電子書籍の時代に神保町の古書店街は何故なくならないのか?〜人と本の新しい繋がり方〜

新井 葵

2022年現在、電子書籍が急速に普及している中、東京神田神保町にある古書店街には、いまだ多くの人が来街し書籍を探してまちを歩いている。書店から溢れた本棚はノスタルジックな雰囲気を漂わせ、とても趣深い景観である。しかしデジタル化の時代、書籍やコミックは手元のスマホから簡単にダウンロードして、手軽に読める電子書籍が当たり前になった。この先の時代に、神保町の古書店街は無くなってしまうのか?という不安がよぎる。
しかし、結論からいうと、「古書店は無くならない。」である。何故そう言い切れるかと言うと、現在の日本があるのは、神保町の古書店街のおかげであるといっても過言ではないのだ。それは神保町の古書店街は私達の重要な文化資源であるからだ。もちろん、まだ国や東京都の文化遺産に登録されたわけではないが、このレポートでは、古書店街の文化価値について歴史を振り返り、これからの人と本との繋がり方を考察していく。

1.基本データと歴史的背景
神保町の名前の由来は、江戸時代にまで遡る。『東京の地名由来辞典』(註1)によると、「江戸時代、このあたりは武家地であったが、明治5年に旗本神保家の邸宅前が神保小路と呼ばれていたのにちなんで名付けられた。」と記されている。またこの区域は、火災が起こると季節風の影響で、一気に火が燃え広がる場所であったため、この辺りには広大な防火用空地が作られていたのである。(註2)しかし幕末になると、この火除地に洋学研究教育機関である蕃書調所(のちの東京大学)が設立され、西洋医学の研究が進められ、明治維新にかけては蘭医学研究の中心となっていった。
さらに、幕府から新政府へと政権交代の際、神田周辺の大名屋敷や旗本屋敷が政府によって収用され、空き家や空き地が広がった。そのため、文明開化の時代、神田の空き地には西欧学問を学ぶための官立学校が次々と創立された。明治10年代になると、東京大学、学習院、東京外国語大学、明治大学、専修大学、法政大学の前身となる学校も創立され、教育機関が多く設置された。やがてまちに学生や学者が増え、教科書や専門書籍の需要が増加すると、淡路町や小川町に本屋が次々と出現した。そして神保町にも、有斐閣、中西屋、東洋館、三省堂などが創業し、現在の「古書店街」がかたち作られていった。(註3)

2事例のどんな点について積極的に評価しているのか
神保町古書店街への評価は、書店の店主が本好きであり、古本ビジネスに熱い情熱を持っているところを評価したい。時代が明治から大正に移り変わると、古本屋にも組織的な活動が必要になった。大正9年、東京古書籍商組合が結成され、組合では、かねてから問題視されていた古書店の公休日を定めたり、店員の待遇改善が見直されていった。こうした人材育成は現在でも若手に受け継がれている。(註4)
しかし、大正12年の関東大震災で、神保町古書店街は大きな被害を受けた。周辺の大学、高等学校、専門学校の図書館が焼失した。『古本屋の手帖』によると、「印刷、製本業界はじめ、出版界は壊滅的打撃をうけ、従って新本業界も商品の補充ができるようになるまでは全くお手上げの状態が続いた。この点古書業界は、東京が壊滅しても各地から補給することができた。」(p26)と記されており、学校の再建時には大量の書籍の購入が古書店へと殺到し、古書に対する需要が急激に増加したのだった。出版社や印刷所も焼失し、新刊書の供給が途絶えてしまったということは、「ただの古本がすべて絶版本に変わってしまった」(註5)といった現象が起こり、当時の古本は定価の数倍の価格に値上がりし、古書バブルが起こった。古書店の底力は強く、同年にはバラック建で営業を再開させ、本を途絶えさせなかったのだ。

3国内外の他の同様の事例との比較
神保町以外に、海外や国内で、本のまちとして知名度のある活動を2つあげてみよう。
まず、海外の本のまちとして世界的に知られているのは、イギリスのヘイ・オン・ワイ(註6)がある。1962年に、リチャードブースがイギリスのウェールズにある小さな村の古城を買取り、自身で収集した本で城をいっぱいにし、書店を開いたことで始まった。ブースは1977年に『本の王国』と宣言し、国際的に認められた。40年以上続く『本の王国』の運動は世界中に広がっていった。1980年代半ばには、ヨーロッパ各地、アメリカやアジアにおいても、本のまちという観光を魅力とした「町おこし」運動がおこった。(註7)現在では多くの地域がメンバーとなり国際的な組織になっている(註8)。
次は、国内の青森県八戸市である。「八戸ブックセンター」(註9) は、市の公共施設の書店として運営されている。こちらは古本ではなく、新刊本の書店であるが、本好きの市長の政策公約で、「本でまちを変える構想」がきっかけでこの書店がオープンした。近隣の書店と連携をしながら扱いがない本は他店を紹介し、まち全体が本屋として機能する中心的な役割を担っている。また八戸市では、市政で「人づくり戦略-教育プロジェクト」(註10)として、学校や図書館と連携し、絵本の読み聞かせなど本との触れ合いを通じた教育支援を積極的に行っている。
この2つの事例は、まちおこしや市政の教育支援として、新たなスタイルで人と本が繋がる空間や、イベントを通じて発展している。神保町の古書店街の歴史的な背景とは違った本のまちの形成だが、人と本との関係を再認識させてくれる良い事例と言えるだろう。

4今後の展望について
ここまで、本のまちを通して人と本の繋がり方を見てきたが、近年では、インターネットや電子書籍の登場により、本や書店の存在自体が危ぶまれていることも忘れてはいけない。
東京古書店組合(註11)の小野氏は、「古書の世界に起きた大きな変化は、やはりインターネットの普及・定着といった環境です。中でもアマゾンとブックオフの登場は、大きな影響を与えたと思いますね。」(註12)と語っている。さらに電子書籍の登場により、人々が本を手に入れる環境はますます変化している。まちの書店が減る中で、神保町では2006年に、出版関係者らによる「本の街・神保町を元気にする会」が組織され、人と本を繋ぐ新たな取り組みが行われた。神田古書店連盟と国立情報学研究所が連携して「BOOK TOWN じんぼう」(https://jimbou.info/about/)や「日本の古本」(https://www.kosho.or.jp)のwebサイトが立ち上がっている。(註13)サイトでは神保町MAPを掲載し、古書店と飲食店の情報を発信している。
また、千代田区では、2005年に「ちよだ文化遺産プロジェクト」を発足し、神保町古書店街や有名出版社の集積を、都市アイデンティティーの文化資源の源泉として捉え、整備や活用方法が進められている。(註14)

5まとめ
このレポートでは、神保町古書店街の始まりとして、江戸末期からこれまでの150年の神保町周辺の歴史を振り返り、継承されてきた古書業界の価値を文化資源として見直してきた。
神保町は東京の中心地にある地の利から、書籍と出版に関わり続けたまちであり、多くの災害に遭いながらも根強い古本業界のネットワークですぐに復旧し、教育機関をはじめ文化情報発信の危機を救ってきた。デジタル化の波に押されつつも、神保町古書店街は、人と古書店をインターネットで繋ぐ在り方を模索している。近年では飲食店の集積も相俟って、観光スポットととして雑誌やタウン誌でも紹介され、女性や外国人観光客の来街者も訪れるまちになった。神保町古書店街はこの先も、人と本をハイブリットに繋げていくまちとして、未来へと継承されていくだろう。

  • 1 神保町街並み 2022年1月8日 筆者撮影
  • 2 蘭学 和本 杉田玄白著『蘭学事始』福沢諭吉が明治2年に刊行 江戸東京博物館2022年1月14日筆者撮影
  • 3 大正時代の雑誌と児童書 江戸東京博物館 2022年1月14日筆者撮影
  • 4 神田すずらん通り(昭和30年頃)『企画展 神田学生街の記憶 -1880-1980 五大法律学校の軌跡-』専修大学所蔵資料より
  • 5 『JINBOCHO 古書店MAP 2022神田古書店連盟』より
  • 6 神田神保町 タウン情報冊子 2022年1月14日筆者撮影

参考文献

(註1)竹内誠編『東京の地名の由来辞典』、p207、東京堂出版、2006年
(註2)著者鈴木理生『千代田区の歴史』、pp196〜197、名著出版、1978年
(註3)脇村義太郎著『東西書肆街考』、pp78〜85、岩波新書、1979年
(註4)八木福次郎著『新編 古本屋の手帖』、pp25〜31、平凡社、2008年
(註5)鹿島茂『神田神保町書肆街考』p354、筑摩書房、2017年
(註6)Hay-on-Wyeホームページ(https://www.hay-on-wye.co.uk/)2022/1/23アクセス
(註7)大内 田鶴子/小山 騰/藤田 弘夫/熊田 俊郎 『神田神保町とヘイ・オン・ワイ―古書とまちづくりの比較社会学 単行本 –』p序文Ⅴ、東信堂、2008年
(註8)ブックタウンの国際組織へようこそ(http://www.booktown.net/)2022/1/23アクセス
(註9)「八戸ブックセンター」ホームページ(https://8book.jp/booktown/)2022/1/25アクセス
(註10)「本のまち」八戸の推進(https://www.mext.go.jp/content/000011124_088.pdf)2022/1/25アクセス
(註11)東京古書店組合サイト(kosho.ne.jp)2022/1/19アクセス
(註12)『望星』(pp28~35)、東海教育研究所、2018年
(註13)『情報管理』編集事務局『東京都古書籍商業共同組合創立90周年記念 日本の古本屋シンポジウム』、pp165〜168、情報管理2010 vol.53 6月号
(註14)後藤和子・柳与志夫『千代田区の文化遺産プロジェクトー文化財・文化資源と都市政策』文化経済学第5巻第3号、 pp153~154、2007年
・BOOK TOWN じんぼうサイト(https://jimbou.info/)2022/1/19アクセス
・KOTSU「日本古書通信」サイト(https://www.kosho.co.jp/kotsu/)2022/1/19アクセス
・日本の古本屋サイト(https://www.kosho.or.jp)2022/1/19アクセス
・神田すずらん通り(昭和30年頃)『企画展 神田学生街の記憶 -1880-1980 五大法律学校の軌跡-』(https://www.senshu-u.ac.jp/event/nid00004317.html)2022/1/23アクセス

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