踊る身体は何を語るのかーフラにおけるエクソフォニー体験と「語る身体」の考察  Hālau Hula O Pili Lani の実演を手がかりに

芹田 愛

はじめに
日本語を母語とする私たちがフラを踊るとき、それは単に他国の踊りを学ぶ行為ではない。そこでは言語や文化が接触する 「境界」に身を置く経験が生じている。フラを踊る身体は、常に「母語の内側」と 「他言語の外側」のあいだに立たされる。踊り手は母語の外へ踏み出し、異なる言語や文化を受け止め、それを身体表現へと翻訳する。この営みは、多和田葉子のいう「エクソフォニー」的実践と重なる(註1)。その意味で、Hālau Hula O Pili Lani (以下Pili Lani) における実演は、身体が言語の境界に立つ経験を具体的に体現する場として注目に値する。
本稿では第一に、Pili Lani の Hō‘ike (発表会) を例にエクソフォニー体験の過程を明らかにする。 第二に、舞踊における「語る身体」という視点から、フラにおける身体と言語、文学との関係を考察する。さらにバレエとの比較を通して、舞踊において身体がいかに 「語る」 存在として理解されうるのかを整理する。

① 基本データ
さえのフラ教室 Hālau Hula O Pili Lani (註2)は、クムフラ渡辺コースケ氏の系譜に連なるフラ教室のブランチ校として2020年に佐賀・福岡で開校した。2025年には初のHō‘ike (発表会)を開催し、現在は九州各地で活動を広げている。本稿ではこの実演を具体例として扱う。

② 翻訳する身体と言語の境界ーフラにおけるエクソフォニー体験
多和田は「境界を越えたいのではなくて、境界の住人になりたい(註3)」と述べる。ここでいう境界とは、母語と他言語、異文化のあいだに生じる揺らぎの場である。多和田にとってエクソフォニーとは、母語の外側に身を置きながら意味を異化し、その輪郭を新たに描き直す営みである。この視点をフラに重ねると、踊り手が経験するのは単なる技術習得ではなく、「言語と文化の境界で踊る身体」の生成であることが見えてくる。フラには物語を伝える Mele (歌) や儀礼的なOli(詠唱)があり、言葉と身体表現は深く結びついている。 日本語話者の踊り手は、母語に存在しない概念を身体的経験として理解しようとする。この過程こそが、母語の外側に踏み出すエクソフォニー体験であるといえる。

③評価点:Hō‘ikeの実演におけるエクソフォニー体験
Pili Laniの舞台(註4)(写真①)は、エクソフォニー的実践が具体的に立ち現れた場として評価できる。多くの踊り手にとってハワイ語は母語ではなく、歌詞の意味を学んでも文化的背景を完全に把握することは難しい。それでも踊り手は、その理解しきれなさを抱えたまま身体化し、観客と共有する。ここでの踊りは振付の再現にとどまらず、言葉によって完全には把握しきれない意味の層を、身体が媒介し続ける行為となっている。この点が本実演の第一の評価点である。すなわち、理解を超えた領域を排除せず、身体が意味の揺らぎを保持したまま表現の媒体となっていた点に、本舞台のエクソフォニー的意義が認められる。Hō‘ikeのテーマ 「Aloha」 はその象徴である。Aloha はハワイ語では、挨拶や愛情を超え、思いやりや共存など多層的な意味を含む(註5)。舞台ではそれが身振りや視線、リズムとして現れ、身体は母語的理解から距離を取りつつ、言語と文化を語る媒介的存在となった。
Hō‘ikeにあたり笠原代表は「Pili Laniのダンサー全員がAloha を受け取り、Alohaを届ける、そんなHō‘ike にしたい」と語っていた(註6)。この言葉が示すように、本舞台は単なる技術発表ではなく、Aloha という概念を身体を通して循環させる場として構想されていた。そして実際の舞台では、踊り手一人ひとりがAloha を受け取り、届ける存在として立ち現れており、この理念は表現の実践において具体的に実現していたといえる(写真②)。
観客もまた、翻訳しきれない意味を身体表現から受け取り、感覚的理解へと導かれた。実際に観客からは「言葉が分からなくても情景が浮かんだ」「胸が温かくなる感覚があった」といった声が聞かれ、意味が言語理解を越えて伝達されていたことがうかがえる。これらの反応は、意味が言語的理解の水準を超え、身体的感受の次元で共有されていたことを示している。
さらに、Oliによる開演(註7)(写真③)、演出、音楽、香りなどが重なり、舞台全体が言語の外側で意味を共有する場となった。これらの要素が総合的に作用し、舞台空間そのものがエクソフォニー体験を生成する構造を備えていた点も、本実演の本質的な評価点である。

④ 特筆点:舞踊における 「語る身体」ーバレエとの比較
舞踊の身体はしばしば言語の外部に置かれてきた。しかし Pili Lani の実演が示すように、身体は言語を用いずに意味や関係を生み出す存在でもある。バレエは高度に体系化された技法により、普遍的美を体現する舞踊とされる。身体は規範化された形式を通して抽象化された語りを担う傾向が強い。一方フラは、言語・歴史・土地と密接に結びつき、身体が文化的記憶を背負うものである。
山口庸子が論じるメリー・ヴィグマンの舞踊観によれば、身体は「舞踊の言語」 として成立し、運動は言語の次元でも機能する(註8)。身体は意味を表すのではなく、意味が立ち上がる場そのものとなる存在となる。この視点に立てば、舞踊の身体は言語の代用ではなく、世界と関係を結び直す思考の形式である。ここで比較から特筆できる点は、フラにおいて身体が抽象化されるのではなく、具体的な言語世界を引き受ける媒体として機能していることである。バレエが形式性を通して普遍性を志向するのに対し、フラは特定の言語 ・ 土地・神話的記憶を現在に立ち上げる。この差異は、身体が 「語る」 あり方の文化的多様性を示す特筆点である。

⑤言語と身体をつなぐ「文学としてのフラ」
フラは舞踊として分類されるが、その根幹には身体を用いて語り、祈り、記録する文学的営みという性格がある。ハワイ神話や土地の記憶を伝える詩が舞踊の基盤となる点で、フラは言語芸術と身体表現が不可分の関係にある総合芸術として位置づけられる。
この点について大辻教授は、フラという舞踊は文学として理解できるとし、「フラにはかならずハワイ語の詩がともない、その詩をからだで表現する踊りだからである」と述べ、「フラと詩は一体となったもの」であると言及している (註9)。 この見解は、フラを単なる身体運動ではなく、言語芸術の身体的実践として捉える視点を明確に示している。フラの身体は歌の語りを再構築する主体であり、言語と身体が二重の記号体系として連動する。身体が詩を翻訳し直す創造的行為にこそ、フラの文学性の本質がある。

⑥ 今後の展望
Pili Laniの実践は、地域に根ざした教室活動でありながら、身体を通して言語と文化の境界に立つ経験を継続的に生み出している点で注目される。Hō‘ikeという発表の場は、学習の成果を示す機会にとどまらず、踊り手と観客が共に母語の外側へと身を置く空間を創出していた。このような実践は、異文化理解を知識の次元ではなく、身体的経験の次元で育む可能性を持つ。今後は、Pili Laniのような地域のフラ実践を事例として蓄積し、他の舞踊や身体表現との比較を通して、身体が言語と文化のあいだをいかに媒介するのかを検討することが課題である。

⑦ まとめ
本稿は、Pili Laniの実演を通して、踊る身体が言語と文化の境界に立つ 「翻訳する身体」であることを明らかにした。フラにおいて踊り手は、理解し尽くせない他言語の世界を排除するのではなく、それを引き受けたまま身体化する。その過程で身体は、母語の枠組みを相対化し、新たな意味生成の場となる。ここにフラにおけるエクソフォニー体験の核心がある。また、舞踊の身体は言語の外部にあるのではなく、独自の語りを生み出す媒体であることを確認した上で、フラを「身体による文学」と位置づけた。言葉と意味、身振りとリズムが重なり合う場において、身体はもうひとつの言語として機能し、物語や祈りを空間に立ち上げる。
以上より、踊る身体が語るものとは、特定の意味内容だけではなく、異なる言語と文化の「あいだ」 に生成する関係性そのものであると結論づけられる。フラの実践は、境界を越えるのではなく、境界に住まう身体の創造性を示すものであり、本稿の問いへの応答は、境界に住まう身体の創造性そのもののうちに見出されると結論づけられる。

  • 81191_011_31781077_1_1_IMG_6268 写真① Hālau Hula O Pili Lani 5th Anniversary 1st Hō'ike「Aloha Aku Aloha Mai」フライヤー(2026.01.29筆者撮影)
  • 81191_011_31781077_1_2_IMG_6882 写真② Hō‘ikeのフィナーレ。踊り手と観客が共有したエクソフォニー的空間(2025.11.08筆者家族撮影)
  • 81191_011_31781077_1_3_IMG_6887 写真③ Hō‘ikeの開演。踊り手全員によるOliの詠唱。(2025.11.08筆者家族撮影)
  • 81191_011_31781077_1_4_IMG_6885 写真④ Hō‘ike会場の壁に掲げられた踊り手たちのAlohaメッセージ (2025.11.08筆者撮影)
  • 81191_011_31781077_1_5_IMG_6505 写真⑤ Hō‘ikeのテーマ「Aloha Aku Aloha Mai」を踊る笠原代表(2025.11.08筆者家族撮影)
  • 81191_011_31781077_1_6_IMG_6892 写真⑥ Hō'ike プログラム Hālau Hula O Pili Lani 5th Anniversary 1st Hō'ike「Aloha Aku Aloha Mai」パンフレット内面(2026.01.29筆者撮影)
  • 81191_011_31781077_1_7_IMG_6894 写真⑦ Hō'ike プログラム Hālau Hula O Pili Lani 5th Anniversary 1st Hō'ike「Aloha Aku Aloha Mai」パンフレット内面(2026.01.29筆者撮影)
  • 81191_011_31781077_1_8_IMG_6637 写真⑧ 「Oli Pili Lani」歌詞。Hālau Hula O Pili Lani のために作られたOli。教室の生徒をプアケニケニの花に例え、Aloha(幸せ)を届けると謳われる。パンフレット裏面(2026.01.29筆者撮影)

参考文献

註釈
(註1)多和田葉子著『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』、岩波書店、2012年を参考

(註2)さえのフラ教室Hālau Hula O Pili Lani (ハーラウ・フラ・オ・ピリラニ)
ハワイアンバンドKaulanaのリーダーであり、クムフラの渡辺コースケ氏のHālau Hula O Ka Moku 'Opio O Ka Lani ブランチ校として、佐賀・福岡にて2020年開校。佐賀出身の笠原小枝子代表は数々のライブやショーでダンサーとして活躍し、大会優勝経験もある。笑顔で踊るフラを通じて、健康的に美しく、踊る人もその周りの人も幸せになることをめざし、ハワイの文化を分かりやすく丁寧に楽しくシェアしている。

(註3)多和田葉子著『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』、岩波書店、2012年、39頁

(註4)さえのフラ教室Hālau Hula O Pili Lani 5th Anniversary 1st Hō'ike「Aloha Aku Aloha Mai」会場 :サンメッセ鳥栖、2025/11/08開催

(註5)「Aloha」はハワイ語で、「こんにちは」 「さようなら」 「愛」 「思いやり」 「挨拶」など、多くの意味を持つ万能な言葉である。 単なる挨拶だけでなく、ハワイの人々の温かい心や精神性を表し、「Aloha Spirit (アロハの心)」として、優しさや調和、謙虚さなどを意味する5つの言葉(Akahai, Lōkahi, 'Olu'olu, Ha'aha'a,Ahonui)の頭文字を取ったものともされている。また「Aloha」は、Alo(顔、存在)とHā(息、呼吸)を組み合わせた言葉で、 古代ハワイアンが額と額を合わせ、互いの息を分かち合うことで生命の尊さを確認し合ったことに由来すると言われている。

(註6)さえのフラ教室Hālau Hula O Pili Lani 5th Anniversary 1st Hō'ike「Aloha Aku Aloha Mai」パンフレットより

(註7)演目は3つのOliから開演した。Oli (詠唱) は、ただの導入ではなく、神々や自然への呼びかけであり、舞台空間を整え、観客と踊り手を物語世界へ導くものである。 踊りはこの祈りの文脈に包まれ、物語性と精神性をまとって進行する。
・「Noho Ana Ke Akua」は、森の中に住む女神に対し知識を得るために、森へ入る許しを乞うためのOli。
・「Oli Aloha」は Mary Kawena Pukui によって構成された。内容は、長い間会えなかった愛する人への到着について語られ、愛する人が霧に包まれ、ハラとレフアの香りに包まれていると謳われる。
・「Oli Pili Lani」は、渡辺コースケ氏が、Hālau Hula O Pili Lani のために作ったOli。教室の生徒をプアケニケニの花に例え、Aloha(幸せ)を届けると謳われる。

(註8)山口庸子著『踊る身体の詩学 モデルネの舞踊表象』、名古屋大学出版会、2006年、157頁

(註9)アネモメトリ<空を描く♯189 文学としてのフラ 大辻都 2016.11.13公開記事

参考文献
・さえのフラ教室Hālau Hula O Pili Lani 5th Anniversary 1st Hō'ike「Aloha Aku Aloha Mai」パンフレット、会場 :サンメッセ鳥栖、2025/11/08開催

・市川雅著『ダンスの20世紀』、新書館、1995年

・渡辺守章著『舞台芸術の現在』、放送大学教育振興会、2000年

・山口庸子著『踊る身体の詩学 モデルネの舞踊表象』、名古屋大学出版会、2006年

・Hiroshi Makaula Nakae著『聖なるハワイイ ハワイアンのスピリチュアリティー』、 書肆侃侃房 、2007年

・多和田葉子著『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』、岩波書店、2012年

・鈴木晶著『バレエとダンスの歴史』、平凡社、2012年

・森山直人編『近現代の芸術史 文学上演篇I 20世紀の文学・舞台芸術』、京都造形芸術大学 東北芸術工科大学出版局 藝術学舎、2014年

・目黒志帆美著『フラのハワイ王国史』、お茶の水書房、2020年

・西沢佑著『ハワイ語の手引き』、千倉書房、2021年

・芹田愛「言語接触」京都芸術大学 外国語2レポート、2020.10.21提出

・芹田愛「小笠原諸島の言語 内と外のあいだに生きる言葉」京都芸術大学 詩学レポート、2025.10.29提出

参考web
・https://www.ritsumei.ac.jp阪本佳郎「言語が再び芽吹くための種 ラリー・カウアノエ・キムラのハワイ語詩と『MELE 詩の国際便』 」立命館大学(2026.01.29閲覧)

・https://jwcpe.repo.nii.ac.jp藤田実季「舞台言語の特性 イメージからの論究」、日本女子体育大学機関リポジトリ(2026.01.29閲覧)

・https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jpアネモメトリ<空を描く♯189 文学としてのフラ 大辻都 2016.11.13公開記事(2026.01.29閲覧)

・https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jpアネモメトリ<空を描く♯199 続・文学としてのフラ 大辻都 2017.01.22公開記事(2026.01.29閲覧)

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