東京都庭園美術館にあるアール・デコの館「旧朝香宮邸」が問いかけること
1.はじめに
アール・ヌーボー、アール・デコ、そしてモダニズムへと変化する19世紀から20世紀初頭の建築、及び室内装飾において、短い期間に世界で花開いたアール・デコのデザインを、日本で最もその特徴が表れている東京都庭園美術館の旧朝香宮邸(写真1)の調査を基に、アール・デコが問いかけていることを考察する。
2.アール・デコとは
2.1 歴史的背景
第一次世界対戦と第二次世界大戦の間の1920年代のパリで起こったデザインで、 1925年4月から10月にパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」の「Arts Decoratifs」を簡略化してアール・デコと呼んだのが始まりである。
18世紀半ばから19世紀にかけての産業革命で人々の生活はがらりと変わった。建物は石から鉄筋コンクリートへと変化し、日用品は工場で大量生産されるようになった。だが大量生産品は無機質で画一的なデザインであり、その創造性の欠如を嘆いた芸術家達により、19世紀末から20世紀初めにかけてアール・ヌーヴォーが流行した。それは、それまでの反動から大量生産には不向きな曲線的、有機的、非幾何学的、非対照的、平面的なデザインで、また生物をモチーフとしたデザインが多かった。その後、第一次世界大戦をはさんでデザインの個別化が進み大量生産には不向でコスト高であったアール・ヌーヴォーは、より安価に生産できるアール・デコへと変化したが、大戦後の建設需要の増大で、より簡素で工業的な美意識を満足させながら一切の装飾を排除したモダニズムへと進化していく。
2.2 特徴
デザインの特徴や優れている点は、直線的、幾何学的、左右対称的、立体的で、放射線、流線形、ジグザグ線、円などをモチーフに、それら大量生産品を組み合わせた繰り返しのリズムが美しいことである。またビルの建築では、このコンセプトを基にザラザラした、もしくは素材にザラザラ感を施して無機質の鉄筋コンクリート壁を装飾した。今でもニューヨークのクライスラービルなどに、そのデザインを見ることが出来る。しかし、そのデザインはモダニズムやポストモダニズムの中に埋もれてしまい、1960年代にその時代のデザインとして確かに存在したと再評価されるまでアール・デコの名前が定着することはなかった。
3.旧朝香宮邸
3.1 基本データ
所在地:東京都港区白金台5-21-9
旧朝香宮邸は、敷地面積が34,765.02㎡の東京都庭園美術館にある本館で、建築面積1,048.29㎡、延床面積が100.47㎡のRC造りで、地上3階・地下1階の建物である。設計は宮内省内匠寮工務課が行い、主要内装デザインはフランス人のアンリ・ラパンが行い1933年に建設された朝香宮裕彦の住まいである。
3.2 歴史
朝香宮裕彦が陸軍大学校勤務中の1922年に軍事研究のためのフランス留学中に交通事故にあい、看病のために渡仏された彼の奥方である允子親王とともに、上記1925年のアール・デコ博をご覧になったことがアール・デコとの出会いである。当時のフランスはアール・デコの最盛期で、そのデザインに魅了された朝香宮裕彦夫妻は、アンリ・ラパンにインテリアデザインを依頼し、住居全体のデザインと建築は、当時の皇族を担当していた 宮内省内匠寮工務課が行った。 戦後、吉田茂は皇族の特権と免除がGHQにより剥奪され、財政的に窮地に陥った朝香宮を救うため、1947年から1954年まで外務大臣公邸、首相公邸として借り上げ使用した。1950年に西武鉄道が購入し、主に外国の要人をもてなす施設として1962年に赤坂迎賓館ができるまで使用され、その後は白金プリンスホテル迎賓館として、主に結婚式やパーティなど広く一般に使用された。1981年に東京都が西武鉄道から買い取り、1983年に東京都庭園美術館として一般公開され、2015年には国の重要文化財に指定された。
3.3 特徴
アール・デコの特徴を十分に表した一階の装飾品の一部を主に紹介する。
(1) 正面玄関(写真2)
翼を広げる女性像の制作はフランスのガラス工芸家ルネ・ラリックで、左右対称的、立体的で繰り返しのリズムでデザインされている。
(2)大客室(写真3)
アンリ・ラパンが内装設計を行い、円や石膏によるジグザグ模様の天井と、そこにぶら下がるルネ・ラリック制作のシャンデリア(写真4)、マックス・アングラン制作のエッチング・ガラス扉(写真5)などに幾何学的な花が主なモチーフとして繰り返しデザインされている。
(3)次室の香水塔
香水塔(写真6)はアンリ・ラパンがデザインし、フランス国立セーヴル製陶所で制作され、照明器具でありながら、水が流れる仕組みを持ち、照明の熱で香水の香りを室内に届けることができた。そして、上部には水玉のデザインが繰り返されている。またこの部屋の幾何学的模様のモザイクの床も特徴的である。
(4)大広間と大食堂
大広間天井の格子縁に40個の半円球の照明が繰り返し並べられている。(写真7)同様に大食堂の照明はルネ・ラリックがパイナップルとザクロ(写真8)を繰り返し配置するようにデザインしている。また、大客室と同じようにドアはマックス・アングラン制作のエッチング・ガラス扉などに幾何学的な花が主なモチーフとして繰り返しデザインされている。
4.他との比較
国立博物館の正面玄関の階段と二階広間、及び一階庭園側入り口ラウンジの装飾は、一般的にアール・デコといわれている。確かに花模様で繰り返されるデザインは旧朝香宮邸の第一階段や二階広間の装飾とそっくりである。同じく山下公園に係留されている氷川丸の船室内装飾も一般的にアール・デコと言われている。しかし、これらをアール・デコと認識する人は少ないのではないか。実際、私も旧朝香宮邸を見るまでアール・デコのことは、言葉だけで中身は一切知らなかった。日本のアール・デコも、欧州と同じようにポストモダニズムの中に埋もれてしまっているのではないかと他と比較する中で感じた。
5.今後の展望
5.1 アール・デコの継続的研究
東京都庭園美術館も「1980年代前半の日本においては、アール・デコはまだ戦前のパリを席巻した「伝説の装飾」だったのです。」(参考資料1)と回顧しているように、また東京都が西武鉄道から所有権を購入した時の買取金額は土地代だけで、誰も旧朝香宮の建物の価値を認識していなかった。その後アール・デコの研究が進み、庭園美術館はアール・デコをテーマにした展覧会を何回か開催してきたが、それでもまだまだ「アール・デコ探索の道であった」と回顧し、今後は「戦前の上流階級が享受したアール・デコの「その後」、つまり日本でのアール・デコの二次受容がテーマとして浮上してくる」(参考資料1)と述べている。アール・デコの研究は道半ばであり、庭園美術館は今後も新たな研究成果を美術展として、さらにいろいろなメディアを通じて発信していただけることを期待する。
5.2 生活を飾ることを真剣に楽しむ
旧朝香宮邸が庭園美術館の努力で室内家具も含めて元の姿に復元された今こそ、多くの人にこの美術館を訪れていただき、アール・デコに触れ、その思想、アール・デコの問いかけを考えるきっかけになってもらえることを期待する。
また山崎亮さんが「モリスが言ったように、革命が起きた後の社会において生活を飾ることを真剣に楽しむ。我々はいまこそ、人生を飾るということを真剣に考えないといけない。」(参考資料2)と、その著書の中で述べたように、この十分豊かな現代社会において、アール・デコのデザインを参考にしたり、当時の人々の思想に思いを馳せながら、例えそれが大量生産品であっても、生活を飾ること、人生を飾ることを実践していくことこそ、アール・デコが問いかけていることではないかと思う。
参考文献
参考資料1
東京都庭園美術館編「旧旧朝香宮邸物語」アートダイバー2018年4月15日発行
参考資料2
國分功一朗/山崎亮「僕らの社会主義」ちくま書房2017年7月10日発行
参考資料3
NHK「美の壺」制作班編「アール・デコの建築」NHK出版2008年1月30日発行
参考資料4
小倉一夫編「朝香宮邸のアール・デコ」財団法人東京都文化振興会 1986年3月31日
参考資料5
東京都庭園美術館編「アール・デコ建築意匠 朝香宮邸の美と技法」鹿島出版会2014年12月15日発行
参考資料6
東京都庭園美術館ホームページ
https://www.teien-art-museum.ne.jp/
url: https://www.teien-art-museum.ne.jp/press_download/
サイト名:東京都庭園美術館 画像ダウンロード
アクセス日:2019年1月28日