国指定重要無形民族文化財「十津川村の大踊り」
1.はじめに
私の父の郷里である十津川村は、紀伊山地の中央にあり、奈良県の南端・奥吉野に位置する。和歌山県と三重県に隣接し、高峻な山岳と清く碧い十津川の瀞峡(どろきょう)、空中散歩の感覚で絶景を望める谷瀬の吊り橋(全長297m、高さ54m)、人力で進むロープウェイの野猿など、昔の古里の風景が現存している。東京23区を少し上回るという広大な面積を誇るこの村は「日本で一番大きな村」なのである。
十津川村の夜は、普段はとても静かなのだが、毎年8月13日から15日の盆踊りには、8つの地区(小原・武蔵・西川・谷瀬・湯之原・出谷・平谷)が賑わいを見せている。
2.十津川村の大踊り
十津川村の盆踊りは、11世紀の平安時代末期に広まった「踊念仏(おどりねんぶつ)」にルーツをもつ貴重なものである。特に小原・武蔵・西川で行われる盆踊りには「大踊り」というものがあり、国の重要無形民族文化財に指定されている。
大踊りの歌と踊りには、3つの地区で少しずつ違いはあるものの、大まかな流れは似ている。長くてゆっくりした歌から始まるが、太鼓のリズムに乗ってテンポが速まり、次第に動きに迫力が増してゆき、いつしか観ている側が惹き込まれてしまう。芸能的で芸術的なダンスパフォーマンスと言える。大踊りの他にも数十曲のレパートリーを持っている。
小原の大踊り(8月13日・十津川第一小学校)
小原の大踊りは、櫓(やぐら)の中央に青竹を立て「八方提灯」をつり下げる。前列に太鼓打ちと太鼓持ちの男性陣、その後ろに扇を持つ女性陣、後列には切子灯籠を持った者が入る。ゆったりした踊りから始まり、太鼓打ちが白赤緑の色鮮やかな長い房のバチを振り回し、はねるように太鼓を打つと、女性陣がその周りを囲み扇を頭上で左右に振り、やはり白赤緑の長い房のついた切子灯籠持ちが、櫓の周りを時計回りに走りだす。踊り手たちは両手に持った扇で「見事な手さばき」をしながら、同時に足元でも「きれいな足さばき」をする。次第にリズムが速くなり、気っ風のいい掛け声とともに歌声が弾み、踊りのテンポが高まって圧巻の迫力を魅せる。
小原では、大踊り・口説き・馬鹿踊りに大別されており、小原の大踊りは元々男性中心で「男踊り」とも呼ばれていた。世の中踊り・お花踊り・お宝踊りなど、現在は歌われなくなった踊りの中の一つだったが、この男踊りだけが伝承され続け、現在の女性と混合で踊る大踊りとして残った。口説きは女性中心の踊りで、お杉口説き・つばくら口説き・中山口説き・お熊口説き・おいそ口説きなどがあり、馬鹿踊りは木曽節や串本節などの民謡をモチーフにしたものだ。
武蔵の大踊り(8月14日・旧武蔵小学校)
武蔵の大踊りは、櫓の近くに太鼓とバチを持った男性陣、外側に扇を持った女性陣、さらにその外側に灯籠のついた笹竹を持つ子どもたちが並ぶ。始まりは静かな踊りからだが、音頭取りの「ナムアミダブツ」を合図に、踊り手たちが一斉に櫓を囲んで輪をつくる。太鼓持ちと太鼓打ちが輪の内側に入りセメという部分でテンポが上がる。すると歌と踊りが激しくなり「弱い奴はまくり出せ」の掛け声で最高潮となり、はねるように太鼓を打ち、女性は腰を屈めて扇を大きく翻して踊り、灯籠持ちは辺りを駆け巡る。
武蔵では、お松口説き・花づくし・笠くずし・笠踊り・おかげ踊りなど、30曲以上のレパートリーがあり、最後に踊っている大踊りは、現在では一曲のみである。かつては、十三四五(じゆうさんしご)・鎌倉踊り・御城踊りという大踊りがあり、特に十三四五は、胸から太鼓を吊り下げて踊る近隣地域で一番賑やかなものだった。昔は最後に灯籠を焼くという盆の灯籠送りの作法を行っていた。元々大踊りは一時間を超えるものだったが、1970年(昭和45年)の大阪万博で公演する際、時間制限があったために短縮して踊ることになり、これ以降、武蔵の大踊りは30分に短縮され、歌や踊りも少しずつ洗練されていった。
西川の大踊り(8月15日・旧西川第一小学校)
西川の大踊りは、ヨリコ・イリハ・カケイリの3曲が伝承されている。
ヨリコは、踊りの場に人を呼ぶためのもので、男性陣は白く短い房のついたバチを持ち太鼓持ちと太鼓打ちに分かれ、その後で両手に扇を持つ女性が踊る。男女がいくつかの列になり全体が移動しながら踊る。歌詞はいくつかあり、その都度一つを選択して歌うのだが、歌い方や踊り方が三段階に変化する。昔は雨乞いに「雨はしゅげしゅげ」の歌詞を歌い踊った。ヨリコは小山手踊りともいう。
イリハは、男性が胸から太鼓を吊り下げ女性が両手に扇を持ち、太鼓持ちが紅白の長い房のついたバチを美しく振りながら太鼓を打ち、優雅に踊るものだ。イリハの歌詞は「加賀越前から黄金や宝を積んだ舟が来くる」と始まり、江戸へ向かうための道順なども歌っている。昔は他の地区でもイリハを踊っていたが、現在は西川だけとなった。
カケイリは、大踊りの最後に踊るものでヨリコと同じタイプの踊りだが、切子灯籠を吊り下げた灯籠持ちがさらに加わる。最後に円形となり輪の中心で音頭とりが即興の歌を歌い、ゆったりと踊りながら終了する。これを「ダイモチを引く」という。
元々西川には櫓がなかった。2004年(平成16年)近年になってから櫓を設けているが、西川の踊りは横並びを隊列にして踊るものが多く、隊列のまま移動することもあるため、結局は櫓を校庭の隅に置いている。また、西川では馬鹿踊りのあとに、臼を囲んで餅つきのしぐさで伊勢音頭や餅つき踊りをし、餅まきを終えたあとに大踊りとなる。
3.他県の盆踊り
岐阜県の郡上踊り(ぐじょうおどり)は、中世からの古い踊りの流れを継承しており、17世紀頃の江戸時代から盆踊りとして始まった。お盆には身分の隔てなく無礼講に踊ることを奨励されていたことから、現在でも訪れた観光客が踊りの輪に参加できる。また、秋田県羽後町の西馬音内(にしもない)盆踊りも古くから続くもので、祭の起源の記録がなく伝承によるものだろうと言われるが、13世紀の鎌倉時代に修験僧が豊年祈願に踊らせたという説がある。野性的なお囃子と上方風の優美な踊りが特徴で、編み笠や目の穴を開けた黒い頭巾をすっぽり被る。顔を隠して踊ることから「亡者踊り」という別名がある。
郡上も西馬音内も十津川と同じく国指定重要無形民俗文化財だが、11世紀から継承される十津川の大踊りが特に古い起源だとわかる。
4.今後の展望
過疎化が進み少子高齢化の影響も合わさる十津川村では、大踊りを継承し続けていくことが大きな課題となっており、村外へ向けても後継者の育成を行っている。その一つとして北海道の新十津川町への伝承活動が1979年(昭和54年)に始まった。この翌年には新十津川おどり保存会が組織され、1983年(昭和58年)には武蔵の大踊りが保存会に伝承され、新十津川神社の例大祭で大踊りを披露している。
北海道の新十津川町は、1889年(明治22年)十津川村に大水害が起きた際、壊滅状態の村から多くの人が北海道へ移住して開拓した町である。新十津川町の小学生たちが「母村訪問研修」で十津川村を訪れた際には、武蔵に宿泊をしてもらい盆踊りを伝授する交流が続いており、奈良県内の小学生たちが武蔵に宿泊する機会にも、盆踊りの練習に参加してもらっている。そして毎年、盆踊りの時期が近づくと十津川村を訪れ、盆踊りの準備を手伝い練習に参加してくれる大学生や若者たちがいるのだ。彼らも大切な大踊りの伝承者たちである。
5.おわりに
十津川村にある果無峠(はてなしとうげ)は、世界遺産である熊野参詣道の小辺路である。古の時代には、高野山や熊野三山を行き来する修験者や僧呂たちが、熊野三山の奥宮である玉置神社への参拝を目指して村を訪れ、十津川温泉で身体を癒しながら逗留した。彼らには、旅をしながら習得した新しい文化や知識があり、村の人々に「踊り」を教えたといわれる。
-
「瀞峡」
《TOTSUKAWA VILLAGE》https://www.vill.totsukawa.lg.jp/about/travel/、
2019年7月19日:写真掲載許諾済
-
「谷瀬の吊り橋」
《TOTSUKAWA VILLAGE》
https://www.vill.totsukawa.lg.jp/traveling_guide/kanjiru/、
2019年7月19日:写真掲載許諾済 -
「旧武蔵小学校」1970年(昭和45年)に廃校、現在は教育資料館
《TOTSUKAWA VILLAGE》
https://www.vill.totsukawa.lg.jp/traveling_guide/kanjiru/、
2019年7月19日:写真掲載許諾済 -
「武蔵の大踊り」1970年(昭和45年)大阪万博で披露
《奈良観光》https://yamatoji.nara-kankou.or.jp/04public/03hall/04south_area/izv1n7lmwt/event/2nqup8h1yo/、2019年7月19日:写真掲載許諾済 -
「小原の大踊り」旧名:男踊り
《十津川探検》
http://www.totsukawa-nara.ed.jp/bridge/guide/summer/dance_o.htm、
2019年7月19日:写真掲載許諾済 -
「西川の大踊り」櫓を端に寄せ隊列で踊る
《十津川探検》
http://www.totsukawa-nara.ed.jp/bridge/guide/dance/nishigawa/dnn_02.htm、
2019年7月19日:写真掲載許諾済 -
「果無峠」熊野古道小辺路
《TOTSUKAWA VILLAGE》https://www.vill.totsukawa.lg.jp/traveling_guide/spot/、
2019年7月19日:写真掲載許諾済
-
「玉置神社」日本最古の神社
《TOTSUKAWA VILLAGE》
https://www.vill.totsukawa.lg.jp/traveling_guide/kanjiru/、
2019年7月19日:写真掲載許諾済
参考文献
岩井宏実(花岡大学)著『奈良の伝説』、角川書店、1976年
『十津川郷昔話(一集)』、十津川村教育委員会、1985年
『十津川郷昔話(二集)』、十津川村教育委員会、1989年
和田萃・安田次郎・幡鎌一弘・谷山正道・山上豊著『奈良県の歴史』、山川出版社、2003年
早津忠保『四季十津川 紀伊山地十津川村の自然』、光村推古書院 、2004年
司馬遼太郎著『街道をゆく 十津川街道』、朝日新聞社、2005年
佐藤和彦・保田博通編『祭りの事典』、東京堂出版、2006年
尾崎裕雄監『熊野古道 紀伊山地の霊場と参詣道を歩く』、宝島社、2016年
《TOTSUKAWA VILLAGE》https://www.vill.totsukawa.lg.jp/、2019年7月1日
《かけはしネット》http://www.totsukawa-nara.ed.jp/bridge/、2019年7月1日
《exciteblog》https://koza5555.exblog.jp/19103428/、2019年7月4日
《タバブックス》http://tababooks.com/tbinfo/bondance9、2019年7月2日
《Kii》http://kii3.com/kamiya_totsukawa/、2019年7月23日
《奈良観光》http://www.nantokanko.jp/midokoro/1597.html、2019年7月2日
《三大祭ガイド》https://www.3maturi.com/nippon/bonodori/、2019年7月3日
《熊野本宮》http://www.hongu.jp/kumanokodo/walk/hatenashi/、2019年7月5日
《玉置神社》http://www.tamakijinja.or.jp/、2019年7月5日