
生物多様性を育む空間「渡良瀬遊水地」
1.基本データと歴史的背景
生物多様性を育む空間として、渡良瀬遊水地を取り上げる。渡良瀬遊水地は、群馬、埼玉、栃木、茨城の4県にまたがる、面積33km2の日本最大の遊水地で、日本で6番目の広さの湿地であり(1位から5位までは北海道に存在)国内で最大級のヨシ原である(図1)。
渡良瀬遊水地があった場所は、3つの河川が交わり、明治以降多くの洪水に悩まされてきた地域である。こような問題を解決するため、1910年から1922年にかけ、かつてあった村を移住させ、堤防で囲い遊水地を作ったのが始まりである(図2)
その後、巨大台風による利根川の増水と首都圏を水害から守るため整備が進み、3つの調整池を持つ現在の形になったのは1997年である(図2)。遊水地内にある渡良瀬貯水池(谷中湖)は人造湖で、1990年に完成し、首都圏への水道用水の供給を担っている(図2)。
この遊水地は、調整池にたまった雨水や河川から流入した水は、調整池の外に排水しないため、広大な湿地として存在しており、2012年ラムサール条約に登録され、湿地が持つ生態系や生物多様性が認められた。そのため、渡良瀬遊水地は、治水、利水に加え、生物多様性の保全が目的に加えられている。
湿地は水域と陸地が交わる場所で、他の生態系に比べ生物多様性が高い空間である。その理由としては、浅い水域、深い水域、湿った土壌、乾燥地など多様な微小環境を提供し、さまざまな生態的地位(ニッチ)1)を利用できる点である(図3)。そこに猛禽類を頂点とした生態ピラミッドが構成され(図4)180種以上の絶滅危惧種を含む、植物1,000種、野鳥260種、昆虫1,700種など多様な生物が見られる2)。このような生物多様性豊かな空間が、私たちの生活になぜ必要なのかを、渡良瀬遊水池の特徴や他の湿地と比較しつつ考察したい。
2.事例のどんな点について積極的に評価しているのか
(1)河川事務所による湿地の保全と再生
日本の湿地の多くは国立公園に指定され、環境省が管理しているが、渡良瀬遊水地は治水施設であることから、国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所(以下、河川事務所)が管理している。後述するが現在乾燥化が進み湿地の減少が見られるが、悪化した場所を掘削しかつての湿地環境の再生を目指す取り組みが河川事務所によって行われいる。
ここで疑問を持ったのは、なぜ河川事務所が、湿地の再生や生物多様性の保全を行っているのかという点である。河川事務所に問い合わせたところ、遊水地は河川法によって河川の一部であり、その自然環境の保全や利用について、法律で義務付けられているとの回答があった。また掘削による治水容量の増加や、堤防整備に使用する土砂の採取も兼ねているとのことであった。
(2)自治体による利用促進
渡良瀬遊水地の約7割は、栃木県栃木市に属している。このため栃木市役所には渡良瀬遊水地課がある。業務内容としては、渡良瀬遊水地に係る施策、環境保全、利活用、渡良瀬遊水地に隣接するハートランド城の運営、ボランティアガイドの育成などがある。ハートランド城とは、栃木市の施設で渡良瀬遊水地に関する展示、体験学習の場として機能しており、展望台からは遊水地を一望できる(図5)3)。
(3)アクリメーション振興財団による普及活動
省庁、自治体の他にも、渡良瀬遊水地のHP2)を管理している「一般財団法人渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団」(以下、財団と称す)の活動によるところが大きい。そこで、この財団について実際に事務局を訪問して、聞き取り調査を行った。
この財団のアクリメーションの意味は、自然や文化などにふれる場を指しており、谷中湖が造成された際、環境保全とその利活用を推進するために設立された。
この財団は、遊水地内に「体験活動センターわたらせ」(図6)という施設を保有している。この施設は、研修室や、遊水地の利活用に関する資料の公開の他、植物や野鳥の観察会などを定期的に実施し、環境学習のベース基地としての役割を担っており、これらを無償で行っている。
このような財団が活動するための資金は、この財団が遊水地内に保有するゴルフ場の収益を当てているとのことであった。
3.国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
現在、国内の多くの湿地は、乾燥化や開発などによってその面積は減少の一途をたどっている4)。その例として日本最大の面積を誇る、釧路湿原を例として取り上げる。釧路湿原は、戦後の開発や、森林伐採などによる土砂流入増加で、面積が大幅に減少している。面積の減少は、1947年(2.5万ha)から1996年(1.9万ha)と50年間で2割以上減少している5)。
現在、国立公園内の開発は禁止されているが、隣接する民有地では、大規模なメガソーラー計画があり、国立公園内への生態系の悪影響が懸念されている。また、釧路湿原は、釧路川流域の河川環境の一部であり、市民団体、民間企業、行政すべてが多様な形で釧路湿原とかかわってるが、規模が大きいため認識を基本とした交流・連携の事例は極めて少ないのが現状における課題である。
渡良瀬遊水地は、周囲を堤防で囲まれ、その面積が減少することもなく、周囲の環境の変化も受けにくい。さらに河川の一部であるため、河川事務所、自治体、財団などの人の手による管理が可能であり、湿地という環境を維持することが他の地域と比べ、容易であると考えられる。湿地は、河川から流入する土砂や、植物の枯死体などの堆積よる遷移が進み、長い年月の間に陸化するのはやむを得ない。渡良瀬遊水地では前述のように掘削による湿地の再生を試みているが、それはごく一部である。そこで渡良瀬遊水地では、湿地を保全する試みとして、毎年3月にヨシ焼きを行っている(図7)。枯れたヨシ焼くことで、枯死体の堆積を防ぐと共に、ヨシの繁殖で発芽が阻害されていた多くの植物の成長を可能にすることで、生物の多様性を維持している。このように大規模な人為的な操作による湿地の維持は非常に珍しい。
4.今後の展望について
自然は、あるがままの姿を維持するため、人の手を入れず、そのままの姿で保存するということが一般的な考えであるが、里山のように人の手を適度に入れて維持することも重要である、
ただ、気候変動による乾燥化は深刻な問題で、乾燥化が進んでいる地域では、ヨシにかわり乾燥に強いオギの侵入が見られる。オギは在来種でありヨシのとの植生もあまり変化がないため湿地に対する影響は低い。しかし、セイタカアワダチソウやセイバンモロコシなどの繁殖力の高い外来種の侵入は深刻な問題で、これらを除去することの難しさが課題である。
さらに、ここを訪れた人たちに、どのように生物多様性を理解してもらうかも重要である。前述の体験活動センターには、季節ごとに見られる動植物の情報やボランティアガイドが常駐し、無償で案内を行っている。しかし、現在ガイドの希望者の減少、高齢化が問題になっている。
5.まとめ
そもそも生物の多様性がなぜ重要なのだろうか。私たちに生活が豊かになった結果、一部の生物、特に生活に直接関係ない生物が絶滅するのはやむを得ない、と考える人もいるであろう。
しかし、人間も生態系を構成する一員であり、多くの生物が生存できる環境が人間にとっても快適な環境であることを認識すべきである。特に都市部に住んでいると生物多様性を感じることは難しく、多様性を感じることのできる空間は必要不可欠である。
また、このような生物多様性のある空間に触れることで、人は心の豊かさを感じるとことができる。この学科で芸術とは、人の心の豊かさを与えるものであることを学んだ。それゆえ、この遊水地のような生物多様性を育む空間は芸術であると考える。
私は、ボランティアガイドとして活動しているが、訪れた人に単に生物多様性が重要であることとだけでなく、それを通じ、心の豊かさをどう感じてもらえるかを考えて活動していきたいと考えている。
参考文献
1)環境用語集「ニッチ」
https://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2923
2)渡良瀬遊水池HP
https://watarase.or.jp/
3)栃木市渡良瀬遊水地ハートランド城
https://www.city.tochigi.lg.jp/soshiki/6/1775.html
4)国土地理院、日本全国の湿地面積変化の調査結果
https://www.gsi.go.jp/kankyochiri/shicchimenseki2.html
5)釧路湿原記事集-湿原面積の減少
https://kushirodata-center.env.go.jp/wetland/wetland_article3_16.html
6)釧路市は「ノーモア メガソーラー宣言」をしました
https://www.city.kushiro.lg.jp/machi/kankyou/1004263/1004289/no-more-mega-solar.html
その他の参考文献
『渡良瀬遊水地~生い立ちから現状~』渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団 2012年
『渡良瀬遊水池が「ラムサール条約湿地」に』随想舎 2013年










