ドンザ凧 ―船橋漁師の矜持をのせた鎮魂の凧―
はじめに
千葉県船橋市にある三番瀬〔1、図①〕は東京湾沿いに位置する広大な浅瀬である。1960年代からの高度成長期に埋立てが始まり、船橋市は県内有数の大都市となったが〔2〕、江戸時代は魚を幕府へ献上した豊かな漁場であった。現在も漁が続けられている船橋の小さな漁師町に、かつて海難者への鎮魂として晴れ着の形をした「ドンザ凧」をあげるという風習があった。この報告書では、江戸時代から続く漁師の矜持を凧の形で現在に伝えるドンザ凧を評価し、今後のあるべき姿について考察する。
1.ドンザ凧〔図②〕とは
ドンザ凧は、東京湾で漁業を営む松本和夫氏〔3〕が制作している和凧であり、その特徴は以下の通りである。
①和紙を着物形に切り、全体に防腐効果のある柿渋を塗る。
②絵柄は波に鳥と亀が基本である。
③絵具は自然素材で防水効果のある、凧絵具、金泥、墨、漆、貝紫、蒟蒻粉などを用いる。
④骨組みは真竹や煤竹を使う。なお、往年は海苔養殖用の竹を使っていた。
⑤糸は阿弥陀如来との縁を結ぶ5色(青・黄・赤・白・黒)の麻糸を使用する。
絵柄は浦島太郎伝説による鶴と亀〔4〕、そして鵜縄漁を鵜から教わったという船橋独自の言い伝えから、必ず鵜を描く〔図①-1〕。これに宗派ごとの絵柄や家紋、戒名などを加える。基本の絵柄を踏まえればデザインは自由だが、描くには仏教の宗派ごとの知識が必要であり、漁の合間をぬって3日程度で完成する。
凧の形の元となるドンザ〔5、図②-1〕とは、木綿地の古着に端切れをあてて刺繍をした刺し子の丈の長い着物で、丈夫さや保温性から漁師の作業着だった。中には晴れ着として華やかに刺繍されたものもある。船橋でも漁師は昭和の初め頃までドンザを着ていたというが、船橋のドンザには、他地域と異なる事情があり、それは江戸時代まで遡る。
2.歴史的背景
1615年、徳川家康に魚を献上したことをきっかけに、船橋は江戸城に魚を納める「御菜浦(おさいのうら)」となった[6、図①-2]。これは船橋の漁場が幕府によって保護されることを意味し、大変名誉なことだった。
松本氏によると、江戸城へ魚を納めた船橋の漁師は、晒と股引に波と千鳥の裾模様が入った紺地のドンザを帯を締めずに羽織り、洒落た模様の手ぬぐいをほっかむりしていた。ドンザの裏地には絹が使われていたこともあったようで、船が風を受けて進めば裾が舞い上がる、派手で粋なその姿は、御菜浦漁師の矜持を表現するものであっただろう[7]。
さらに父親に聞いた話として、海難者の死体が上がらない場合、漁師の晴れ着であるドンザを本人の代わりに、ドンザがない人には僧侶が紙でドンザの形を作り、念仏などを書いて埋葬したという。後に江戸時代の凧あげの流行[8]に乗るかたちでドンザ型の紙は「ドンザ凧」となり、毎年2月の「大仏追善供養」[9]でもあげられていたが、その後明治時代に入り、次第に廃れていった。
松本氏は、ドンザ型の紙が奉納するものから凧へと変化したのは、供養する僧侶が説法の例えとして、東風が吹くとき西の方向に凧をあげて死者の極楽浄土を願おう、と話したからではないかと推測している。よって明治時代、廃仏毀釈運動によりドンザ凧の風習は仏教的である、とされ廃れたのである。
松本家におけるドンザ凧は初代が江戸時代文化年間、菩提寺である浄土宗の寺に金銭と共に凧を奉納したのが始まりとされる。凧や記録は戊辰戦争[10]や大正時代の大津波[11]の被災により現存していない。これにより、他家でもドンザ凧が制作されていたのか等不明となったことは残念である。
奉納をやめた後は凧としてあげていたが、松本氏の祖父や父の時代(明治から大正時代)には制作数が減りながらも、飾り凧として作り続けられてきた。当代の松本氏は小さい頃から絵や凧作りが好きで、ドンザ凧を見よう見まねで作り始め、30年ほど前までは近所の漁師の家から経文が書かれたドンザ凧に絵付けを依頼されていたという。現在も僅かだが制作しており、凧あげイベントや正月の凧あげ大会[12]には鎮魂の思いを込めて自作のドンザ凧をあげている。
3.評価点
ドンザ凧の特色は玩具としての凧でなく、海難者への供養が由来となっていることである。不幸にも事故に遭い行方不明となったとき、その人の晴れ着、ドンザを代わりにし、それがなければせめて紙にしてあの世に送り出すところに漁師の矜持を持って生きた人への尊厳を感じる。
また、廃仏毀釈運動の影響や弔いの方法、高度成長期の漁場の埋め立てなど、時代や環境が変化していく中で、ドンザ凧はその形を崩すことなく、あげるものから飾って供養するものへと変化しながら、江戸時代から作られ続けてきた。このように御菜浦という歴史をもつ船橋に生きた漁師の矜持を、凧という民俗的なものの形で伝えている点を評価する。松本氏は頼まれたから描き続けてきただけ、と言う一方で先祖代々続いてきたものを絶やしたくない、と自身の家系や船橋の歴史、宗教、描画を独学し、凧に反映させてきた。それゆえ松本氏のドンザ凧は個性的で力強い作風も魅力となっている。以前、博物館などから買い取りの申し出があった際、「凧屋じゃねぇんだ、売りませんよ」と断った、という話からも現役漁師としての矜持が感じられ[13]、歴史の長さや由来の珍しさだけではない、この凧の存在を広く伝えるべきと考える。
4.日の出凧[14、図③]との比較
ドンザ凧を同じ漁師町の凧である「日の出凧」と比較し、現状の課題を述べる。
宮城県気仙沼市は風が強い風土と、かつて漁獲量を商店同士で競い合った活気ある土地柄から凧あげが盛んな土地で、明治時代には魚問屋などが家運隆盛や商売繫盛などを願い、旧正月にあげていた[15]。日の出凧は1915年に作られたがまもなく消滅、1974年に復活した伝統凧である。雲間から現れた日の出の鮮やかな絵柄が特徴で、現在は気仙沼を象徴する凧としてイベントや毎年開催される、気仙沼天旗まつり[16、図③-1]であげられている。
日の出凧の伝統に親しみをもたせる取組として、天旗まつりを寒さの厳しい旧正月から気候のよい5月末に変更し、Tシャツやワッペンなどのグッズ作成の他、小学生向けに凧作りワークショップを開催して、凧の文化を商店や個人という単位から家族や子供達、観光客に変えて楽しんでもらう工夫を行っている。
日の出凧とドンザ凧は漁師町の歴史ある伝統凧であり、人の想いを乗せる点が共通している。しかし、日の出凧は気仙沼のシンボルとして次世代に繋げるべく地域ぐるみで活動をしている一方、ドンザ凧は70才代後半の松本氏が一人で制作し、公に出ていないことから、このままでは凧の存在が消えてしまう点が憂慮される。日の出凧のように地域の文化として変化しながら継続する取り組みに、ドンザ凧の今後におけるヒントがあると考える。
5.今後の展望、まとめ
ドンザ凧の今後について、伝統のあり方と併せて述べる。古くからあるものが今も伝わっていることを伝統とするならば、江戸時代から続くドンザ凧は伝統的な凧と言えるだろう。しかし現在ドンザ凧の後継者がおらず、伝統が途絶える寸前である。このようななか、ドンザ凧が御菜浦漁師の矜持を由来とする文化を持つことからも、この凧を残すために時代に合わせた変化を受け入れ、後世に繋ぐことも伝統の在り方と考える。そこで保存と継承について以下を提案する。
最初に、現存する凧を船橋市の文化として保存し、周知することである。市役所などの公共施設や船橋デジタルミュージアム[17]への展示で様々な人の目に触れる機会を作るほか、子供や学生向けの凧作りワークショップやアートプログラム[18]での活用により、ドンザ凧で船橋の漁業や歴史について、民俗的文化の角度からも学ぶことが出来る。
次に、ドンザ凧が海難者の晴れ着の形であることから、故人を偲ぶものを凧にしてあげるイベントの開催である。例えば時計や服などを凧に描き、大空にあげるのである。今を生きる私たちも故人に想いを馳せる気持ちは昔と同じであり、気仙沼のような東日本大震災の被災地など、多くの人が鎮魂の想いで集まる場所での開催は意義深いものと考え提案したい。この先ドンザ凧が空にあがらなくなっても、長い年月を経て残ったドンザ凧が、漁師町船橋の文化として保存され、別の新しい凧の形で、ドンザ凧の意義=故人への鎮魂、が伝わっていくことを願うのである。
参考文献
【註釈】
[1] 三番瀬は「さんばんぜ」と読み、千葉県習志野市・船橋市・市川市・浦安市に広がる浅海域である。江戸川からの栄養分が海に入るため貝類が良く育ち、海岸環境が豊かだったが、昭和時代の埋立事業により江戸時代の風景は残っていない。
・千葉県:三番瀬とは
https://www.pref.chiba.lg.jp/kansei/sanbanze/info/index.html
(確認日:2019年7月18日)
[2] 船橋市は2018年4月1日のデータによると、この年は人口63万人を超え、埋立事業が始まった昭和30年代の約4.7倍に増加、その人口順位は全国の市町村(特別区を除く)で21番目である。また、2019年7月1日に国税庁より、千葉県では船橋市が最高路線価であることが公表された。
・船橋市の概要
https://www.city.funabashi.lg.jp/shisei/toukei/002/p018289.html#jinkou
(確認日:2019年7月18日)
・国税庁:令和元年分 東京国税局各税務署管内における最高路線価
http://www.nta.go.jp/about/organization/tokyo/release/r01/rosenka/index.htm#a01
(確認日:2019年7月18日)
[3] 取材協力者の松本和夫氏(1940年生)は江戸時代文化年間から数えて8代目の現役漁師である。なお、ドンザ凧についての資料は本文にあるように、被災によりほとんど残されていないため、この報告書は松本氏への聞き取りが中心となっている。
(取材日:2019年3月29日、5月11日)
[4] 丹後の漁師、浦島太郎が玉手箱を開けた後に鶴となり、助けた亀と夫婦になる、という話に基づく。
[5] 船橋では「ドンザ」というが、地域によって呼び方が異なる。加藤氏(後出)に確認したところ、気仙沼では「ドンブク」と呼ぶと記憶している、とのことである。
[6] この他の御菜浦は品川、大井、羽田、生麦などがあり、他の村から漁場を荒らされることがなく、とても羽振りが良かったという。しかし、船橋が御菜浦に指定されたことを示すものは残っておらず、資料は〔図①-2〕の「御菜御肴差上通」(1703年)だけである。
[7] 昭和時代初期、松本氏の祖母は似たような身なりの漁師を見て「まるで臥煙の集まりだ」と言ったという。
[8] 中国から伝わったとされる凧は紙が貴重だったことから、貴族の遊びや通信手段だったが、江戸時代に入り、浮世絵の普及に伴い庶民に広がり大流行した。明暦元年には往来妨害などから凧あげを禁ずる通達が出たほどである。
[9] 毎年2月28日に海難者やかつての漁場紛争で牢死した漁師惣代を供養する、大仏追善供養は現在も行われているが、凧はあげられていない。
・千葉日報:2019年3月1日付「大仏に白飯盛り付け 漁師ら不動院で伝統行事 海の安全願う 船橋」
https://www.chibanippo.co.jp/news/local/574730
(確認日:2019年7月18日)
[10] 戊辰戦争(1868-1869年)、船橋宿での戦闘を指す(1868年閏4月)。現存する船橋大神宮で銃撃戦が起き、放火によって近くの漁師町にも被害が及んだ。
[11] 大正6年大津波(1917年)は10月1日、台風による高潮津波が起き、船橋は他地域に比べ被害が大きく、家屋全壊や死者を多く出した。
[12] 松本氏が加入している、日本の凧の会(会長:茂手木雅章、東京都)では年に数回凧あげ大会を国内各地で開催するほか、毎年1月2日に新春凧揚げ大会 を東京都板橋区荒川で行っている。
[13] 松本氏は自身が漁師であることから、凧に関する金銭のやり取りを好まないため、売らずに贈呈している。
[14] 日の出凧については以下取材協力者にインタビューを行った。(取材日:2019年6月5日)
加藤斉克氏(気仙沼凧の会会長)
橋本茂善氏(気仙沼ヘルスツーリズム協議会)
日の出凧を制作した熊谷慶治(1929年没)は菓子職人で狩野派絵師から絵を学んだ事以外不明点が多く、図柄の詳細(上棟式に納める板絵に描いていた絵とされている)や凧が消滅した原因は資料が残されていないため不明である。1974年、地方玩具を調査していた東京都の中学生からの問い合わせがきっかけで復元された。なお、加藤氏は凧の制作者でもあり、現在自ら小学校に出向き凧作りワークショップも行っている。
[15] 気仙沼には魚問屋や水産加工業者がそれぞれの屋号を凧に描いた「屋号凧」で凧合戦をする歴史があり、加藤氏によると現在も続いている行事である。
[16] 気仙沼天旗まつりは年に一回行われている、気仙沼凧の会主催のイベントである。旧正月行事が原点で、風の状態が良いことから2月に行われていたが現在は5月末に開催されている。第32回目の今回は地元小学生が制作した連凧などの凧あげの他に郷土芸能の演技、子供向けの凧のプレゼントや地場産品の販売が行われた。なお、気仙沼では凧のことを天旗(てんばた)という。
[17] 船橋デジタルミュージアム: https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/1220415100
(確認日:2019年7月18日)
[18] ふなばし三番瀬環境学習館:https://www.sambanze.jp/facility/museum/
(確認日:2019年7月18日)
ふなばしアートコレクション スクール・プログラム2019:
https://www.city.funabashi.lg.jp/kurashi/gakushu/004/p069488.html
(確認日:2019年7月18日)
既に行われている、対話型鑑賞を現地施設や学校で制作者の松本氏本人と交えて行い、歴史だけでなく絵具など、古典的とも言える材料や構図などを知ることは、子供たちにとって文化・芸術への好奇心や発想の刺激になると考える。なお、船橋市に確認したところ、現時点ではドンザ凧や漁業文化にまつわる企画・特集展示等の予定はないとのことだった。
・船橋市郷土資料館 島﨑依子氏電話インタビュー(取材日:2019年6月19日)
【参考文献】
大島健彦「ドンザ凧」、西郊民俗談話会『西郊民俗』170号、2000年
千葉県環境生活部環境政策課『三番瀬』パンフレット、2014年
徳田和夫『お伽草子事典』東京堂出版、2002年
畠山治「気仙沼の凧」、日本の凧の会『日本凧の会会報』49号、1995年
比毛一朗『凧大百科 日本の凧・世界の凧』美術出版社、1997年
広井力『新技法シリーズ 凧-空の造形』美術出版社、1978年
船橋市経済部農水産課『船橋漁業史』、1974年
船橋市史編さん委員会編集『船橋市史 近世編』1998年
船橋町誌編纂委員会編『船橋町誌』1981年
別冊太陽編集部編『別冊太陽 日本のこころ153 良寛 聖にあらず、俗にもあらず』平凡社、2008年
松村利規編集『福岡市博物館開館15周年記念特別企画展 ドンザ-知られざる海の刺し子-展』図録、2005年
宮城縣史編纂委員会編『宮城縣史20(民俗Ⅱ)』1960年
『気仙沼天旗まつりの歴史 ~伝統の郷土凧 未来に舞う~』(DVD)、2017年
国土交通省:川の漁法(鵜縄漁)
https://www.mlit.go.jp/river/pamphlet_jirei/kasen/rekishibunka/gyohou-pdf/04unawa.pdf
(確認日:2019年7月22日)
千葉県:千葉ブランド水産物認定品(三番瀬産ホンビノス)
https://www.pref.chiba.lg.jp/suisan/brand/ninteihin/honbinosu.html
(確認日:2019年7月18日)
船橋市漁業協同組合:組合概要・沿革
http://www.funabashi-gyokyou.jp/organization
(確認日:2019年7月18日)