
観光から暮らしの文化を伝える建築へ——新芳春茶行にみる大稻埕の歴史建築再生の評価
はじめに
本稿では、台湾・台北市大稻埕[註1]に位置する歴史的建築「新芳春茶行」[資料1]を取り上げ、建築保存のあり方を、暮らしの文化の再現性と公共施設としての再生という観点から考察する。筆者は大稻埕で生まれ育ち、この地域の歴史的建築に親しんできた。本稿ではその関心を出発点とし、現地調査および既存資料の分析を通じて、新芳春茶行が地域の暮らしの文化をどのように可視化し、共有可能な文化資産として機能しているのかを明らかにする。
1.基本データと歴史的背景
新芳春茶行は、台湾・台北市大稻埕の主要商業軸である迪化街[註2]周辺に位置し、1934年、日本統治時代に福建省出身の茶商・王連河によって建設された。茶行、製茶工場、倉庫、住居を一体化した住商併用型の街屋建築[註3]であり、茶葉の精製から保管、輸出、生活までを同一敷地内で行う構成を持つ。
19世紀後半以降、貿易拠点として発展した大稻埕において、新芳春茶行は商業活動と生活が密接に結びついた建築として機能してきた。製茶事業の終了後は、台北市政府による登録・修復を経て文化資産として保存・公開されている(年表参照)[資料2]。赤煉瓦造を基調とする閩南式建築[註4]に西洋建築の要素を取り入れた折衷的様式は、当時の街屋建築の一例である。
2.積極的に評価する点
本章では、新芳春茶行の保存・再生において特に評価できる点を、建築保存の方法、展示内容、公共施設としての運営形態という三つの観点から検討する。
2-1. 建築保存の精度[資料3]
新芳春茶行の外観は、閩南式建築の特徴を踏まえ、赤煉瓦の壁面や木製格子窓、瓦屋根などが細部にわたって修復されている。内部においても、茶工場・住居・倉庫からなる三進[註5]構成に基づく機能的配置が維持されており、商業活動と生活が一体化していた建築の性格を読み取ることができる。
さらに、階段や動線、採光・通風といった建築的要素についても原型が尊重され、生活空間としての質感が保たれている点は、暮らしの文化を伝える建築保存として評価できる。
2-2. 展示内容の工夫[資料4]
建物内部の展示は、空間ごとに暮らしの文化の再現性を意識した構成となっている。1階では、茶葉の精製や保管、出荷に用いられた道具や資料が配置され、製茶工場および倉庫としての機能が視覚的に示されている。2階では、かつての居住・応接空間の構成を踏まえつつ、現在は展示空間として活用されており、家具や調度品の配置を通じて茶商の生活文化が読み取れるよう工夫されている。柱間や窓の配置、空間のスケール感は大きく改変されておらず、展示を通して当時の生活の場の雰囲気を体感できる構成となっている。3階の公媽廳[註6]では、祖先祭祀のための祭壇に加え、当時使用されていた生活用の家具もそのまま残されており、信仰と日常生活が同一空間の中で営まれていたことが示されている。
さらに、展示資料はデジタル博物館サービス「開放博物館」[註7]を通じてオンライン公開されており、来館者以外にも暮らしの文化や歴史に触れる機会を提供している点も、本施設の展示手法の特徴として挙げられる。
2-3. 公共施設としての運営
新芳春茶行は無料公開を基本とし、ガイドツアーや子ども向けワークショップを定期的に実施している。これにより、地域住民や観光客が日常的に訪れることが可能となり、文化継承の拠点としての公共性が確保されている。
ガイドツアーでは、建築の意匠や歴史的価値に加え、当時の暮らしの様相を伝えることが重視されており、体験を通じて地域の歴史や生活文化を理解できる構成となっている。このような運営は、歴史的建築を単なる観光資源として消費するのではなく、公共性と教育性を軸に活用する姿勢を示している点で意義深い。
3.公共性と暮らしの再現性に着目した他事例比較
本章では、現地調査および取材結果[資料5]をもとに、「公共性」と「暮らしの再現性」という二つの評価軸から、大稻埕における三つの歴史建築再生事例を比較する[資料6]。
3-1.保存主体と活用方針にみる公共性の違い
公共性については、保存主体、公開形態、教育的利用の有無を評価指標とした。新芳春茶行は公共文化施設として運営されており、建物の原型保存と教育的活用が最優先されている。茶工場・住居・倉庫の配置を保持し、生活動線や用途も大きく改変されていない点から、訪問者は当時の暮らし文化を体感することが可能である。
これに対し、民藝埕およびOrigInn Spaceはいずれも民間主体による運営であり、民藝埕は工芸品販売や茶館体験を通じた文化発信、OrigInn Spaceは宿泊体験を中心とした空間活用が行われている。これらの事例では、建築保存と同時に事業性や体験価値の提供が重視されている点に特徴がある。
以上の観点から筆者が整理した比較表[資料6]では、新芳春茶行は他事例と比べて公共性が高い事例として位置づけられる。
3-2.空間構成と展示手法にみる暮らしの再現性
暮らしの再現性については、生活動線や用途の保持、家具・生活用具の配置、展示手法を主な評価指標とした。新芳春茶行では、1階の工場、2階の住居、3階の公媽廳という空間構成が維持され、家具や道具の配置を通じて生活の痕跡が具体的に示されている。展示は解説にとどまらず、空間体験を通じて生活文化を理解できる構成となっており、暮らしの再現性は高いと評価できる。
これとは異なり、民藝埕では展示・販売機能が中心となり、建築空間は活用されているものの、生活動線や用途の再現は限定的である。そのため、暮らしの再現性は中程度に位置づけられる。 OrigInn Spaceは、生活文化の再現よりも、歴史的建築に「滞在する体験」を重視した事例であり、その点において新芳春茶行とは異なる価値軸を持つ。
3-3.地域との関係性と観光性
観光性については、主な利用者層、提供される体験内容、地域との関係性を評価指標とした。
新芳春茶行は、地元住民や学生を主な対象とした学習型の公開を行い、ガイドツアーやワークショップを通じて地域文化の継承を重視している。この点から、観光性は過度に高められておらず、中程度に位置づけられる。
一方、民藝埕およびOrigInn Spaceは、観光客を主な対象とし、文化体験型のサービスやイベントを通じて地域活性化を図っている。立地条件や提供内容から、これら二事例は観光性が高いと評価できる。このように、公共性を重視した保存活用と、観光体験型の活用との間には明確な性格の違いが認められる。
4.今後の展望
新芳春茶行は、建築保存と暮らしの文化の再現を両立させた文化資産であり、観光施設としてだけでなく、「暮らしの文化」を伝える教育的拠点としての役割も担っている。公共性と教育性を重視した保存再生の成果を基盤とし、住居・倉庫などの配置を活かした空間構成や生活用具の展示、展示資料のオンライン公開といった取り組みは、多様な学習機会の提供に寄与している。
ただし、来館者に対する情報提供の充実や展示体験の工夫、特に若い世代への文化教育の強化といった課題も残されている。現在は主に現地解説や展示を通じて理解を促す構成となっているが、今後は多言語によるガイドツアーや解説資料、印刷物・デジタル媒体を活用した情報発信の充実によって、海外来訪者を含む多様な来館者がより深く暮らしの文化を理解できる環境づくりが期待される。体験型プログラムやワークショップの拡充とあわせて、こうした取り組みを進めることが、大稻埕の暮らしの文化をより広い層へ伝えていく上で重要な課題である。
5.まとめ
新芳春茶行は、台湾・大稻埕の歴史的商業地区において、建築保存と暮らしの文化の再現を高い水準で両立させている文化資産である。住居を含む空間構成や生活用具の展示、動線の保持を通じて、建築は単なる観光対象にとどまらず、人々の生活の記憶を伝える媒体として機能していることが確認された。
他の大稻埕における再生事例と比較しても、本事例は公共性と教育性を重視し、歴史的建築を「観光資源」として消費するのではなく、暮らしの記憶を共有可能な文化資産として再構築している点において、同地域の建築再生の中でも特筆される存在である。
参考文献
注釈
[註1]大稻埕(だいとうてい)は、台湾・台北市大同区に位置する歴史的商業地区である。19世紀後半以降、茶葉・漢方薬・布などの貿易拠点として発展し、現在も迪化街を中心に歴史的街並みが残っている。
[註2]迪化街(てきかがい/Dihua Street)は、大稻埕地区の主要な通りで、清代から続く商業街である。現在は歴史建築、漢方薬店、乾物店などが集積し、観光地としても認知されている。
[註3]街屋(まちや)とは、店舗や工房と住居が一体となった建築形式である。東アジアや日本の商業都市に一般的に見られ、台湾では細長い敷地に前面を商業、奥を生活空間とする構成が一般的である。
[註4]閩南式建築とは、中国福建省南部(閩南地域)を起源とする建築様式である。清代以降、福建沿岸部からの移住に伴って台湾に伝播し、街屋建築の原型として定着した。赤煉瓦や日干しレンガの壁面、木造主体の構造、瓦葺き屋根、木製の扉・格子窓、中庭(天井・深井)を備える構成を特徴とし、台湾の伝統的街屋建築に大きな影響を与えている(李東明『百年街屋』、出色文化、2022年、137―138頁 )。
[註5]台湾の伝統的な街屋建築は、細長い敷地に奥行方向へ三棟の建築を連続的に配置する「三進構成」を基本とする。街路側から順に第一進・第二進・第三進と呼ばれ、各棟の間には「天井」または「深井」と称される中庭が設けられる。第一進の1階は主に店舗として用いられ、上階や奥の棟は居住空間とされることが多く、最初の中庭付近には台所やトイレなどの生活設備が配置されるのが一般的である(李東明『百年街屋』、出色文化、2022年、82頁 )。
[註6]公媽廳(こうまちょう/正廳)とは、台湾の伝統的住宅において祖先を祀るための空間であり、家族儀礼や精神的中心として機能する。
[註7]開放博物館(Open Museum)は、台湾の文化機関や博物館が所蔵する資料や展示情報をオンライン上で公開するデジタル博物館サービスである。実際の展示空間と連動し、写真・解説・歴史資料などを通じて文化資産を閲覧できる。
参考文献
1. 台北畫刊編集部《台北畫刊》609号、台北市政府、2018年10月。
2. 民藝埕公式サイト「民藝埕について」
https://www.minyicheng.com(2026年1月2日閲覧)
3. OrigInn Space公式サイト「OrigInn Space」
https://www.originnspace.com、(2026年1月25日閲覧)
4. 「新芳春茶行」公式サイト
https://www.facebook.com/sinhongchoon、(2026年1月29日閲覧)
5. 開放博物館「新芳春茶行」
https://openmuseum.tw/museum/sinhongchoon(2026年1月25日閲覧)
6. 文・李雨莘/写真・林格立/翻訳・山口 雪菜「世界とつながる台湾建築―街屋建築百年の変遷」《台灣光華雜誌》、2025年5月。
https://www.taiwan-panorama.com/ja/Articles/Details?Guid=930ed6b9-cc6b-4623-a104-0aec4592428b&CatId=10&postname=世界とつながる台湾建築%20-街屋建築百年の変遷&srsltid=AfmBOoptfZprIfPP6WHlFI9XD-4zOXdH-wQz0w-tVMQ1dJ-89mD2swwZ
(2026年1月17日閲覧)
7. 李東明《百年街屋》、出色文化、2022年3月。










