吉祥寺(武蔵野市)「ハモニカ横丁」

吉田雅子

吉祥寺(武蔵野市)「ハモニカ横丁」

はじめに
「いま一番住みたい街」といわれる吉祥寺は、「公園と一体になっている商店街」半径400mという歩きまわりやすい商店街だからと理解する人が多い。井之頭公園と並んで、吉祥寺のランドマークとして、街を彩る大きな役割を果たしているが「ハモニカ横丁」である。正式名称が「ハーモニカ横丁」と商標登録がなされている。「ハモニカ横丁」を中心に都市計画・防災対策なども考察することにする。

①吉祥寺の歴史
・吉祥寺の起源から太平洋戦争終戦まで
吉祥寺の歴史は、明暦3年の大火(振袖火事)で被災した江戸の吉祥寺という門前町の住人が転住、開墾したことに始まり、月窓寺・光専寺・蓮乗寺の寺域のものと決まった。明治22年JR中央線の前身甲武鉄道が新宿―立川間に開通した。 武蔵野村の人口は大正12年の関東大震災の後急増した。帝都電鉄(現、京王帝都電鉄井の頭線)は、昭和13年に吉祥寺駅まで開通した。同年中島飛行機が武蔵野町に工場を開設、戦時中軍需産業都市として発展した。武蔵野周辺の空襲が昭和19年11月24日から激しくなり疎開が始まり、吉祥寺駅周辺の建物が強制疎開となり除去された。
・戦後の吉祥寺駅周辺とハモニカ横丁の誕生まで
終戦直後、吉祥寺駅周辺の強制疎開地跡にヤミ市が誕生した。吉祥寺駅北口徒歩0分3,000㎡ほどの土地に、魚、アサリ、得体のしれない食料品、衣料品、カストリ焼酎などを売る露店ができた。テキヤが荒縄で一帯を取り囲み、その場所を細かく分け、商売人を誘致し場所代を徴収した。最も多かったのが店構え数坪の小さい飲み屋であり、店舗数150軒強もあったという。「ハモニカ横丁」は武蔵野在住の作家亀井勝一郎氏が昭和37年の市民講座で小さな店がぎっちり並ぶ様子を「ハーモニカ」の吹き口に例えたことに由来する。

②都市計画
・プラン作り
吉祥寺駅前は戦後復興するに従い混雑をきわめ、整備が早くから課題となっていた。昭和29年市議会に特別委員会が設置され、都市計画が検討された。昭和35年市には吉祥寺駅に近い短大(通称音大)の借地権を約3億円で買い取った。36年市議会特別委員会の報告を受け、東大 高山研究室に都市計画を依頼した。
37年3月に公表された高山案は、20万7,800㎡に及ぶ広い地域をスーパーブロック式で整備するという画期的なものだった。ところが既存の商店街を破壊するとして地元の大反対に出会った。一方、国鉄(現・JR)中央線の複々線高架化計画が具体化し、このチャンスに乗る必要に迫られていた。39年10月、市は再開発手法について検討し、40年6月駅周辺市街地再開発の実施案を発表した。
・スーパーブロック・プラン
20万7,800㎡の土地―この対象エリアを大きく(80m角程度)いくつかのブロック(街区)にまとめ、それぞれのブロックを不燃化した共同ビルとして高層化し、開発するという構想でモダンなデザインである。
「ハモニカ横丁」は、第2地区に属し、地下3階、地上8階、 建築延べ面積 2万7,500㎡事業開始は45年1月15日 事業完成 48年3月31日 という計画であった。しかし第2地区は利権者の意思統一ができずに期限が切れ、吉祥寺北口防災建築街区造成組合は解散した。
吉祥寺ヤミ市一帯の土地の権利者は月窓寺であった。駅前整備計画の流れの中で、「ハモニカ横丁」の再開発の話が幾度となく出ては消えていった。幸か不幸か借地権の問題が災いして話がまとまらず、結果戦後70年の長きにわたってこの地区が存続することになったのである。

③防災対策
終戦直後のバラック・低層木造の建物がいくつも並ぶ雑然とした造りであり、路地の道幅は約1.5メートルである「ハモニカ横丁」で火災がいつ発生してもおかしくないと常々心配している。
・市のプラン
44年6月に防災建築街区造成計画を進めるために、市の指導により第2地区の駅前商店連合会内部で積極的な話し合いが進められた。
48年4月には、東京消防庁・武蔵野消防署から駅前商店連合会あてに「吉祥寺駅前商店街の防火対策について」の通知が出された。これは、先に行われた駅前商店街の査察の結果、火災発生の危険が大きい店舗や、夜間2階に就寝している老人や子供の避難上問題点の多い店舗など全部で32件の違反が判明したので、出された通知である。しかし、3,000㎡近い街区面積内に約150店が存在し、借地権および借家営業などの利権関係も混み入っているため、第2地区における防災建築街区造成事業は遅々として進まず最終的には、48年6月末までに合意を得ることが出来ずに終わった。
・2015年の「ハモニカ横丁」
火災については、警備会社のプロが、365日一晩中見回りに当たっている。また、平成27年3月31日の武蔵野市安全パトロール隊ニュースには、「吉祥寺ミッドナイトパトロールを新たにスタートし、ホワイトイーグルス、ブルーキャップ、市民安全パトロールの3つパトロール隊とあわせ、24時間のパトロール体制を確立し、安全・安心なまち武蔵野にする」と発表された。北口駅前広場の地下に、100tの貯水槽を設置し、火災に備えた。
戦後のヤミ市からできた「ハモニカ横丁」は、その後大きく姿を変えていない。現在の法律では、建物を建て替えるには道路に面していなければならないので、各々の店舗がそれぞれで建て替えることはできない。しかし、市では防災上の問題をなども含め、多くの課題があると思っているので今後、検討を進めていかなければならないエリアである。
耐震に関しては、東日本大震災以前から自主的に耐震改装工事を行った店もあり、客の気付かぬところで着々と行われていることを望みたい。

④現在の「ハモニカ横丁」
・横丁ブーム
マスコミから頻繁に取り上げられる「ハモニカ横丁」は都内のみの知名度に留まらずテレビ番組で取り上げられることも少なくない。雑誌では『Hanako』『散歩の達人』などが吉祥寺特集を組んでいる。
・連合会の解散と「チームハモニカ」
駅前の広域に終戦直後から、変わらず現存することは、かなり稀なケースである。「ハモニカ横丁」は一言でいっても実際には、仲見世通り商店街・中央通り商店街・朝日通り商店街・祥和会の四つに商店街から成り立っている。これらの商店街組織は、2008年までは吉祥寺北口駅前商店連合会として、対外的には一つの組織として活動していた。2000年以降、戦後のスタートからの人々は高齢となり、商売を息子が引き継ぐことになった。また、場所を再転貸するケースも次第に増加した。商店の二代目・三代目の若手のグループが中心となりこの横丁に新しい風を起こそうとするメンバー「チームハモニカ」を立ち上げた。その活動で従来の「ハモニカ横丁」になかった新しいタイプの店が続々開店した。手づくりのアクセサリー「きんぎょ」、南米専門雑貨店「チチカ」、「ワンちゃんのケーキ屋さんココスイート」など。「ハモニカ横丁」が今日の人気を獲得したのは、1998年にヤミ市の面影を残す横丁に一見ミスマッチとも思える白い鉄骨造りのモダンな飲食店「ハモニカキッチン」がオープンした。これまで横丁に足を踏み入れたことがなかった若者で人気になった。ユニークなタイプの店によって吉祥寺の新たな魅力的スポットとして変貌を遂げていった。戦後からの老舗も多い、有名人御用達の干物屋「なぎさや」、一坪で年商三億円の和菓子屋「小ざさ」、名物のメンチカツを求める客で大行列のできる「さとう」精肉店など「ハモニカ横丁」の人気は、新旧の店どちらかに偏ることもなく支えられている。今や、ヤミ市の面影を残しているコミニュテイ「ハモニカ横丁」は貴重な存在である。

⑤共通点のある横丁
ヤミ市が戦後から移転せず現存しているのは新宿「思い出横丁」と吉祥寺「ハモニカ横丁」である。「思い出横丁」は新宿西口商店街に空襲の跡がまだ生々しい頃に出来たヤミ市にそのルーツを持つ。焼鳥屋やもつ焼屋、金券ショップや定食屋が多い。昭和を思わせる小規模な飲食店が所狭しと並んでいる。
平成11年11月24日大きな火災が発生し、70店舗中、28店舗が全半焼した。火災時は昼過ぎ黒々と上った煙で一時JRは止まり、必死な消火作業が行われた。消火後も電気ガスなどは止まりその後三日間は火災を免れた店舗も営業を行うことが出来なかった。

おわりに
「ハモニカ横丁」とは吉祥寺で戦後から長い時間をかけて形成されたコミュニテイを指す言葉であろう。如何に昭和レトロを維持し発展させていくかが課題である。近い将来「文化遺産」になるように望むものである.

  • 987383_8df7e36d58d24bcb941d3d4cc02c3be0-1.jpeg ①ハモニカ横丁の地図(武蔵野市観光機構ホームページより)
  • 987383_a49bf09f7ae746788fc0797ea0d31a65 ②ハモニカ横丁の入り口(武蔵野市観光機構ホームページより)
  • 987383_d90fbf060f534621b4d1a93587ba221f ③飲食店「ハモニカキッチン」(武蔵野市観光機構ホームページより)
  • ④ハモニカ横丁での買い物(非公開)
    (交通新聞社『散歩の達人』大特集「おとな的正しい吉祥寺案内」より)

参考文献

武蔵野市   『21世紀への基盤づくり:吉祥寺周辺再開発事業誌』   1989年12月
 井上健一郎(論文)  『吉祥寺「ハモニカ横丁」の記憶』       2006年4月
 斎藤 徹 『吉祥寺が『今一番住みたい街』になった理由』ぶんしん出版 2013年4月
 交通新聞社『散歩の達人』大特集「おとな的正しい吉祥寺案内」
朝日新聞に記載された記事(2015年)
 2015年1月3日  吉祥寺・「ハモニカ横丁」「一人客」が多いわけを知った
 2015年1月29日 各駅停話 井の頭線・吉祥寺 「ハモニカ横丁」
 2015年7月7日  「ハモニカ横丁」客を超えた交流秘話
 2015年10月29日 吉祥寺…………住みたい街 ④ 終戦直後の闇市の面影