継ぐ、意志 ー四日市人形の再興ー

佐藤 千愛

はじめに
両手の中に、コロンとおさまる四日市人形。それは、明治から令和という時を経てもなお、多くの人に愛されている(図1)。
本稿では「四日市人形」の再興から次世代に継ぐ過程をデザインと捉え、イベントデザインの観点から論じる。

1.基本データ
宇佐市四日市は、大分北部に位置する。そこで作られる土人形を「四日市人形」という(1)。明治初期に始まり、昭和20年頃まで作られていた。町中の川上で常徳屋(財前家)という家が土人形や桃などの素焼きの菓子型を作り、財津兵助と息子の鉄三郎が「人形屋」を営んでいた(2)。土人形は全長5〜6センチの頭部だけの小さな素焼きの首人形で、背後は偏平である。主に恵比須・大黒・観音・男雛・おかめ・兵隊などの種類がある(3)。

2.歴史的背景
四日市人形は、宇佐市の「四日市」誕生から始まる。1558年渡邉氏が今の佐賀県から「蛭子宮」を遷し、櫻岡神社としたことといわれ、その後、毎月4日に市場が開かれたことから現代にまで残る四日市の名が付けられ400年以上の歴史を持つ。1698年に天領となり代官所が置かれると、それまでの市場の賑わいから行政の中心地として発展し、より多くの人が集まる場所へと変わった(4)。四日市には「東・西本願寺別院」(図2)があり、参拝者で賑わい、周辺では商売繁盛や親鸞聖人の法要である「おとりこし」の縁起物として四日市人形が人気の商品として売られていた(5)。また近くにある全国八幡社総本宮である宇佐神宮(図3)への参拝のため、大正5年に宇佐参宮鉄道が整備された(6)。参拝の利便性が高まり、神宮参拝者は周辺の四日市にも足を延ばしたことから、土産物としても四日市人形の広がりがあった。

3.事例のどんな点について積極的に評価しているのか
3‐1 伝承の途絶、再スタートへ
地域の発展とともに広がりを見せていた四日市人形だが、太平洋戦争で後継者が亡くなったことから作り手がいなくなり製作が途絶えた(1)。
その後、昭和から平成へと時代が移り変わる中で、四日市人形はひっそりと姿を消しつつあった。転機が訪れたのは、平成に入り財前氏の子孫が蔵から人形の型を約1000点発見し、宇佐市に寄贈したことからである(7)。型にはヘラで年代が刻まれており、確認できる一番古いものは明治32年(1899)であった(8)。それからほどなくして町おこしの一環で、四日市人形再興に白羽の矢が立った(9)。協議を重ね、平成22年8月5日に大分県美術協会会員ならびに宇佐市美術協会会長 渡辺崇博氏が中心となり「四日市伝統技能伝承クラブ人形部会」が立ち上がったことをきっかけに、人形は再び四日市の地に息づくこととなった(7)(8)。

3‐2 奮闘の日々
「日本画を描いていることがご縁で、四日市人形を再興しないかと声がかかった。地域の有志で始めたものだから、はじめは売りに出せるような品物ではなかった。」と渡辺崇博氏は語る(9)。戸惑いながらも、地元の文化財の再興を、と日々奮闘され、作業年数と共に腕を上げている。今では一体一体心を込めて命を吹き込んだ見事な四日市人形がおとりこしの際、店先に並んでいる。

3‐3 新たなる四日市人形へ
四日市人形の再興において重要な要素の一つが、「新しい型」の製作である。従来の型はもちろん、「名物となるように宇佐出身の大横綱双葉山(10)を模したものや、宇佐の地に宇佐海軍航空隊(宇佐空)(11)があったことを後世に伝え、平和への思いを繋げるための四日市人形を作りたい(12)」と地元の彫刻家の協力を得て新たな型を製作している。これは伝統工芸の技術継承だけでなく、地域文化の保存と発展にも寄与しており、伝統の継承が難しくなっている現代において、伝統を未来へ継ぐかたちとして今後、より求められていくことの一つの指針となり得る。

上記のことから四日市人形の評価できる点は、「再興から次世代に継ぐ」そのイベントデザインである。途絶えた製作技術は、1人また1人と情報を紡いだことで、作り方や技術が蘇り人形というかたちとなった。また新たに作った型は、伝統と現代の融合として地域の歴史や文化を反映し、単なる土産物にとどまらず、地域のアイデンティティを表現する重要な文化財となり、未来へと継がれることだろう。このように、四日市人形の再興は伝統工芸の技術継承だけでなく、地域文化の保存と発展にも寄与しており、本事例のようなイベントデザインの需要は今後ますます高まっていくであろう。

4.国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
四日市人形と「京人形ー雛人形ー」(以下、雛人形と表記する)
人形はその名の通り、人間の形を模して作られ、古くから人々の思いや願いを託されてきた。現在「人形」というと、子どもの遊び道具や観賞用として広く親しまれているが、このような普及が始まったのは江戸時代後期からのことだ(13)。ここでは広義での「人形」を比較することで、人形の特徴や特筆すべき点を述べる。

4‐1 人形が生まれるまで ー作業工程からー
雛人形は、京都の伝統的な工芸品であり、非常に精緻で繊細な作りから(14)、日本の伝統的な人形文化を代表する存在として、国内外で高い評価を受けている。その制作技術の精緻さは、工程ごとに頭部制作(頭師)、髪付(髪付師)、手足製作(手足師)、小道具製作(小道具師)、雛人形着付け(胴着付師:裁断・仕立て・着付け)と大きく分けても5段階に分かれているところに見て取れる。一方で、四日市人形は手のひらにのるほどの比較的小さな土人形であり、作業工程は型取り、素焼き、絵付けと3段階である。

4‐2 文化的背景の投影
雛人形は、主に貴族や武士など上流階級の文化を反映したものであり、豪華な衣装や格式を重視したデザインが多い。一方、四日市人形のような土人形は庶民の信仰や風習、地域に根差したものが多く、恵比須や大黒といった福の神を模し、商売繁盛や幸福を願うという民間信仰が色濃く反映されたものであり、素朴さや温かみのあるデザインとなっている。

特筆すべきことは、人形はその製作工程やデザイン、使用目的によって、さまざまな階層や地域の文化を映し出す存在であるといえ、すなわち人形とは単なる装飾品や玩具ではなく、人々の願いや価値観、生活を映す「文化の鏡」としての役割を担ってきたという点であろう。

5.今後の展望について
四日市人形が今後も地域文化の一部として息づくためには、次世代への技術や歴史的背景の継承が課題であろう。四日市人形は、高度な技術や道具などを必要とせず粘土という材料と「作りたい」という意思や願いを持っていれば、子どもから大人まで誰でも手作業で製作することができる土人形である。次世代に伝えられるためには、担い手の養成やワークショップの開催によって、現在の作り手から新たな作り手への「生きた文化」の継承が行われることが重要であろう。さらにオープンに誰もが参加できる場を設け、親しみやすく温かみのある四日市人形に対する理解と愛着を深めることで、新たな担い手が育成されることを期待する。

5.まとめ
本稿では、四日市人形の再興から次世代に継ぐ過程をデザインと捉え、論じてきた。タイトルにもある通り「継ぐ、意志」という言葉が示す通り、まずは自分の周りに目を向け、地域の文化や歴史について知り、自分自身からそれらを大切にしていくこと。さらに周囲の人々と共有する。その小さな積み重ねが地域の文化を守り、次世代に継がれる大きな力となるのではないだろうか。つまり誰もが文化財を守り育てる一員となることができるのだ。こうして文章に残すこともまた、次世代に残すデザインの一端を担っていると信じ、まとめとする。

  • 81191_011_32183383_1_1_IMG_8138 図1:筆者が作成したポスターの一部 2024年7月1日筆者作成
  • 図2:東・西本願寺別院 2024年7月11日筆者撮影(非掲載)
  • 図3:全国八幡社総本宮 宇佐神宮 2024年7月26日筆者撮影(非掲載)
  • 81191_011_32183383_1_4_IMG_8142 【四日市人形作り方の手順】四日市伝統技能伝承クラブ撮影 2024年7月16日写真提供
  • 81191_011_32183383_1_5_IMG_8140 【四日市人形の比較】再興前の四日市人形と現在の四日市人形
  • 81191_011_32183383_1_6_IMG_8137 【おとりこしの様子】2024年12月6日筆者撮影
  • 81191_011_32183383_1_7_IMG_8143 【筆者が製作した四日市人形】2024年7月2日筆者撮影

参考文献

【註】
(1)宇佐市観光協会(四日市伝統技能伝承クラブ)四日市人形台座説明より
(2)図録やきもの豊のくらしと文化 大分県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館 平成2年10月19日発行 P28
(3)四日市人形について 宇佐市教育委員会文化課文化財係
(4)まちとみんながつながる情報紙 広報うさ 平成27年10月号 P3
(5)まちとみんながつながる情報紙 広報うさ 平成27年10月号 P4
(6)大分県立歴史博物館編『令和4年度特別展 宇佐神宮』令和4年10月 P82-83
(7)毎日新聞 2011年4月3日
(8)伝統技能伝承クラブ 法人組織立ち上げ資料 平成22年2月5日(金)
(9)大分合同新聞 2013年8月24日 朝刊
(10)大相撲双葉山 四日市人形【高さ9センチ、幅7センチで裏は平らになっており、ヒモで板に結び付けて、壁にかけられるようになっている】
(11)第二次世界大戦時に市内にあった宇佐海軍航空隊の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)【高さ13センチ】、空襲からゼロ戦を守る格納庫「掩体壕」【直径12センチ】
(12)四日市伝統技能伝承クラブ 四日市人形の展示パネル
(13)日本の美術NO.11 人形 北村哲郎 編
(14)京都伝統工芸協議会HP 伝統工芸 京人形
http://www.kougei-kyoto.jp/kougei/ningyo.html


【参考文献】
大分県立歴史博物館編『令和4年度特別展 宇佐神宮』令和4年10月
渡辺文太『豊前国 宇佐郡 四日市村年代記』昭和五十二年五月三日
四日市郷土誌会『四日市村代記抄』平成八年三月
宇佐市教育委員会『宇佐 ふるさとの歴史』平成12年3月31日
大分県宇佐市史刊行会『宇佐市史 下巻』昭和54年3月1日
北村哲郎編『日本の美術 NO.11人形』昭和42年3月1日
大分市歴史資料館『第10回 九州の土人形 その歴史と世界』平成3年10月29日

【取材】
①四日市伝統技能伝承クラブ 会長:渡辺崇博氏 渡辺よね子氏
日時:2024年6月24日(月)13時〜16時 
②四日市伝統技能伝承クラブ 会長:渡辺崇博氏 渡辺よね子氏
日時:2024年7月16日(月)13時〜16時
③四日市伝統技能伝承クラブ 会長:渡辺崇博氏 渡辺よね子氏
日時:2024年9月20日(金)13時〜16時
④四日市伝統技能伝承クラブ 渡辺よね子氏
日時:2024年12月16日(金) 17時半~18時半

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