることができる。散歩道の脇には至る所に窯から出た廃材や土管が積み上げられ(写真-4)、窯屋の周りには陶器でできた動物の置物や、植物が植えられた鉢が並んでいる(写真-5)。さらに、観光客に向けた店舗や飲食店も点在し、陶器の販売やギャラリー、陶器を使用したカフェなどは、窯屋の空間が活かされている(写真-6)。そこには、焼き物の歴史に新しさを加えながら、文化を継承する現在の人々の営みが存在する。また、景観を構成するレンガや外壁には所々に老朽化が見られるが、このことが逆にどれ一つとして同じ色・形のないさまざまな表情を生み出し、時間の経過を感じさせる景観の奥深さにつながっている。これらの素材や色は、意図的には作り出せない町の歴史の産物であり、人工物と自然が一つに溶け込むことを可能にしている。

2.3.必然的な景観
やきもの散歩道の魅力は、このような不変的・可変的な景観が、観光地として作り込まれることなく保全されている点にあると考える。例えば観光名所として人気のある「土管坂」(写真-7)は、土管や焼酎瓶に一面を覆われた塀や、ケサワが埋め込まれた路面によって、常滑にしかない景観が作り出されている。しかし、それは初めから観光に向けて作られたのではなく、道を歩きやすくするための住民の工夫が、偶然にも人々を惹きつける観光スポットになったのである。それだけでなく、町に見られる窯や煙突、土管や廃材を利用した景色も、窯業を生業とする暮らしの中から生まれたものである(写真-8)。このように場所や時代の必然性が保たれていることは、行政や住民、事業者が「常滑らしさ」への理解を共有し、観光地化を進める過程において、土地に不自然な新しい要素や演出を加えることなく継承してきたからと言える。
また、タウンキーピングの会の一人である伊藤悦子さんは、平成18年のインタビュー(注-1)の中で、「やきもの散歩道は、同時に生活空間です。(省略)常滑は心に残る情景を持ち帰ることができるまち。物質ではなく、自然環境の美しさや人と自然が織りなしてきた歴史を感じてもらうまち。普通とは違う観光をしてもらう場所」として方向性を示している。平成10年に約5万人だった来訪者数は、近年約30万人へと増加を続けているが、この提案はその変化に迎合することなく実現されていると言える。

3.景観の評価
やきもの散歩道の景観は、前章で述べた文化の保存や継承における価値だけでなく、侘び寂びに通じる芸術的価値を創造していると考える。侘び寂びは、人と自然の融合を尊重し、時間の儚さや不完全さに心の充足や美を求める精神とされている。例えば、侘茶を確立した千利休は、質素で粗末なありふれた道具に風情を見出していた。また、その茶室は土壁塗りの簡素を極めた造りであり、そこに向かう露地に並んだ飛石には苔が生え、山里のような静かな雰囲気が重んじられた。日本特有の美意識とされるこれらの事例と比較すると、やきもの散歩道を次のように捉えることができる。時間の経過と共に掠れ、多様な色むらが出来たレンガや外壁には、風化や腐食を受け入れた唯一無二の存在感がある。また、凸凹した道や無造作に置かれた鉢や土管には、整った形を求めない未完全さがある。さらに、町全体は質素で田舎らしく、全盛期の賑やかさを失った寂しさや静けさがある。つまり、侘び寂びの視点を持つことでこの町並みに芸術性を見出すことができ、さらに侘び寂びを好む日本の文化にとって評価すべき資産と言えるのである。

4.今後の展望
将来にわたって現在の景観を守り育むためには、今後も行政・住民・事業者がやきもの散歩道の景観の価値を十分に理解した上で、協働していく必要がある。現在、狭くて急な坂道が高齢者の日常生活に支障をきたすことや、中高層マンションの建設による景観の阻害など、住民の生活環境の改善や相互理解、また建物の老朽化の対策が求められている。さらに、来訪者数の増加に伴う観光地としての体制強化も必要とされており、現在の町並みは今後も変化を続けていくと考えられる。その過程において、これまで述べた景観構成がバランスを保ちながら継承されることを願いたい。

5.おわりに
現代の社会は都市化やデジタル化が進み、経験や情報などの感覚までもが記号化されようとしている。さらにマスツーリズムの浸透は、文化の侵害や見世物化を生み、歴史の記憶をも画一化する怖さがある。そのような中で、やきもの散歩道は独自の歴史や文化、自然と人の営みの融合を肌で伝える貴重な文化資産と言える。また、目的化しない観光スタイルの提案は、サステイナブルツーリズムに匹敵するのではないだろうか。物質主義の世の中を問うように侘び寂びの精神に注目が集まるのと同様、やきもの散歩道は日本独自の新たな観光戦略として評価されるべきである。私たちは今後何を美しいと判断し、何を残していくべきか、やきもの散歩道はその問いを投げかけている。

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  • 写真 - 1〜3(非公開)

    写真 - 4〜6(非公開)

    写真 - 7〜8(非公開)

参考文献

常滑市HP http://www.city.tokoname.aichi.jp/
清水元彦(1996)『瀬戸・多治見・常滑・およびその周辺』リブロポート
杉崎章(1988)『常滑窯 その歴史と民俗』名著出版
鈴木貞美(2006)『わび・さび・幽玄「日本的なるもの」への道程』水声社
レナード・コーレン(2014)『Wabi-Sabi わびさびを読み解く』ビー・エヌ・エヌ新社
特定非営利活動法人タウンキーピングの会(2005)『常滑市やきもの散歩道地区における 景観形成の推進のための調査報告書』
京都橘大学文化政策研究センター(2006)『News Letter 第27号』(注-1)