宇津救命丸の歴史と宇津家の願い ~栃木県高根沢町~

佐々木 照久

1.はじめに
宇津(うつ)家は、400年以上前に現在の宇都宮市郊外の高根沢町で帰農した初代宇津権右衛門が「地域の人々が健康で安心に暮らせる」ことを願い、「金匱[註1]救命丸(現在の宇津救命丸)」を無償で施薬したことにはじまり、現在は宇津善博氏が18代目の当主を継いでいる。
宇津救命丸(図1)が近世から現代まで絶えることなく、高根沢町の産業遺産(Legacy)として継承されてきた歴史を考察する。
2.宇津救命丸(以下 救命丸)の基本データ
2-(1)成分と大きさ:動物由来のジャコウ[註2]、ゴオウ[註3]、レイヨウカク[註4]、ギュウタン[註5]と植物由来のニンジン[註6]、オウレン[註7]、カンゾウ[註8]、チョウジ[註9]の天然由来の生薬を配合している。
2-(2)形状(デザイン):表面は銀箔もしくは金箔でコーティングされ、生後3か月の乳幼児でも服用できるように直径2mmもしくは3mmの丸型に成形している。
2-(3)効能:ストレスや自律神経のアンバランスによる夜泣きやかんむし(かんのむし)[註10]や食欲不振に効能を持つ、生後3か月の乳幼児から15歳未満に適用する小児薬である。
2-(4)創業:1597年(慶長2年)である。
2-(5)薬名:1909年(明治42年)に「小児薬王宇津救命丸」と名称を変更し、「宇津救命丸」の商標は1911年(明治44年)に登録した。当初は家名の宇津(うつ)を用いて「うつ救命丸」としていたが、ラジオやテレビのコマーシャルでは聞き取りづらくなるため、昭和40年ごろに「うづ救命丸」に読み方を変えて認知度を向上させた。
2-(6)所在地:栃木県塩谷郡高根沢町大字上高根沢3987(旧 西根郷上高根沢村)にあり、最寄り駅は宇都宮ライトレール[註11]の終点「芳賀・高根沢工業団地」駅で、そこから車で5分の静かな田園地帯に宇津救命丸株式会社の本社工場(資料1)がある。敷地内には宇津家の屋敷や歴史的建築物(図2)も残されている。
3.宇津家と高根沢の歴史背景
3-(1)救命丸のはじまり
1597年(慶長2年)の宇都宮改易[註12]により、宇都宮家の殿医であった宇津権右衛門(初代)が西根郷上高根沢村(現在の高根沢町上高根沢)で半農半医の家業を起こして「金匱救命丸」を創薬し、無償で配ったことが救命丸のはじまりである。
3-(2)救命丸の広がり
1746年(延享3年)に上高根沢は一橋領になり、一橋家[註13]は宇津家を上高根沢の年貢取立て役(庄屋)に任用したのである。一橋家は、宇津家が地域へ無償で施薬していた救命丸の評判を知り、1777年(安永6年)に救命丸を採用し、1782年(天明2年)より上納させて、1798年(寛政10年)からは献上を恒例化させたのである。
一橋家の御用達で注目を集めた救命丸は、全国にその名が伝わることになったのである。この頃から、委託販売の取次所を全国各地に置いて施薬から置薬[註14]へ販売形式を変化させていったのである。
取次所は、東北地方の出羽、奥州から西の備前までの範囲(資料2)に広がり、全国で374ヶ所あった。東北地方に77ヶ所、関東地方は245ヶ所、その中でも下野国内には104ヶ所[註15]あったのである。この販売網により救命丸は、全国規模で家庭用常備薬の地位を確立したのである。
3-(3)領主と宇津家のつながり
宇津家は、天明の飢饉や天保の飢饉などで村が荒廃した年には、私財を用いて一橋領内だけでなく近隣の困窮農民の救済を行なっていた。この働きを知った一橋家は、永代苗字帯刀御免[註16]や一橋家の御紋付きの御用提灯を渡されるなど、絶大な信頼をよせたのである。宇津家は、この強い信頼で結ばれた良好な関係を明治時代まで継承して領民と領主の橋渡しを務めたのである。
4.救命丸が特筆される点「宇津家の思いを継承」
宇津家が「人々の健康を願う思い」に真摯に向き合い、救命丸づくりを続けてきたことが特筆される点である。
明治以前は、「救命丸」名称の薬や救命丸と同様の効能を持つ薬(資料3)が全国に存在していた。しかし、明治時代に整備された売薬営業免許制により、他の「救命丸」や類似薬は取り締まりを受けて[註17]姿を消していったのである。
救命丸は、「一子相伝」の秘薬として宇津家が守ってきたのである。製法は、当主から長男だけに口伝えで教えられ、調合は当主以外が入ることが許されない「誠意軒(図2)」で「製薬信条(図3)」に従い、丸薬に仕立てる作業を明治時代まで継承してきたのである。
宇津家の「人々の健康を願う思い」により、救命丸は時代の流れにのまれることなく、現在まで継承されてきたのである。
5.救命丸を評価する点「人々への思いを守る活動」
宇津家が、救命丸(モノ)を継承していく過程で「思い」を守る活動(コト)を継承してきた点を評価する。
5-(1)教育の場を提供「宇津小学校」
「人々が安心して暮らせる未来につなげる」活動として、「博愛館(寺子屋)」を1856年(安政3年)に設立して、子どもたちの教育活動に取り組んでいたのである。
明治時代に新しい学制が公布されると「博愛館」を閉校して、当時では珍しい私立の「宇津小学校」(資料4)を1876年(明治9年)に開校して子どもたちの教育を継続したのである。
小学校の生徒は家業で雇用している者の子弟や近隣の子どもたちが中心であった。授業料は1カ月に15銭と学校概則で定めていたが、貧困により授業料を納めることができない者には、半額あるいは無料とするなど、家庭の資力や好意に応ずる対応で教育の機会を提供していたのである。
5-(2)暮らしの中に楽しみを提供「一万燈祭」
「人々から病気や災難を除き幸福に暮らせること」を願い、1659年(万治2年)に薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)を奉る宇津薬師堂(資料5)を建立した。そして、毎年8月9日の薬師の日に「一万燈祭[註18]」を開催して、地域の人々へ娯楽を提供してきたのである。
「一万燈祭」は、最近まで長く休止されていたが東日本大震災をきっかけにして、2012年に約50年ぶりに復活したのである。
中断した昭和30年代は本社の東京移転や社名の変更、そして、高根沢町発足と重なる時期であった。時代変化と高根沢を離れたことなど、様々な混乱が影響して「一万燈祭」が中断したのではないかと考えられる。[註19]
復活後は、新型コロナによる休止で不定期な開催であったが、2023年に薬師堂の開帳を行ない、今年(2024年)は10月19日の「たんたん祭り(高根沢町主催)[註20]」にあわせて「一万燈祭」を開催して、昭和中期から休止していた「人々と幸福を共有する活動」を再開させたのである。
6.今後の展望「自らを振り返る」
宇津家は、創業から継承している救命丸の歴史と高根沢の人々への思いを伝えていくために、江戸時代中期の長屋門、明治時代に皇族の宿泊所として建築された奥書院、そして、明治時代まで当主が救命丸を調合していた宇津誠意軒など敷地内にある建築物を保存(図2)している。
1972年(昭和47年)には、宇津家の歴史資料を展示する宇津史料館を設立して、宇津家と地域の歴史を未来へ伝え、継承する活動を行っている。具体的には、高根沢町内の小学生が宇津史料館と宇津薬師堂を社会科見学して救命丸と町の歴史を学ぶことが恒例になっていることである。
2023年(令和5年)には、創業425年の節目と社長の交代[註21]に合わせて64年ぶりに本社を高根沢町に戻し、創業地で再び地域貢献を継承していくことにしたのである。
7.まとめ
宇津家が、創業当時から「人々の心と体の健康に貢献する」という思いで、救命丸をつくり、地域貢献の継続によって、救命丸を高根沢の産業遺産(Legacy)として継承したことと、未来へ「思いを継承する」ために、2023年に本社を創業地に戻す「原点回帰」を行なったことを評価する。

  • 81191_011_32181005_1_1_図1_宇津救命丸_HPより_18_Dec_2024_page-0001 4種類ある宇津救命丸のパッケージ(18, Dec. 2024 筆者作成)
  • 81191_011_32181005_1_2_図2_宇津救命丸工場と敷地内施設_page-0001 宇津救命丸本社工場と敷地内にある宇津家ゆかりの建物群。19,Oct. 2024.一万燈祭りにて筆者撮影(4, Jan. 2025 筆者作成)
  • 81191_011_32181005_1_3_図3_製薬信条_page-0001 宇津家が一子相伝で引き継いだ製薬の心構えを説いた製薬信条。19,Oct. 2024.一万燈祭りにて筆者撮影(31, Dec. 20234 筆者作成)
  • 81191_011_32181005_1_4_資料1_高根沢町と宇津救命丸高根沢工場_page-0001 宇津救命丸本社高根沢工場は宇都宮市の東に隣接している高根沢町の田園地帯の中にあり、近くには宮内庁の御料牧場がある。(16, Sep. 2024 筆者作成)
  • 81191_011_32181005_1_5_資料2_救命丸取次所_page-0001 江戸時代にあった宇津救命丸の取次所が置かれた地域と範囲の地図。東北地方から中国地方(岡山)まで取次所が設置されていた。19,Oct. 2024.一万燈祭りにて筆者撮影(4, Jan. 2025 筆者作成)
  • 81191_011_32181005_1_6_資料3_救命丸の類似薬_page-0001 宇津救命丸と類似していた救命丸のパッケージ。小児薬の救命丸は類似薬が出回っていたが1876年(明治9年)の売薬営業免許制により姿を消した。19,Oct. 2024.一万燈祭りにて筆者撮影(4, Jan. 2025 筆者作成)
  • 81191_011_32181005_1_7_資料4_宇津学校卒業証書_page-0001 宇津小学校が発行した卒業証書。全国でも珍しい私立の小学校を1876年(明治9年)に開校した。
    19,Oct. 2024.一万燈祭りにて筆者撮影(7, Jan. 2025 筆者作成)
  • 81191_011_32181005_1_8_資料5_宇津薬師堂_page-0001 1659年に建立された宇津薬師堂。正面の彫り物、梁の中央には龍、左右に獅子の彫刻 作者は鹿沼の彫工師の石塚吉明の作と考えられている。(宇津救命丸HP ブログより引用)現在は高根沢町の指定文化財である。19,Oct. 2024.一万燈祭りにて筆者撮影(7, Jan. 2025 筆者作成)

参考文献

註釈
[註1]「匱(き)とは 入れもののことで、高価な品物を入れる箱の意味」高根沢町史 通史編Ⅰ, 第8章 村の生活文化-第2節 家伝薬救命丸-家伝救命丸の誕生. P857より
[註2]「麝香(じゃこう)。麝香鹿の雄の腹部にある香嚢(匂い袋)から得られる分泌物を乾燥した物。精神安定、強壮、抗炎症、鎮静に効能を持つ。」
https://www.uzukyumeigan.co.jp/health-advice/seibun_jakou/ (12, Jan, 25)
[註3]「牛黄(ごおう)。牛の胆のうや胆管にまれに出来る胆のう結石。鎮静、鎮痙、抗炎症、利胆、解熱、血圧降下、強心作用に効能を持つ。」https://www.uzukyumeigan.co.jp/health-advice/seibun_goou/ (12, Jan, 25)
[註4]「羚羊角(れいようかく)。サイガレイヨウというウシ科の動物の角。鎮静、解熱に効能を持つ。」https://www.uzukyumeigan.co.jp/health-advice/seibun_reiyoukaku/ (12, Jan, 25)
[註5]「牛胆(ぎゅうたん)。牛の胆汁を乾燥したもの。健胃、整腸に効能を持つ。」
https://www.uzukyumeigan.co.jp/health-advice/seibun_gyuutan/ (12, Jan, 25)
[註6]「人参(にんじん)。ウコギ科のオタネニンジン(高麗人参・朝鮮人参)。消化促進、強壮、鎮静に効能を持つ。」
https://www.uzukyumeigan.co.jp/health-advice/seibun_ninjin/ (12, Jan, 25)
[註7]「黄連(おうれん)。常緑多年草の一種。健胃、消炎、鎮静、食欲不振、下痢止めに効能を持つ。」https://www.uzukyumeigan.co.jp/health-advice/seibun_ouren/ (12, Jan, 25)
[註8]「甘草(かんぞう)。中国北部から中央アジアにかけて自生する植物。鎮咳、去痰、健胃、抗炎症、鎮痙、鎮痛に効能を持つ。」
https://www.uzukyumeigan.co.jp/health-advice/seibunn_kannzou/ (12, Jan, 25)
[註9]「丁子(ちょうじ)。フトモモ科のチョウジノキ(クローブ)の花蕾。芳香性健胃作用があり、消化不良、嘔吐、下痢に効能を持つ。」
https://www.uzukyumeigan.co.jp/health-advice/seibun_chouji/ (12, Jan, 25)
[註10]「赤ちゃんや幼児が理由もなく不機嫌になってぐずること。現代ではギャン泣きと呼ぶこともある。」宇救命丸株式会社HP Home>宇津救命丸について>「かんむし」とは より
https://www.uzukyumeigan.co.jp/uzukyumeigan/ (22, Oct. 2024)
[註11]「JR宇都宮駅東口から、清原工業団地を通り、芳賀町の芳賀・高根沢工業団地までの約14.6kmを走る路面電車」 MOVENEXT UTSUNOMIYA HP HOME>LRTを知る>LRTについて「どこ走るの?」 より
https://u-movenext.net/about/ (22, Oct. 2024)
[註12]「慶長2年(1597年)に宇都宮国綱が領地を没収され宇都宮氏の勢力は下野から一掃されて滅亡した。さらに村内の小領主たちも武士として生きる道が閉ざされて、帰農土着となった。」高根沢町史 通史編Ⅰ, 第1章 高根沢の近世-第1節 近世下野の誕生と近世前期の領地-秀吉の全国統一と宇都宮氏の没落. P520より
[註13]「徳川吉宗の四男宗尹(むねただ)を祖として将軍家の血統保持の役目をもつ」 コトバンクHP 百科事典マイペディア 「一橋家」の意味・わかりやすい解説 より
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E6%A9%8B%E5%AE%B6-120351#goog_rewarded (16, Dec. 2024)
[註14]「旅籠や商店に薬を置いて、売れた後に代金をもらうシステムのことで家庭に置く配置薬とは異なる。」宇救命丸株式会社HP Home>企業情報>宇津救命丸の歴史>施薬から置薬へ より
https://www.uzukyumeigan.co.jp/corp/history/ (22, Oct. 2024)
[註15]「高根沢町史 通史編Ⅰ, 第8章 村の生活文化-第2節 家伝薬救命丸-宇津救命丸の普及. P859より」
[註16]「江戸時代に平民の中で特に功績がある者に、姓(苗字)を名乗り、刀を差すことを永代にわたり許されること」 goo辞書HP「帯刀御免」「名字帯刀」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B8%AF%E5%88%80%E5%BE%A1%E5%85%8D_%28%E5%9B%9B%E5%AD%97%E7%86%9F%E8%AA%9E%29/ (17, Dec.2024)
[註17]「売薬営業免許制の整備に伴って政府の取り締まりを受けるようになり、多くは『神仏の名をかり、あるいは秘伝秘法などと唱え人々を欺くもの』として消え去っていった。」高根沢町史 通史編Ⅰ,第8章 村の生活文化-第2節 家伝薬救命丸-家伝救命丸の誕生. P856より
[註18]「仏様が一万の灯をともして人々を導く」という仏教用語で、お祭の夜に沢山の灯燈を立てたことから命名された。」宇津救命丸HP Home>企業情報>一万燈祭(いちまんどうまつり) より
https://www.uzukyumeigan.co.jp/corp/history/ (09, Dec. 2024)
[註19]「高根沢町史 通史編Ⅱ, 第5章 戦後改革と民主化-第4節 高根沢町誕生-三 北高根沢村と阿久津町の合併. P721~P731」と「宇津救命丸HP Home>企業情報>宇津救命丸の歴史>沿革」 より推察
[註20]高根沢観光協会HP ホーム>新着情報>たんたん祭り2024について より
https://www.town.takanezawa.tochigi.jp/kanko/news/tantanfes20241019.html (09, Dec. 2024)
[註21]「2022年(令和4年)に宇津善行が代表取締役社長に就任。」宇救命丸株式会社HP Home>企業情報>宇津救命丸の歴史>略史年表、沿革 より
https://www.uzukyumeigan.co.jp/corp/history/#history-process (3, Jan, 2025)

参考文献
高根沢町史編さん委員会編集 『高根沢町史 通史編Ⅰ 自然 原始古代・中世 近世』 平成12年3月24日高根沢町発行
高根沢町史編さん委員会編集 『高根沢町史 通史編Ⅱ 近現在』 平成11年3月19日高根沢町発行
高根沢町史編さん委員会編集 『高根沢町史年表』 平成12年3月24日 高根沢町発行
とちぎ元気健康情報誌 「ニューロングライフ vol.49」 2024年9月30日 いちご出版発行
朝日新聞13版 朝刊 19ページ「栃木」『「宇津救命丸」逆風から再び』 朝日新聞東京本社 2025年1月9日 発刊
宇津救命丸株式会社HP https://www.uzukyumeigan.co.jp/
高根沢町HP https://www.town.takanezawa.tochigi.jp/
nipponn.com HP Home>トピックス>宇津救命丸-伝統の小児向け秘薬と多角化が支える400年の歴史
https://www.nippon.com/ja/features/c02501/
一般社団法人 次世代価値コンソーシアム HP HOME>トップインタビュー>400年以上の歴史を持つ「宇津救命丸」地域の人々の健康を願った初代の心を受け継ぎ、家族の心身の健康に貢献する
https://nvc.or.jp/interview/2768
高根沢観光協会HP https://www.town.takanezawa.tochigi.jp/kanko/index.html

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