おおたけ手すき和紙保存会 ―地域文化継承活動の意義―
はじめに
広島県の西の玄関口、山口県との県境に位置する大竹市防鹿地区に「おおたけ手すき和紙の里」という施設がある。この施設の管理、運営は「おおたけ手すき和紙保存会」が担っており、これは江戸時代から続く手すき和紙技術の保存、継承を目的として結成された有志団体である。
本稿では「おおたけ手すき和紙保存会」の活動を考察し、地域におけるその役割について論じる。
1.基本データ[1]
「おおたけ手すき和紙保存会」
400年以上途絶えることなく続く大竹の和紙技術の保存と継承に努めるとともに、「おおたけ手すき和紙の里」の管理・運営を行なっている。
設立:昭和63年4月
所在地:〒739-0631 広島県大竹市防鹿3365
代表:会長/森本勝見
会員数:45名
主な活動:
・手すき和紙の生産技術の保存と継承
・コウゾやトロロアオイ(原料)の栽培
・地域の和紙文化を支える人材の育成
・学校教育や地域の文化活動への貢献
・特産品としての手すき和紙の普及
・「手すき和紙の里」の管理と運営
「おおたけ手すき和紙の里」
保存会の会員たちが、和紙づくりを行なっている施設。手すき和紙の素晴らしさに触れてもらうため「紙すき体験」や作業場見学も実施している。
所在地:〒739-0631 広島県大竹市防鹿3365
指定管理者:おおたけ手すき和紙保存会
2.歴史的背景
大竹の手すき和紙づくりは、江戸時代初期頃から始まったとされる。大竹市で和紙づくりが盛んに行われた要因としては、広島県と山口県の境を流れる小瀬川が、和紙生産に適した川であったこと、上流の山間地が和紙の原料であるコウゾやミツマタの栽培に適していたことなどがあげられる。また、この地区は農地に適した土地が少なく、農業生産だけでは生活が困難で、藩主・給主等による生産奨励も後押しとなり、生活の糧として和紙生産が盛んになったと考えられている。
藩の専売事業として発展し、最盛期の大正時代には大竹市域に1000軒もの製紙家があったが、第一次世界大戦後の不況、災害、産業構造の変化や需要の減少などにより生産者が激減。衰退の一途を辿っていった。そして昭和63年、手すき和紙分野で、広島県唯一の無形文化財技術保持者であった大村調一氏[2]が高齢を理由に廃業。これをきっかけに、地域住民が伝統技術を残そうと「おおたけ手すき和紙保存会」(以下「保存会」という。)を発足した。
現在、大竹市域で手すき和紙を生業として行っている者はなく、大竹の手すき和紙は、大竹の伝統産業として保存会が中心となり保存・伝承に努めている。[3]
3.評価
保存会は、大竹市教育委員会より「おおたけ手すき和紙の里」の管理・運営を請け負っている。このような運営状況を背景に、教育委員会や市民との連携が可能となり、生涯学習支援などを積極的に行なっている。[資-2]その活動は和紙の里施設内に留まらず、学校や文化イベントなどの施設外での紙すき体験や、大竹市内外からサポーターを募り、毎年行っているコウゾ畑作業「コウゾ芽かきプロジェクト」[4]などを通じて、幅広い世代に和紙の魅力や協働の楽しさを伝えている。
また、保存会が生産している和紙の一つに「折鶴すきこみ紙」がある。これは、平和記念公園の「原爆の子の像」に世界各地から捧げられた千羽鶴を漉き込んだものである。この「折鶴すきこみ紙」は、2023年に開催されたG7広島サミットの関連プログラムでの食事メニュー表に採用された。これをきっかけに、保存会は平和のメッセージを世界に届けるという新しい和紙の可能性を感じ、販売を開始した。[5]これは長らく広島市で課題となっていた平和公園の折鶴活用の一助となることで地域貢献にもなり、平和都市広島において意義深い活動といえる。[6]
蜂屋大八は『社会教育・生涯学習』の中で、「地域文化の継承活動には、個々人が、居住する地域という物質的空間に象徴性をもたせ、「われわれの空間」として認識させる機能があると考えることができる。」[7]と述べているが、保存会は、上述した学習支援や広島の象徴ともいえる折鶴活用など地域の特性を活かした活動、その場を提供することによって、住民の地域への帰属意識向上を促進する役目を果たしている。
4.同様事例との比較、特筆点
広島県内では大竹市が唯一、今日まで一度も途絶えずに手すき和紙技術を伝えてきた地域となっているが、広島県内には他にも和紙の産地がある。「阿字和紙」と呼ばれる和紙があり、これは江戸時代初期から昭和にかけて府中市阿字地区を中心に栄えた特産品だったが、生産者がいなくなり昭和43年に最後の生産者が廃業したことで歴史が途絶えたとされている。近年、地元の住民グループ「協和元気センター」 により和紙づくりが再開されている。[8]
「協和元気センター」 の活動拠点となっている協和公民館の館長、伊藤氏によれば、阿字和紙の流通は途絶えたものの、その後は地域小学校の卒業証書に使うなどされ、実は全く和紙づくりが途絶えたというわけではなかった。しかし地域の人口減に伴い、小・中学校が閉校となったことで需要がなくなり衰退したという経緯があった。[9]現在「協和元気センター」 は、府中市観光協会の協力を得て活動を行っている。アンテナショップへの出品、新規商品開発、地元料亭旅館とのコラボレーションなど阿字和紙を利用した商品を流通させ露出を図ることで、地域の認知向上、地域に人を呼び込む活動を展開している。[10]
上記の事例と比較すると、大竹市域には小・中・高校があり、保存会は大竹市教育委員会と連携することで、教育現場との接点を定期的に持つことができた。広島市立大学との共同プロジェクトや、小学生による研究・コンクール受賞などの成果に貢献していることからも分かるように、[11]地域学生の学習支援に尽力してきたことは特筆すべき点である。和紙づくりの隆盛当時や阿字和紙の事例では、和紙の「製品」としての価値を示す活動が主であるのに対して、保存会は和紙づくりという「体験」に価値を見出した活動を行っている点が特徴的である。
5.課題と今後の展望
今後の展望を考える上で、現状の課題を整理する。竹中氏へのインタビューでいくつかの課題が挙がったが、その根本的な要因は後継者不足にあった。[12]よって、現在の活動を維持するためにもどのように協力者を増やしていくのかが課題の一つとして認識される。
保存会は、技術を途絶えさせないことを目的として発足した。一方、協和元気センターは、技術の継承という側面もあるが、目的としては「地域活性化」を意識しており、和紙づくりだけでなく様々な活動を行っている人々の集合体である。[資-3]
保存会は地域活性を掲げて活動していないが、教育支援活動などから住民の交流を促し、地域活性の一端を担っている。このことから、活動の方向性は協和元気センターと同様であると考えられる。
佐藤友美子らは、異質な人々の協働作業によって、より高次なレベルの活動を作り出し、新しい価値を作り出すプロセスを「共立の活動」と定義した[13]が、その協働作業を行うには、様々な価値観を持った人を集めることが必要である。また、萩原修は、場づくりについて「決まった形式ではなく、なんだかよくわからないというくらいの余白があることが、たぶん来た人に、自分でここに関われるという気持ちにさせるのかなという気がします。」[14]と語っている。保存会は「技術継承」を活動の目的に掲げてきたが、今後は技術継承の目的は維持しつつさらに「地域活性化」を見据えた活動を意識することで、地域活性という側面に興味のある協力者を集めることができ、より多角的な活動が可能になるのではないだろうか。
つまり、参加の間口をさらに広げ多様な目的、スタンスを持ったより多くの人々が関わる場を提供することで、後の後継者もその中で育ってくる可能性が考えられる。
6.まとめ
保存会の活動は、江戸時代から続く手すき和紙技術の保存、継承を目的として行われているが、その活動は、単に技術を伝えるということにとどまらない。その活動により、地域住民は自らの先祖が積み重ねてきた生活や文化を認識し、自分という存在と暮らす地域の繋がりを確かめることができる。「おおたけ手すき和紙保存会」は伝統技術継承を通して、地域への愛着を深め、協働意識を育てるという地域における「次世代育成の場づくり」という役割を担っているのである。
参考文献
【註釈一覧】
[1]おおたけ手すき和紙の里HP、 https://otaketesukiwashi.com(2024年7月9日最終閲覧)
[2]大村調一氏 防鹿地区で紙すきを続け、昭和58年に広島県無形文化財保持者に指定(平成5年解除)された。(大竹手すき和紙の里HP 2021.9.7 / コラム、https://otaketesukiwashi.com/colomn/(2024年7月9日最終閲覧)より)
[3]・ 大竹市歴史研究会HP 「大竹市の歴史トピックス 手漉き和紙」、https://otake-history.halfmoon.jp/incident/paper/(2024年7月9日最終閲覧)
・大竹市総務部企画財政課編『広報おおたけ』、2023年7月1日発行、4~7ページ
[4] 「コウゾ芽かきプロジェクト」
「おおたけ手すき和紙保存会」は、和紙の原料となるコウゾの栽培を大竹市内のコウゾ畑で行っているが、わき芽の摘み取り、除草作業などに人手が必要なため、保存会の会員だけでなく大竹市内外からサポーターを募り、6月~9月まで2週間に1度作業を行っている。平成26年の開始以来、毎年実施。(おおたけ手すき和紙の里HP活動報告、大竹市総務部企画財政課編『広報おおたけ』令和5年7月1日発行、12ページより)
[5]おおたけ手すき和紙の里HPトピックス「手すき和紙に、平和への思いをこめて ~折鶴すきこみ紙~」、https://otaketesukiwashi.com/1772/(2024年7月9日最終閲覧)
[6]平和公園の原爆の像に国内外から寄せられる折鶴は、2001年まで広島市によって焼却処分されていたが、2002年より長期保存を開始。2012年からは希望する個人・団体に無償で配布している。国内外の平和行事での展示や、再生紙に加工後、名刺や折り紙などに商品化されるなど再利用の動きが広がっている。
(・中国新聞 広島平和メディアセンターHP、https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=98385、・広島市HP 折り鶴に託された思いを昇華させるための方策について(最終とりまとめ)、https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/48/10126.html(2024年7月9日最終閲覧)より)
[7]吉田武男監修、手打明敏/上田孝典編『社会教育・生涯学習』ミネルヴァ書房、2019年、114ページ
[8]・TBS NEWS DIG HP「一度は途絶えた伝統の「阿字和紙」復活の団体 国から奨励賞受賞」https://newsdig.tbs.co.jp/articles/gallery/929340?image=4、(2024年7月9日最終閲覧)・広島県府中市 元地域おこし協力隊YouTubeチャンネル、「協和元気センター 阿字和紙 伝承」、https://youtu.be/8RjKtRj_2WE?si=wbEuMleEtex_6bVU(2024年7月9日最終閲覧)・2024年6月18日 協和公民館 館長伊藤氏 電話インタビュー
[9]2024年6月18日 協和公民館 館長 伊藤氏 電話インタビューより
[10]「NIKI」での商品販売や、商品開発、料亭旅館への行燈提供など、体験教室なども行っているが、現時点では「製品化」したものを流通させ認知に繋げる活動が目立つ。(広島県府中市プレスリリース 阿字和紙の取組が中国四国農政局「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」奨励賞に選定、https://www.city.fuchu.hiroshima.jp/material/files/group/29/20231213press3.pdf
(2024年7月9日最終閲覧)参考)
[11]2020年、大竹市内の小学生による『トロロアオイ以外の「ねばねば」で和紙は作れるのか?』と題した研究(第63回広島県科学賞に入選)を、おおたけ手すき和紙の里の体験学習棟で展示。2021年、大竹手すき和紙を取材した地元小学生の作品が「みんなの新聞コンクール」に入賞、体験学習棟に展示。2022年、『広島市立大学芸術学部 卒業・修了作品展』デザイン工芸学科の学生が研究成果を発表。大竹手すき和紙の魅力をいかに伝えるかということに興味を持ち、何度も和紙の里を訪ね、コウゾの芽かきなどにも参加し、生産工程や歴史などについて学んだ。(添付資料2「保存会活動一覧」参照)
・広島市立大学HP 地域展開型芸術プロジェクト おおたけ手すき和紙プロジェクト
https://www.hiroshima-cu.ac.jp/service/c00040767/(2024年7月9日最終閲覧)
[12]「おおたけ手すき和紙保存会」の課題
①納品依頼が来ても枚数が多い場合、生産が追いつかず、需要に応えることができない。(生産者が少ない)②YouTubeなどの更新に手が回らず、現状HPの更新のみになっている。(人材、協力者不足)③後継者がいない。(収入源としては心許なく、人が集まらない)を主な課題として認識しており、いずれの課題も人材不足に端を発していると考えられる。(2024年6月9日「おおたけ手すき和紙保存会」手すき職人竹中智和氏インタビュー 保存会の課題について 筆者要約)
[13]佐藤友美子/土井勉/平塚伸治著『つながりのコミュニティ 人と地域が「生きる」かたち』株式会社岩波書店、2011年、175ページ
[14]紫牟田伸子著、早川克美編『私たちのデザイン4 編集学 ―つなげる思考・発見の技法』(芸術教養シリーズ20)、藝術学舎、2014年、萩原修 場を編集する、167ページ
【参考文献】
・吉田武男監修、手打明敏/上田孝典編『社会教育・生涯学習』ミネルヴァ書房、2019年
・佐藤友美子/土井勉/平塚伸治著『つながりのコミュニティ 人と地域が「生きる」かたち』株式会社岩波書店、2011年
・紫牟田伸子著、早川克美編『私たちのデザイン4 編集学 ―つなげる思考・発見の技法』(芸術教養シリーズ20)、藝術学舎、2014年
・林まゆみ編『地域を元気にする 実践!コミュニティデザイン』株式会社彰国社、2013年
・大石雅子著『手すき和紙手描き鯉のぼり 55年間の歩み』株式会社溪水社、2020年
・大竹市総務部企画財政課編『広報おおたけ』、2023年7月1日発行
【参考URL】
・おおたけ手すき和紙の里HP、 https://otaketesukiwashi.com(2024年7月9日最終閲覧)
・ 大竹市歴史研究会HP 「大竹市の歴史トピックス 手漉き和紙」、https://otake-history.halfmoon.jp/incident/paper/(2024年7月9日最終閲覧)
・中国新聞 広島平和メディアセンターHP、https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=98385、(2024年7月9日最終閲覧)
・広島市HP 折り鶴に託された思いを昇華させるための方策について(最終とりまとめ)、https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/48/10126.html(2024年7月9日最終閲覧)
・TBS NEWS DIG HP「一度は途絶えた伝統の「阿字和紙」復活の団体 国から奨励賞受賞」https://newsdig.tbs.co.jp/articles/gallery/929340?image=4、(2024年7月9日最終閲覧)
・広島県府中市 元地域おこし協力隊YouTubeチャンネル、「協和元気センター 阿字和紙 伝承」、https://youtu.be/8RjKtRj_2WE?si=wbEuMleEtex_6bVU(2024年7月9日最終閲覧)
・広島県府中市プレスリリース 阿字和紙の取組が中国四国農政局「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」奨励賞に選定、
https://www.city.fuchu.hiroshima.jp/material/files/group/29/20231213press3.pdf
(2024年7月9日最終閲覧)
・広島市立大学HP 地域展開型芸術プロジェクト おおたけ手すき和紙プロジェクト
https://www.hiroshima-cu.ac.jp/service/c00040767/(2024年7月9日最終閲覧)
【取材協力】
・おおたけ手すき和紙保存会 竹中智和氏
(取材日:2024年6月9日、おおたけ手すき和紙の里にて)
・協和元気センター 協和公民館館長 伊藤氏
(取材日:2024年6月18日、電話インタビュー)