デザインされた峠克服104年の歴史と伝承-旧信越本線 碓氷峠

藤原 恵

はじめに
1997年9月末日、群馬・長野県境にあるJR東日本信越本線横川~軽井沢間(以後、横軽間と
する)は北陸新幹線(当時は長野行き新幹線)開業に伴い廃線となった。
この区間は急勾配を克服するため技術の粋を集め作られた。鉄道遺構と保存された機関車は、
日本の近代化に貢献したとして、国指定重要文化財(以後、重文)や鉄道記念物として保存
されている。(資料1-1)
本稿では、明治時代の開通から新幹線に至るまで、横川-軽井沢1駅区間に込められた、空間、
技術、歴史のデザインが優れたものであることを評価し、これからの伝承についても考察する。

1.基本データ
名称:東日本旅客鉄道 旧信越本線 横川-軽井沢間
鉄道開通年月日:1893(明治26)年4月1日
運転最終日:1997(平成9)年9月30日
所在地:群馬県安中市松井田町、長野県北佐久郡軽井沢町(資料2-1・2)
駅間距離及び標高差:11.2Km、553m
最大勾配:66.7‰(6.67%)(1)

2.歴史的背景
横軽間は江戸時代には五街道の一つ中山道として整備され、鉄道においても東海道と並び
重要視された。
明治初期に東京-京都間の幹線鉄道計画がなされ、ルート選定で中山道に決定された。
明治中頃に難工事の為、最後まで残った横軽間が18の橋梁と26ものトンネルを建設の末に
開業。官設鉄道の高崎-直江津間が全通となり、太平洋側と日本海側が鉄路で結ばれたので
ある。(資料3)
横軽間は勾配が急な山間を通るため、スイスの登山鉄道を参考にアプト式蒸気機関車とラック
レール(資料4-1)のアプト式による輸送が始まったが、トンネルが多いことから運転士と
乗客は蒸気機関車の煙と熱に苦しめられた。(2)
明治後期に、これらを克服すべく日本初の幹線電化を行い、横川駅付近に火力発電所、丸山に
変電所を建設し、アプト式電気機関車による輸送に代わった。(以後、ここまでのアプト式
輸送ルートを「旧線」とする)
しかし、昭和中頃にはアプト式輸送は走行速度が遅く(3)、今後の輸送量増加に応えられ
ないとしてアプト式を廃止し、走行速度を上げられる粘着運転(4)による輸送に代わり
旧線の改良と旧線に平行する鉄路が敷設され複線化した。(以後、粘着運転による輸送を
「新線」とする)
1997(平成9)年、抜本的な輸送力改善として、長野五輪に合わせる形で北陸新幹線が開通
して現在に至り(5)、各時代の諸問題の解決を図るため、鉄道施設と車両のデザインを
3代に亘り繰り返してきた歴史が積み重なっているのである。

3.評価
3-1 鉄道施設のデザイン
横軽間は明治期の鉄道として初の急勾配の山岳路線工事となり橋梁やトンネルが多数建設
されたが、日本初の技術を取り入れ、後に日本の近代化に貢献したとされ重文に指定された
点が評価できる。
旧線の橋梁やトンネルには煉瓦が使われ一部を除いて現存し、旧線建築物の象徴である碓氷
第三橋梁(通称:めがね橋)は、アプト式で勾配がある鉄橋は難しい(6)とされたこと
から国内最大級の煉瓦造アーチ橋となった。
煉瓦造りの建物では、丸山に変電所2棟が現存しているが、乗員乗客が蒸気機関車による
トンネル内走行時の熱と煙対策で電化された際に建設された。
旧線の橋梁、トンネル、丸山変電所の2棟は煉瓦造りで意匠性に富んでおり、煉瓦の積み方や
トンネルの出入り口である坑門の構造は芸術性が見て取れる。(資料1-2・3・5)この
横軽間にただ単に鉄路を敷くだけでなく、景観を配慮した意匠設計があり、作られたことが
分かる。(7)
新線では架線が張られ、トンネルの断面も大きくなり、トンネルの巻き厚が厚く、アーチ橋
にも力強さが感じられる。レールについても、旧型電気機関車の1.7倍重い新型電気機関車
を走らせるため、安定性のある重いレールが採用されている。(8)

3-2 鉄道車両のデザイン
鉄道車両は鉄道施設と組み合わさり初めて機能するため重要な対象と考える。
開業当初、特殊な構造のアプト式蒸気機関車を輸入していたが、3-1で述べたとおり煙害等
対策、輸送力増強に応える目的で、国産初の本線用電気機関車を鉄道省大宮工場(現 JR東日本
大宮総合車両センター)が製作し、10020形(のちのED40形)アプト式電気機関車が
製造され(9)その後もアプト式国産電気機関車のED41、42形が運用されたのである。
これらの電気機関車は蒸気機関車時代の狭いトンネルを使用したため、日本初の特殊な集電
方式が採用された。(10)
新線での運用には新型電気機関車(EF63形)が開発され、勾配を粘着運転で走行する
ための数々の装備が開発、装着され(11)、1区間だけの特殊な機関車がデザインされた。
これら特殊な機関車は旧線時代からの幾つかの逆走・暴走事故(12)の教訓を基に、安全を
最大限にデザインされた姿である。

3-3 体感する時間的なデザイン
鉄道遺構群、鉄道車両を身近に見ることで時間的なデザインを感じることができる。
遊歩道「アプトの道」は、2012年に旧線跡の横川~熊ノ平間が完成し、重文を見ながらハイ
キングができ、新線については2018年より安中市観光機構が「廃線ウォーク」(13)を
実施しており、このイベント時のみ普段は立入禁止の場所に入ることができる。
これらはSNS上で広がり、鉄道ファン以外の参加者が増え、参加者の裾野を広げながら急
勾配を自身の身体で体感しながら峠克服の歴史を風化させないよう、横軽間を保護しながら
活動を続けているのである。
また、峠を克服してきた一部の車両は軽井沢駅及び横川駅に近いテーマパーク「碓氷峠鉄道
文化むら」で保存され、動態保存された機関車は現役時代の線路の一部を使用して走行して
おり、かつての走行音、汽笛、機械の動作音が再現され体感できる。
こうした活動があるため、廃線後も人々の往来があり歴史が保存された空間の伝承が図られて
いるのである。

4.特筆点 JR東海 御殿場線(国府津~御殿場~沼津)との比較
東京-関西間幹線鉄道計画で中山道の別案として東海道ルートが検討され、ルート上に
国府津~沼津間の箱根越えの急勾配(25‰)の難所があった。明治中頃に開通し東海道線の
役目を担っていたが、信越本線の横軽間同様に輸送力の限界が訪れ、箱根の南側に丹那トン
ネルが開通後、小田原・熱海を通るルートが東海道線となり、幹線の座を譲り御殿場線と
名称を変えた。(資料6-1・2)
どちらの路線も東京-関西を結ぶ幹線として近代化に貢献したが、急勾配の存在が路線の
その後を変えた点は共通点が見られる。
御殿場線は開通後、紆余曲折があり(14)使用しなくなった下り線レールや橋梁が撤去され、
多少のルート変更と線路と併走する国道の工事もあり消失している橋やトンネルもある。
(資料6-3)
開通当時に近い形を保存するには難しい状況であったと推測する。しかし、こうした遺構の
保存状態が良ければ横軽間同様、近代化に貢献したとして保護対象となったのではと推測する。
横軽間の旧線は鉄道遺構の数が多く、土木的価値がとても高いことが特筆点と言えるのである。
また、横軽間は3-1,3-2で述べたような輸送力強化により、この地域の産業である繭や
生糸の生産を後押しし、富岡製糸場や長野諏訪地方で生産された生糸が横浜まで運ばれた点も
評価できる。

5.今後の展望について
廃線は人々の記憶から薄れてゆくことが少なくないが、横軽間には「碓氷峠鉄道文化むら」や
「廃線ウォーク」を中心に、保存車両や鉄道遺構を活用して、鉄道ファン以外の人々へも知る
機会を増やしている。(資料5-1・2・3)他の廃線の活用成功事例(資料7-1・2)
とも言える例を見ても、廃線から数十年経った今でも親しまれているのである。
また、JR等とコラボした企画を開催し、来場者が増える好例を示している。(15)
今後も、更にPR活動を通して鉄道ファンのみならず来訪者の裾野を広げて来訪者を増やし、
人々の記憶から薄れていかないことを期待する。

6.まとめ
横軽間には時代・場所の必然性(16)から生まれた遺構や車両があり、それらは山々に
溶け込んでいきながらも存在を主張しており、旧線から新幹線に至るまで「つくる」空間と
「できる」空間(17)が入り交じり、「生きた廃線」(18)として蘇った。
交通機関の役割は安全に早く大量に運ぶことであるが、現在の快適な移動にだけ目を向けるだけでなく、横軽間は開通から新線の廃線に至るまで、人々の様々な思いの上に成り立っており、混じり合った空間を間近に感じて後生に伝承してゆく空間となるであろう。

  • 81191_011_31783003_1_1_第3橋梁トップページ用 表紙用写真
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  • 81191_011_31783003_1_2_E8B387E696991_page-0005 1-1 国指定重要文化財一覧、鉄道記念物一覧、1-2 国指定重要文化財(建築物・写真)
    1-3 国指定重要文化財(建築物・美術工芸品・写真)、1-4 鉄道記念物
    1-5 煉瓦積み種類、目地説明
  • 81191_011_31783003_1_3_資料2_page-0001
  • 81191_011_31783003_1_3_資料2_page-0002 2-1 旧信越本線 横川-軽井沢の位置、橋梁・トンネルの位置
    2-2 橋梁・トンネルの位置
  • 81191_011_31783003_1_4_資料3_page-0001 旧信越本線 横川-軽井沢 及び 東海道ルート(御殿場線)に関する年表
  • 81191_011_31783003_1_5_資料4_page-0001
  • 81191_011_31783003_1_5_資料4_page-0002
  • 81191_011_31783003_1_5_資料4_page-0003
  • 81191_011_31783003_1_5_資料4_page-0004 4-1 アプト式の説明、4-2 なぜ煉瓦づくりの橋脚でなければならないのか、4-3 トンネル巻き厚、レールについて
  • 81191_011_31783003_1_6_資料5_page-0001
  • 81191_011_31783003_1_6_資料5_page-0002
  • 81191_011_31783003_1_6_資料5_page-0003 5-1・2・3 安中市観光機構 廃線ウォークについて(データ、参加時の様子)
    (一部 碓氷峠鉄道文化むら)
  • 81191_011_31783003_1_7_E8B387E696996_page-0001
  • 81191_011_31783003_1_7_E8B387E696996_page-0002
  • 81191_011_31783003_1_7_E8B387E696996_page-0003 6-1 旧東海道線(御殿場線) 国府津-沼津間の位置、丹那トンネルの位置
    6-2 比較表 
    6-3 遺構郡写真
  • 資料7_page-0001
  • 資料7_page-0002 7-1 武庫川渓谷廃線敷ハイキングコース
    7-2 尾小屋鉄道について

参考文献

【聞き取り調査】
一般社団法人安中市観光機構・上原将太氏
2024年1月27日 メールで実施

【註釈】
(1)鉄道は勾配表記をパーセント(%)ではなく、パーミル(‰)(千分率)で表す。
  「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」の解釈基準では、機関車列車がある
   場合は25‰、機関車列車がない場合は35‰を超えると急勾配とされる。
   国鉄(現JR)で最急勾配区間であった。

(2)この当時、アプト式蒸気機関車で横軽間は1時間15分ほどかかったうえに、
  トンネルが26カ所あった。乗務員は煤煙と蒸気のため息苦しく、吐血や窒息
  する者も出た。乗客の中には途中の熊ノ平駅で下車して歩いて軽井沢へ向かう
  人もいた。
   対策として、トンネルの入口に幕を設置して、列車がトンネル内に入り終わると
  幕を閉めて空気の流入を防ぐ「隧道番」を常駐させたり、石炭の代わりに重油を
  燃やしたりしていた。

(3)アプト式蒸気機関車の運転最高速度は9km/hであった。(資料5-3 写真12参照)

(4)車輪とレールの摩擦力によって走行する方式。我々が普段利用する鉄道の殆どが
  この方式である。

(5)資料2-1 図2を参照すると、旧信越本線の北側に大きなカーブ(赤線)を描いて
   軽井沢に向かっている。群馬県と長野県とで高低差があるため、大きく迂回して
   高低差を距離で軽減しているが、高崎-軽井沢間は30‰の勾配が30km続く。

(6)ラックレールは鉄枕木、レールと共に固定される。鉄橋の場合、枕木も固定する
  こととなり、勾配があると常に勾配の低い方へと大きな力が加わるのである。鉄橋は
   水平に設置することが多く勾配には向かない。(資料4-2 図1・2参照。)

(7)殆どの橋梁やトンネルは、煉瓦の積み方がイギリス積みや、トンネル上部に長手積み
   を採用しているが、一部フランス積みを採用している橋梁や、煉瓦と煉瓦の間の目地の
   断面を蒲鉾状に盛り上げて施工する「覆輪目地」が見られるところもある。 
   (資料1-5参照)

(8)トンネル巻厚:トンネル出入り口のコンクリート厚さである。
   安定性のあるレール:重ければ重いレールほど安定性がある。今までの61.5ポンド
  (27.9kg)レールから50kgレールとなり安定性を増した。(資料4-3参照)

(9)国産初の本線用電気機関車で、鉄道省設計・製作された。
   蒸気機関車に代わり電気機関車を増備する計画があったが、国内の車輌製造メー
   カーの技術力が育っていなかったため、当時の鉄道省大宮工場が自ら新製した。
  (資料1-3、2.国指定重要文化財(美術工芸品)参照)

(10)走行用のレールと並べて設置され、電車や機関車に電力を供給するための、
    レールのことを言う。(資料4-1 写真2参照)
    横軽間では蒸気機関車時代の狭いトンネルを使用したため、スペースの関係で
    トンネルの天井に架線を張ることができず、日本初の第3軌条が採用された。
    しかし、乗客がいる駅周構内では、感電防止の観点からパンタグラフによる集電を
    行った。
    トンネルの断面積を小さくできるため、現在では東京地下鉄(銀座線、丸ノ内線)、
    大阪市高速電気軌道(御堂筋線、千日前線など5路線)などで採用されている。

(11)EF63型電気機関車は、一見何気ない普通の機関車に見えるが、過去の事故を
   教訓に安全に係わる装置が取り付けられた。
   空転滑走検知装置、強化型自動連結器、協調運転装置、加速度検出装置(OSR)、
   電磁吸着ブレーキ、転動防止ブレーキ装置が装着され安全運行を続けていた。

(12)
1.逆行事故
明治37(1901)年7月13日の下り列車(軽井沢方面の坂を登る列車)が軽井沢
の少し手前で逆走。この事故で、乗客2名が死亡した。

2.熊ノ平駅の貨物列車転覆
 大正7(1918)年3月7日の下り貨物列車(軽井沢方面の坂を登る列車)が機関車の
 不具合により逆走し、熊ノ平駅構内の入れ換え用トンネルに衝突し1編成丸ごと
 破損した。即死2名、重軽傷6名。

3.脱線転落事故
 昭和20(1975)年10月28日上り線(上野方面の坂を下る線)電気機関車4両編成回送列車が
 暴走脱線後、築堤から落ちて転覆した。乗務員3名が重軽傷を負う。
 この事故をきっかけに、「加速度検出装置(OSR)」を搭載する改造が行われた。

(13)1997年に廃線となった旧信越本線の横川-軽井沢間の路線を活用して、普段は立ち
 入り禁止区間の場所をガイド・昼食付きで約11kmを歩き、歴史的価値と峠越えの苦労を
 体験できるイベントである。 廃線というと、どこか寂しく過去のものと思いがちだが、
 こうした活用法によって、廃線跡は管理され毎年1000名以上の人々が歩いている「生きた
 廃線」となっている。(資料5-1・2・3参照)

また、参加者の9割以上が県外からの参加者であり、廃線ウォークが旅行の目的と
なっており、周辺の宿泊施設へ宿泊し、鉄道文化むらに入場するケースもあり、
地域の発展に寄与している。
 明治時代の鉄道黎明期からの歴史的背景や現存している建築物が多いことは人々を
惹きつける魅力ともなっている。

(14)幹線鉄道の使命として複線化したが、1943年に戦時供出により複線のうち上り線の
 レールが外され単線となり、1968(昭和43)年にはレールを外した上り線に電化工事を行い、
 今まで使用していた下り線のレールを上り線に付け替え、下り線を廃線としたのである。
  複線化工事を行い、小田原・熱海ルートへの変更があり、再び単線化して、電化工事での
 レールの付け替えなど激動の歴史を辿る。

(15)JR東日本が信越本線高崎-横川間に蒸気機関車を走らせ、大人気アニメで鬼を
 退治するアニメと碓氷峠鉄道文化むらともコラボして、人を呼び込むことに成功した事例が
 ある。
  また、鉄道だけではなく、はとバスツアークラブツーリズムなど日帰りバスツアーにも
 廃線ウォークを販売してもらい、生きた廃線空間を体験してもらう人を増やしている。

(16)川添善行著、早川克美編『空間にこめられた意思をたどる』藝術学舎、2020年、p172

(17)川添善行著、早川克美編『空間にこめられた意思をたどる』藝術学舎、2020年、p170,172

(18)一般社団法人安中市観光機構『廃線ウォークホームページ』一般社団法人安中市観光機構、2024年、トップページ

【参考文献】
一般社団法人 日本民営鉄道協会HP  こう配
https://www.mintetsu.or.jp/knowledge/term/16368.html(2023年12月3日閲覧)
一般社団法人 日本民営鉄道協会HP  第3軌条
https://www.mintetsu.or.jp/knowledge/term/16408.html(2024年1月29日閲覧)

近代の碓氷峠で活躍した国産電気機関車の運用状況を示す重要資料群の調査https://www.bunka.go.jp/kindai/bijutsu/research/index.html(2023年12月30日閲覧)

東日本旅客鉄道株式会社 プレスリリース 2017年度 2018年3月9日https://www.jreast.co.jp/press/2017/20180312.pdf(2023年12月30日閲覧)

鉄道博物館ホームページ フロアマップ 電気機関車 ED40
https://www.railway-museum.jp/map/1f_station/(2024年1月29日閲覧)

天然醸造醤油 有田屋 「碓氷隧道仕込天然醸造醤油」
https://aritaya.com/lp/zuido/(2024年1月29日閲覧)

KaruizawaWeb 「有事の一時避難場所、旧信越本線トンネルの見学会」
https://store.karuizawa.co.jp/newspaper/news/2022/06/post-236.php(2024年1月29日閲覧)

群馬県安中市 一般社団法人安中市観光機構 廃線ウォーク
https://haisen-walk.com/about(2024年1月7日閲覧)

「きょう電化50周年」交通新聞、昭和37年5月11日

小西純一、田島二郎「碓氷峠旧線跡に残る鉄道構造物の技術的特徴と意義」、『土木史研究』 第14号、1994年6月 p46

前里孝『レイル №107』エリエイ、2018年

横川機関区OB一同『阿武止氏機関車』アブト式写真集編集会、1983年

安中市教育委員会『旧碓氷峠鉄道施設ガイドブック』安中市教育委員会、平成22年2月

21世紀の武庫川を考える会『武庫川渓谷廃線跡ハイキングガイ』日本機関紙出版センター、2017年

藤原恵「芸術教養演習2 第1課題」藤原恵、2023年

花田欣也『鉄道廃線トンネルの世界』山と渓谷社、2021年

川添善行著、早川克美編『空間にこめられた意思をたどる』藝術学舎、2020年

三宅俊彦『碓氷峠の一世紀 -運転史から見た横軽間の104年-』ネコ・パブリッシングカンパニー、2023年

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