
智賀都神社の夏祭「付祭」―祭の魅力と地域自治コミュニティによる継承―
1. 基本データと歴史的背景
1-1. 智賀都神社について
智賀都(ちかつ)神社は、栃木県宇都宮市徳次郎(とくじら)町にある神社で、宝亀9年(778年)に日光三社権現を勧請して創建されたと伝わる(1)。
徳次郎町は江戸時代に日光街道有数の宿場町として栄え、全国から訪れる旅人の往来で賑わった(2)。智賀都神社は、この 徳次郎町六ヶ郷(西根・田中・門前・上町・中町・下町)の鎮守として信仰されてきた(3)。
1-2.夏祭の起源と歴史
智賀都神社では夏に「例祭」と「付祭」が行われる。「例祭」は神職が厳かに行う儀式であり、「付祭」は例祭の余興となる祭で、祭屋台を繰り出し賑やかに行われる。(4)
当初は例祭のみ行われていたが、江戸時代末期安政に飢餓や疫病が蔓延した際、例祭日に合わせて屋台を繰り込みお囃子を奉納したことをきっかけに「付祭」が始まった。その後六ヶ郷それぞれに彫刻屋台が作られ、明治6年には六台全てが神社に繰り込むようになった。(5)
戦時中の中断や不定期開催の時期を経て、昭和52年以降は3年に1度行われるようになった。定期開催となったのは昭和51年に宇都宮市最大の祭「ふるさと宮まつり」に参加したことを契機とする。(6)
1-3.彫刻屋台とお囃子
六ヶ郷の彫刻屋台は、平成元年より宇都宮市指定有形民俗文化財に指定されている。見事な彫刻が特徴で、そのしつらえは郷ごとに異なる。日光東照宮を手掛けた彫刻師らが彫ったとされる。(7)
提灯の模様やお囃子の調子も郷ごとに異なる。提灯の模様はそれぞれの郷名を図式化している(8)。お囃子は、偶数番の三郷は「新囃子」という流れるようなリズム、奇数番の三郷は「新宿新囃子」という強弱が激しいリズムとなっている。郷ごとにお囃子保存会がありその技が継承されている。(9)
1-4.現在の付祭の様子(10)
当日昼に郷ごとに彫刻屋台収蔵庫の前で屋台を組み立てる。組み上がったら100個余の提灯を取り付ける。先導は紋付きの着物を、それ以外の人は郷名が書かれた法被を着る。
16時頃出発となる。お囃子方が乗り込み、一節演奏して景気づけをしてから他の人が手綱を持って彫刻屋台を引く。引いている間もお囃子は鳴り響き、田園の中を存在感を示しながら進んでいく。屋台屋根には若い衆が乗り、高い所から威勢を張る。
智賀都神社到着の際、境内に乗り入れるために方向転換をしなくてはならない。屋台は車輪が左右に回転しない仕様となっており、男衆が力を合わせて「よいしょー!」とかけ声を上げ屋台を90度回転させて境内に乗り入れる。各郷の屋台乗り入れに際し、次々と威勢のよい声が響く様子は圧巻である。
六ヶ郷全ての屋台が乗り入れると、それぞれの彫刻屋台の中から一層けたたましくお囃子が鳴り響く。これは「お囃子ぶっつけ」と呼ばれ、祭が最高潮となる見せ場である。
休憩の後、再度お囃子方が彫刻屋台に乗り込み演奏しながら、屋台は順番に元の郷へ帰って行く。各郷へ戻ったところで祭は終了となる。
2. 評価
徳次郎町は現在は世帯数1,000に満たないほどの小さな町である(11)。それにも関わらず千年以上前に創建された神社を祀る賑やかな祭が今日でも行われていることは特筆すべきことである。
その理由について特に以下の点が評価できる。
2-1. 祭自体の魅力
現地調査では、彫刻屋台の見事さ、お囃子の熱気、屋台を回転させる際の威勢の良さは大変清々しく活気があり、「また観たい」と思わせるものだった。
祭の時間経過や空間使いの観点でも優れたデザインになっている。リーチ(Edmund Ronald Leach,1910~1989)の「通過儀礼論」の観点(12)からみると、「彫刻屋台」と「お囃子」が、日常の時間からの分離のための装置になっているといえる。そこから移行・境界のフェーズでは、空間を郷から神社まで移動しながら、神社という神域に入っていく。各郷のお囃子の狂騒という「乱痴気騒ぎ」を最高潮とし、最後は神社から郷まで移動し日常空間へ戻ることで日常の時間へと統合していく。
こういった日常と非日常が分離する時間と空間の使い方も智賀都神社付祭の魅力である。起源当初は彫刻屋台が神社に繰り込むのは夜12時頃であり、それから夜通し境内でご馳走を食べ、明け方に各郷へ戻ったとされる(13)。当初期は現在よりさらに非日常性が高い祭祀行事であったことが伺える。
2-2. 祭継承のためのコミュニティ
智賀都神社付祭では、その継続継承のために様々なコミュニティが存在している。こういったコミュニティの存在は、祭を継承しようとする地域住民の強い意志の表れであるといえる。
〈六ヶ郷の自治会〉
祭の実行部隊は各郷の自治会に編成される「付祭実行組織」である。自治会長を中心に、全体統括、渉外、会計、資材調達、食事準備、会所設営、警備等の業務の取り決めと運営がされている。(14)
〈徳次郎智賀都神社夏祭付祭屋台保存会〉
彫刻屋台が宇都宮市指定有形民俗文化財に指定された翌年に結成された。文化庁交付金等を活用し屋台の修復を行っている。(15)
〈お囃子保存会〉
元々郷ごとに愛好会の形でお囃子会が存在していたが、昭和51年「ふるさと宮まつり」への参加を契機としてお囃子継承の動きが活発になる。昭和58年には「徳次郎お囃子連合会」が結成され保存活動が組織化される。付祭に向けた稽古を行う他にも、合同演奏会を行ったり地域の祭に参加したり福祉施設で演奏を行うことで、お囃子の保存に努めている。少子高齢化により後継者が不足している郷では、徳次郎町外の自治会にも参加を呼びかけ保存会を継続させている。(16)
〈富屋地区まちづくり連絡協議会〉
徳次郎町は富屋地区とも呼ばれている。本協議会は、地縁自治会や公的機関、学識経験者等で構成された地域住民による地域自治団体である(17)。
活動は活発で、「広報とみや」の発行(18) (19)、「とみや地域学講座」の開講(20) (21)、「富屋地区地域ビジョン」の策定(22)等を行っている。これらの活動を通じて地域文化や智賀都神社付祭の歴史や価値を伝えることで、住民の祭継続の意識醸成に貢献している。
〈富屋小学校地域協議会〉
徳次郎町内の富屋小学校が、地域住民の意見を学校運営に反映するために設けている組織である。総合学習「富屋再発見」の提案や協力を行っている(23)(24)。学習サポートのため、地域の文化遺産をまとめた冊子『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』等の刊行も行っている(25)。これらの活動により、生まれ育った地域文化や智賀都神社付祭に誇りを持てる子どもを育成している。
3.同様の事例と比較して特筆される点
神事行事としての祭が、行政ではなく自治会によって長年継続されている点が特筆できる。智賀都神社付祭は神事として行っているため、政教分離の原則により県や市の補助金を得ることができない(26)。
同市で行われている「ふるさと宮まつり」も自治会による運営がされているが(27)、神事ではなく市民イベントのため、年2百万円の補助金を市から得ている(28)。
智賀都神社付祭と同様に彫刻屋台を繰り出して行う「鹿沼秋まつり」は今宮神社の神事が起源だが、ユネスコ無形文化遺産と国指定重要無形民俗文化財に登録されたことによりパレート等の市民イベントを併せて実施するようになった。これにより県市から年6百万円の補助金を得ている(29)。運営主体は鹿沼市である。(30)
これに対し、智賀都神社付祭は自治会により運営され、住民の寄付を財源として成り立っている(31)。
4.今後の展望
東日本大震災以降、被災地復興のために祭礼の役割が注目されるようになった(32)。三木英は「祭に社会統合の機能を期待するのであれば祭祀はイベント化してはならない」(33)と述べている。「観客に見せるものではなく神様に向けて捧げられているように見える」(34)ことが人と社会を癒すために必要だという主張だ(35)。
こういった問題提起に対し、智賀都神社付祭は、神事の伝統行事を自治会の力で継続し地域のアイデンティティと成し得ている事例として手本になり得る。
5.まとめ
智賀都神社付祭は、祭自体の魅力と、地域自治コミュニティの力によって継承されている。行政ではなく自治会の力で継承を実現できているのは、住民の意志と、自治会による情報発信や意識醸成の好循環によるものである。3年に1度の開催頻度や、柔軟に時間変更を行ったり外部の応援を取り入れる姿勢も、祭を無理なく継続できる一因となっている。
-
1_智賀都神社付祭出発(2019年7月27日筆者撮影)
-
2_彫刻屋台とお囃子(2023年7月29日筆者撮影)
-
3_お囃子ぶっつけ(2019年7月27日筆者撮影)
-
4_智賀都神社付祭帰路(2023年7月29日筆者撮影)
-
5_門前郷の彫刻屋台(宇都宮市富屋小学校地域協議会『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』、宇都宮市富屋小学校地域協議会事務局、2016年、p21)
-
6_屋台巡行経路(宇都宮市富屋小学校地域協議会『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』、宇都宮市富屋小学校地域協議会事務局、2016年、p13)※掲載時間は2016年当時のもの。2023年度の祭から、智賀都神社への繰り込み時間がそれまでの午後8時から午後6時に変更され、それに合わせて各郷の屋台出発時間も早くなった。これにより「子どもの帰宅時間が早くなって良かった」という声が聞かれた。
-
7_宇都宮市富屋小学校地域協議会『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』、宇都宮市富屋小学校地域協議会事務局、2016年、表紙
-
8_智賀都神社例大祭付祭実行委員会『徳治郎智賀都神社夏祭り』パンフレット2023年
(非掲載)
参考文献
註(1)(3):柏村祐司『栃木の祭り』、随想舎、2012年、P.119
註(2):宇都宮市富屋小学校地域協議会『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』、宇都宮市富屋小学校地域協議会事務局(富屋小学校)、2016年、P.1
註(4):宇都宮市富屋小学校地域協議会『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』、宇都宮市富屋小学校地域協議会事務局(富屋小学校)、2016年、P.5
註(5)(6):智賀都神社例大祭付祭実行委員会『徳治郎智賀都神社夏祭』パンフレット、2023年
註(7):池田貞夫『富屋の伝統文化』、富屋生涯学習センター主催地域学講座、2021年、P.6~12
註(8):宇都宮市富屋小学校地域協議会『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』、宇都宮市富屋小学校地域協議会事務局(富屋小学校)、2016年、P.14
註(9):宇都宮市富屋小学校地域協議会『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』、宇都宮市富屋小学校地域協議会事務局(富屋小学校)、2016年、P.30
註(10):令和5年7月29日、令和元年7月27日の祭に筆者自ら参加し現地調査を行った
註(11):宇都宮市公式Webサイト「国勢調査人口,世帯数の推移 - 宇都宮市」(https://www.city.utsunomiya.lg.jp/_res/common/opendata/1021163/toukeihyou1-4.pdf)、2025年1月25日閲覧
註(12):中西紹一・早川克美編『私たちのデザイン2 時間のデザイン―経験に埋め込まれた構造を読み解く』(芸術教養シリーズ18)、藝術学舎、2014年、p.23~26
註(13):柏村祐司『栃木の祭り』、随想舎、2012年、P.120
註(14):宇都宮市富屋小学校地域協議会『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』、宇都宮市富屋小学校地域協議会事務局(富屋小学校)、2016年、P.9
註(15):宇都宮市富屋小学校地域協議会『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』、宇都宮市富屋小学校地域協議会事務局(富屋小学校)、2016年、P.28~29
註(16):宇都宮市富屋小学校地域協議会『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』、宇都宮市富屋小学校地域協議会事務局(富屋小学校)、2016年、P.30~35
註(17):富屋地区まちづくり連絡協議会『富屋地区地域ビジョン』(WEB版:https://tomiya.org/vision/)、富屋地区まちづくり連絡協議会、2015年、P.4
註(18):富屋地区まちづくり連絡協議会『広報とみや92号』(https://www.city.utsunomiya.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/006/201/tomiya0105.pdf)、p.3、2025年1月25日閲覧
註(19):富屋地区まちづくり連絡協議会『広報とみや107号』(https://www.city.utsunomiya.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/006/201/107tomiya.pdf)、p.1、2025年1月25日閲覧
註(20):富屋地区まちづくり連絡協議会『広報とみや100号』(https://www.city.utsunomiya.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/006/201/100.pdf)、p.3、2025年1月25日閲覧
註(21):富屋地区まちづくり連絡協議会『広報とみや111号』(https://www.city.utsunomiya.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/006/201/111tomiya.pdf)、p.1、2025年1月25日閲覧
註(22):富屋地区まちづくり連絡協議会『富屋地区地域ビジョン』(WEB版:https://tomiya.org/vision/)、富屋地区まちづくり連絡協議会、2015年
註(23):宇都宮市富屋小学校地域協議会『総合的な学習の時間の「富屋再発見」に対する支援』(https://www.city.utsunomiya.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/022/982/27-8-tomiya.pdf)、2025年1月25日閲覧
註(24):宇都宮市立富屋小学校ブログ『富屋再発見(富屋ふるさと学習/5年生)』(http://www.ueis.ed.jp/school/tomiya/blogs/blog_entries/view/159/546876e87ecaf89c6ee8fbbccea944a6?frame_id=156)、2025年1月25日閲覧
註(25):宇都宮市富屋小学校地域協議会『徳次郎の夏祭と彫刻屋台』、宇都宮市富屋小学校地域協議会事務局(富屋小学校)、2016年、刊行にあたって
註(26):『栃木県わがまちつながり構築事業実施要綱』(https://www.pref.tochigi.lg.jp/a03/town/shinkou/shien/documents/20211006101334.pdf)、p.3別表1番号1、2025年1月26日閲覧
註(27):『ふるさと宮まつり開催委員会』(http://www.miyamatsuri.com/committee.html)、2025年1月26日閲覧
註(28):『栃木県わがまち未来創造事業計画 宇都宮市令和2年度事業』(https://www.pref.tochigi.lg.jp/a03/town/shinkou/shien/documents/20211006152725.pdf)、2025年1月26日閲覧
註(29):『栃木県わがまち未来創造事業計画 鹿沼市平成28年度事業』(https://www.pref.tochigi.lg.jp/a03/town/shinkou/shien/documents/5kanumakeikaku28.pdf)、2025年1月26日閲覧
註(30):『鹿沼秋まつり』ホームページ(https://www.buttsuke.com/)、2025年1月26日閲覧
註(31):宇都宮市文化財調査員池田貞夫氏インタビューより。2025年1月13日実施。
註(32):高倉浩樹・山口睦編『震災後の地域文化と被災者の民俗誌』、新泉社、2018年、p.8
註(33):三木英『宗教と震災』、森話社、2015年、p.82
註(34):矢野洋子『震災があっても続ける―三陸・山田祭を追って―』、はる書房、2017年、p.31
註(35):三木英『宗教と震災』、森話社、2015年、p.60~82