津奈木町の公共空間におけるアート

山本 恵吏佳

1.
熊本県の南西に位置する津奈木町は、水俣市の隣町である。隣町であるため、色濃く水俣の影響を受けている。津奈木町と水俣が、ふところに抱く不知火海は九州本島と天草諸島に囲まれる内海である。しかし、有機水銀の未処理放流、見舞金契約問題、差別、苦しみ…。一言に水俣病といっても、立場が違うと違った見方の出来事に、アート作品についても起こりうる。水俣には風化してはいけない水俣病の闘争や想い、歴史がある。

津奈木町のアートによる町づくりは、水俣病からの地域再生と文化的空間の創出を目的として、1984年に始まった。(注1(1))「緑と彫刻のある町づくり」を念頭に、津奈木町の自然の町並みに溶け込み、水俣病の出来事を伝えるためのツールとして、アート作品が海沿いの車道から見える。海が見える景色は、空と同じ色で透き通っており、海沿いの広大なみかん畑と溶け込んでおり、人々を魅了する。野外にある公共空間の作品は、四季の異なる顔を見せる。

2.
私は熊本に住んでいながら、津奈木町は初めて訪れた。津奈木役場付近に「《石霊の森》柳幸典、2021年」「《達仏》西野達、2017年」の2つの作品がある。水俣を伝えるため、町の自然に作品が溶け込んでいる。

《石霊の森》は銀杏の森と更地に置かれた約120個の大小さまざまな石から成り立っている。しかし、それぞれの音源をたどると九つの石にたどり着く。(注1(2))木立の中へ入り歩みを進めると、割れた石の間に見えないようにスピーカーが隠れており、人の話声や囃子の声が聞こえてくる。割れた石は、「水俣病の被害者」と「恩恵を受けた人」や、「過去」と「未来」などの対立や対比も意味してると私は考える。作品によって水俣病の風評被害を拡大させたとして、ネガティブな感情を抱いている住民も少なからずいる。近代遺産の負の遺産であり、今も続く水俣病については語り部の協力を得ている。静かな銀杏の木の下で、聞くと幻聴とも聞こえてくる。石は津奈木町の林道を整備する際に出た石で、需要がなくなると雨風や太陽にさらされていた。しかし、その石を割り作品に使用することによって、閉じこまれていた文化や歴史が言霊になって人々に届き、地方再生の手掛かりになるかもしれないと柳氏は考えた。石の横には綺麗に銀杏の実が木の下に集められており、夕方17時まで声は聞こえる。

《達仏》は憩いの場として整備されてものの利用されることのなくなった森の生木に鎮座する23体の黄金色の仏像。過去の記憶を源泉に活力ある未来を願う祈りのまなざしが、森を訪れる人々を霊気漂う不可思議な世界へいざなう。(注2)下を見ると実ったどんぐりがたくさんある。木の枝も生き物であるため、自然の変化があるものに作品を制作することは、芸術が偶然が生まれる。雨風などの影響があるため、メンテナンス作業が必然的になる。その年一回のメンテナンスを通して、地域の人とも交流が生まれる。津奈木の日常風景に溶け込んでおり、意識しなくても普段から何気なく目にする。作品ありきの風景が、当たり前な日常の風景として親しまれていることが分かる。

3.
町自体が美術館のように、公共空間における作品によって、地方再生を願う取り組みは、近年、同じ熊本で行われている。2016年に発生した熊本地震。地震直後の4月17日には熊本県出身の漫画家・尾田栄一郎氏から「必ず助けに行く」と心温まるメッセージが届いた。2018年には、尾田氏の県民栄誉賞受賞の記念として、漫画家としての業績と復興支援への多大なご支援の功績を末永く称えるとともに、復興の象徴として、ルフィ像を熊本県庁プロムナードに設置した。(注3)2019年度からは、県内10市町村に麦わらの一味の仲間の像を設置した。熊本地震から復興の原動力になるように、願いが込められている。設置されている場所をみると、県中央から被害が大きかった、県北の阿蘇方面にかけてある。

①ルフィ像(熊本県庁:熊本市)、②チョッパー像(熊本市動植物園:熊本市)③サンジ像(ミナミテラス:益城町)震度7を2度観測し、甚大な被害を受けた場所である。④ブルック像(ふれあい広場:御船町)⑤ゾロ像(大津中央公園:大津町)⑥ナミ像(俵山交流館 萌の里:西原村)⑦ロビン像(旧東海大学阿蘇キャンパス:南阿蘇村)熊本地震ミュージアムKIOKUとして、震災の場を伝える場所となっている。⑧ウソップ像(南阿蘇駅:阿蘇市)⑨フランキー像(高森駅:高森町)鉄道全線再開への希望を込めて南阿蘇鉄道が寸断された場所である。⑩ジンベエ像(住吉海岸公園:宇土市)外国人観光客の聖地巡礼が牽引に、世界中で大人気のONE PIECE。国内外にとどまらず、世界から訪れる。まるで、くまもと復興プロジェクト銅像も津奈木町の公共空間にある作品も、地域の復興を願う、招き猫のような存在が公共空間の作品にある。また、津奈木町には公共空間に裸体像を含む16体の彫刻が街の要所に設置されている。津奈木町にあるつなぎ温泉も、男女の青と赤の暖簾にも男女の裸体像が印刷されている。フェミニズムやジェンダーへの関心空間の高まりもあって、日本では1950年代に美術館以外の公共空間への設置が始まり、1980年代になると自治体主導の彫刻による街づくりが始まる。
イギリスのマンチェスター市立美術館では展示していた裸体像が一時撤去された。美術作品が文化として根付くためには、地域の歴史や風土との関連が大切であり、設置に至る事由の確認と検証が重要であると説いた。(注4)

4.
「《入魂の宿》柳幸典2022年」は海沿いの閉校となった小学校の閉鎖性が高いとされるスイミングプールを不知火に見立て、プールの更衣室を改装して居住空間として構成している。熊本県天草生まれ、水俣育ちの詩人・作家、思想家である石牟礼道子さんの詩「入魂」で書かれた不知火海と天が結び合う美しい空間となっている。季節や時間によって変化をし、神秘的な瞬間がもたらす美術でもある。石牟礼さんが行きたいと願った「もうひとつのこの世」への座標となるだろう。水俣病闘争のリーダーのひとりであったが、本人は「付き添い」というのスタンスを崩さなかった。(注5)水俣病闘争は困難・また困難がつきものだが、平和活動を行っているのには変わりない。長期にわたり地域住民が参加し、苗の飼育や水やり、除草作業を実行委員会と共にワークショップとして行われた。1934年大恐慌の世の中に、哲学者のジョン・デューイは唱えた。芸術の公共性は芸術とは疎遠になりがちな地方の町にこそ必要だと考え、アメリカの農村地帯や都市郊外などで美術プロジェクトを積極的に実践してきた。(注1(3))美術プロジェクトをきっかけに、地域の未来が開かれその余韻が彼方まで広がっていくことに期待したい。

5.
公害の原点ともいえる水俣病を巡っては、同じ地域にも異なる立場や考えがある。公害で人々を分断している壁を取り除くのは容易ではない。全てをなかったかのように、取り除くことは不可能でも、せめて外からの声は、壁を越えて往来できる容易な社会が築かれることを願う。
熊本県の都市部から遠く、交通の便が決して良いとは言えない場所にある津奈木町だが、なぜこんなにも国内外からアーティストの方が集まるのだろうか。私は、青く澄んだ空と海を見て考えた。それは、都会では見ることができない美しい自然と、おいしい海の幸がたくさんあるからだと思う。地方再生の思いも込めて、たくさんの人が訪れると作品を観て触れて体験して、食べて活性化に繋がり地域住民も豊かになる。また、歴史を学ぶべき地域として、後世に残したい。

  • 81191_011_32483183_1_1_IMG_2569 《石霊の森》2026年1月24日、筆者撮影
  • 81191_011_32483183_1_2_IMG_2568 《達仏》2026年1月24日、筆者撮影
  • 81191_011_32483183_1_3_IMG_2570 《入魂の宿》2026年1月24日、筆者撮影
  • 81191_011_32483183_1_4_IMG_2578 海沿いの閉校となった小学校(旧赤崎小学校)
    2026年1月24日、筆者撮影
  • 81191_011_32483183_1_5_IMG_2579 校舎が海の上にある(旧赤崎小学校)
    2026年1月24日、筆者撮影
  • 81191_011_32483183_1_6_IMG_2577 裸体像(重盤岩眼鏡橋(左):津奈木町)
    2026年1月24日、筆者撮影
  • 81191_011_32483183_1_7_IMG_2583 ジンベエ像(住吉海岸公園:宇土市)
    2025年6月15日、筆者撮影
  • 81191_011_32483183_1_8_熊本・津奈木町の公共空間におけるアートの共通点_page-0001 筆者作成

参考文献

(注1(1)(2)(3))楠本智郎編・執 『Yanagi Yukinori Tsunagi Project  2019 2020 2021 つなぎ美術館開館20周年記念』、つなぎ美術館、2023年
(注2)楠本智郎編・執『西野達ホテル裸島リゾート・オブ・メモリー』、つなぎ美術館、2018年
(注3)ワンピース復興プロジェクト、https://op-kumamoto.com/、2026年1月30日閲覧
(注4)楠本智郎執 『Yanagi Yukinori Tsunagi Project  2019 2020 2021 つなぎ美術館開館20周年記念』、つなぎ美術館、2021年
(注5)米本浩二著『水俣病闘争史』、株式会社河出書房新社、2022年

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