横浜市山手地区 旧外国人居留地の生活文化的景観——後世に継承する価値

横濱 英郷

1はじめに
神奈川県横浜市中区の山手地区は、一八五八年に江戸幕府とアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスとの間で締結された「安政五カ国条約」により、箱館(函館)長崎・新潟・兵庫(神戸)、江戸、大坂(阪)とともに開講・開市した横浜港に隣接する旧外国人居留地である。現在の同地区は一般住宅地である一方、西洋館群や外国人墓地などを有する観光地として知られている。こうした歴史的背景をもつ山手地区が、現在にまで育んできたもの、また、後世に継承するべき価値とはなにかを考察する。

2山手地区の歴史的背景
(1)横浜開港〜関東大震災前
山手地区の歴史は、一八五九年に横浜港が開港したことからはじまる。外国からの圧力で開国した幕府に対する批判が国内で高まる中、一八六二年にイギリス商人が殺害された「生麦事件」がおきる。こうした状況はイギリスとフランスに危機感を抱かせ、両軍の駐屯兵約千人が山手地区北東の谷戸坂近辺に陣を張り占拠した。一八六七年には、この地を外国人専用の居住地とする永住借地権を幕府に認めさせ、居留地としての開発が進められたのである。
当時の山手居留地には、日本人が住居を構えることはできなかった。そのため、各国の人々が思い思いの様式で住居を構えたほか、学校や教会、病院なども建設されたことで異国情緒に富んだ景観を生んだ。その後、一八七五年に駐屯兵が撤退、一八九九年の条約改正によって居留地制度が撤廃されたことを受け、日本人の居住が可能となった。また、乗馬やピクニック、スポーツ大会や晩餐会といった、外国の生活習慣と文化の展開は、居留地制度の撤廃後もこの地で継続された。

(2)関東大震災後〜現在
外国人居留地としての文化を育んでいた山手地区だが、一九二三年の関東大震災によって壊滅的な被害を受けた。横浜在留外国人の罹災状況は、死者一七八九人、負傷者二一三五三人、行方不明者一一〇九人、計五二五一人にも及び、ほとんどの建物は消失・倒壊した。この災害によって、多くの外国人が山手地区を去ってしまったが、横浜市は一九二五年から二九年にかけて市営賃貸住宅を建設、民間でも耐震構造のアパートメントを建設するなど、地区の復興につれ外国人が戻ってきた。第二次世界大戦を経て、一九六四年に山手地区最東の高台に「港の見える丘公園」を開園。横浜港を一望できることから、現在でも地域住民や多くの観光客で賑わう集いの場となっている。山手地区を東西につなぐ山手本通り沿いには、西洋館群が立ち並び、さまざまな公園や外国人墓地と相まって、当時に暮らした外国人たちの生活を思わせる独自の景観を形成している。
前述の通り、山手地区の建物は震災によってほとんどが失われているため、現存する西洋館群は震災後に建設または別の場所から移築されたものである。西洋館群は横浜市が所有し、地域住民や事業者の協力によって一般公開され、活用されている。また、西洋館群は市認定歴史的建造物や市指定文化財、または国重要文化財として指定されており、山手地域の景観の中心的な存在であるといえる。例えば、外国人墓地に近い山手二三四番館は、前述した震災後に建設された民間の外国人向けアパートメントとして建てられたうちの一つであるなど、西洋館群がもたらす景観的要素は、同地区に暮らした外国人たち生活を現在に伝える歴史的価値があるといえるのである、なお、現存する震災前の遺構は石造のものがほとんどであり、住宅地の造営による「ブラフ積み」と呼ばれる独特な石積みの擁壁を代表例としてあげることができる。こうしたブラフ積みの擁壁は、山手地区のいたる所で目にすることができ、震災前の様子を現在に伝えている。以上のように、山手地区の歴史は「横浜開港〜震災前」と「震災後〜現在」で層を成し、同地区の現在の景観に影響を与えている。

3他の旧外国人居留地の事例との比較
日本国内に存在した外国人居留地の事例として、兵庫県神戸市中央区の旧外国人居留地がある。一八六八年に開港した神戸港は、「安政五カ国条約」において開港を求められた候補地のひとつである。神戸港の選定理由は、横浜港と同様に大型船が出入りできる湾形であるほか、外国人と日本人の無用な衝突を避けるために、旧市内からやや離れていることがあげられる。こうした条件から、両者が類似点をもった居留地であったといえる。神戸の外国人居留地は、ヨーロッパの近代都市計画技術を使って、イギリス人土木技師であるJ・W・ハートが設計し、一二六の区画に公園、街頭、下水道、街路樹などを建設された。近代的に整備された居留地には各国の領事館が開設され、多くの外国人商人がビジネスチャンスを求めてこの地に集まった。
横浜と神戸の居留地は、ともに日本と外国を結ぶ窓口としての役割を果たし、諸外国の文明が流入して日本全国に広がるための礎となったが、両者には、「住宅地」と「ビジネス街」という相違点がある。横浜には、現在の山下地区にあたる山下居留地と山手居留地のふたつが存在し、前者は横浜港に近いこともあり、必然的にビジネス街としての役割を担い、山手居留地は住宅地となった。しかし、神戸の居留地は横浜と比べて敷地面積が小さく、住宅地と商業地が混在していた。つまり、横浜と神戸は類似点のある居留地である一方で、その地域的特色は大きく異なるものであった。また、現在の神戸は多くのビルが立ち並ぶビジネス街となっており、居留地時代の外国人の日常的な暮らしを想起することは難しい。
以上の点から、現在の横浜山手地区は、西洋館群や墓地が現存する外国人の日常生活に基づく生活文化的景観が特色であるのに対し、神戸旧外国人居留地は、ビジネス中心の居留地とした近代的な街並みの商業文化的景観が特色であるといえる。

4官民一体の景観保全活動と今後の展望
前項で述べた山手地区の生活文化的景観は、どのように保全されているのか。横浜市が市民からの要望に応じて山手地区の景観保全を始めたのは、高度成長期末の一九七二年のことである。山手地区の異国情緒ある街並みや自然環境の保全などを目的とした「山手地区景観風致保全要綱」を策定し、同地区でのマンション建築をはじめとする開発・建築行為に対して行政指導を行なった。また、こうした景観保全活動には、地域住民も参加している。一九九八年に、行政と地域住民によって、山手地区の環境と歴史的遺産・遺構を活かした街づくりを目的とした「山手まちづくり憲章」を定めた。その後、二〇二〇年に、景観法に基づく「景観計画」と「横浜市魅力ある都市景観の創造に関する条例」を定め、こうした景観保全の行政的実行力をさらに高めた。これにより、山手地区は条例によって定められた「都市景観協議地区」となり、建築物の新築・増築・外観変更などを届出対象行為とし、建築物の最高高に制限をかかるなど、官民一体の景観保全が行われている。
横浜市は現在、港の見える丘公園整備事業として、園内の拡張部に新たな西洋館を移築する計画を進めている。これは、山手地区の住民や観光客の集まる港の見える丘公園の利活用をさらに推進する目的がある。そのため、移設される西洋館の地域に根ざした活用を実現するため、行政と市民、さらに民間事業者の連携を目指したサウンディング型市場調査が実施されるなどの試みが行われている。つまり、山手地区は、この地で暮らした外国人の文化や歴史的価値のある景観を保全するだけではなく、行政と地域住民、事業者が一体となって地域の新しい魅力を再定義し、現在的価値を提案・発信しているのである。
横浜市によって管理される景観要素がある一方で、民間団体のよるものも存在する。横浜外国人墓地はその代表例といえるだろう。この墓地は、一八六一年に設置されて以来、多くの外国人が眠る山手地区の歴史的かつ生活文化的景観要素となっている。現在は財団法人横浜外国人墓地が管理運営しているが、近年は無縁墓地が増加、収入源の減少が問題化し、財団は寄付金の協力を訴えている。この問題によって、山手地区の重要な景観要素が失われてしまう可能性があり、行政の支援が必要とされる。

5まとめ
横浜山手地区は、居留地時代から現在まで、多くの外国人の暮らした生活文化的景観が魅力であり、こうした価値は、官民一体の活動によって保全され、更新を続けている。地域住民はもちろん、観光客にとっても心地のよい山手地区の景観は、こうした地域の歴史と多くの活動によって支えられている。

  • 1 横浜山手西洋館オフィシャルwebサイト、横浜西洋館MAP(オンライン)
    https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/yamate-seiyoukan/map.php
  • 2%e6%96%b0 山手234番館(2021年11月14日、筆者撮影)
  • 3%e6%96%b0 エリスマン邸(2021年11月14日、筆者撮影)
  • 4%e6%96%b0 外交官の家(2021年11月14日、筆者撮影)
  • 5 横浜外国人墓地入口(2021年11月14日、筆者撮影)
  • 6 港の見える丘公園からの眺望(2021年11月14日、筆者撮影)
  • 7 ブラフ積みの擁壁(2021年11月14日、筆者撮影)
  • 8 現在の谷戸坂(2021年11月14日、筆者撮影)

参考文献

新関光二『山手歴史散歩 BLUFFF STORYS』、NPO法人横浜山手アーカイブス、二〇一八年。
新関光二『山手歴史散歩 BLUFFF STORYS2』、NPO法人横浜山手アーカイブス、二〇一九年。
武内 博『横浜外国人墓地—山手の丘に眠る人々—』、山桃舎、一九八五年。
楠本利夫『国際都市神戸の系譜〜開港・外国人居留地・領事館・弁天浜御用邸〜』、公人の友社、二〇〇七年。
堀博・小出石史朗 共訳『ジャパン・クロニクル紙ビジュナリーナンバー 神戸外国人居留地』神戸新聞総合出版センター、一九九三年。
横浜市webサイト、山手のあらまし(オンライン) https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/kannaikangai/yamate/yamate.html(参照2022-1-17)。
山手東部町内会webサイト、横浜山手町の歩み(オンライン)https://www.yamate-east.com/山手東部町内会-1/山手東部ってどんなところ/山手の歩み/(参照2022-1-17)。
山手西洋館公式サイト(オンライン)https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/yamate-seiyoukan/(参照2022-1-17)。
横浜外国人墓地 Official Site(オンライン)http://www.yfgc-japan.com(参照2022-1-17)。
横浜市webサイト、山手地区における景観計画・都市景観協議地区の策定について(オンライン)https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/keikanchosei/keikanseido/yamate.html(参照2022-1-17)。
横浜市webサイト、山手まちづくり憲章(オンライン)https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/kannaikangai/yamate/kensyo.html(参照2022-1-17)。
横浜市webサイト、横浜市魅力ある都市景観の創造に関する条例(景観条例)(オンライン)https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/keikanchosei/jourei.html(参照2022-1-17)。
横浜市webサイト、山手地区の景観計画・都市景観協議地区(オンライン)https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/kannaikangai/yamate/yamatekeikan2.html(参照2022-1-17)。
横浜市webサイト、港の見える丘公園(拡張部)へ移築予定の西洋館利活用についてのサウンディング型市場調査(オンライン)
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/midori-koen/koen/renkei/minato-seyokan.html(参照2022-1-17)。

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