塩の道「中馬街道」と「中馬のおひなさん」~過疎観光都市足助の矜持~
はじめに
愛知県では自動車産業を中心とする製造業が1960年前後より地域の経済をリードしてきた。またその影響を強く受け自動車中心の街作りが行われてきた。これを受け、愛知県の地方のロードサイドには郊外型大規模店舗がひしめき合い、自動車を利用しての1ヵ所集中型の買い物がし易くなった。
その反面、地方の商店街からは顧客が減り、過去に賑わった街はシャッター通りを通り越して、コインパーキングやマンション群にその姿を変えてしまった(1)。その中でも町おこしイベント「中馬のおひなさん」に地域全体で取り組み、今もなお観光都市として古き良き三州街道が息づく「豊田市足助町」の商店街の取り組みを考察する。
1、基本データと歴史的背景
開催場所 愛知県豊田市足助町
開催日 毎年2月上旬の土曜日~3月上旬の日曜日
愛知県豊田市足助(あすけ)町は、平成の大合併(1999年~2010年)で豊田市に合併されるまで、愛知県東加茂郡にあった町である(足助町の合併は2005年4月1日)(2)。その観光地としての歴史は古く、過去に遡ること1634年には足助町の代名詞となっている秋の紅葉の名所「香嵐渓」に、地元の香積寺の三栄和尚が巴川から香積寺に至る参道にカエデやスギの木を植えたという記録が残っている(3)。また、古くから「塩の道」としても有名な三州街道の宿場街、足助宿として栄え、山あいの奥三河地方の主要な町のひとつであった(4)。
また「中馬(ちゅうま)」とは、江戸時代、信州の農民が農閑余業として2~3頭の手馬で物資を目的地まで輸送したことに始まる。そこで「中継馬」「賃馬」がなまって中馬と言われるようになった。ここでは主に三州街道(中山道の塩尻宿から分岐し、伊那、杣路(そまじ)峠を経て三河足助を経由し、岡崎で東海道と合流する。別名伊奈街道、中馬街道、塩の道)での中馬を指し、その活動範囲は現在の長野県松本市周辺から愛知県の知多半島、渥美半島にまで広がる。ここでの主要物資である三河湾の塩と共に、信州からの米、たばこなど様々な物資が流通した(5)。
その物資の中には土人形、土雛があり、中馬と同じように三河の農民の農閑余業として、三州瓦でも有名である愛知県三河地方の鬼瓦職人・斉藤梅三郎(本名:梅太郎)が、冬季間の副業として土人形を作らせたと言われている。 これにより、三州街道の家や商店の守り神として、子供たちの玩具や節句のお雛様として土雛が塩と共に流通した(6)。
これらの土雛が三州街道の宿場町でもあった足助町には数多く残っており、また古くからの商家も多いこの街では、一般的な衣裳着人形(木材や藁を組んで作った胴体に手足を取り付け、衣裳を着せ、頭を付けたもの)、木目込人形(桐の粉末を粘土状にした「桐塑(とうそ)」で造形した胴体に細い溝を筋彫りし、衣裳となる布の端々をこの溝に木目込んだもの)も数多く保管されており、時代も江戸時代から令和までと、各家の世代の歴史がわかるようなものも多く残っている(7)。
2、積極的に評価できる点
「中馬のおひなさん」は足助町観光協会などの地元有志が設立したAsuke Tourrism 21世紀倶楽部(通称アット)が企画し、1999年から三州街道沿いで始まった。地域のランドマークである足助八幡宮近辺から始まり、紅葉の名所である香嵐渓や、旧街道沿い130軒以上の商店や民家、地元の交流館など約2キロに渡り土びなや内裏びな、人間の大きさほどもある土人形などを展示している。
当初は3,000人程と言われていた観光客は年々増え、今では70,000人以上が訪れる。足助の人口がおよそ9,000人以下であるから、実に人口の7倍以上の観光客が押し寄せ、その期間の交通渋滞はこの地域の春の訪れを告げる風物詩ともなっている(8)。
僻地であり過疎化も懸念される地域での催事であるが、それを支えているのが足助の地元住民である。その意気込みたるや「観光はひと」を旗印に、その中心を担っているのが前述のアットを始め、個性豊かな商店街の店主達やそのOB、さらには地元小、中学生に至るまでの老若男女である。また豊田市足助支所、足助観光協会にも大きなひな壇が飾ってあり、その全面バックアップは当然のこと、官民一体となったまさに地域総参加型の催事となっている(9)。
イベントは約1ヶ月間続くが、その間、地元高校生のダンスパフォーマンス、中学生のブラスバンド、小学生以下対象の「がんどう」と言われるお菓子配りイベント、スタンプラリー、土人形の絵付け体験など様々なイベントが行われる(10)。
その中でも「中馬のおひなさん」の一番の魅力となっているのが地元商店街に飾られる、古くは室町時代から現代までの歴史も大きさも様々な「おひなさん」と、おひなさんとともに歴史を紡いできた130店舗もの商店や建物などの街そのものであり、何より自分たちが観光地を支えている意識を強く持った地域住民の「おもてなし」である。この地域に深く根差した誠心誠意の意識こそが「中馬のおひなさん」を愛知県の春を代表する催事に育て上げたのである。
3、真壁のひなまつりとの比較
ひな祭りは、3月3日の「桃の節句」に行われ、ひな祭りを起源とする祭りやイベントも全国津々浦々の場所で行われている。多くはひな人形をイベント会場に集め展示するものが多いが、街全体を会場とし、地域ぐるみで取り組み尚且つ地域を代表するような催しになっているものは極わずかである。その中でも「中馬のおひなさん」と発祥や規模が近いものとして茨城県桜川市の「真壁のひなまつり」がある。
茨城県桜川市真壁の街並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。江戸時代より続く市街地には、300余棟の見世蔵や土蔵、門が今もその歴史を紡いでいる。その地で開催されるこの催しは2003年1月下旬、有志約40軒がお雛様を飾るところから始まった(11)。
その発祥は地元有志が寒い時期の観光閑散期に観光客をもてなそうと始めた。地域の過疎化と観光地の縮小を危惧した足助の「中馬のおひなさん」と近しい部分がある。
また足助との違いとしては「完全自由参加」を掲げていることである。足助ももちろん有志によるイベントであることに変わりはないが、より自由で参加し易くしている点は評価できる。
しかしイベントの規模としては「平成の大合併」時点でそれぞれの人口が足助町9,621人、真壁町が19,213人と2分の1以下の人口比であるが、期間中の推定来場者数は「中馬のおひなさん」が約7万人、「真壁ひなまつり」が約6万人と人口と来場者の比率はそれぞれ7.28倍と3.12倍とこちらは倍以上の差がある。開催回数で26回と20回との差はあれど、過疎地域でもある足助町が如何に老若男女総動員で、それこそ町を挙げてのイベントとして注力しているかが、数字上でも見て取れる(12)。
4、今後の展望
足助町は豊田市の中心部から離れていることもあり、過疎化が懸念される地域でもある。これは現代の日本社会においても同様の問題を抱えている地域は多い。しかし足助町が他の地域と異なる点は、古くからの観光地としての歴史が街で暮らす人々に、来場客に楽しんでもらおうという「おもてなし」の精神が広く深く根付いていることである。例えば地元の小、中学生は見知らぬ観光客に対してもきちんと挨拶をするし、学校でも観光に対する教育がなされ、手作りのウォークラリーやパンフレットを企画しているなど、子供のころから足助町の観光を支えているのが自分たちであると自覚をしている。また公式YouTubeチャンネルも開設されており、少子高齢化で労働人口が減って行く中でも、足助町を守ろうという思いは連綿と受け継がれ、次の世代の育成へと繋がっている。
5、まとめ
足助町は再開発が進む豊田市では数少ない古き良き商店街を残す地域である。反対に言えば新しい都市計画からは外れてしまった小さな集落である。しかし同じような地域は全国にも多くあり、座して死を待つような地域が多い中、その地域のもつ歴史と観光資源を活かし、規模は小さくとも観光立国として力強く生き延びていることは称賛に値する。その観光地として矜持を守っていく心意気や、街を訪れる観光客をもてなし触れ合うことが地域住民の生きがいともなり、街の活性化につながっている。豊田市足助町のような地域は一朝一夕にできるものではないが、少子高齢化の波にあえぐ多くの地域の灯として、同じように元気な街が増えていくことを願ってやまない。
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中馬街道の歴史を色濃く反映する土人形、土びな
2024年2月26日、山崎屋用品店内 筆者撮影 -
多種多様なひな人形達
商店街ということもあり、各店舗が店内を活かした展示がされている。古くは江戸、明治、大正時代の物もあり、大変貴重なひな人形も展示されている。
①~④2024年2月26日、⑤2022年3月3日 筆者撮影 -
中馬のおひなさん開催中の足助の町並み
平日のためか、来場者は少なめであった。その為各店舗での会話がゆっくり楽しめた。
2024年2月26日 筆者撮影 -
足助観光協会ロビー内特別展示
足助観光協会内では、イベント創世記に協力を仰ぎ、今でも交流が続く阿波・勝浦町の大規模なひな人形が並ぶ
2024年2月26日 筆者撮影 -
①賑わいをみせるおにぎり店(呉服店→米穀店→おにぎり店)時代に合わせ町を見守ってきた
②、③足助で9代続く塩問屋 そのこだわりの塩を求めて遠方からの来店客も多い
④奥三河の英雄 足助 重範公の大型人形
①~③2024年2月26日、④2022年3月3日 筆者撮影 -
①、②資料館も兼ねている足助中馬館の展示資料(撮影許可済)③中馬の道の石碑
2024年2月26日 筆者撮影 -
豊田市足助観光協会公式ホームページより引用 http://asuke.info/event/febmar/entry-161.html
7月15日閲覧 -
桜川市観光協会公式ホームページより引用 http://www.kankou-sakuragawa.jp/page/page000140.html
7月15日閲覧
参考文献
【註】
(1) 財団法人観光資源保護財団編集『三州・足助の街並み』、日本ナショナルトラスト発行、1978年3月1日 p.7
(2) 足助伝統的建造物調査会編集『足助 伝統的建造物群保存対策調査報告書』、豊田市教育委員会発行、2010年12月 p.6
(3) 愛知県高等学校郷土史研究会編集『愛知県の歴史散歩 下』、株式会社山川出版社発行、2005年3月10日 p.77
(4)、 (5) 大林淳男、日下英之監修『三河の街道と宿場』、株式会社郷土出版社発行、1997年12月12日 p.100
(6) (一財)信州なかの産業・観光公社 ホームページ https://hinaichi.com/ 2024年7月15日閲覧
(7) 人形辞典:ひな祭りの歴史|一般社団法人日本人形協会https://www.ningyo-kyokai.or.jp/jiten/history.html 2024年7月15日閲覧
(8)、(9) 丸根敬一制作『足助町観光協会創立50周年記念誌 地域文化創造の50年』、足助町観光協会発行、2005年4月1日 p.43、p47
(10) 26回中馬のおひなさんチラシ
(11) 桜川市観光協会公式ホームページ 真壁のひなまつりとは
http://www.kankou-sakuragawa.jp/page/page000140.html 2024年7月15日閲覧
(12) 桜川市人口ビジョン 桜川市 2022 年改訂
【参考文献】
豊田市近代の産業とくらし発見館編集『近代化遺産探訪案内』、豊田市教育委員会発行、2007年11月1日
豊田市近代の産業とくらし発見館、豊田市生涯活躍部文化財課博物館準備室編集『発見館のあゆみ』豊田市発行2023年2月1日
中根 陸雅著『足助物語』、合資会社白久商店発行、1987年5月5日
丸根敬一制作『足助町観光協会創立50周年記念誌 地域文化創造の50年』、足助町観光協会発行、2005年4月1日
愛知県高等学校郷土史研究会編集『愛知県の歴史散歩 下 三河』、株式会社山川出版社発行、2005年3月10日
大林淳男、日下英之監修『三河の街道と宿場』、株式会社郷土出版社発行、1997年12月12日
財団法人観光資源保護財団編集『三州・足助の街並み』、日本ナショナルトラスト発行、1978年3月1日
名古屋市立大学芸術工学部鈴木賢一研究室編集『重伝建 「足助の町並」を活用した学習ガイドブック』、豊田市教育委員会教育行政部文化財課足助分室発行、2016年2月26日
豊田市都市整備部都市計画課『足助景観計画』、2010年3月
足助伝統的建造物調査会編集『足助 伝統的建造物群保存対策調査報告書』、豊田市教育委員会発行、2010年12月
地球の歩き方編集室著作編集『地球の歩き方 J10 愛知2024-2025年版』、株式会社地球の歩き方発行、2023年8月22日
全国伝統的建造物群保存地区協議会編集『歴史の町並 令和5年度版』2023年5月1日
豊田市足助観光協会公式ホームページ http://asuke.info/ 2024年7月15日閲覧
豊田市足助観光協会公式YouTubeチャンネル #5 中馬のおひなさん
https://www.youtube.com/watch?v=MNrAYhjtwI4 2024年7月15日閲覧
人形辞典:ひな祭りの歴史|一般社団法人日本人形協会
https://www.ningyo-kyokai.or.jp/jiten/history.html 2024年7月15日閲覧
(一財)信州なかの産業・観光公社 ホームページ https://hinaichi.com/ 2024年7月15日閲覧
桜川市観光協会公式ホームページhttp://www.kankou-sakuragawa.jp/ 2024年7月15日閲覧
桜川市人口ビジョン 桜川市 2022 年改訂
茨城県 桜川市公式YouTubeチャンネル 真壁のひなまつり
https://www.youtube.com/watch?v=jswYjz6RmiY 2024年7月15日閲覧
足助観光マップ
26回中馬のおひなさんマップ
26回中馬のおひなさんチラシ
足助町散策ナビ
豊田市足助中馬館パンフレット
山の塩足助塩パンフレット
豊田市足助資料館パンフレット
紙屋 重要文化財旧鈴木家住宅パンフレット
真壁のひなまつりマップ
【聞き取り取材】
2024年2月26日11時 本町区民会館
2024年2月26日11時30分 足助糧穀
2024年2月26日12時 足助中馬館
2024年3月4日13時 足助観光協会