竹山道雄の紀行文『西の果ての島』の地域的芸術活動の観点からの評価報告

橋井 杏

1. はじめに
児童文学『ビルマの竪琴』の著者・竹山道雄(1903-1984)が長崎県五島列島の最西端にある「嵯峨ノ島(さがのしま)」を訪れたのは1960年(昭和35年)5月16日のことである。その旅の体験は同年『西の果ての島』と題され発表された。字数にして約六千字,短い文章のなかで嵯峨ノ島の風土を鮮やかに描きだした美しい紀行文である。限られた滞在時間のほとんどを歩き通し得た島特有の自然風景,風習,歴史の見聞を流麗な文調で綴っている。本稿では嵯峨ノ島という場所をもとに生み出された紀行文学『西の果ての島』を一つの地域性のある文化資産として評価することを試みる。

2.
基本データ

2-1.所在地 長崎県五島市三井楽町嵯峨ノ島
長崎県五島列島の福江島北西約4キロの東シナ海に位置する。

2-2 規模
面積3.18㎢,南北3.3km,東西約1.3km,周囲9.5km。北の男岳と南の女岳の二つの火山が裾野でつながったひょうたん型の形状をもつ。島の東部には「千畳敷」とよばれる火山噴出物が幾層にも重なり東シナ海へと連なる景観が広がる。

2-3 人口構成

嵯峨ノ島はカトリック教会,神社,仏教寺院の墓地が同居する宗教構成となっている。隠れキリシタンの風習を守る住民は昭和後期まで存在し、『西の果ての島』が書かれた昭和35年当時にはおよそ500人の人口を有していた。[註1]高度成長期からしだいに人口流出が始まり,現在は過疎化,少子高齢化問題が顕著となっている。2010年国勢調査時点で島の人口は161人まで減少した。[註2]

3 紀行文『西の果ての島』誕生の経緯
五島市の五島青年会議所が文芸春秋の文化講演会を招喚したことにより昭和35年5月15日に竹山道雄,今東光,有馬頼義ら三名の文士が五島列島を訪れた。なお一行を嵯峨ノ島まで案内したのは五島青年会議所に所属していた歴史学者の的野圭志氏である。[註3]

4 文学的側面からの評価
まず事例の評価の一段階目としてブリタニカ国際大百科事典の[紀行文学]欄を参照し,とくに以下の二点をもとに『西の果ての島』の独自性を検証する。[註4]

(1)嵯峨ノ島という未知の土地の「記録」と「歴史的価値」の重要性

(2)旅の見聞に託して作者自身の感慨や内面を描いた「文学的価値」

また5章では比較対象として同年代におなじ著者によって書かれた読売文学賞受賞作の海外紀行文『ヨーロッパの旅』(1957年)および『続・ヨーロッパの旅』(1959年)を事例に,地域性という観点から改めて『西の果ての島』の姿を縁取ることを試みる。

4-1 「記録」と「歴史的価値」からの評価

古今東西を通じて広く行われてきた紀行文学は,あらゆる目的における事実の「記録」という側面をもち,時代とともに消失した過去の史実を解き明かすことを可能にする。その点から『西の果ての島』冒頭部より以下の文章を引用する。

「人気のない森の中の小さな麦畑では、道がないから、熟れて仆れた穂の上をふんで歩いた。すこし高いところに上がるとつねに海が見えた。樹間に海が隠見するあたりで、むこうから一人の女があるいてきた。(中略)私はちょっと失望した。そんな期待をするのはばかげた空想だが、もしこの子を背負った女が我々を見て来た道を元にひきかえせば、それは隠れキリシタンでもあろうからである。(p240)」

1960年五島列島にはカトリック教徒が24,130人いたことが明らかとなっている。またキリスト教禁教時代から「はなれ」と呼ばれる隠れキリシタンが約一万人存在し数世紀に渡って代々信仰を守り続けていた。そのことに興味を抱いた竹山道雄は隠れキリシタンの儀式について考察し,嵯峨ノ島を訪れた際に信徒との出会いを期待していったのであった。2017年に実際に現地を訪れた際,耕作放棄地のひろがる古い集落に麦の畑や幼子を背負って歩く女性といった当時の様子を見受けることはなかった。庶民の生活や風習に目を向けたこの描写は当時の記録として特に貴重な部分である。

4-2『西の果ての島』の文学的価値の評価

「海岸から森に入ると露にしたたる若葉がはてしなくむらがっていた。光と匂いにむせかえるようだった。ことに楠の木の芽はまるで炎が燃えているようでそれがゆれる暈につつまれている。どこにも自然の精気がほとばしりあふれている。エメラルド色の洪水にひたっているようで,森の中は空気まで染まってその中で小鳥が啼いて,あちらこちらに谺している。すべての色彩が光をふくんで映りあい,豪華でやさしく,ボナールの色調さながらだった。(p240)」
初夏の嵯峨ノ島を言いあらわして,これ以上のものはあるまいと思われる[註5],と前述の的野圭志氏が記しているように,ゆったりとした語り口でつづられるその描写は的確で抒情性に満ちている。島の自然の風景をピエール・ボナール(1867−1947)の色彩やスイスの象徴主義の画家アルノルト・ベックリン(1827−1901)の作風に重ね合わせ、言葉を介して読み手にまだ見ぬ未知の島の情景や過去の感慨を再体験させる点を評価したい。

5.事例の比較 同作家による紀行文からの考察

つづいて本章では他の事例との比較を通じ『西の果ての島』の地域性についての評価を試みたい。竹山道雄は同時期に『続・ヨーロッパの旅』(1959年)を執筆し,その二年前に出版された『ヨーロッパの旅』(1957年)と合わせて第13回読売文学賞の評論・文学賞を受賞している。二作品は西洋諸国,東欧,ソ連圏への見聞を通じて特に戦後の思想の潮流に鋭い考察をあたえ普遍的な人間性や世界の現象を描き出している。一方『西の果ての島』は偶然に訪れることになった日本のとある島での一日を通じて得た見聞を記録として残したにすぎない。しかし言い換えるならば、ドイツ文学から日本の戦後思想潮流に到るまであらゆる分野に精通した気鋭の知識人が、この島にたどりついたとき、自然の光と大気に身をゆだねて人間の苦悩や運命というものからつかのま解放された安堵感のようなものが、このテクスト全体に息づいているとも捉えられるのではないだろうか。『西の果ての島』がはじめて紹介されたのは戦後に著者自らが主宰した雑誌「自由」においてであった。「自由」は特に戦後日本の啓蒙主義・教条主義に対する批判を目指した雑誌であり,こうしたことからも著者がさまざま宗教の入り混ざった最西端の国境の島になにかしらの共感を持って訪れていたことは確かであろう。名もしれない小さな孤島を静かに観察し,そのありのままの美しさをくみ取ろうとする姿勢が貫かれており,イメージ豊かな語彙や表現によって緻密に描かれる『西の果ての島』の作品世界はその独自性と地域性においても評価すべきであると考える。

6 今後の展望
おりしも2017年4月1日には「国境離島新法」が制定され,嵯峨ノ島も国境離島に認定された。[註6]この法律が制定された背景には,日本各地に点在する離島で人口減少や過疎化の問題が深刻化し,国の補助がなくては人々の生活維持すら困難な現状がある。嵯峨ノ島もそうした社会問題の縮図の一例であり,その姿は今後も変わっていくであろう。本稿の結論として,将来この文学作品がかつてその島に人々の暮らしが確かに存在したことを語り,やがては無人になり忘れ去られるかもしれえぬ歴史ある美しい島に確かな普遍的価値を与えつづけるものとして位置付けたい。

7 おわりに

『西の果ての島』は京都造形大学の図書館に所蔵されている『竹山道雄著作集2 スペインの贋金』のなかにも収録されており全文を読むことができる。当初卒業研究に取り組むにあたって事例の選択として文学作品を選ぶことには過去の評価報告書や課題の趣旨にそえない不安があったが,一冊の本との偶然な出会いを通じ実際に著者の歩いた道を辿った記録を、四年間の学習の最後でどうにか形にしたいと思った。卒業研究をきっかけにこれだけ多くの出会い、発見を得られたことは非常に貴重な体験となった。本稿をきっかけに著書を手にとられる方,また嵯峨ノ島を訪れたいと思われる方がおられれば何よりである。

  • 1 福江島の港から見た嵯峨ノ島遠景
    「現在の市街も,いたるところの地方都市のようにやはり東京の場末風景だった。(中略)特にエキゾチックな気配はなかった。常に暴風が吹いていて,死に絶えたような荒磯に流人や倭寇のあとがあって,沖には鯨が潮をふいていて,漁夫はそれに組みついて,鯨の鼻を曲がった刀で削りおとす・・・そういうことはなかった。ただ嵯峨ノ島がはなはだ異色があって,旅の情緒を満喫させてくれた。絶壁の下に溶岩が流れたところに,上陸した。」
    (『西の果ての島』p237)(2017年11月 筆者撮影)
  • 2 嵯峨ノ島中央部から北の男岳を眺める。(2017年11月 筆者撮影)
  • 3 島の西側は侵食された特徴的な絶壁が広がる。竹山道雄はこの岩の入り組んだ眺めを見て、アンデルセンの『即興詩人』で描かれるイタリアのカプリ島の青の洞窟の世界を連想した。(2017年11月 筆者撮影)
  • 4 嵯峨ノ島には小野神社とカトリック系の嵯峨ノ島教会が存在する。(2017年11月 筆者撮影)
  • 5 嵯峨ノ島の西側にたつと目をさえぎるもののない海原がひろがる。(2017年11月 筆者撮影)
  • 6 「まるで空中に浮いているようだった。低いところで岩に浪がうちかえしている。
     どこかで雲雀がしきりに啼いて、それが日光と共に降ってくる。うす青いエーテルがゆらゆらと揺れている」(『西の果ての島』p244)

参考文献

[註1]竹山道雄著『竹山道雄著作集(全8巻)2 スペインの贋金』p238
[註2]統計局ホームページ2010年度 http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/index.htm(閲覧日:2018年1月21日)
[註3、5]的野圭志著『島に渡ってきた文士たち』福江文化協会機関誌「浜木綿」、1961年
[註4]『ブリタニカ国際大百科事典』、ティビーエス・ブリタニカ、1984年
[註6]衆議院ホームページ、有人国境離島地域の保全及び特定有人国境離島地域に係る地域社会の維持に関する特別措置法案について http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g19001018.htm(閲覧日:2018年1月21日)


その他の参考文献

竹山道雄著『竹山道雄著作集(全8巻)2 スペインの贋金』、福武書店、1983年
竹山道雄著『ヨーロッパの旅』、新潮社、1957年
竹山道雄著『続・ヨーロッパの旅』、新潮社、1959年
福江文化協会機関誌『浜木綿』創刊号、1961年
アンデルセン著『即興詩人』森鴎外訳、岩波書店、1991年、