下北沢という居場所——「まち」と「人」の相互影響に関する考察——

伊藤 みゆき

1.基本データ

・駅所在地:東京都世田谷区北沢2丁目
・鉄道路線:小田急小田原線、京王井の頭線
・該当地域:東京都世田谷区北沢、及び代沢・代田の一部
・カルチャー:演劇、音楽、古着など
・劇場:ザ・スズナリ、本多劇場、駅前劇場、OFF・OFFシアター、「劇」小劇場、小劇場楽園、シアター711、小劇場B1
・ライブハウス:SHELTER 、下北沢CLUB Que、下北沢LOFT、ろくでもない夜など小規模施設(50〜600人収容)が約20
・商店街:下北沢一番街商店街、しもきた商店街、下北沢南口商店街、下北沢東会、下北沢南口ピュアロード新栄商店会、代沢通り共栄会
・都市計画:都市計画道路補助第54号線(1946年4月決定)、都市高速鉄道第9号線(1964年12月決定)、都市計画道路世田谷区画街路第10号線(2003年1月決定)、都市高速鉄道第9号線(2003年1月変更決定)

2.歴史的背景

下北沢という名称は正式な地名ではない。かつて存在した「荏原郡下北沢村」に由来すると思われるが、現在は東京都世田谷区にある下北沢駅周辺の地域を指すものである。現在下北沢と呼ばれる地域には、世田谷区北沢と世田谷区代沢・代田の一部が該当するが、明確な境界線は存在していない。
演劇・音楽のまちである下北沢にライブハウスが誕生したのは1970年代後半、劇場ができたのは1980年代初頭である。それ以前の下北沢は学生を受け入れる下宿屋のまちであった。1927年に小田急線(新宿~小田原間)が開通したことで、下北沢には中流階級の住宅街が建設されたが、終戦後の窮乏から下宿屋を開業する者が出現し始める。1960~70年代になると、下宿屋は単身者向けアパートとなり若者が集まりやすい基盤が形成された。また東宝映画の砧撮影所が近いことから、下北沢は映画関係の人々が集まるまちでもあった。1975年にオープンしたジャズ・バー「レディ・ジェーン」のオーナー・大木雄高もかつては劇団の主宰者であり、下北沢の劇場すべてを所有する本多グループの本多一夫も、かつては新東宝のニューフェイスであった。
1980年代から90年代にかけて、下北沢は演劇・音楽のまちとして確立していく。1986年には屋根裏(2015年3月閉店、現ろくでもない夜)、1991年にはSHELTERがオープンし、1980年代初頭に誕生したザ・スズナリと本多劇場は小劇場ブームを牽引した。

3.事例のどんな点について積極的に評価しているのか

下北沢は東京の中でもとりわけ個性的なまちである。劇場・ライブハウス・商店街が狭い道をたどった徒歩圏内に混在している。ひとことで言えば「雑多なまち」であり、それは同時に「寛容なまち」でもある。そして、それこそが下北沢の魅力となっている。また、小劇場・小規模ライブハウス・個人商店・細道というように、下北沢のまちは人との距離が近く、人が中心となるまちである。それは、大資本を投入することなく少しずつ変化し育ってきたまちだからである。
1980〜90年代、東京には新しいビル群が建設され、全国各地の駅前はロータリー化された。しかし下北沢には、小田急線の高架化もしくは地下化という難題があり、近代化の流れから取り残されることになる。そして幸いにも、このことが「下北沢らしさ」を守った。下北沢が近代化されずにいたことを隈研吾は『新・ムラ論TOKYO』の中で「モラトリアム」と喩えており、さらに現代のムラである下北沢は、悩みを抱えたモラトリアム人間の居場所になると言っている[註1]。
モラトリアムの状態にある下北沢がモラトリアム人間の居場所になるのは、まちと人が相互に影響し合っているからである。下北沢のように緩やかに変化するまちでは、その連続性の中で悩んだり立ち止まったりできる。だから下北沢は、夢を追う者、自由を愛する者、人生に迷う者たちにとっての「居場所」になるのである。これは、下北沢の再開発をめぐって展開された反対運動を見ても明らかである。この反対運動には、ミュージシャンや若者など下北沢を愛する人々が参加した。彼らの多くが非住民であったことは、下北沢というまちが「生活の場」や「遊び場」だけでなく「居場所」であることを示している。反対運動はまさに、下北沢という居場所が壊されることへの反発であり、同時にそれは、まちのあり方についての大きな問いかけとなった。

4.国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか

下北沢の都市計画は「都市計画道路補助第54号線」及び「都市計画道路世田谷区画街路第10号線(駅前広場)」であり、前者の「補助第54号線」は1946年に計画されたものである。その後、数回の変更を経て、実施に至るまでに半世紀以上も費やした。それは、小田急線の地下化あるいは高架化が必要だったためであるが、東京都の「連続立体交差事業」及び小田急電鉄の「複々線化事業」との一体化により実現可能となった。しかし下北沢を愛する人々は、「Save the 下北沢」を結成し署名活動などの反対運動をおこなった。この反対運動には著名人も参加し、テレビ等メディアでも大きく取り上げられたが、2013年3月には下北沢駅を含む東北沢~世田谷代田間が地下化され、2019年3月には小田急線の複々線化事業が完了した。「補助第54号線」及び「世田谷区画街路第10号線」は2022年3月に終了予定である。
下北沢の再開発は反対運動によって中止されることはなかった。しかし結果として、下北沢では大型商業施設やビルなどを建設する従来型の再開発ではなく、支援型開発として、下北沢らしさを残しながら発展するまちづくりが目指されたのである。例えば、鉄道路線跡地の「下北線路街」に誕生した「BONUS TRACK」は、下北沢の路地風景が再現された商店街である。BONUS TRACKのコンセプトは個人商店が参入しやすい環境づくりであり、下北沢らしい多様性を守ろうとしていることがわかる。他にも路地散策気分が得られる商業施設「reload」や個性的なイベントが楽しめる広場「下北線路街 空き地」などが誕生している。

5.今後の展望について

下北沢では従来の再開発とは異なり、「らしさ」を壊さないまちづくりが目指された。しかし、80年代から30年以上に渡って下北沢を訪れ、これまで40回以上も下北沢でライブ活動をしてきたミュージシャンであり芸人でもあるT氏は「これ以上、駅前の再開発はやめてほしいかな。小綺麗さより街の個性を大事にしてほしい。雑然、野放図な感じこそ下北沢の魅力だから。」と語ってくれた。
長年下北沢を見てきた人は、再開発後の「らしさ」には違和感を覚えるのかもしれない。しかし「らしく」振る舞うことで本物になることもある。私たちの社会は隈研吾が指摘するように元来演劇的であり、演技に支えられてもいる[註2]。職業などの社会的役割を担おうとすれば、そこには「らしさ」の振る舞いが付き物であり、他者との関係を築く場合にも「らしく」振る舞うのが常である。それは表面的な「らしさ」の内にモラトリアムを秘めた姿であり、豊かな可能性に満ちている。これはまちも同じではないだろうか。下北沢は、再開発によって新たなモラトリアムの状態を迎えた。そしてこれこそが「下北沢らしさ」の一つでもあり、豊かな可能性を含んだモラトリアムのまちとして、これからも人々の居場所であり続けるはずである。

6.まとめ

現在の下北沢は再開発による期待と不安が入り混じり、さらには現在進行形のコロナ禍によって「らしさ」の象徴でもある個人商店が閉店に追い込まれている。しかし下北沢が人々の「居場所」である限り、下北沢らしさが失われることはない。なぜなら、まちと人は相互に影響し合っており、「人のあり方」がそのまま「まちのあり方」になるからである。

  • 2 [写真2] ザ・スズナリとシアター711(2021年10月18日、筆者撮影)
  • 4 [図1] 下北沢駅周辺の劇場・ライブハウス(筆者作成)
  • 5 [図2] 伊能忠敬「大日本沿海輿地全図」第90図(1873年頃)
    国立国会図書館デジタルコレクション<https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286636>(2022年1月23日閲覧)

参考文献


[1]隈研吾・清野由美『新・ムラ論TOKYO』集英社新書、2011年、58ー61ページ
[2]隈研吾・清野由美『新・ムラ論TOKYO』集英社新書、2011年、127ページ

参考文献
猪野辰「レディ・ジェーン:大人の下北沢を奪還するために」『SWITCH』、2005年5月号、54ページ
片岡容子「本多劇場:演劇の街、下北沢 全てはここから始まった」『SWITCH』、2005年5月号、53ページ
徳永京子『「演劇の街」をつくった男 本多一夫と下北沢』ぴあ、2018年
NPO法人グリーンライン下北沢編『シモキタらしさのDNA「暮らしたい 訪れたい」まちの未来をひらく』エクスナレッジ、2015年

参考URL
大坂直樹「"小田急色"をあえて消した『下北沢再開発』の勝算」、東洋経済オンライン、2021年9月21日
<https://toyokeizai.net/articles/-/456586>(2022年1月23日閲覧)
茶木環「複々線化完成と輸送環境の改善」『みんてつ』、2019年春号、14ー18ページ
<https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/69_p01_32.pdf>(2022年1月23日閲覧)
小田急電鉄「会社小史・略年表」
<https://www.odakyu.jp/company/history/>(2022年1月23日閲覧)
下北線路街
<https://senrogai.com>(2022年1月23日閲覧)
世田谷区「都市計画道路補助第54号線(下北沢1期)及び下北沢駅駅前広場(世田谷区画街路第10号線)」
<https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/009/001/002/d00014356.html>(2022年1月23日閲覧)
ツバメアーキテクツ「下北線路街 BONUS TRACK」
<http://tbma.jp/works/bonus-track/>(2022年1月23日閲覧)

補足資料
2021年10月18日 ミュージシャンT氏 メールインタビュー

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