ホームスパンについての考察

福島雪江

ホームスパンについての考察

「ホームスパン」は岩手県が誇る世界でも稀な毛織物である。しかし「ホームスパン」と聞いてそれがどのような織物であるかをわかる人は地元岩手においても非常に少ない。そこで、「ホームスパン」を文化資産と位置づけてその考察をしたいと考えた。

1、ホームスパンとは
まずホームスパンの定義であるが『被服学辞典』には「ホームスパン(homespun)は手紡ぎの紡毛糸を用い、手織りで、平織・綾織とし、縮絨を行わずに仕上げた半幅の紡毛織物のこと。現在では、広幅の機械織で同じ外観のものも含まれる。用途は服地、ジャケット、コートなど」と書かれている。一般的に「ツイードの一種」と呼ばれる。本来は「手紡ぎ、手織りの毛織物」を指す。発祥地イギリスでは産業革命による機械化が早い時期から進み、産業としてのホームスパンはなくなっている。このホームスパンが産業として産地化形成している地域は日本で唯一岩手県だけである。国内ホームスパン総生産量の約8割が岩手県で生産されている。
工房は株式会社の形態を持つもの、家族経営、個人工房などさまざまであるが、いずれも所在地は盛岡市と花巻市である。主な工房は(株)日本ホームスパン、(株)みちのくあかね会、中村工房、蟻川工房などである。(註1)
(株)日本ホームスパンの織り手は7名、(株)みちのくあかね会の従業員は在宅を含めて現在15名であり、人数的には少ないが、一人一人が熟練の技を持った高度な技術者である。販売先は国内のみならず、海外の有名ブランドからの注文も受けており、三宅一生、シャネルなどへも製品を提供している。

2,歴史的背景
日本の毛織物の歴史は、明治時代軍服に使用する服地をヨーロッパから輸入したのが始まりである。当初輸入に頼っていた毛織物だが、明治政府は自給化を目指し、日本各地で緬羊の飼育を奨励した。毛織物の産地イギリスに気候風土の似ている北海道、岩手、長野では特に熱心に緬羊飼育が行われた。もともと馬産地であった岩手県では緬羊の飼育も熱心に行われたようだ。その後緬羊の飼育は全国的にはあまり効果が上がらず、相次ぐ戦争による羊毛の輸入禁止の時期を経て、現在では毛織物は輸入に頼っている。
岩手県のホームスパンは明治10年代に二戸郡に在住していたイギリス人宣教師が伝えたのが始まりとされている。その後大正時代に民芸運動を契機にホームスパンが盛んになる。岩手のホームスパン技術を高めた人物として染織家の及川全三がいる。及川全三は花巻市東和町に住み、ホームスパンの染め、織りの技術を研究し、また多くの優れた後継者も育てた。及川全三は「民芸運動」を推進した柳宗悦と親交が深く、岩手の民芸としてホームスパンを広めようとした。先にあげた「蟻川工房」「中村工房」「みちのくあかね会」は及川の教え子たちによって設立、技術指導された工房である。
岩手県でホームスパンが続いた大きな要因に県の支援があげられる。(現)岩手県工業技術センターはホームスパンの技術指導や支援事業に力を入れ、戦後には仕上げに必要な高額な加工機械を購入、各工房に貸し出し作業を行った。これらは他県にはみられないことである。

3,製造工程
ホームスパンの製造行程(註2)

4,ホームスパンの魅力
このように全て手作業で作られるホームスパンは「手のぬくもりを感じられる素朴な織物」と考える方が多いのではないかと思うが、実際はそのレベルの高さから機械織りと区別がつかない精緻さである。
それではホームスパンの魅力とはなんであろうか。
まず第一に暖かさ。日中の最高気温が氷点下の盛岡の冬であるが、厳寒期でもジャケットだけで外出できるほどだと聞く。たしかに、今年の冬はホームスパンのマフラーを使っているが、今までにない暖かさである。マフラーは首に巻いてもチクチクすることがなくソフトな肌触りである。
次に軽さ。試しに同じ長さ130cmのマフラーで、ホームスパン、ウール100%のブランド品、手編みの重さを較べてみた。それぞれ順に、62g、124g、170g。ホームスパンの重さは一般ウール素材の約半分であった。これがジャケットやコートになればさらにその軽さを実感できるであろう。軽い上着は肩が凝らず着ていてとても楽である。
ホームスパンは色合いも魅力がある。それは作業工程のカーディングでさまざまな色を混ぜ合わせることにより織り地に複雑な表情がでるからである。一本の糸も表情があるが縦糸と横糸の組み合わせによりまた違った表現ができる。平織りだけでなく、綾織りや模様織りをすることにより色合いや、風合いの異なった織物ができる。
さらに特筆すべき点はその耐久性である。ホームスパンのコートやジャケットは20年、30年持つそうである。「本当にそんなに持つんですか?」と聞いたところ、毛羽だった部分は次第になくなってくるが、それがしっとりとした風合いとなる。擦れて破れるということはない。表地は何ともないのに裏地の方が傷んできて裏地だけ張り替えることもある、という返事であった。一般のウールにはない、手紡ぎならではの特徴なのだそうだ。

5,今後の展望
「手紡ぎ、手織りの毛織物」という定義のホームスパンであるが、各工房では時代の変化に合わせてさまざまな工夫、改良がなされている。(株)日本ホームスパンは手織り機だけでなくシャトル織機も併用し、また使用する糸も絹糸、和紙、皮などを用いて常に新しい織物を作り出している。
現在はマフラーやストールなど小物専門に作る「中村工房」はシルクリボン、麻なども使い、染色にも流行を取り入れ、カラフルでユニークな製品を作っている。
ホームスパンの工房を訪ねてみて、直接携わる人たちの情熱をとても強く感じた。30年、40年続けている方たちは「やっぱり好きだから続いたんでしょうね。」と言われる。既製品が主流の現代に「好みの色、太さ、撚りの糸で手紡ぎ、手織り、そしてオーダーメイド」という夢のような服を手に入れることができるホームスパンという存在をもっと知って貰うには今後なにが必要なのだろうか。
まず常識を覆すという点で、同じ岩手県の「南部鉄器」を参考にしてみた。茶釜で馴染みのある南部鉄器は、時代の流れと共に、重い、時代に合わないなどの要因で販売が落ち込んでいた。しかしフランスの紅茶専門店アンシャンテでカラーポットを取り扱うようになり、逆輸入のかたちで日本でも評判になっている。鉄器に色を付けるという斬新な発想が流れを変えた。先ほどの欠点は「割れにくい、保温性に優れている、侘び・さびを感じる」という特長と捉えられている。南部鉄器の常識を覆す取り組みにより、炊飯ジャーの内釜にも採用された。これまでの常識を覆す考えは、内部の作り手が発想することは難しいが海外ブランドからの注文に応じて毛以外の糸を使う(株)日本ホームスパンの取り組みは革新的な優れた例だと思う。
もう一つ参考にしたいのは「今治タオル」である。値段は少し高いが品質の良さは類がなく私も愛用している。つい最近、偽装事件がニュースとなった。「今治タオル」の認定基準とはどのようなものか気になり調べたが、その基準の厳しさに驚いた。タオル特性、染色堅牢度などさまざまな角度から厳しい基準を設けて、それに合格した製品のみを「imabari towel Japan」と認定している。今治タオルは佐藤可志和氏によりブランド化に成功した例なのだそうだ。
製品を区別し、規格化して厳しい認定基準に照らす、という作業はその製品に大きな信頼感をもたらす。ホームスパンは現在「手紡ぎ・手織りの100%毛織物」「機械紡ぎ、手織り」「手紡ぎ毛糸と他素材の機械織り」など、さまざまな製品が混在する。これらを細かく規格化することにより購入者はホームスパンを正しく理解できるようになるだろう。
ホームスパンは作り手が直接販売することが多いが、熟練した技術を持った人が販売に時間を費やすのは勿体ないと思う。日本各地で展示会を開き販売する今の方法は、実物を見るという点ではよいが、足を運ぶことのできない人が多い現在の状況では、ネットの活用をもっと考えるべきだ。また、海外の人たちに知って貰うためには魅力的な英語版のホームページも必要であろう。「作り手」ではない人・組織がホームスパンの良さを知り、製品をプロデュースすることが望ましいのではないか。
私もいつかはホームスパンのコートを欲しいと思う。しかし今から30年着られるならば、私の寿命の方がもたないかもしれない。
この魅力的な織物が広く世界中に知られるようになることを願っている。

  • 987383_1462fb3849da499bb65e3c9dcf6bca79 (註1)主なホームスパンの工房 ・(株)日本ホームスパン 設立1961(昭和36)年 所在地 岩手県花巻市東和町土沢 ・(株)みちのくあかね会 設立1962(昭和37)年 所在地 岩手県盛岡市名須川町 ・中村工房 1919(大正8)年創業 所在地 岩手県盛岡市高松 ・蟻川工房 1970(昭和45)年創業 所在地 岩手県盛岡市青山 ・他に田中祐子、植田紀子などの個人工房がある。 写真は「みちのくあかね会」の工房
  • (註2)ホームスパンの製造工程 ホームスパンの製造工程表(ホームスパンができるまで(サイト作成者註:非公開))は(株)みちのくあかね会で撮影した写真を基に作成した。他工房でもほぼ同じ製造工程である。 (Step 1) 毛の選別→(Step 2) 染色→(Step 3) カーディング→(Step 4) 糸紡ぎ→(Step 5 )整経→綜絖通し→(Step 6) 織り→縮絨→仕上げ (Step 1 ) 国内産羊毛は汚れ、油分が多くまた腰が出にくいため主にイギリスからの輸入に頼っている。原毛を広げて、ゴミなどを取り除き、用途別に選別する。 (Step 2) 染色は、昔は草木染めをしていたが、染めの安定性と値段の関係で現在ではほとんどが化学染料を使用する。 (Step 3) カーディングとはカード機と呼ばれる大型機械で、毛の繊維を揃える作業である。この時に単色に染められた羊毛を数種類混ぜ合わせ、複雑な色を作り出す。小規模の場合は小さなカード機で手で行う。 (Step 4) 糸紡ぎで製品に応じた太さ、撚りの糸を作る。糸紡ぎは熟練を要するが、慣れた人でも一日100gほど。服地一反にはおよそ1.5㎏必要なので休まず紡いでも半月、実際は一月ほどかかる。みちのくあかね会では熟練した紡ぎ手が現在一人ということで、後継者の育成に力を入れている。 (Step 5) できあがった糸を機にかける、整経、綜絖通しが終わると織りの作業に入る。 (Step 6) 機織りというと「トントン」という音をイメージするが、ホームスパンは糸を強く締めないので、とても静かである。注文に応じて1㎝の長さに横糸何段、と決められる場合もあり、物差しを片手に確認しながらの作業となる。 織り終わった製品は検品ののち、お湯の中で縮絨をして糸が動かないようにする。先に挙げたホームスパンの定義では「縮絨は行わない」とあったが、この作業は国内、もしくは岩手県独自のものであろう。縮絨を行うとウールが少しフェルト化して肌触りも柔らかになる。 その後アイロンで仕上げをしてできあがる。 (写真のマフラー)  織りあがったヘリンボーンの色違いのマフラー 赤はフリンジが出来上がっている。 茶と青はこれから糸端を縒ってフリンジを作る。その後、洗剤を入れたお湯で洗い(縮絨)アイロンをかけて仕上げる。
  • 987383_04a08b2657ab4755bea42950223ceb28 ホームスパンの洋服地 赤い服地を織った方は、高齢のため昨年亡くなったそうである。織り手は70歳台、80歳台の方も多く、若い後継者の育成を急がなければならない。人数は多くはないが若い方も熱心に技術の習得に頑張っておられる。
  • 987383_0011f73f6f864e4c9240555e0b559ac4 (株)みちのくあかね会の展示会 洋服地、出来上がった製品(ジャケット、ストール、ネクタイなど)を展示販売する。 1時間以上話をしていたが、その間客足はまばらであった。 みちのくあかね会では織物だけでなく、セーター、カーディガン、リストウォーマー、靴下などの編み物も製造販売している。 上段、真ん中の明るい色のショールは「いままで少し色目が暗かったから、春らしい明るい色はどうかしら?ってみんなで話し合って作ってみたのよ」と、工房内で活発に意見を出し合って、常に新しい商品を作ろうとしているそうだ。すぐに買える値段ではないが、着物に羽織ってもよさそうなちょっと気になるショールであった。

参考文献

阿部幸子 鷹司綸子他編集 『被服学辞典』 朝倉書店 2004年3月15日 第3刷
てくり別冊 『岩手のホームスパン』 まちの編集室 2015年10月15日発行
公益法人畜産技術協会 機関誌「シープジャパン」
銀座たくみ 季刊誌『たくみ』復刊第1号 (平成14年11月15日)
フランス紅茶専門店 アンシャンテ ホームページhttp://www.enchan-the.com/pot/ (2016.1.11 acces)
今治タオル公式総合案内サイト http://www.imabaritowel.jp/ (2016.1.11 acces)

(株)日本ホームスパン盛岡店「ホームスパンハウス」では店の方にいろいろ話を伺うことができた。シャネルへ製品を卸すことになったときの新聞が展示してあり、「今年はこの生地です。」と生地も見せていただいた。
「(株)みちのくあかね会」には手織り体験、工房見学、展示会での取材など大変にお世話になった。
ホームスパン作品のすばらしさだけでなく、ホームスパンに携わる方々の穏やかな秘めた情熱に心を打たれた。演習1,2、卒業研究をきっかけに「ホームスパン」と出会えたことの幸せを感謝したい。