鎌倉街道~文化・歴史・自然が彩るセラピーロード~

峯山 典明

はじめに
茨城県北相馬郡利根町に移住した際、鎌倉街道があることに驚いた。東京の多摩地区で育った自分にとって鎌倉街道とは府中市近辺の道路のイメージが強かったからだ。しかし調べるうちに鎌倉街道は全国に存在し、利根町にある鎌倉街道もその一つであることがわかった。鎌倉は日本人にとって身近な地名であり、源氏の時代に各地を結んだ歴史ある道として文化遺産と捉えられている。利根町の鎌倉街道の存在意義、長い歴史の中でどのように形づくられていったのか、四国遍路道と比較しながら考察していく。

1-1. 基本データ
名称:鎌倉街道
所在地:茨城県北相馬郡利根町もえぎ野台5丁目北東部
全長:約700メートル
起源:鎌倉時代
町文化財指定年月日:平成16年12月2日
現在の管理・運営:地域住民ボランティア及び利根町

1-2. 鎌倉街道の歴史的背景
茨城県の鎌倉街道は鎌倉時代に重要な幹線道路として作られ、現在も里山の中に残っている。茨城県では水戸街道が国道として重要な役割を果たす一方、利根町の鎌倉街道は現在、地元の人々の散歩道として利用されている。主道は上の道、中の道、下の道の三つがあり、利根町の鎌倉街道(以下、鎌倉街道)は下総国府から常陸国府に通じる道の一つ、下の道とされている。周辺には岩井城や神社、寺があり、特に蛟蝄神社は関東最古の水神を祀る神社として多くの参拝者が訪れた。
鎌倉街道は物流や政治的な訪問等に利用されただけでなく、街道入口にある八幡宮には戦いの神(源義家)が祀られていることから太平洋戦争時には平和を願う人々も訪れた。昭和40年頃までは桜並木があり、地域住民の信仰心によって整備され、春には多くの人で賑わうコミュニティとしての側面もあった鎌倉街道は、人や文化を繋いできた歴史的価値がある道だ。

2. 積極的に評価する点
鎌倉街道は新興住宅地の中にあり、まるでタイムスリップしたかのような雰囲気を醸し出している。街道入口の目の前にも新しい住居が立ち並び、住宅街に突然現れる鳥居や森林とのギャップが印象的だ。
地域住民によって保全されてきた街道は自然を楽しむオアシスであり、鳥の鳴き声や葉がこすれ合う心地良い音が響く。そして船着場跡地までの道中には史跡や石碑、巨木が点在し、歴史のロマンを感じさせる。鎌倉街道は無機質な住宅街の中で唯一心を癒してくれるセラピーロードなのだ。新興住宅街にありながら当時の面影を残し、自然豊かな街道を保全できていることを評価したい。文化財でありながら人々を癒してくれる鎌倉街道は利根町の名所である。

3. 四国遍路道との比較と特筆点
鎌倉街道の特筆点は自然を感じながら歴史探訪できることだ。八十八箇所巡礼の道である四国の遍路道(以下、遍路道)と比較しながら鎌倉街道の特筆点について分析する。

利根町の鎌倉街道
起源:鎌倉時代
全長:700メートル
認定:町指定文化財
目的:物資の輸送及び参拝、城までの道程

四国の遍路道
起源:平安時代
全長:1,400キロメートル
認定:日本遺産(現在、世界遺産へ登録申請中)
目的:修行僧による八十八箇所巡礼

鎌倉街道は新興住宅街の中にあり、遍路道は国道・県道・市道などの車道や山道、農道と常に不規則な場所を歩かされる。起源当時の風景を保っているのは遍路道よりも鎌倉街道だ。確かに遍路道は四国の雄大な自然が背景にあるため、山道を歩くことは多い。しかし現代では車社会によって道路が整備されてしまい、当時の面影があるのは山道と農道のみである。バスや自家用車を利用して八十八箇所巡礼をする人も現れた。舗装された車道を歩きながらの巡礼はいささか寂しいものだ。その点、鎌倉街道は全長700メートルという短さではあるが、終始自然しかない。
過酷さでは遍路道が上だ。急な坂道や長い階段は当たり前で、舗装された道路であっても次の札所までの距離は途方に暮れてしまう長さだ。対して鎌倉街道は700メートルという短さはもちろんのこと、常に平坦な道で地面は柔らかい土や枯れ葉だ。心身ともに苦痛はない。散歩をするには最高の歩きやすさだ。遍路道は良くも悪くも壮大だ。そして元々が修行僧の巡礼のためのものであるため、楽ではない。道路が舗装され、当時よりも歩きやすくなっているとはいえ、それはアスファルトという人工物を使ってのもので、そこに平安時代の歴史を感じることはできない。
鎌倉街道は自然環境を保全するために整備されていることが一番大きい。人の手によって整備されている点は同じだが、人工物と自然では心地良さが全く違う。また、ただ心地良いだけではない。鎌倉街道の特筆すべき点は、鎌倉時代当時の風景や自然の心地良さを感じつつ、神社・石碑・巨木によって、これまでの歴史も感じながら気軽に散歩できることだ。

4. 民俗学から見た今後の展望
利根町は民俗学の父と呼ばれる柳田國男の第二の故郷だ。今こそ利根町の代表である柳田國男にあやかり、民俗学を生かすべきだと考える。鎌倉街道を地方創生・地域活性化と絡めつつ、将来に向けてより存在意義を明確にするための展望は以下の通りである。

4-1. 文化の継承と発信
鎌倉街道は当時の物流や地域の伝承、民俗文化が息づいている歴史的な道だ。地元の祭りや伝統行事を通じて文化を継承し、観光客に発信することが重要だと考える。地域住民が主体となって文化イベントを企画して外へ発信することが地域のアイデンティティに繋がる。

4-2. 地域資源の活用
鎌倉街道では筍が取れ、小動物も多く見られる。これらを観光資源として活用し、体験型の観光プログラムとして提供することで、訪れる人々が鎌倉街道に対する深い理解と貴重な体験を得られる。

4-3. コミュニティの活性化
鎌倉街道を中心に地域住民が今まで以上に協力し、あらためて地域の歴史や文化を学び合う場を設けることでコミュニティの絆を深めることができる。ワークショップやセミナーという形で知識を共有しながら学び直すことが地域の魅力を再発見する機会となり、それがコミュニティの絆をより強固にする。

4-4. 持続可能な観光の推進
現代では地域の文化や環境を尊重するだけでなく、持続可能な観光にすることが重要だ。観光が地域にとって良い影響をもたらすような仕組みを構築することが求められる。それは観光客が地域の文化を理解し、地域住民との交流を促進することだ。まずは鎌倉街道を通じて利根町を知ってもらうことで関係人口となり、ゆくゆくは移り住んでもらえる施策へと展開していく。

4-5. AR・VRの活用
現代の技術を活用して鎌倉街道の歴史や文化をデジタルコンテンツとして提供することも一つの方法だ。鎌倉街道でしか入手することのできないARアイテムを用意することで観光客が増え、遠方の人のためにVRで鎌倉街道の風景を堪能してもらうことで行きたいと思ってもらえ、知名度も向上する。今はそれができる時代なのだ。民俗学とデジタル技術、古き良き物と新しい技術の双方を活用する。

5. まとめ
鎌倉街道は町指定文化財として自然環境と歴史的遺産の保全が行われており、竹や木の伐採を通じて歩きやすさが確保されている。そして地域住民のボランティアと町の協働によって観光資源としての整備が進められている。その結果観光客や地元の人々が訪れる魅力的な古道へと生まれ変わり、文化・歴史・自然を感じることができる場所に変わりつつある。しかし潜在能力が十分に引き出されているとは言い難い。今後の展望に記したように文化財、地域資源として考えた場合に存在を生かしきれていないのは非常にもったいないと言わざるを得ない。
利根町は今こそ民俗学の観点から全町をあげて鎌倉街道をより価値あるものへと変えるべきだ。地域の伝承・文化遺産で終わらせず、町内のアイコンにもなり得る可能性がある物。それが鎌倉街道だ。

  • 81191_011_32186076_1_1_IMG_20201215_105534 鎌倉街道入口の鳥居(2020年12月15日、筆者撮影)
  • 鎌倉街道入口の案内板(2018年2月14日、筆者撮影)
    (非公開)
  • 81191_011_32186076_1_3_IMG_20201215_105744 鎌倉街道の道中、前半部分(2020年12月15日、筆者撮影)
  • 81191_011_32186076_1_4_IMG_0953 輪を作るように不思議な成長をした木(2018年2月14日、筆者撮影)
  • 81191_011_32186076_1_5_IMG_0955 鎌倉街道、道中中盤の庚申塔(2018年2月14日、筆者撮影)
  • 81191_011_32186076_1_6_IMG_0969 船着場近くの石碑(2018年2月14日、筆者撮影)
  • 81191_011_32186076_1_7_20170905 木漏れ日、気持ちの良い森林浴(2017年9月5日、筆者撮影)
  • 81191_011_32186076_1_8_IMG_0956 王子神社へと続く道(2017年9月5日、筆者撮影)

参考文献

街道歩き委員会・内田晃著『40代からの街道歩き《鎌倉街道編》』創英社/三省堂書店、2019年
荻窪圭著『古地図と地形図で発見!鎌倉街道 伝承を歩く』、山川出版社、2022年

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