
謎の古高取「織部高取」の再現と伝承に挑む
はじめに
江戸初期に黒田藩御用窯として開窯した高取焼は400年の歴史を持つ。直方(のおがた)市は高取焼発祥の地であり、この初期のやきものを「古高取」という。織部好みの豪放な作風から「織部高取」とも呼ばれた。開窯の年代や人物にまだ多くの謎があり、今なお研究が進められている。その歴史的変遷をたどり、優れた点や課題を明らかにする。隣町の上野(あがの)焼と比較しながら、伝承の在り方について考察するものである。
1 基本データ・歴史的背景
福岡県直方市鷹取山麓に古高取の窯跡がある。宅間窯(写真1)と内ヶ磯(うちがそ)窯(写真2)で、最も古い「古高取」である。
福岡藩主黒田長政は、朝鮮出兵後、先進的な製陶技術導入の為、「八山」という朝鮮人陶工を連れ帰り作陶させた。『筑前国続風土記』によれば、慶長11年(1606年)筑前黒田藩は鷹取山の麓、直方市永満寺に宅間窯を開かせた。しかし窯の地形や小倉藩に近い事から、通説では慶長19年(1614年)に鷹取山の南麓、内ヶ磯に窯を開窯させたといわれている。当時の内ヶ磯窯は、現在ダム底に沈んでいるが、工事前の数年にわたる市の発掘調査で、内ヶ磯窯跡で「織部高取」が多数発見された。直方の地で焼かれた後、窯は山田窯(嘉麻市)白旗窯(飯塚市)小石原窯、福岡の東皿山窯(福岡市)等へ次々に移窯していった。(写真3)
対して隣町の田川郡福智町、上野焼は、豊前国の小倉藩主細川忠興が、金尊楷(きんそんかい)を招聘し、1602年に上野(福岡県田川郡)に窯をつくり作陶させた420年の歴史をもつ御用窯である。古高取同様、その源流は李朝系の陶伎である。廃藩置県後、一時的に途絶えたが、田川郡の補助を受けて1902年(M35年)再興した。当初は豪放で野趣溢れる作風であったが、次第に洗練された遠州好みの茶陶を多く制作した。
2 積極的に評価する点
2-1 古高取の希少性である。
古高取は、直方で初期の20年程しか焼かれなかった。帰国を願い出た八山が逆鱗に触れ、白旗窯(飯塚市)に蟄居して以降、二代藩主黒田忠之は、小堀遠州と交流し、遠州好みの上品で瀟洒な「遠州高取」へと作風を変化させた。故に直方で焼かれた古高取は、非常に貴重な「織部高取」の黄金期にあたる。
2-2 古高取のデザイン性である
古高取は、古田織部好みの力強い豪放なやきものである。その特徴は、「へえげもん」というひねりを加えたデザインにある。「沓形茶碗」(写真4)に見られるように、大胆で豪放な作風であり「織部高取」と呼ばれた。朝鮮由来の藁灰による釉薬の美しさやヘラ彫り、櫛彫り等の陰刻模様も認められる。歪みを美として受け入れる自由なデザイン性にある。
2-3 全長46・5M、傾斜19度の日本最大級で最新の登り窯が造られたことである。
急斜面に14の焼成室がつながる「階段式連坊」という登り窯である。内ヶ磯窯からの出土品は、「様々なやきものの影響を受け織部好みをはじめとする多様な作風の陶器を大量に制作していた」(註1)事が発掘調査で分かり、県内窯跡からの出土品としては最大級を誇る。
3 特筆すべき活動
3―1「古高取を伝える会」による市内の全小学6年生を対象に、「マイ茶碗」と題して自ら高取焼を作り、焼き上げた茶碗でお茶会を開催している。この活動は今年で17年目を迎える。(写真5)「千人茶会」や「親子陶芸教室」を開く等、古高取への関心を集めた意義は大きい。
3-2 織部高取「再現への合同窯炊き」が行われたことだ。(写真6)
2023年7月、「九州桃山茶陶研究会」を中心に、織部高取を再現する「合同窯焚き」が行われた。10名の窯元や研究者が集まり、内ヶ磯周辺で採取した400年前と同じ粘土で成型し、内ヶ磯窯(友枝窯)で焼き上げた。2023年11月に公開され話題となる。いずれも高取焼発祥の直方にこだわった合同窯焚きは画期的であった。古高取の再現は、その価値を再認識させた。
3-3 現在も官民を通して謎にせまる研究や議論が活発に進められている事である。
謎の1 開窯の時期と指導者
直方市の学芸員によると、「宅間窯の開窯は、『皿山役所記録』に、慶長11年(1606年)黒田氏は、鷹取城主として赴任した手塚水雪に命じて直方に初めて陶工を始めた」とある。指導者は、『大宰府管内志』に「新九郎(八山の義父)とあり、それを高取焼と呼ぶ」と記載されている。内ヶ磯窯については、「慶長19年(1614)八山が指導者となって内ヶ磯窯を開いた。」と話された。(『筑前国続風土記』より)
対して桃山茶陶研究家の小山(写真7)は、1615年に豊臣との密通疑惑で自刀させられた古田織部の史実から見て、古高取の操業が1614年では活躍の時期が短すぎるとし、多くの陶片や古文書(『別所吉兵衛伝書』等)から、開窯は定説の1614年より10年前倒しの1603年(慶長8年)と提示した。(註2)2023年に開かれたシンポジュームでは、元東京国立博物館陶磁室長矢部は、この可能性に理解を示した。指導者についても、織部の指導を受けた別所吉兵衛を頭領とする優秀な京都の渡り陶工が指導にあたった。陶片の底に「王」や「二」や「十」の印からも推測される、としている。内ヶ磯の茶道具は当時の京都で人気があり「京都三条の商人の活動が九州に及び茶陶生産にも影響を与えていた」(註3)とあるように、生産から流通迄一貫したプロデュースが行われたと考えられる。
謎の2 突然の閉窯
内ヶ磯窯の窯元、友枝灌水(写真8)は、インタビューの中で政治的要因をあげた。二代藩主徳川秀忠はキリスト教弾圧を強化した。黒田官兵衛(長政の父)はキリスト教から改宗し、迫害の危機を感じた長政も棄教したとされる。古高取の陶工の中にもキリスト教信者がおり、「取りつぶしを逃れる為に、御用窯であった直方の地を廃窯したのでは。」と話された。小山もまた、「織部が1615年に自刃したのを受け、天下一の織部の隠し大窯(内ヶ礎窯)の存在が徳川幕府に発覚するのを恐れてこれを隠し廃窯した。」と捉え直した。
このように開・閉窯の時期や理由、指導者としての前衛芸術家集団の存在まで諸説あり、古文書や陶片から官民を通じて研究され、数々のフォーラムやシンポジュームによって今も活発に意見交流されている。古高取は、歴史の潮流、藩主の意向、時代の流行の中で息づく「ヘリテージ」なのだ。
4 課題と今後の展望
高取焼も上野焼も共に400年の歴史を持つ御用窯である。上野焼は、廃藩置県で一時的に途絶えるも田川郡の補助を受けて再興し、昭和58年に国指定伝統的工芸品となった。現在は福智山麓に20軒ほどの窯元が点在している。後継者の育成についても県の補助金を受け、学びたい人に門戸を開いている。対して現在の直方には、高取焼の窯元が3軒あるが、離れた場所に点在し、訪れる人もそれ程多くない。窯の移窯等で伝統工芸品としての位置づけが不十分だった事も一因と考えられる。
課題と展望して、三点あげられる。
一点目は、後継者の課題である。
シンポジュームや合同窯焚きによって、市民の古高取に対する認識は高まってきた。しかし高齢化が進み、後継者がいない為に廃業する窯もある。後継者問題は深刻である。窯元個人の力量だけに頼らず、補助金を設け大学等と連携した研修制度を体系化して、技術を受け継ぐ継承者の育成が急務だ。
二点目は、組織と販路の問題である。
高取焼は上野焼振興会のような組織力の点では弱い。町づくり構想の中に「商工・歴史伝統・観光課」を立ち上げ、首長の施策方針にも盛り込む。窯元や社会教育、商工観光課、「桃山茶陶研究会」「古高取を伝える会」等が組織的に連携して、役割分担を再構築する。高取焼は令和6年にようやく県知事指定特産工芸品に選定された。安定的な販路確保の為にも、定期的な発信と、制作から販売まで相互に支えあう仕組みを作る事が重要である。
三点目は歴史資料館の建設である。
現在、古高取は中央公民館の一室、谷尾美術館、美術館分館(旧十七銀行跡)等に分散保存され、パンフレットや案内板も乏しい。歴史資料館を建設し一元化して、窯元、研究者、市内外住民を繋ぐ知のネットワークとして、その歴史と価値を伝える基盤となる事が必要だ。
5 まとめ
古高取「織部高取」は、成立の謎を含みつつも直方の誇れる財産である。「へえげもん」の斬新なデザインや釉薬の美しさを後世に伝え、市民が「古高取」に誇りを持ち、次世代の子ども達に受け継いでいく事が望まれる。後継者を育成し、郷土の文化財として未来に繋ぎ、伝承していく事が重要である。
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1 古高取 直方市永満寺 宅間窯跡 直方市教育委員会提供
全長16・6メートルの焚口と焼成室6室からなる。傾斜11度。割竹式登り窯。
出土品は窯道具、茶碗、水差し、皿、鉢等。釉薬は、土灰釉・鉄釉が多く、ロクロ成形を
主に、たたき成形も見られる。豊前上野焼と750メートルしか離れていない。(註4)
2025/10/14 筆者撮影 -
2 古高取 直方市頓野 内ヶ磯窯跡 直方市教育委員会提供
全長46,5メートル、傾斜19度の日本最大級・最新式の階段式連坊登り窯
唐津焼の築窯技術が導入されたと考えられる。出土品は、皿碗、鉢、花器、などの他に
茶入れ、水指等の茶陶もつくられた。ロクロ成形を主とするが、たたき成形も見られる。
藁灰釉、鉄釉は盛んに用いられた。
ここで生産された陶器は、唐津焼・備前焼、瀬戸焼等様々なやきものの影響を受け、
多様な作風の陶器を生産したが、九州では「織部好み」を焼いた代表的な窯である。
日本各地の茶陶の研究と思考錯誤が行われた窯であったと考えられる。(註5)
2025/10/14 筆者撮影 -
3 福岡県窯跡図 九州歴史資料館展示
直方市教育委員会「図録高取焼」参照
高取焼・・宅間窯(直方市)内ヶ磯窯(直方市)山田窯(嘉麻郡)迄を
通称「古高取」 と呼ぶ。白旗窯(飯塚市)鼓窯(東峰村)
小石原窯(東峰村)大鋸谷窯(福岡市)東皿山窯(福岡市)等へ
移窯していったとされる。(註6)
2025/11/2 筆者撮影 -
4 古高取焼 沓形茶碗 直方市教育委員会所蔵
大胆・豪放な「へえげもん」。ひねりを加えた「織部高取」である。
古高取焼は、藁灰釉、鉄釉等灰釉も多種多様であり、掛け分け技法も見られる。
かって古唐津焼と呼ばれたやきものの中にも、実際は内ヶ礎焼のやきものであったとして
窯籍変更したものも少なくない。
2025/10/14 筆者撮影 -
5 「古高取を守る会」のもとで、市内の全6年生がマイ茶碗作りとして高取焼をつくった。
17年目を迎える活動で、マイ茶碗でお茶会が開かれている。 R6・2・28筆者撮影 -
6 「九州桃山茶陶研究会」による「織部高取」の再現のパンフより
2023年7月10人の作陶家・研究家により「織部高取」の再現が行われ、作品が公開された。
400年前の土で、再現を試みた。
高取周一郎(高取八仙窯)・郷原良成(陶房郷原)・高取由布子(高取八仙窯)
高取春慶(高取焼宗家)長沼武久(辰巳窯)・佐枝将司(陶房郷原)・母里聖徳(鉄鋼彫刻家)
友枝灌水(内ヶ磯窯)小山亘(桃山茶陶研究家)・加藤高宏(翠松園)が再現に加わった。 -
7 桃山茶陶研究家 小山亘氏(R6・12・7筆者撮影)
安土・桃山から江戸初期にかけて制作された「桃山茶陶」を研究する会で活躍。
数多くのシンポジュームやフォーラムを開催。
2023年12月 「筑前国焼・高取焼の茶陶について考えるシンポジューム」(直方市)
2023年11月 「内ヶ磯窯の実像に迫るシンポジューム」(九州桃山茶陶研究会)
2017年10月「古上野と古高取」謎に迫るフォーラム(九州桃山茶陶研究会)
2017年 7月 「上野焼と高取焼」フォーラム(九州桃山茶陶研究会)
2016年11月 「織部高取展」於直方谷尾美術館 -
8 現内ヶ磯窯 (友枝釜)窯元 友枝灌水氏(R7・10・15筆者撮影)
約400年前に途絶えた技術を窯跡の陶片から独自で研究し現在に受け継いだ窯元
古高取焼の再現に向けた合同窯炊きが友枝窯で行われた。
参考文献
「江戸時代に華ひらいた福岡のやきもの」九州歴史資料館編集・発行 2025年10月
(註3・9P 写真説明 註4・40P)
「筑前高取焼の研究」尾崎直人著 福岡市美術館編 海鳥社 福岡市文化芸術振興財団 平成25年3月
「知られざる桃山茶陶の深層 魅惑の「織部高取」小山亘著 宮帯出版社 2024年4月
(註2:69P~82P)
「やきものと渡り陶工」九州古陶磁の技術交流 副島邦弘著 花乱社 2023年3月
「織部好み」の謎を解く古高取の巨大窯と桃山茶陶の渡陶工 小山亘著 忘羊社 2014年9月
「嘉穂・鞍手・遠賀の歴史」深町純亮監修 郷土史出版研究所 2006年7月 (写真説明 註6・110P)
「古田織部の陶工たち」古田織部美術館編 宮帯出版社 2015年6月
「古田織部四百年忌図録」古田織部追善茶会実行委員会編 宮帯出版社 2014年12月
「古田織部展補訂版」古田織部実行委員会 宮帯出版社 2015年11月
「日本のやきもの15上野・高取」高鶴元著 講談社発行 昭和51年2月
「福岡藩内ヶ磯窯の謎に迫る桃山茶陶 織部高取」小山亘編 九州桃山茶陶会 平成28年
「古高取 内ヶ磯窯跡」発掘調査報告書第4集 直方市教育委員会 1982年
「古高取 永満寺宅間窯跡」発掘調査報告書第5集 直方市教育委員会 1983年
「高取焼展出土品が語る筑前陶器の始まり」直方市教育委員会 平成18年10月
(註1・25P)(写真説明 註5・26P)
「かって内ヶ磯窯は唐津だった古高取焼・古唐津展」伊藤明美編助 古高取を伝える会
「 直方市史資料編」高取焼の歴史と内ヶ礎窯跡 柴村一重編 直方市役所発行 昭和58年3月
内ヶ礎古窯発掘記念「大名茶陶」千原昭義発行 朝日新聞西部本社企画部 昭和56年3月
「福岡県の工芸 伝統と現代」下中邦彦発行 今泉篤男監修 平凡社 1984年2月
「陶磁体系第全15巻 上野・高取」 永竹 威 下中邦彦著 平凡社 昭和50年2月
「福岡県の美術工芸品」西日本文化協会著 福岡県教育庁管理部文化課編 昭和56年3月
「国焼茶陶上野焼展」 赤地町産業振興課発行 上野焼400年祭実行委員会編2002年9月
「高取焼開窯400年祭記念誌」 高取焼開窯400年実行委員会発行 平成19年1月
「高取焼のふるさと」古高取焼を伝える会パンフレット
豊前小倉藩窯 上野焼パンフレット 上野焼協同組合 2025
論文・資料関係
解説シート13表 古高取焼の窯 内ヶ磯窯 九州歴史資料館展示より
138920_1_福岡県の近世窯業関係遺跡 (1).pdf福岡県文化財調査報告書より
thesis1.pdf 福岡県近世古窯研究の流れ 副島邦弘
参考とした関係者へのインタビュー《取材協力》
2025年9月30日・10月8日・10月15日・11月5日 内ヶ磯窯元 友枝灌水氏
2025年10月14日 直方市社会教育学芸員 田村悟氏
2025年10月24日 高取焼永満寺窯元 清水築山氏(直方高取焼組合代表)
2025年10月24日 田川郡福智町社会教育課学芸員(上野焼) 井上勇也氏
2025年10月21日 直方商工観光課 奥田龍弥氏(ココロミチル広報誌)
2024年12月07日 桃山茶陶研究家 小山亘氏
2025年11月16日 庚申窯元 高鶴亨一氏(庚申窯 窯元 上野焼協同組合理事)