カフェの町、東京・深川の空間造形と珈琲焙煎

川口 達也

1. はじめに
1590年 徳川家康が江戸入府をしたころ葦の生い茂る低湿地だった現在の東京都江東区深川エリアは、江戸の都市建設とともに埋立て開拓がはじまり、1657年の明暦の大火から急速に発展。縦横に巡らした河川を水運に木場として栄えた。近年、この深川の歴史的資産が自家焙煎にこだわりを持つカフェを呼び込むなど、新たな賑わいを生んでいる。本稿では、下町と郊外の両方の雰囲気を併せ持つ深川の空間造形と、珈琲焙煎所を併設したカフェとの繋がりを文化資産として取り上げ、現地調査をもとにその評価と報告を試みる。【資料1】

2. 基本データ
対象範囲:北は小名木川、南は永代通り、東は横十間川、西は隅田川までの区域
東京都江東区清澄, 白河, 三好, 平野, 深川, 佐賀, 福住, 冬木, 門前仲町, 富岡, 木場, 永代

3. 歴史的背景
3-1. 水の町
江東区の4/5は、海面の埋立てによって築かれた町であり、1882年以降の130年余りで約3.5倍に面積が増えている。そのため、この地域は平らな低地で土地の拡大に伴って河川が誕生している。【資料2】

3-2. 木の町
小名木川の開削から50年後の1641年、高積みしていた材木置場は大火の原因とされ、幕府は高積みを禁止。隅田川以東の深川に移転させた。その後、1701年 木場、1981年 新木場へと、土地の埋立てに伴い海側へ移転を繰り返した。深川は木材取引の中心として発展し、輸送に必要な多くの水路が広がった。1985年ごろまで約700軒の木材店があったが、いまでは極わずかである。【資料3】

3-3. 蔵の町
1590年ごろ、近郊から物資を運ぶため隅田川以東に小名木川が開かれた。やがて関東一円の水体系と江戸の掘割網とを結ぶ大動脈に成長した。この小名木川を軸とした江東の地は、江戸の発展とともに縦横に巡らした河川を水運とする物流の一大基地として発展し、米や塩、雑穀、油など諸国から運ばれる物資を扱う問屋や蔵が軒を連ねた。明治以降も工業化に伴う物流拠点、倉庫街として機能した。いまでも倉庫や工場など適度な高さのある建物が多く残っている。

3-4. 寺の町
人々が移り住むようになったのは、江戸の火事のなかでも最大の惨事となった1657年の明暦の大火後のこと。密集した江戸市街の改善を目指す幕府が江戸の街を拡張するため、隅田川以東の深川に大名屋敷や寺社を強制移転させた。そのため、深川にはいまでも50を越えるお寺がある。

3-5. カフェの町
1995年、木場公園内に東京都現代美術館がオープンしたのを機に、最先端のアートを見るために全国から多くの人が集まりはじめた。2014年以降、下町の古い店に交じって個性的なカフェが増えはじめ「カフェの町」と呼ばれるまでになった。全飲食店に対するカフェ占有率は、東京全体が7.2%に対して、深川エリアは26.0%。店舗数は3年間(2013-2016)で2倍以上(出典:ぐるなびデータ 2016年2月)に伸び、なかでも珈琲焙煎を自ら行うカフェが多い。【資料4】

4. 空間造形の分析
「水の町」「木の町」「蔵の町」「寺の町」の空間【資料5】
深川の都市空間は、隅田川以西で見られるような台地や崖線、尾根や谷あいなどの地形が都市の起点になっているのではない。埋立ててできた平らな低地であり、この地域にはいわゆる「地形」が存在しない。よって水が湧くこともなく、すべての水は隅田川と荒川から流れ込む水である。ただひたすらに真っ直ぐ地域を貫く河川が開削され、隅田川以西の世界とは明らかに異なるこの地域独特の空間造形が築かれた。

世界にはその都市景観を象徴する明確な空間軸があるが、江東の軸は道ではなく河川の「水の空間軸」である。この軸となる水景が深川エリアの空間形成の主要な要素となっている。水路と水路に囲まれた土地は短冊状に整備され碁盤の目の町割である。水路と街路は同様の間隔でつくられ、これらの構造を基本とした都市空間がなされている。これは、隅田川以西にみられる江戸城(皇居)を芯とした「の」の字の掘割からつくられた都市空間造形とは異なり対照的である。以西は城を中心とした同心円状の発展をし、以東は南へ南へと埋立て拡張を続け、水路と街路が織りなす格子状の空間を形成した。

水運の使命を終えた内部河川は、貴重なオープンスペースとして再生され、建物と建物の間に細長い空間を保持した。また、小名木川をはじめとした多くの河川が水辺の整備を進め遊歩道を設けたことで、水の流れとともに人の流れをつくりだし、河川と建物の間に川辺の空間を生み出した。

深川の寺町は、北は清洲橋通りから南は葛西橋通りまで、東は三ツ目通りから西の清澄通りまでの区域。約1キロ弱四方の中に50を超える寺がひしめいている。碁盤の目の町割の中に、お寺やお墓独特の土地空間が存在する。さらに、霊巌寺や浄心寺、宣明院に代表される寺社の借地に建っている建物が多く、新しいマンションなど高層ビルが建ちにくい状況にある。このことが下町情緒が残る要因にもなっている。

5. 空間造形と珈琲焙煎の関係
珈琲焙煎機において排気は大変重要な要素であり、煙突の排気能力が伴わないとシステムとして成り立たない。焙煎機から排出されるのは燃焼排ガスだけではなく、豆から蒸発した水蒸気や焙煎の過程で豆から出た微粉なども混入しているので、低い位置に排気筒を出すと排煙は上昇せず周囲に立ち込める状態になる。一般的な燃焼機器の排煙とは違い上昇し難いため、煙突の持つ空気の上昇力が十分に発揮するように設置しないと煙は抜けず、正しい焙煎が出来ない。煙突は横引きの約2倍の長さを垂直に設置する事を必要とし、煙突の先を屋根のトップより上げないと風が抜けていかない。

これらの条件を満たす環境が深川には揃っていたのである。川沿いには材木や物資を貯蔵していた倉庫が「空き倉庫」として残っている。柱がなく天井の高い倉庫は大型の焙煎機を設置するのに適しており、排煙ダクトの設置が容易。さらに、河川と寺社の空間には高い建物がなく風通りがよいので、焙煎時の煙や臭気を逃がし易い。【資料6】

6. 評価
江戸時代、深川に移転してきた寺社や役目を終えたはずの材木運搬用の河川や倉庫など、空間を構成する歴史的資産が、巡り巡って珈琲焙煎所を併設する現代のカフェの立地条件に適合したことで、新しい文化と古くからある文化が融合して、地域に新たな活気をもたらしている。これはリノベーション事例の枠を越えた、人間・空間・時間のコミュニケーション事例として特筆すべきことである。【資料7】

7. 国内外の同様の事例との比較
深川エリアにはカフェ以外にも、リノベーションした飲食店や雑貨店などがあり、古い建物を生かす点で事例との共通点が見られる。しかし、河川や寺社などの歴史的資産との繋がりはない。また、国内外の焙煎所併設カフェとの比較では、古い建物をリノベーションした店舗、おしゃれな店舗という意味での共通点はあるものの、その地域が長い時を経て築いた空間造形との関連はなく相違点である。【資料8】

深川エリアは江戸から明治・大正・昭和・平成と、日本の経済が成長するなかで築かれた、歴史を彩る多様な文化が混じり合う町。そのどれもが珈琲焙煎のために築かれたのではない。深川エリアの優れている点は、役目を果たし終えたはずの歴史的資産が、再生を目的として無理に活かすことなく、自然発生的に人々を呼び寄せていることにある。

8. 今後の展望について
古い文化と新しい文化が交わり、よそのヒトやモノを受け入れる気風は、この町がもともと江東区外から移り住んできた人々で栄えた町だからではないだろうか。常に新しい町でありながら、一番古い町でもある「深川にしかない空間」を生かして、水辺に背を向けるのではなく、水辺を意識し水辺に顔を向けた倉庫のリノベーションも考えられる。陸から水の視点に、木場の筏師の視点(水から陸)を加え、人と水辺の繋がりを強く感じるような深川エリアが築けることを期待したい。下町文化あり、水と緑あり、職人のこだわりあり、心地よい人間関係あり。

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参考文献

【参考文献】

<書籍・論文>
岡本哲志(著)『川と掘割 ”20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』PHP研究所 2017年11月
岡本哲志(著)『江戸→TOKYO なりたちの教科書』淡交社 2018年月2月
江東区政策経営部広報広聴課『江東区のあゆみ』2016年3月
江東区文化コミュニティ財団『深川江戸資料館展示解説書』2016年2月
江東区中川船番所資料館『海岸線が物語る江東の歴史』2017年3月
陣内秀信・法政大学陣内研究室(編)『水の都市 江戸・東京』講談社 2013年8月 / p.122, pp.128-129
ケヴィン・リンチ(著)『都市のイメージ』岩波書店 2007年5月
東京大学都市デザイン研究室(著)『図説 都市空間の構想力』学芸出版社 2015年9月
市川宏雄(著)『文化としての都市空間』千倉書房 2007年4月
ディスカバー・ジャパン『ベスト・オブ・コーヒー』枻出版社 2016年2月
早稲田大学渡辺仁史研究室 時間-空間研究会(著)『時間のデザイン』鹿島出版会 2014年2月
ミツカン水の文化センター 機関誌『水の文化 第57号』 2017年10月

<電子記事・ウェブサイト>
江東区公式ホームページ(https://www.city.koto.lg.jp)
東京木材問屋協同組合(https://www.mokuzai-tonya.jp)
全日本コーヒー協会(http://coffee.ajca.or.jp)
大和鉄工所「焙煎機の煙突について」(http://www.daiwa-teko.co.jp/coffee/pdf/siryo07.pdf)
香煎工房「煙突の話」(http://capasuta.c.ooco.jp/siyoukakaku.html)
dressing(https://www.gnavi.co.jp/dressing/article/11297)
cowcamo MAGAZINE(https://cowcamo.jp/magazine)
ミツカン 水の文化センター(http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no57/)
suumo(https://suumo.jp/article/oyakudachi/oyaku/oyaku_tag/tag_next_town/)
TEMPOLY(https://tempoly.jp/magazine/area/)
THE ROASTERY(https://www.tysons.jp/roastery/)
sightglass(https://sightglasscoffee.com)
fukadaso(http://fukadaso.com)
ABC TENPO(https://www.abc-tenpo.com/contents/town/20420.html)


【インタビュー調査】

<訪問インタビュー>
江戸深川資料館 ボランティア解説員 泉山紀明氏 訪問日: 2018年8月4日
アライズ コーヒー ロースターズ 店主・焙煎士 林 大樹氏 訪問日: 2019年1月14日
ザ クリーム オブ ザ クロップ 店長・焙煎士 板原昌樹氏 訪問日: 2019年1月26日


【出典・引用文献】

《資料2》
[東京港の歴史(埋立ての変遷)]
 国土交通省関東地方整備局 東京港湾事務所
 https://www.pa.ktr.mlit.go.jp/tokyo/history/pdf/e-do01.pdf

《資料3》
[古写真・説明文]
 江東区教育委員会『江東のいまむかし』2013年3月
 古写真提供者: ④ 澤浦喜義氏, ⑤ 野澤文雄氏, ⑥⑧⑨⑩ 田中栄氏, ⑬ 堤俊夫氏

[都市計画図(都市施設配置図)]
 江東区都市整備部都市計画課
 https://www.city.koto.lg.jp/390111/machizukuri/toshi/toshikekaku/shisetsuhaichizu.html

[江戸切絵図14 本所絵図 本所深川絵図 嘉永5年]
 岩橋美術
 http://www.iwabi.jp/14map.html

《資料5》
[都市計画図(都市施設配置図)]
 江東区都市整備部都市計画課
 https://www.city.koto.lg.jp/390111/machizukuri/toshi/toshikekaku/shisetsuhaichizu.html

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